132:羽化 その七

 重い音と共に扉が閉まる。

 ……大丈夫なのか? これ。


「それで、今日は何の相談かな」


 伊藤さんのお父さん、元冒険者のジェームズ氏がテーブルの一方に腰を据えると、しごく穏やかな声でそう俺に尋ねた。

 地下書斎の重厚なテーブルを照らすのはどこか仄暗い天板照明だ。

 パネル式の天井の中に電灯が収納されているのだろう。

 淡いゴールド掛かったパネルで遮られて拡散した光は、少しセピアっぽい色合いにその部屋を染めていた。


「あ、はい。実はハンターとしての仕事の話なんですが、イマージュについてお聞きしたいのですが」

「ほう、妄想汚染イマージュね」


 直球で聞いた言葉に対するリアクションは薄い。

 驚きも関心もないといった感じだ。


「仕事というからには当然対価が発生する訳だが、どの程度を考えているのかな?」

「内容次第ですが、金銭以外でもそちらの要求を考慮させていただきたいと思っています」

「とても曖昧な表現だな。こちらにとって重要な内容でも君が重要ではないと感じたらゴミとして評価されるということも起こり得る」

「正直に言わせて貰えば、その通りです」


 ジェームズ氏は口元を歪めてみせる。


「君は交渉に向いてないな。いや、逆に向いているのかもしれんが、世の中には案外と変化球を楽しみたい者は多いのだよ。とりあえずそうだな、対価として娘と別れるというのはどうかな?」


 来ると思ってたんだよな、実は。

 言われるよなぁ、そりゃあ。


「それは俺だけの問題じゃないし、何よりどんな情報でもその対価とは釣合いません」

「ほう、言葉が上手いじゃないか。その調子で頑張ってみたまえ」

「別に上手いこと言って煙に巻くつもりでもないですから。彼女とのことは俺は真剣です」

「だからこそ困る。考えてみたまえ、羊がのんびりと草を食む丘に子羊を放したと思ったらそこに狼が混じっていたとか悪夢でしかないだろう?」

「羊飼いが羊だと判断したのなら狼じゃなくて羊でいいんじゃないですか?」

「羊は肉を食ったりはせんよ」


 ダメだ。

 どうしても私的な話に流れてしまうな。

 そりゃあ親御さんからしたら他人の仕事よりは自分の娘だよな。


「その、どうしてもそれを解決しなければ先へは進めませんか?」

「当然じゃないかね? 取引とは信頼だよ? 信頼出来ない相手と取引は出来ないだろう?」

「わかりました。それじゃあとことん行きましょう」


 腹を括る。

 とは言え、こういう話にお互いが納得するような結末があるんだろうか?


「娘は幸せになるべき人間だ。それはわかるだろう」

「わかります」

「そして君は幸せから縁遠い人間だ。それは理解しているか?」

「いえ、そこを納得する訳にはいきません」


 特別な血統だから平穏な生活は送れないというのはわからなくもない。

 しかし、幸せを求めることまで否定はさせない。


「はっきり言おう。君たちは化け物だ。人のフリをして他人を騙すというのは悪辣だと思わないのか?」

「俺達は人間ですよ。この国では俺達にちゃんと戸籍があって人権を認められている。望めば普通に暮らすことは可能なのです」

「紙切れの上の話かね?」

「法の上の話ですよ」


 ジェームズ氏は鼻を鳴らした。


「建前と真実が違っているなんてことは世界では当たり前の話だ。真実は人の定めた決まり事などとは関係なく存在する。お前は人間じゃない。自覚するべきだ」

「それは違う。俺達は人間だ。そもそも普通に暮らしている人々の中にも異能者は存在する。それは単に能力タレントの差異にすぎないでしょう」

「ほう、異能者と言えば隔離されるものだろう。それこそ理屈として破綻していると思うがな」

「隔離されるのは自分で力を制御出来ない者だけです。制御が出来るようになれば社会復帰が出来る」

「鎖付きでな。ああ、確かにそれを言えば君たちもそうだな。がっちりと鎖に縛られているのだから」

「それは責任という意味でしょう。何かの技能を持つ者に責任があるのは当然だ。車を運転する者には免許が必要だし、武器を使う軍隊は命令順守の義務がある。そこに違いはありませんよ」

「なるほど、そういう風に思っているから貴様は平気で一般人の暮らす世界に侵入しようと考えたのだな。所詮化け物は化け物だということが理解出来ない愚か者だということか」

「俺を怒らせようと思っても無駄ですよ。この暮らしにたどり着くまでにその手の議論は嫌になる程やりましたから」


 ジェームズ氏はしばし無言で、ひたすらコツコツと指の先でテーブルを叩いた。

 俺も無言で張り詰めた空気をやり過ごす。


「法律か、法律ね……人が平等というのは幻想だとわかっているだろうに、理想主義者という者は度し難いな」

「平等だと謳っている訳ではなく、平等であるべきだとしているんじゃないですか? 少なくとも機会は与えられるべきだ。俺にも貴方にも彼女にも、俺の家族や異能者と呼ばれる者達にもね」


 ジェームズ氏は俺の言葉には応えず、一度目を閉じるとふ、と笑った。

 その瞬間床板に光が走り、何かの魔術的陣が敷かれた。

 またかよ!


「腹の探りあいはこの辺りにして、正直に行こう。君は冒険者を嫌悪しているだろう?」

「別に嫌悪したりはしていませんよ」


 陣を構成している光の色がやや青みを帯びる。


「では、怖れている?」

「……いや」


 陣の光が黒ずんで来た。

 これはなんですか?


「ほう、意外な結果だな。だがわかる気はする。世界中で最も勇者の血統ホーリブラッドを狩っているのは冒険者だ。どうせ貴様も幼い頃に言い聞かされて育ったのだろう? 冒険者に注意するようにと」

「ええっと、伊藤さんのお父さん。コレハドウイッタコトナノデショウカ?」

「ホーリブラッドだけではない。一部の冒険者は手軽な盾として人間を使う。地域によっては人間は安い買い物だし、術式保存においてはあらゆる道具を上回る使い勝手のよさを誇る。下手をすると怪異よりも悪質な冒険者こそが人間を殺してるかもしれない」


 俺の疑問はスルーされた。

 そして、ジェームズ氏の言葉に、俺は迷宮で会ったあの冒険者を思い出す。

 彼が道具のように使い潰した者達の顔が浮かんだ。

 あれは正に悪夢のような出来事だった。


「そんな連中からしたらホーリブラッドは自分で使うには高価すぎる代物だが、獲物としては一流だ。世界には理解に苦しむ人種という連中は存在するからな。私も実物を見たことはあるのだよ。あれはとある金持ちの屋敷だったな。連中は高価なペットを飼うように特別な人間をコレクションすることを愉しんでいた。ああいう連中は自分の欲望を満たすためには競って金を出すからな、人間を殺せない縛りがある獲物を狩るほうが、下手に怪異を狩るよりは割がいいと思っても仕方がないことだろう。商売は需要と供給だ」


 彼の言っていることがどういう意味か気づいたら、思わず吐き気をもよおした。

 人間が人間を狩る世界が現実として存在するのだということを受け入れるのは難しい。

 理屈として理解するのと感情が受け入れるのとは別の話だ。


「もちろん全部の冒険者がそうではない。もしそうだったらとっくの昔に冒険者は国家から排除されていただろう。だが、これでわかったと思うが、私達はお互いに天敵同士だ。本音で語り合えない者と家族にはなれんよ」

「冒険者に偏見が無いとは言いませんが、俺は貴方をそういう冒険者だとは思っていませんよ」


 床の光が淡い水色に変化した。

 いや、これ何なのかわからないんで、ちょっと不安なんですけど。


「面白いのか面白くないのかよくわからん男だな、君は。まぁいい。前提は整ったという所か。とりあえずここからは仕事の話をしてあげよう」


 え? いいんだ。

 何を納得したのかわからないんで不安なんだけど、決着がつきそうもないプライベートの問題はまた今度にして仕事の話に移れるならまぁいいか。

 てかこの陣の説明はしてくれないんでしょうか?

 俺が聞くべきなのか?

 でも聞かないほうがいいような気もするんだよな。


 そうして怪しい光を放つ陣の上で第二ラウンドが始まったのだった。

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