143:好事魔多し その一

「木村くんの企画書が採用されて開発が開始されることになった」

「おお!」


 開発課の同僚が一斉に俺の顔を見てまばらな拍手が起こる。

 ちょっと大げさだろ。


「ありがとうございます」


 ニコニコ顔の課長に礼を言う。

 とは言え、うちは企画開発課なので、企画書出すのはメインの仕事なんだけどね。


「ということで本格的な開発が始まるので、企画案をより現実的にするためにみんなで内容を詰めていこう」

「はい!」


 前回頑張った開発が途中で中断したので、うちの課の中にはどこか消化不良な空気が漂っていた。

 今回は自分の課からの企画案ということもあり、その鬱憤を晴らすように、みんな張り切っている。

 俺もさすがにちょっと嬉しい。

 顔がニヤけてるかもしれないな。

 

「これ、魔法瓶をベースにした案だよな。面白いな」


 珍しく佐藤が褒めている。

 明日雪が降るかもしれないぞ。

 そういや今日、午後から雨だったか。


「まぁせっかくの特許ですからね。使える内に使わないと」

「ふむ、ケチケチ精神のなせる技か、ケチケチも極めるとなかなか侮れないな」

「ケチじゃねえし!」


 やっぱりこいつ嫌いだ。

 ともあれ自分から出た企画だ。

 頑張らないとな。


―― ◇◇◇ ――


「ふふっ、今日はずっと嬉しそうですね」


 今日は午後から雨が降り出したので屋上庭園ではなく、室内の休憩所で昼飯中だ。

 まぁ屋上でも東屋で食べれば問題無いんだが、春先の雨の日はまだ寒いので今日は屋内にしたのである。


「まぁやっぱり自分の仕事が認められると嬉しいよね」

「そうですよね。私もあれ、いいな、と思いました。たしかレーション開発会社と提携するとか」

「うん、長期的に見ればあっちの会社のほうに利益がある話なんで、向こうは乗り気だったみたいだ」

「でも、ふふっ、前回のリベンジですよね、この企画」

「はは、バレた? さすがに悔しかったからな、あん時は」

「そうですよね」


 せっかく二人で食事中なのに全然色気のない仕事の話になるのは俺たちらしいと言っていいだろう。

 お互いに気持ちを確かめ合った以降は、むしろ俺たちの間に遠慮が無くなった分あまり積極的に想いを確かめるようなことはなくなった。

 ちょっとそれが寂しい気がしなくはないが、それはそれで緊張しなくて楽は楽だ。


「それにしてもこれ、美味いな。サンドイッチはたまに食べるけど、このパンってパリっとしてるよな」

「あ、はい。それクロワッサンって言うんですよ。私が焼いたんです」

「えっ? パンを自分で焼いたの?」

「そんな驚くようなことじゃないですよ。うちでもパン焼き器を売っているでしょう?」

「や、たしかに売ってるけど、あれって食パン用だったよね」


 今食べているサンドイッチは、三日月型の、手のひらよりちょっと大きいパンで作られている。

 薄い生地が重なっている作りのようで、なんていうか口触りが凄くいい。

 それにバターの香りがいいんだよな。

 中の具も、新鮮な野菜と赤身の強いハム、少し酸味の利いたマヨネーズのような味付けが主張しすぎないで野菜や肉の味わいを活かしていた。

 こういうオシャレな食べ物は自分では作らないし、わざわざ買って食うこともないので、馴染みが薄いのだが、凄く美味しい。

 これは伊藤さんが作ったから美味しいということでいいのだろうか。


「ほんと美味い、いくらでも食えそうだ」

「よかった、どんどん食べてください。あ、よかったら私の分もどうぞ。張り切って作りすぎちゃって、私には一つで十分でした」

「いやいや、一つは少ないだろ。もう一つは食べてもいいんじゃないか?」

「じゃあ木村さんが半分食べてくださったら、私がその半分をいただきます」

「ん? えっ?」


 それって俺の食いかけを食べるって意味?

 いや、さすがに違うよね。

 俺が半分に分けることを期待されているんだよね。

 いくらなんでも俺が口にした物を食べさせるなんて不衛生だし。

 そう思って、クロワッサンサンドを半分にしようとしたら、なんかボロボロと皮が崩れてしまう。


「あ、手でちぎろうとすると上手くいかないですよ。構わないから木村さんが食べて、もし残ったらわけてくださればいいですから」


 え? やっぱり俺の食いかけでいいっていうことだったの?

 その、ナイフは実は携帯しているんだけど、さすがにあれで昼飯を切る気にはならない。

 なにしろ対怪異の術式が付与されているしね。

 いや、別に害は無いと思うけど。


「争いの元は俺が始末してやろう」


 ふと、手が伸びてきて二人の間にあったクロワッサンサンドをかっさらって行った。


「あっ!」

「あ……」


 何かを言う暇もあればこそ、夢と希望のクロワッサンサンドは哀れ第三者の口の中に消えてしまった。


「お前何すんの? 馬に蹴られたいの?」

「いやいや、うん、本当にこれは美味いな、伊藤さんはいい奥さんになりそうだ」

「えっ、そんな、ありがとうございます」


 流よ、何うちの彼女口説いてるんだ? イケメンは去れ! どっか遠い所で爆発しとけ!


「なんだ、睨むな。いいか、周囲に迷惑をかけているのはお前たちなんだぞ。うちには独り身がごろごろしているんだ、申し訳ないとは思わないのか? ちなみに俺も独身だ」

「アホか! 毎日違う女の作った弁当持ってくるような男が何抜かしてるんだ?」

「あはは」


 伊藤さんがウケている。

 いや、これ冗談じゃないからね。

 顔がよくて頭がよくて家柄もいいけど、女癖悪いから、こいつに近づいたら駄目ですからね。


「うん、まるであれだな、我が子を他の肉食獣から守ろうとする親狼のようじゃないか。はぐれ狼のような有り様だった昔からすると見違えたな」

「なんなのその例え、わけがわからないんだけど」

「お二人とも仲がいいですよね。所属が違うのにいつも一緒で。男の人の友情ってちょっと羨ましいです」

「いや、そんな熱血な感じのものと違うから、なんていうか同類相憐れむみたいな感じだから」

「身も蓋もないな」


 自分で言うのもなんだが、伊藤さんと俺は既に社内では公認カップルだ。

 その二人の世界に突然割り込む空気の読めなさは、一見この男に似合わないが、実はけっこう天然な所があるんだよな、こいつ。

 さては最近飲みに行かないのを恨んでの犯行か?


「でも私は守られてばかりの子供ではありませんよ。私だって木村さんを守れます。……その、微力かもしれませんけど」


 伊藤さんはなんだか違う所に引っ掛かっていた。


「頼もしいな、是非お願いするよ。こいつはバカだからあなたのような賢い人が傍にいてくれればだいぶ違うだろうし」

「バカじゃねえし」

「じゃあ1リットルの水を沸騰させるためにどれだけのエネルギーが必要か言ってみろ」

「えっ、えっと……」


 いきなりの質問に焦る。

 というか基礎知識がない。

 おのれ!

 ちらりと見ると、伊藤さんもわからないようだった。

 ちょっとほっとする。


「100キロカロリーだ。ちゃんと勉強しておけよ。お前の提出した企画書だろうが」

「あー、うん」


 なるほど、あの開発に関連してるのか。

 確かに必要な知識かもしれないけど、今までそういったことは考えずに開発して来たな。


「お邪魔しました。美味しいお食事ありがとうございました、今度何かで埋め合わせさせてもらいますね」


 俺が唸っている間に、流は伊藤さんにきざったらしく礼をして立ち去った。

 俺には謝罪はないのかよ!


「羨ましいな、って思うのは贅沢なんでしょうね」


 伊藤さんがそう言った。

 何がどう羨ましいのかわからないが、伊藤さんがあいつを羨ましがる必要は無いぞ。


「あんなふうに澄ましてますけどね、あいつあれで結構偏屈で、女性と付き合いで外出する以外、部屋に篭って研究しているほうが楽しいってやつですよ」

「じゃあ、私は木村さんと一緒にいるときが一番楽しいから、勝ちですね」

「え?」


 なんの勝負が伊藤さんの中で行われたのだろうか、女性の考えることは時々訳がわからない。

 あ、そういや今度の商品のメインになる魔法瓶に使った特許はあいつの開発したやつだったな。

 もしかしたら仕事の打ち合わせをしたかったのかもしれない。

 ちょっと流に悪かったような気もしたが、クロワッサンサンドのことを思い出して頭を振った。


「食い物の恨みは怖いんだぞ」


 ぼそっと呟くと、俺は紙コップに入ったコーヒーを口にしたのだった。

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