179:祈りの刻 その一

 常に無い緊張に襲われて、俺はそのドアを開くのに逡巡してしまう。

 背後には伊藤さんが不思議そうに俺が開けようとしている入り口を見ていた。


「それって隠し部屋ですか? 格好いいですね」


 ちょっとワクワクしているようだ。

 かわいい。

 いやいや、そうじゃない、頭を切り替えよう、俺。

 今俺たちは俺の部屋のワードローブから例のミーティングルームへと向かおうとしていた。

 伊藤さんの巫女シャーマンとしての異能をハンター協会に報告するのは躊躇われたが、かと言って俺一人で抱え込む訳にもいかない。

 なにより伊藤さんの身に何かあった場合巫女の能力をぼんやりとしか把握していない俺だと対処が出来ない可能性がある。

 身近で一番信用が出来るとなれば俺の選択肢は多くない。

 当然のように由美子と浩二に相談する運びとなった。


 二人は至極あっさりと俺の話を聞き、それに対する意見を述べた。

 由美子の言うには巫女の能力というのは普通は常時オープン状態になっている物なので封印されない限りは発現してから大人になるまで一切行使されないということは起きないはずの事態なのだそうだ。

 しかし、伊藤父は伊藤さんに無能力者ブランクであると信じさせることによってそれを成し遂げた。

 巫女と無能力者とは実は真逆の存在だ。

 巫女が常にオープンであるのに対して、無能力者は常に閉じている。

 伊藤父は伊藤さんに暗示を掛け、無能力者であると思わせることによって自分の波動を閉じさせたという訳だ。

 かつて誰も成し得たことのない快挙だが、そもそもそういうことをしようとする者がいなかったのだからそれはそうだろう。

 巫女の力は怪異に苦しむ人にとっては大きな助けだ。

 普通は伸ばそうとすればこそ、隠そうなどとは思うまい。


『つまり異例の事態』


 由美子はそう言った。

 一番多感な時期である思春期に巫女の力は変節を迎える。

 この時期に能力が消える者もいれば、変化してしまう者も多い。

 しかしその時期をずっと自ら封じたままで過ごした伊藤さんの場合、その力がどういう風になっているのかがわからないとのことなのだ。

 まぁ前例のない事態だからな。

 特性を理解しなければ導くことも、また、再び封じることが可能かどうかもわからない。

 とりあえず調査が必要ということだ。

 そして問題は浩二のほうの意見である。


『まずいですね。法的に巫女は守られる存在ですが、それは登録されていることが前提です。子供に就学前の集団検診を受けさせないのは保護者に対する厳罰の対象ですが、その時期は彼女の場合は海外で物理的に受診は不可能でした。この場合、その行為が罪に問われることはありません。そもそも普通はどこの国でも就学前の検査はあるので、どの国ででも就学さえすれば別に問題になる話ではないのです。ただ、彼女はどこの国でも義務教育の時期には就学していません。自主学習で大学受験資格を取得し、学歴は大学のみで、義務教育の一切を受けていない。呆れた話です。恐ろしいですね常識を無視出来る冒険者という存在は』


 そう言い置いて、浩二は続けた。


『とは言え、彼女もその両親も今更処罰対象にはならないでしょう。法的にはグレーですが、裁判で罪を問えるかと言えば難しいでしょうからね。ただ、公表されるとかなりのスキャンダルになるでしょう。国としては叩かれることを回避しようと彼女をマスコミの生け贄にする可能性もある。それはどう考えても拙い。それを防ぐには突然異能に目覚めたという扱いにするしかありません。異能で事件を起こせば強制収容で収容所での指導となりますが、彼女は別に問題を起した訳ではない。もちろん登録は必要でしょう。野良の異能者は事件を起した時の処罰が重いですし、何もしていなくても強制連行が可能です。しかし、異能者として登録をしてしまえば国からのバックアップが期待出来ます』

『バックアップ?』

『はい。優良異能者認定です。異能の種類を特定し、それが社会的に有用であると認定されればその能力を有効に使うにあたっては助成金及び施設利用の優待権が与えられます。まさか後天的な巫女など存在するとは考えてもいないでしょうが、法律的に言えば巫女も異能の一種ですから問題ありません』

『お、おう』


 あれは悪い顔だったな、と、実の弟の顔を思い出してげっそりした。

 要するに未登録の巫女だと判明すると物議を醸すが、後天的な異能力者として登録をしてしまえば合法であるというのである。

 ただし、巫女として登録するのは拙いということだった。

 もうここまで来ると俺には付いていける段階ではない。

 頭を下げてよろしくお願いするしかないのだ。


「じゃあ行きますね」

「はい!」


 うん、まあ伊藤さんが嬉しそうだからいいか。


 ちょっと風変わりな廊下をただ延々と歩くだけの道程なのだが、それを伊藤さんがとても楽しんでくれたので、なんだか俺も楽しく歩けた。

 人間とは気持ち次第でどんな環境も克服出来る素晴らしい生き物らしい。


「まるで忍者屋敷のようですね。階段とかないのに緩やかな傾斜があって、微妙に上がったり下がったりしているんですね」

「すごいな普通は気づかない程度の変化なんだが」

「私歩くのは得意ですから」

「そういうものなのか」


 まぁ中央都の裏道を知り尽くしている伊藤さんだ。そういうこともあるのだろう。


「ここです」

「はい、よろしくお願いします」


 なんだか伊藤さんに妙に力が入っている気がするが、今まで異能とか巫女とか、それどころか怪異だって別世界の話だったのだから、そりゃあ緊張するか。

 改めて考えると、性急にことを進めすぎているような気もするな。

 もっと穏やかに理詰めで進めたほうがよかったかもしれない。

 問題は俺がそういうのが苦手だということなんだけどな。


「よお」

「失礼します!」


 ミーティングルームに入ると、広々とした明るい室内の様子がいつもと違い、テーブルが片されて部屋の真ん中に結界が作られていた。

 結界というか祭壇だな。

 榊の枝が四方に配され、それをしめ縄が繋いでいる。

 しめ縄に付けられた紙垂が風もないのに時折揺れているのは内圧が高まっているからか? 何か降ろす気なのか? お前ら。


「これは?」

「シミュレーションステージ」

「これほど言葉と見た目の噛み合わない物を見たことがないな」


 浩二の返事に俺は既にげっそりとして来た。

 伊藤さんはさすがに驚きと緊張に固まっている。

 そんな彼女を由美子が手招きした。


「ゆかりん、お茶とケーキがあるよ?」

「あ、ユミちゃん、ありがとう」


 明らかにホッとしたように伊藤さんは由美子が用意したらしい可愛らしいテーブルセットのほうへと向かった。

 事前に俺に目を向けて問い掛けるようにしたので、それに頷くと嬉しそうに微笑んだのが大変可愛くてよかった。

 女子組はそれでいいとして、俺は浩二のほうへと向かう。


「何をどう調査する気だ?」

「まず、彼女が巫女ではない前提で話を進めます」

「はあ?」


 巫女なのに巫女ではない前提ってどういうことだ? 話が全く見えないな。

 そんな俺の様子をどこかわかってます的な顔をした浩二がちらりと見て話を進める。


「野良の巫女がいるはずがない。という法的な前提で考えると、彼女はただの異能者です。ただの異能者の場合その能力は大きく二つに大別出来ます。力が外へ向かうか内へ向かうかです」

「あ、あ、うん」

「巫女の力は普通に内に向かうものと考えられていますが実は違います。巫女の力の本質は内外の境界を無くす所にあります」

「おい、前提はどうした?」

「社会人なら建前と本音ぐらい使い分けて当然でしょう」

「もういいから話を先に進めろ」


 浩二は俺を見てわざとらしくため息を吐いて先を進めた。

 くっ、イラっとするな、俺。


「兄さんから報告があった事件の時のことですが、その時彼女が歌を唄って兄さんが相手からの干渉を受けなくなったという話でした」

「ああ、うん」

「それはつまり彼女は彼女の存在の内側に兄さんを入れて、波動を閉じたということだと思います」

「んん?」

「異能というのは自分の波動によって他人に干渉する物という前提はわかりますね?」

「あ、はい」

「無能力者は波動を外に出さず外からの波動も受け付けないので異能の干渉を受けない。つまり閉じた状態だと相手の異能は通用しない訳です。同時に異能者は自分の力を振るえなくなりますが、兄さんの力は馬鹿力ですから問題ありませんね」

「お前、俺をさり気なく馬鹿にしてないか?」

「僕は単に客観的な事実を語ったままですが?」


 喧嘩はしない、喧嘩はしない、と、俺は頭の中で繰り返した。

 うん、今日は喧嘩しに来たんじゃないぞ、大丈夫だ。


「つまりどういうことなんだ?」

「彼女の力は内部に作用する物ですが、その『内部』の判定を広げることが出来るということですよ。まぁ今回振るわれた力に限った話ですけどね」

「んー?」


 それは普通の異能者の結界と何が違うのだろう?

 やっぱりイマイチわかってない俺を見て、浩二はにこりと笑った。


「いいんです。理屈を兄さんが理解する必要はありません」


 くそっ、殴っちゃだめだぞ、俺。

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