170:宵闇の唄 その九
街の片隅で学校をサボってたむろっている少年たちが賑やかに盛り上がっていた。
場所はオーナーが夜逃げした廃ビルの中だ。
所有者が定かで無くなった時点で差し押さえが発生しているのだが、競売の末にとある会社が資産運用の方針の一貫として購入し、そのまま放置しているのだ。
いずれは何かに利用するのかもしれないが、現在は宙ぶらりんのまま入口を封鎖するだけの処置をするに留まっていた。
しかしコンクリでも流し込んでいれば別だが、板で覆っただけでは浮浪者や彼らのような者達の進入を阻むことは出来ない。
少年達はそれぞれ楽しげにナイフ投げの腕前を競ったり、持ち込んだ酒を消費したりしていた。
そこへふと新たな気配が現れる。
最初誰もがその存在に気づかずにいたのだが、カツリと硬い足音がコンクリ打ちっぱなしの床に響き、まるで全員が呼ばれたかのように一斉に振り向いた。
「なんだてめえ!」
血の気の多い少年の一人がさっそく肩をいからせて突っかかっていく。
まず最初にアドバンテージを取ろうとするのは彼らの習性のようなものだ。
彼らの世界は弱肉強食、弱気を見せた者から潰されて行く。
社会と壁に守られた世界でぬくぬくと生きながらも、その中で野生を気取るのは若さゆえの特権だろう。
だが、
その相手の胸ぐらを掴むはずの腕は逆に返され、後ろ手にねじ上げられてたちまち組み伏せられる。
「色々と試した結果、効率がいいのは君たちぐらいの年齢の若者とわかったんでね。まぁ元気が余っているんだ。少々分けて貰っても構わないだろ?」
そう言って、男が少年から手を放した途端、少年はまるで魂の抜けた人形のようにその場に転がった。
単に腕をねじ上げられていただけなのに、それは理不尽な光景だ。
暴力に慣れている少年達は、慣れているからこそその理不尽さを理解した。
「こいつやべえ!」
敏い者はいち早く『敵』の危険性に気が付いた。
しかし、この廃ビルは窓は全て塞がれていて、出口は侵入者が立っている一箇所だけ。
少年達にはその相手を倒す以外の選択肢はなかったのだ。
―― ◇◇◇ ――
会社ビルの外で緊急搬送のサイレンが鳴り響く。
このビルの防音設備はきちんとした物だが、これらの緊急用の音は基本的に防音装置を素通りするようになっている。
なんらかの災害情報が発せられた時に気づきやすいようにだ。
というか、ビルの仕様というより緊急車両のほうの仕様だな、これは。
「う~ん」
俺は頭の片隅でそんなことを考えながらも今現在の仕事に頭は集中していた。
ここ数年食中毒が増えているとかでキッチンで使う効果的な殺菌グッズについての企画書の提出を求められていたのだ。
しかしさすがに専門外の知識が必要で難航していた。
そもそも殺菌と言っても食中毒の原因菌って種類が色々あって、対処方法がそれぞれ違うんだよな。
一括に処理したりするのは無理じゃね? これ。
そもそもは調理者のしっかりした手洗いと消毒、キッチングッズの熱湯消毒とか、昔からの基本的なやり方が一番効果的な気がする。
「消費者は安心感を求めているだけですから、ある程度は気休めでいいんじゃないですか?」
新人君……と言ってももうそろそろ一年目も終りもう新人とも言えない中谷がそんな軽口を叩く。
「うわ、それ最低です。中谷くん最低!」
その意見に目くじらを立てて攻め立て始めたのは御池さんだ。
「そういういい加減なメーカーはリコール商品を出して経営圧迫で倒産するんですよ!」
「おいおい、生々しい例えはやめてくれ」
まくし立てた御池さんの言葉にダメージを受けているのはうちの課長である。
「しかし課長、確かに今更新たにこの部門で参入は厳しいんではないですかね、キッチンの消毒殺菌グッズ系は大概出揃った感がありますよ」
佐藤が珍しく否定意見を述べる。
「しかもこのオーダー」
佐藤は手に持った書類をぴしりと指で弾いた。
「安価で消費者誰でも手軽に扱える家電とか、ちょっと無茶振りしすぎじゃないです?」
「いいか、佐藤。うちの課は社内では無茶振り出来る場所と考えられているんだ」
答える課長は真剣だ。
「それは隣の話では?」
「実を言うと、社内ではうちと隣があんまり区別されていないんだな、これが」
「マジっすか」
商品開発課と商品開発室、隣同士だし似たような名前だが、実はその性質はまるっきり違う。
開発室は研究部門で主に特許関係などの新しいアイディア、斬新な発明などを行う部門だ。
うちの開発課は新商品の基本設計や企画などを担当している。
混ぜるな危険なのだ。
「う~む」
そんなやり取りを聞きながら、俺はネットで情報を集めつつアイディアを纏めて行く。
「お茶をどうぞ」
すっと邪魔にならない空間に俺用のカップが置かれる。
「あ、ありがとう」
顔を上げると伊藤さんがにこにこと笑って俺を見ていた。
仕事用の服はいかにもOLらしいブラウスとカーディガンとスカートで、その清潔で大人っぽい姿は馴染み深いせいか、自分の彼女というより同僚という意識が先に来るため、あまり照れずに済んで有り難い。
湯気を吸い込むと気持ちのいい緑茶の香りが疲れた精神を潤してくれる。
「医療関係のページですか?」
「ああ、うん。やっぱり餅は餅屋と言うか、そもそも俺が食中毒に詳しくないしな」
「こういう細菌とかの画像を見ると不思議な感じがしますね」
「うん?」
「実際は目に見えない存在なのに、こんな風に確かに存在するんだなぁと思うと凄く不思議じゃないですか?」
「う~ん、俺はほら、目に見えないモノには慣れているから、そういうもんだと最初から考えてしまうからなぁ」
「ああ、そっか」
「でもそういう違う感覚っていうか、違う角度からの意見は助かるな。俺だとうっかり見過ごすようなことも違う見方なら見えて来るってことがあるだろうし」
「そうですか? お邪魔をしているような気がして来ていた所なんですが」
「いやいや、まさか、邪魔なことなんてないさ」
ふと、何かぞわりとする気配を感じて視線を
正直見なければよかった。
そこには同僚達がそろってニヤニヤしているという嫌な光景があったのだ。
「何だ今更照れるな」
佐藤が胸の前で腕を組んで斜めに首をかしげると改めてにやりと笑って見せた。
うぜえ。
「『まさか、邪魔なことなんてないさ』」
「真顔でしたね」
「あの伊藤さんが近づくだけでキョドってた男が、感慨深いものがあるな」
「人って成長するんですね」
佐藤と御池さんが掛け合い漫才のようにやり取りをする。
ダブルうぜえ。
「お前ら、真面目に仕事しろよ! 本当に」
「そうですよ、木村さんは真面目にお仕事をしているのに酷いです」
俺の反撃に合わせるように伊藤さんが真剣に抗議する。
しかし同僚共はニヤニヤを更に深くして恐れいった風もなくうんうん頷いていた。
「なんかこう感動しますね」
「私も、真剣に婚活しようかしら」
女性陣がしみじみと語っている。
本当にもう好きにしてくれ。
その時、手元の
これはパソコンに入れている最新の話題を収集するシステムで、特定のワードに関連した記事を自動で収集してお知らせしてくれる物だ。
今は医療・病気関連のニュースに網を張っている。
俺は何気なくその記事を開いてみた。
「む?」
そこにあったのは集団昏倒事件の最新ニュースだった。
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