139:羽化 その十四

「これ使うか?」


 俺はアンナ嬢に向かって小さな結晶片を差し出した。

 それは怪異を封印した水晶を精製して純粋なエネルギー化した物だ。

 普通は専用機器にセットして短期間稼働のためのエネルギーとして使う。

 だが、純粋なエネルギーである以上、食べることも出来るのだ。

 そしてある程度疲労を回復してくれる。


「いりません。精査していない純粋なエネルギーは逆に危ないから」

「面倒くさいんだな」


 魔法関係は色々縛りがあると聞いたことはあるが、そもそも魔法など使う者は少ないし、あまり実戦の場には出てこないのでその実態はよくわからない。

 由美子がじっと観察しているのはそのあたりのこともあるのだろう。


「失礼します」


 俺自身は何もしていないためエネルギーを摂取する必要はないので元に戻していたら、ちょうど外から声が掛かった。

 現在俺たちがいるのは応接室らしき部屋だ。

 ソファーとテーブル、それに観葉植物と水槽という、絵に描いたような応接室だが、家具類はそれほど高価な物ではなく、一般家庭に置いてある程度のものだった。

 場所柄そういう質素さは好感を覚える。

 ただ、水槽の魚は見たこともないようなでかい魚で、どうも外国の魚のようだった。

 生きたままの生物を輸入するのは相当なリスクがあるので、こういうのはかなり高いはずだ。

 実は贅沢の方向性が違っているだけなのかもしれない。


「どうぞ」


 この部屋の中での力関係から誰が返事をするべきか悩んだが、他の誰も何も言わず、アンナ嬢に至っては少し眠そうにしていた。

 仕方なく俺が返事をする。

 スライド式のドアを開けて入ってきたのは女性職員で、自走式のワゴンをお供に連れて来ていた。

 なんと律儀にもケーキが乗っている。

 あの人案外良い人だな。

 俺の中で部隊長に対する評価が急上昇した。


 配膳してもらったお茶とケーキを三人でガン見していると、女性職員はいつの間にか退室していた。

 あ、お礼を言い忘れたよ。

 それにしても柔らかそうな淡い茶色のケーキなんだけど、これって何のケーキかな? 俺はこういう物は好きなんだが知識はからっきしなんだよな。


「栗の味がします。でもびっくりする程上品です」


 由美子が珍しく上ずった声で評価した。

 というか、早えよお前。


「なるほど、栗か。普通の甘ったるいだけのケーキより食べやすいですね」


 てか浩二ももう食ってるし、やばい、急がないとこっちのまで食われる。

 俺は慌てて自分の分のケーキにフォークを刺して不思議な色合いのケーキを切り取った。

 しかし、ケーキっていうのはほんと綺麗に作ってるよな。

 この金色の飾りとか確か食えるんだよな。

 てか金箔使ってるじゃねえか!


「うまっ!」

「兄さんの感想が雑」

「兄さんに情緒とか詩情とか求めるのが間違っているよ」


 なんだか好き放題言われてるが、本当に美味いものを食う時にいちいちくっちゃべるほうがおかしいだろ。

 感想は後からだって言えるが、食い物は早く食わないと奪われかねないからな。

 しかしなんだな、このケーキ、確かに栗っぽい味はするけど、焼き栗とかとは全然別物だな。

 野暮ったさが全然ないし、口の中でゆっくり溶けていくような感じさえある。

 前々から思っていたんだが、菓子職人ってのは実は魔法使いとかじゃないだろうな?

 大半の魔法使いは研究職で、だいたい何をやっているかわからないから、結構有り得そうなんだが。


「兄さん、あれって食べてしまってもいい?」


 そんな感慨に浸っていると、由美子が何かモジモジとしながら聞いて来た。

 あれってなんだ? 俺のはやらんぞ。


 見ると、由美子の指しているのはアンナ嬢の前に置かれたケーキのようだった。

 アンナ嬢は見事に沈没してソファーに埋まっている。

 豪華な髪とあどけない寝顔はまるで陶器で出来た人形を思わせた。


「いやまて、さすがにそれはマズイとお兄ちゃんは思うぞ」

「え? 美味しいよ?」


 俺の言葉に小首を傾げた妹を、ちょっと、いや、凄く可愛いと思ってしまったのは置いておいて、さすがに他人に出されたお菓子をその本人の許可無くいただくのはダメだろう。

 常識的に。


「味の話ではなくて、礼儀というか、人としての常識というかそんな何かの話だ……ってかなんでもう食ってるんだよ!」

「むぐ」


 食べながら返事をする妹を眺めつつ、ため息を吐いた。

 いや、幸せそうにケーキを食っている由美子は可愛いけどさ、これはやはり俺がビシッと言わなきゃいかんよな。


「人の物を盗るのは泥棒だぞ!」

「食べてしまえば完全犯罪」

「だから犯罪はダメだと言っとろうが!」

「兄さん、唾を飛ばすのはやめてください。お茶に入ったらどうするんですか」

「お前も言ってやれよ」

「僕が考えるに、今のその女性にはケーキを食べる気力はないでしょう。すると残ったケーキは廃棄されてしまう訳です。その場合、由美子が食べることと捨てられること、どちらが悪でしょうか?」

「うっ!」


 浩二に言われて俺は詰まった。

 確かにこんな美味しい物を捨てるのはいけないことだ。

 だが、しかし、教育的にどうなんだ、これは。

 俺が深遠な問題に頭を悩ませていると、再び扉の向こうからおとないが告げられた。


「おつかれのようだな。強壮剤をさし上げたほうがいいのだろうか?」


 沈没したアンナ嬢を見やって武部部隊長殿が困惑したように呟いた。

 さすがに扱いに困ったのか。

 ところで今思い至ったのだが、部隊長はまだ部隊長なのかな?

 今は軍は迷宮の一、二層を中心に活動をしているらしいが、上層を切り開くようなことはしていない。

 そんな部署にこんな若手の有望株をそのまま突っ込んでいるだろうか?


「精石やろうとしたら断られたからどうなんだろうな? とりあえずしばらく寝かせておけば大丈夫だと思う」

「それなら医務室へ運ぼう」

「いや、下手に触ると危ないかもしれないぞ。魔法使いってのは防御に長けてるって聞いたことあるし。無意識状態の時が一番無防備なんだから何も仕掛けてないはずがない」


 俺の言葉に、アンナ嬢へ近づこうとしていた武部部隊長殿は、まるで爆発物でも見るような目でアンナ嬢を見ると、ゆっくりと刺激しないように席に戻った。

 そこまでおっかなびっくりしなくてもいいとは思うが、まぁいいか。


「ところで君たちはどうしてあの冒険者と一緒にいたんだ?」

「ん? 報告行ってないのか? 俺たちは後から現場に到着しただけで、関係者じゃないぞ」

「なんだと、ならば関係者でもないくせにその処置に口出しをして来たという訳か? 公務執行妨害で訴えてもいいのだぞ?」

「え~」


 とは言え、ここは確かに武部部隊長さんが正しいよな。


「その冒険者とは関係ないけど、その冒険者の罹っていた病を調べていたんだ。ここは敢えて強権を発揮させても関わらせていただきたい所なんですけど」

「ったく、ハンターという輩は」


 武部氏舌打ちしたよ。

 俺にイラッとしたのか。

 申し訳ない。


「なんか、今そういうのが増えているとか聞いていてね」

「……今更腹の探りあいもないか。実は軍にも発症者が出た」

「えっ? だって下層では発症しないと聞いていたぞ」

「そいつは通算で二桁回迷宮に潜っている。おそらく順番待ちをしている冒険者共より、こと下層に関しては長時間潜っていると言っていいだろう」

「時間が影響すると?」

「わからん」


 武部部隊長の言葉に苦々しさが感じられる。


「だが、そいつはお前も知っている奴だぞ」

「えっ?」


 思いもよらない言葉に俺は驚きを禁じ得なかった。

 知っている相手?


「迷宮での通信担当兼ナビをしていた大木だ」

「え……」


 迷宮探索でムードメーカーだった男を思い出し、俺は一瞬思考を停止して絶句してしまったのだった。

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