134:羽化 その九

 実はマンションの俺達が住んでいる階は丸々俺達のパーティが占拠している。

 と言っても別に俺が決めたことでもうちの弟や妹が決めたことでもない。

 やらかしたのは酒匂さんと言うか、政府の怪異対策庁である。

 まぁ酒匂さんも今や本庁からは独立して特区庁のトップの大臣の一人になってしまったんだから関係無いと言えば関係無いはずなんだが、絶対噛んでると睨んでいる。


 このマンションは吹き抜けの中庭を囲むような形で通路があって、庭側はガラス張り、その通路沿いにそれぞれの個室のドアが並んでいる造りだ。

 通路から見るとこのドアはそれぞれ独立している普通のマンションの部屋に見えるのだが、この階だけ、実は全ての部屋が廊下で繋がっている。

 部屋同士はクローゼットの一画にドアがあり、そこから共用の廊下に出られる仕掛けで、この内向きのドアにも鍵が掛けられるようになっていた。

 

 俺に言わせれば、馬鹿な造りとしか思えない。

 何やってんの? 暇なの? 政府は。

 普通に表の通路で行き来すればいいだろ!


「この廊下の採光ってマンションの屋上から入れてるんだよね? このマンションの所有者は国なのか? 確か契約書には分譲マンションで有名な会社名が書かれてたよな。そもそも建ったのは俺達の入居より1年ぐらい前じゃなかったか?」

「兄さん、ミーティングに来ないから探した。なんで廊下で大の字になってるの?」

「……うん、ちょっと迷った」


 妹よ、その呆れたような困ったような目はやめろ。

 いっそ罵ってくれたほうがマシだ。

 いや、ほら、この階俺らの入ってるところ以外に空き部屋あるじゃんか、隣のお前らの部屋ならともかくとしてミーティングルームへ行く時には迷うんだよ。

 ドアに表札付けろよ、マジで。


 なんだか市場に引かれていく家畜よろしく妹に手を引かれて似たような造りの廊下を進む。

 ミーティングルームは一応角部屋なんだけど、この廊下からは建物の外観を連想出来ないから混乱するんだよな。

 なんで迷路形式にした?


 廊下の一画を押すとガコンと四角く押し込まれた扉が軽々と横にスライドする。

 入った先はクローゼットルームなので真っ暗で狭い。

 まぁ見えるけどさ。


「遅いですよ」

「うわあ!」


 姿が無いのに声が出迎えた。

 この程度の距離の影は浩二の認識エリアとは言え、姿が無いのに声がすればびっくりする。

 絶対わざとやってるんだよな、こいつ。


「ここってあんまり使わないから寒々しいよな」

「なら使えばいいじゃないですか。実家の居間みたいな感覚で」

「掘りごたつにしちゃおうか?」

「いやいや、そんな内装工事しちゃマズいだろ。気楽にゴロゴロ出来るように畳敷きにするとか?」

「それはミーティングルームではなくてプレイルームになりそうですね」

「子供か、俺等は」


 そんなやりとりを経て、でかいテーブルのいわゆるお誕生日席に座る。

 一応チームリーダーだということで強制的に席順が決められているのだ。

 というか、三人で囲むテーブルじゃないよな。

 どうせなら円卓にしてくれれば面倒じゃないものを。


 とは言え、でかいテーブルは資料を置くには丁度いい。

 俺は冒険者の自伝的物から想像上の冒険譚のような物まで、問題のイマージュ現象らしきものが描かれていると思しき資料をそこに載せた。

 テーブルには既に投影体が設置されていて、簡易電算卓ノートパソコンとの光接続リンクが繋がっていることを示す光点がチカチカと瞬いている。

 そして空中にリアルな、しかしひと目で映像とわかる一つの像が結ばれた。


「これらが資料として残っているイマージュとやらの実像ですね」

「統一してねぇな」

「ううん、怪異と同じように実際の生物を部分的に模倣している。完全に架空の形はない。これは共通項」

「なるほど、怪異と同じね」


 この手のことはこの二人のほうが俺よりはるかに詳しい。

 俺は一つ疑問に思ったことを提示してみた。


「メタモルフォーゼと言えば、俺も、それにいわゆる俺達のように血族と呼ばれる連中の中にも変身するたぐいのやつらはいるよな」


 俺はあまり普段はそのことを考えないようにしているが、俺やうちの一族の一部、それに世界中の勇者血統と呼ばれる連中の中には姿を変える者が存在する。

 今回の件とその現象は似ていると言えば似ている気がした。


「僕達の場合は遺伝子にそのようになる可能性の設計図が組み込まれているのですから、彼等とは違いますよ。兄さんは変身する時に自分じゃなくなるような違和感はありますか?」

「あー、なんか理性が飛ぶような危機感はあるけど、自分は自分だと思うぞ。うん、違和感はないな」

「そうですか。これ以上物を考えずに戦うようにはならないほうがいいので変身は出来るだけ避けたほうがいいですね。ええっと、確かそういうのを脳筋というのだそうですよ」

「いらんことばっかり覚えやがって。段々俗世にまみれて来やがったなお前も」

「脳が筋肉になっても外側が骨で覆われているからあまり意味がない」

「ユミも、マジで考えなくていいから!」


 由美子は脳筋という言葉に何らかの感銘を受けたらしい。

 何かを考えるようにノートに書き込みをしていたが、内容を覗き見したりはしなかった。

 主に自分の心の平安のために。


「兄さんが仕入れてきた情報と、今まで残っている記録からしても、冒険者達の一部に発生するこの現象は、本人にとっては違和感のある何かが自分の中に生じることによって起こるという流れが見えますね。やはり憑依に近いと思うのですが、怪異に詳しい冒険者達が口を揃えて怪異の反応は無いと言っているのが引っ掛かります」

「それについては、これを見てみて」


 浩二の言葉に由美子が分厚い冊子を取り出した。

 飾り気のないその冊子はどうやら学術論文をまとめたもののようだ。

 浩二が示されたページをめくり、俺も覗いて見るが、なんだか専門用語ばかりで意味がわからない。

 解説を求む。


「これはつまり、感情の澱みの蓄積が怪異を誕生させるが、そのためにはその核となる強い指向性のある意思が必要であるという論文ですね。さして斬新な内容とは思えませんが」

「この理論の展開の部分、人と人の感情は共鳴するって所」

「ああ、……つまり怪異と長く接しているとその意思に共鳴して、怪異の核に似た意思が人の中に生じるということですか」

「そう」

「しかし、それで人が変化するというのは少々乱暴な話ですよね。そもそも怪異は形が無いからこそ自在に変化することが出来るのです。元々肉体という枠を持った人間が形を変えるのは怪異が形を持つより何倍も難しいはずです」

「そう。だから、こっちのレポート」


 由美子が別の、今度は薄っぺらい冊子を持ち出した。

 どうやらかなり古い雑誌のようだ。


「『人体の神秘、ウェルズの悪魔の謝肉祭』……これは神秘主義者の起こした事件を面白おかしく脚色した怪しい雑誌じゃないですか」

「でも、いくつか興味深い記述がある。強い暗示によって実際に指先が鉤爪状になって犬歯が伸びたという詳細なレポートが、でまかせとは思えない詳細さ」

「ううん、ですが、これで判断するのは無理がありますよ」

「私達は学者として動いているのじゃない。必要なのは可能性」


 なんかわかるようでわからない会話だが、なんとなく要点はわかって来たような気がする。


「ええっと、つまりまとめると、冒険者が怪異と長く接したせいで自分の中で怪異を育ててしまったってことか? でもそれだとなんで怪異の反応が無いんだ?」

「自分の中から生じたモノはその本人の一部には違いない。多重人格のようなもの?」

「疑問形かよ!」

「まぁこれ以上は実際にそうなった相手に会ってみないことにはわかりませんよね。さて、そういう人達っていったいどこにいるのでしょうか?」


 浩二が口元を歪めて皮肉げにそう言った。

 姿が変わってしまった冒険者か。

 単純に考えて仲間に殺されてしまったか、いや、理性があるまま変化した場合はどうなんだ。

 いくら姿が変わっても生死を共にした仲間をそう簡単に殺せるか?


「冒険者仲間が匿っている?」

「一番怪しいのはお仲間ですよね」


 ううん、しかしこれは、調べるにも下手すると冒険者全体を敵に回すことになるんじゃないか?

 う~ん、どうしたもんかな。


「教授に聞いてみる」


 由美子が唐突にそう言った。


「うん?」

「元に戻す方法を研究している人がいるかどうか」


 なるほど。

 冒険者とこの件で相対するなら何かの引き換えになる情報が必要だろう。

 由美子の大学は術式研究では第一線だと聞いたし、あの教授はフィールドワーク重視で世界中を飛び回っているらしい。

 何か有益な情報が出て来るかもしれないな。


「そうだな、よろしく頼む」

「頼まれた」


 うちの妹が頼もしい。

 なんだか感動してしまうな。

 身内にしか心を開かなかったこの子がいつの間にかこんなに立派になって。

 大学に行けてよかったなぁ。

 俺はしみじみと感動した。

 

「兄さんみたいなのをシスコンというらしいですね」

「お前ほんと、変な方向に俗っぽくなるなよ!」


 弟がいったいどんな連中と交流しているのか知るのが怖い。


「そうそう、俗っぽいと言えば、知り合いに教えてもらってバケツプリンを作ったんですが、休憩してみんなで食べましょう」

「わーい」


 一般的な若人と比べるとやたら感動の温度が低い二人だが、それでも確かにバケツプリンで我が弟妹は盛り上がった。

 いつの間にか仕込んだのか、ミーティングルームに設置してある冷蔵庫から浩二がバケツに入ったプリンを引っ張り出す。

 由美子はいそいそと大きめのスプーン(木杓子?)を三つ探し出してそれぞれに配った。

 これって、なんか調合するときに使うやつ?


 俺を含めてうちの兄妹はお菓子好きが共通している。

 全部酒匂さんのせいだ。


「なぁ、コウよ。お前いったい……」


 どこでそういう諸々の偏りのある情報を仕入れているんだと聞こうとして止めた。

 世の中知らなくていいことは確かにあるはずだから。

 バケツプリン、美味かったです。

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