141:羽化 その十六
なんだか最後は半分ノロケのような話になったが、大木が精神的に安定していることはわかった。
とは言え、最初はやはり悩んだらしい。
周囲から色々言われることもあったらしいが、それ以上に周りからの信頼が大きく、部隊から彼を外さないようにという嘆願書が出されたらしい。
俺からしたら見た目も行動もちゃらんぽらんに見える大木だが、どうやら同僚には受けがいいようだった。
驚きの事実だ。
「実はっすね、あの時に俺、リーダーが羨ましかったんすよ」
「あの時って、もしかして迷宮探索の時か? 羨ましいって……?」
「あはは、やっぱりわかんないっすよね。あの時、リーダーって全然負ける心配してなかったじゃないですか。あの絶対的な強さが、俺、凄く羨ましかったっすよ。だからこんな風になってちょっとだけ嬉しいんです」
いや、大木よ、それは間違ってるぞ。
俺は強くなんかないよ。
あの時、利用されるだけ利用されて殺されてしまった人を誰一人、俺は助けることが出来なかった。
本当に強ければ誰も彼も守れるはずじゃないか。
そう思いはしたが、俺はその思いを口にすることはなかった。
大木が前向きに自分の異常を受け止めているならそれでいい。
俺が水を差すようなことじゃないからな。
大木の身柄は軍が管理していて、外出時には報告の義務はあれど軟禁という訳でもないらしかった。
門限と規則の厳しい寮生活みたいなもんっすねと大木は語った。
武部さんには大木の件のレポートの写しを回してくれるように約束を取り付け、しばし待ったが、その後結局変異した冒険者は俺たちのいる間に目を覚ますことはなかった。
アンナ嬢と俺達は事情聴取を受けて、呪いの処理方法は、アンナ嬢がとりあえず保管して軍の分析官との協議を行い、それから決めることとなったのだった。
「疲れた」
もろもろの事態が中途半端なままだったが、とりあえずこれ以上はこの日の内に出来ることがない。
俺たちはぐったりしながら家へと戻った。
「あっ!」
「……あ?」
思わず声を上げた俺の背を、弟の浩二がドンと拳でどついてマンションに入っていく。
由美子は相手に向かってにこやかに手を振って浩二に続いてマンションへと向かった。
「おつかれさまです」
「えっ、えっと、待ってたいたんですか? いつ帰るかとかわからなかったでしょう」
そこには伊藤さんが立っていたのだ。
これはまずい。
こんな風に来てくれるなら彼女も登録して自由に部屋に入れるようにしておく必要があるな、と思った。
なにしろこのマンションの出入りは生体キーなので、中に住人がいない時には登録外の人間は入れない。
登録が面倒くさいので、まだ伊藤さんを登録してなかったのだ。
「あ、違うんです。実は街に買い物に行ったんですけど、その帰りで、ちょっとお部屋のある辺りを見てから帰ろうと思って寄り道したら、木村さん、じゃなかった、隆志さんが見えて」
焦っている。
話の内容が本当か嘘かは俺には判断がつかないけど、自分の好きな人が焦っているのを見て放っておくのはダメだと思う。
いくら可愛くても鑑賞モードに入ってはいけない。
うん。真っ赤になって言い訳をしている伊藤さんは可愛いけどね。
「ありがとうございます……じゃなかった。ありがとう、優香さん。もし夕飯まだだったら一緒に食べに行きませんか?」
「あ、それなら」
俺の言葉に落ち着きを取り戻した伊藤さんはにっこりと笑って提案した。
「私が何か作りますから一緒に買い物に行きませんか?」
「あ、はい」
変だな、と思った。
さっきまでは飯も食わずにそのままベッドに転がり込んで寝てしまいたいと思っていたのに。
一緒に買い物に行って、料理を作ってもらって食事をするなんて、面倒くさいはずのことを楽しみにしている俺がいる。
人の心って本当に不思議だ。
―― ◇◇◇ ――
「教授から連絡が来た。今度の土曜の十四時半から学校の講堂で話をしたいって」
平日に会社で普通に働いてなんでもない日常を過ごした後は、どうもハンターとしての仕事に対しての意欲がすり減ってしまいがちで、由美子にそんな風に言われた時もすぐにはピンと来なかった。
「教授?」
「ん、
「あ、ああ」
そう言えばそんなことを依頼してたんだった。
しかし、教授のつてを頼るって件は、その症状を発症している冒険者が見つかった時点で必要なくなったんじゃないか。
いや、サンプルは多いほうがいいってことか?
「教授が誰か詳しい人を紹介してくれるって?」
「ううん、イマージュの件で詳しい話をしたいって」
「え?」
俺は首を捻った。
由美子の研究室の教授は確か古代術式の文言を研究している人じゃなかったっけ?
ああでも自分からダンジョンシミュレーターに入るような奇矯な人でもあったな。
まぁ対怪異の歴史には詳しいはずだからなんらかのヒントにはなるか。
今の俺たちはアンナ嬢と軍からの情報待ちという不安定な状態だし、俺はその教授に会ってみることにした。
それになにしろ妹がお世話になっている人だ。
挨拶もしたいもんな。
そう、俺はこの時点では忘れ去っていた。
某変態がこの教授の助手だったってことを。
土曜の午後、約束通り訪れた大学のキャンパスは、俺が通っていた大学よりはるかに規模がでかかったが、雰囲気自体はそう変わらない所だった。
「へえ、これが大学ですか」
どこか感慨深そうに呟く浩二に、そう言えばこいつは大学に行ってなかったな、と思い出す。
というより、うちの村で大学に進んだのは俺と由美子だけなのだ。
土曜の午後に講義もないのに多くの若者がたむろしているキャンパスを不思議そうに見ているその姿に、俺はなんとなく浩二に申し訳ないような気持ちになった。
俺が自分の思った通りに行動する責任は全て俺が背負っているつもりではいるが、結局の所この弟には迷惑のかけっぱなしだった。
ハンターのことも、族長の後継のことも、何もかも浩二に放り投げてしまった形になる。
そりゃあ恨まれるよな。
大人になって弟がそっけないと寂しい思いをしていたが、当たり前と言えば当たり前の話だった。
そんな俺を浩二はちらりと見ると、
「悩んで欲しい所では悩みもしないくせに訳のわからない所で悩み始める。本当に面倒くさい人ですね、兄さんは」
などと吐き捨てるように言った。
怒りを通り越して呆れているのか?
ちらちら見られてはいるが、俺達はそれ程浮いてはいないようだった。
その視線は不審者を見る目というより、妹、由美子に向けられている。
なんだ? 有名人なのか?
まぁこんだけ可愛いんだから仕方ないか。
俺がニマニマしていると、由美子はそれを見て「一人でニヤついてるとかキモイ」などと言った。
うわあ! 俺の妹が汚い言葉を使っている!
ここか! この大学が悪いのか!
今までの思いとは裏腹に世間に対する不信感に満ちた目で周囲を見渡す。
ぬう? さっきからちらほらとカップルの姿を見掛けるが、こいつら学校に何しに来ているんだ?
いちゃつくなら家でやれ!
「兄さんが急に荒んだ」
由美子が横っ腹をつんつんして来るが、俺の腹筋に阻まれてその感触はあまり伝わらなかった。
由美子は俺のせいで指が痛んだみたいな目付きで指をさすりながら俺を見る。
いや、由美子さん、俺は何もしていませんよ?
すっかり意地になって、手刀からげんこつに変わった殴打手段が更に進化しそうになっている愛する妹の攻撃を防ぎながら講堂に向かう。
しかしなんで約束が講堂なんだ?
デカすぎね?
「明日の午前中に講演会があるからその準備を兼ねてる」
との妹君のお答えでした。
ところで妹よ、そろそろ復讐に満足して欲しい。
膝蹴りの次はなんですか?
そんな風に仲良く講堂に到着した俺たちを待っていたのは、満面の笑みを浮かべた、すっかりお馴染みになった変態男だった。
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