180:祈りの刻 その二

祭壇シミュレーター稼働状態に入ります」

「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」


 結界の中に一人立つ伊藤さんがいかにも心もとなげな雰囲気で不安を誘う。

 結界の稼働は目には見えないが、空気の中にオゾン臭のような匂いが微かに混じるのが感じ取れた。


「何を言っているんですか。昨年のお正月に兄さんが放り込まれたという仮想空間バーチャルリアリティよりはずっと安全ですよ。何しろ意識も肉体もこっち側にありますからね」

「あ、くそっ、やっぱりあれってそんなにあぶねえものだったのかよ! あのジジババ共が! ってかそうじゃねえよ、俺らの基準で大丈夫とかは一般的に大丈夫じゃねえだろ?」

「一般的に安全ですよ。祭りで使われる類のものですから。ほら、奉納舞とか巫女舞とか」

「ああ、神楽とかのやつか」

「そうです。兄さんが覚えるのを放棄したあの」

「いちいちねちっこいな、そもそも二十も三十も踊りを覚えられるかってんだ」

「宗家なんですから本来なら五十は覚えなければならないところを配慮してもらったのにあの始末」

「だから、代わりにユミが覚えただろうが!」

「ユミが男舞を覚える訳ないでしょう? ユミが覚えたのは女舞です」

「あ、一応男舞も覚えた」

「ほら」

「ほらじゃないですよ、覚えたって踊る訳にはいかないでしょ? 兄さんに教えるつもりで覚えたに決まっています」

「ん」

「浩二が覚えろよ、次の宗主はお前だろ」

「ほう、その話をここで蒸し返してもいいんですね?」

「蒸し返すもなにも、俺は相続の一切を放棄して出奔した身だからな」

「去年の元旦に後継の儀は略式で滞りなく終わったことになっていますよ」

「え?」

「話し合いもせずに逃げ出すからそういうことになるんですよ」


 なにか聞き捨てならないことを言われたが、しかし確かにここでその話をグダグダ続ける訳にはいかない。

 伊藤さんが既に困ったような顔でこっちを見ているしな。


「まぁその話は今度じっくりとすることにして、本当に絶対安全なんだろうな」

「しつこいですね。これだけ精密にモニタリングしているのに何かあったら逆に驚きですよ」


 どうやら話の区切りが付いたと見た由美子が祭壇に歩み寄ると敬々しく礼をして柏手を二回打つ。

 これを四方で繰り返し、場を高めた。


「このマンション自体に結界がありますからね。神霊じみたモノも、その逆に雑鬼のようなモノも現れません。集まるのは純粋な霊気でしょう」


 ああ、なるほど、だから危険は無いと断言出来る訳だな。

 意思の無い霊気なら精神的な負担は無いだろう。

 伊藤さんは既に説明を聞いていたからか落ち着いたもので目を閉じてじっとしている。


「うーん、大したものですね」

「なにがだ?」

「ほら、モニタを見てください。本来なら外から霊圧が加わると、それを押しのけようと自分の霊気の範囲が広がり、いわゆるオーラが立ち上る状態になるものです。しかし、彼女からは全く霊気は漏れていません。これは無能力者ブランク特有の反応です」

「ってことは普段は完璧に無能力者と同じ状態って訳か」

「ある意味怪異に対しては最強と言っていいでしょう。まぁ守りに関しての話ですが」


 正直、俺としては伊藤さんが本当に無能力者であれば一番よかったんじゃないかと思うんだが、今更そんなことを言っても始まらない。

 しかし、このままでは彼女の特性を調べるという今回の目的上困るのではないだろうか?


「それでは今から状況の説明をします。よく『聞いて』くださいね」

「はい」


 うおっ、暗示か。

 どの口が安全だと言ったのか?

 とは言え始まってしまった以上騒ぎ立てる訳にもいかない。

 俺はおとなしく成り行きを見守った。

 何があってもこの先は浩二と由美子を信じるしかない。


「あなたの周囲は暗い、とても昏い闇の中にいます。それにちょっと寒い」


 祭壇の上の伊藤さんが目を閉じたまま不安気に周囲を見回す。

 右手で左腕をこするようなしぐさをした。


「先のほうがほんのり明るく見えてきました。誰かいますか?」

「隆志さんが、それとお父さんとお母さん」

「では少し急いだほうがいいでしょう。歩けますか?」

「いえ、なんだか足が動かないみたいなんですけど」

「それは困りましたね。急がないとほら、みんなが食べられてしまいます」

「えっ!」


 おいおい、設定が過激すぎないか?

 もっと優しく出来ないのか?

 伊藤さんは何が見えているのか一瞬硬直した後、叫ぶように大きく口を開けた。

 しかし声は漏れない。

 祭壇の周りの結界のせいで『声』は外に漏れないのだ。

 心が直接接続リンクしているのでお互いの意識は交わせるので伊藤さんからは会話しているように感じられるだろうが。


「残念でしたね。でも大丈夫です。さっきのはただの夢です本当に食べられた訳ではありません」

「あ、ああ……」


 ちょ、おい、すっごい動揺しているぞ。これってやっぱり一般人には厳しい内容なんじゃないのか? トラウマにならないよな?


「ああ、ほら、あなたは無事に大切な人の所へ戻ってこれました。よかったですね」

「あ、はい」


 これってあれだよな、子供たちがたまにやる肝試しみたいなあれだよな。

 一回安心させて次が本命という奴。


「あれ? でも、彼らの背後に何か……」

「あっ!」


 ちょ、お前もうやめろ。かわいそうだろうが。涙目だぞ、おい。

 伊藤さんはガクガクと震え出し、うっすらとその目じりに涙が浮かんでいる。

 なんだか虐めを見ているみたいですごくキツイんですが。

 とは言え暗示中に横槍を入れるとその被験者の精神にダメージが行くこともあるので下手に騒ぐことも出来ない。

 そんな俺の気持ちなど知らぬ気に浩二はモニターを確認して一つ二つ頷いた。


「放射型ではないですね。あくまでも彼女の気は閉じている。しかし認識している存在を自分の内側に入れることが出来るようです。やっぱり想定通り彼女の力は内包的な物なんですね。ここから更に発展させられる可能性はありますが、今の段階で確実なこととしては、彼女は術士とは組めないということがわかりました。普通の能力者ともまず組めないでしょう。術士や能力者にとっては逆に天敵のような存在とも言えます。異能キラーと言っていい」


 浩二はオフレコでそう告げると、リンク状態に戻して伊藤さんに声を掛ける。


「さあもう安心ですよ。夢は覚めて現実へと回帰します。夢の記憶は闇の中に置いて来てしまいましょう」

「はい」


 伊藤さんの表情から緊張が消え、由美子が鈴を鳴らしながら祭壇の周囲を巡る。

 なんとか無事に終わったようだ。

 うん、今回改めてわかったが、あれだな、こういう実験じみたことは自分が被験者のほうが安心するな。

 テストする側ってのはキツイ。

 万が一の事故が無いように結界が張られているのはわかっても、隔離されているという状況はやっぱり怖いものだ。


「まぁ結界という物は術者の世界のようなものですからね。おいそれと身を任せたくないというのは当然ですよ」


 浩二が俺の顔を見ながらそう言って薄く笑った。


「僕が一般人相手に酷いことをすると思った兄さんが一番酷いと思いますけどね。まぁ兄さんが実験台になってくれるならもちろん酷いことをしますけど」

「わざわざそんなことを宣言しなくともいいわ!」


 こいつ自宅に実験施設を作っちまってるらしいからな。ちょっとはマジだと思っておいたほうがいい。

 ますます実家に帰りたくなくなって来た。


「は、あ」


 伊藤さんが大きく息を吐く。


「お疲れ様、大丈夫か? なんか気分が悪かったりしないか?」


 解呪が終わったようなのでそう声を掛けつつ近くに歩み寄った。

 伊藤さんはちょっとだけ足をふらつかせたが、その後はしっかりとした足取りで祭壇から下りる。


「いえ、それどころかなんだかよく眠った後のようにすっきりしていてびっくりです」

「そうかよかった」

「それでどうだったんでしょうか? 私お役に立てそうですか?」


 シミュレーターによるチェックが終わったばかりだというのに、さっそく伊藤さんは意気込んでそう尋ねた。

 いやいや、そんなに頑張らなくてもいいから。

 そもそも本来は一般人なんだから、どっちかというと力を封印する方向で考えるべき所だろう?


「ええ、まぁ兄さんとは相性がいいと思いますよ。力のクラス的には判断が難しいですけど、防御、補助系と言っていいのかな?」

「脳筋と相性がいいなんて、不幸」


 ちょっ、妹よ、それはどういう意味かな?


「そっか、ありがとうユミちゃん」


 しかし伊藤さんはなぜかその言葉に嬉しそうに頬を染めた。

 なんか、うん、脳筋でごめんなさい。

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