131:羽化 その六
冒険者の中に時たま怪異のような姿に変貌を遂げる者がいることはわかった。
しかし今回の迷宮で起きている現象がその事例に当て嵌まるのかはわからない。
なにしろどちらの現象に対してもはっきりとした前提条件が示されていないのだ。
判断出来るはずがなかった。
「木村さん、何か悩みがあるんじゃないですか?」
どうやら昼飯を食いながらぼんやりしていたようだった。
伊藤さんが心配そうに俺を覗き込んでいる。
「あー、いや、うーん」
どうする俺、伊藤父に話を聞くか。
今はとにかく情報が欲しいのは確かだ。
「ハンターのお仕事で言えないことなら聞きません。でも約束ですから辛いことなら分けてくださいね」
伊藤さんの言葉はどこまでもまっすぐで、迷いがない。
自分がグルグルしている時にその言葉を聞くと、まるで迷った挙句に清涼なせせらぎの音を耳にした時にも似た、ほっとする救いのようなものを感じる。
彼女が迷わないのはきっと、自分の中での優先順位がきっちりと決まっているからなのだろう。
その点で言えば俺はぐだぐだ迷ってばかりで情けない。
「とりあえずその焦げたタコさんウインナーを貰っていいだろうか?」
「ひゃあ!」
なんか凄い可愛い声が聞こえたぞ。
色々なことがどっかに吹っ飛んで一挙に幸せを感じられるような何かだったな。
「こ、これは失敗したやつで!」
伊藤さんはずっと俺のと自分の分のお弁当を二つ用意して持って来てくれているのだが、彼女の自分の分の弁当箱には時折怪しげな物体が入っていることがある。
ボロボロに崩れた玉子焼きとか片面が真っ黒なハンバーグとか。
そして今は足の先端が黒い、本当は赤いはずのタコさんウインナーが収まっていた。
俺のほうの弁当箱にタコさんウインナーは無く、その代わりに肉団子が入っていることから、なんらかの理由でタコさんウインナーはほぼ全滅したのだと察せられる。
有無を言わさずそのタコさんを奪い取った俺はぱくりと一口でそれを口に放り込んだ。
「駄目です! 焦げてる所は体に悪いんですよ!」
いや、その理屈はおかしい。
なんでそれを自分で食おうとしていたのだ。
実際口に入れたタコさんは足先と思われる部分がジャリジャリと焦げ臭い味で、胴体部分はばりっとしていて案外と悪くはなかった。
失敗としては可愛い部類だろう。
「わりとイケルぞ」
「くっ、この屈辱、こうなったら」
伊藤さんはおもむろに俺の方の弁当箱から肉団子を1個奪うと、それを箸に挟んだまま俺のほうへとずいと近づけた。
「んん?」
「あーん」
「!!!!」
ちょ、伊藤さん! どうしちゃったの?
伊藤さんはすげえ笑顔で肉団子を差し出したまま微動だにしない。
「あーん」
「くっ、参りました……勘弁してください」
がくりと両手を付いて頭を下げた。
なぜならここは会社の屋上ガーデンで他の社員の視線があるのだ。
例え周囲から公認カップルみたいな感じになっていようと、いくらなんでも無理。
「ふ、未熟者め」
伊藤さんはそう言って肉団子を自分で食べる。
いいよ、もう。未熟者でも愚か者でも。
「あの、伊藤さん。実は伊藤さんのお父さんに聞きたいことがあるんだけど」
「……」
うん? 今のちょっとした間はなんだろう。
何か困惑に近い感情を感じたんだけど。
「実は、うちの父、あれから様子がおかしくて」
「様子が、おかしい?」
あれからというのは俺が彼女の家を訪問してからってことかな?
「私、あれから父に木村さんとのことを根堀葉掘り聞かれると思って身構えていたんです。でも、その後一切、父は木村さんのことをおくびにも出さなくてちょっとおかしいんです。まるで昔現役だった頃みたいな雰囲気になっていて」
どういうことなんだ? もしかしたら俺は伊藤さんのお父さんに今度会ったら今度こそ狩られるのか?
本気なのか? 伊藤父。
いや、まさか、でも……。
俺は前に訪問した時の彼女のお父さんであるジェームス氏の様子を思い浮かべた。
うん、いや、狩られるかもしれんな、マジで。
こういう時ってあまり刺激しないほうがいいかもしれない。
とは言え、俺に辿れる冒険者関係の縁ってここしかないからなぁ。
こないだの多国籍料理店のマスターは俺との縁は薄い。
どうしたって深い話を引き出せようもなかった。
それでも何もないよりはいいし貴重な情報ではあったんだけど、おかげで逆に混乱が生じてしまったんだよな。
情報過多で逆に本当のことが埋まって見えなくなってしまっている気がする。
「父に会うなら私も同席したほうがいいと思うんです。父が何を考えているにしろ何かあれば私という盾があります。それほど無茶も出来ないはずです」
「いや、自分のお父さんをもうちょっと信じてあげようよ」
「父を信じるのと木村さんと一緒にいることとは矛盾しません」
本当にそうなのか?
「父は頑固者で一度決めたことを覆さない人です。だから私がそばにいることは父にとって何の妨げにもなりません。でも木村さんは違いますよね? いいえ、私達は違いますよね。だって何かがあったらその苦しさを分かち合うって約束ですから」
抑止力ですらないのか。
何があっても二人なら被害は2分の1ということなんだろうか? いやむしろ倍加しないか? 大丈夫か? 主にお父さんのメンタルとか。
「ええっと、いやその、実は話したいのはハンターの仕事のほうの関係なんだ。だから伊藤さんにはあまり同席してほしくないというか、守秘義務があるというか」
「あ、そうなんですね。私ったら、でしゃばってしまってごめんなさい」
「いや、謝ることはないよ。その、プライベートな話の時は頼りにさせてもらうから」
それはそれで情けないけどな。
そんな話を昼にしたその夜さっそく、伊藤さんから電話連絡が入った。
どうやらお父さんは快く会ってくれるらしい。
伊藤さんすげえよ。
『拍子抜けする程あっさり木村さんに会うことを承知したので、いっぱいいっぱいで頼んだ私が馬鹿みたいでした』
「いや、ありがたいよ。それなら次の週末にお伺いするから」
『はい。そ、その時はもうちょっと手の込んだ物を出せるようにしておきますから』
「無理しなくていいから、仕事の話だから」
『無理なんかじゃありません。私のスキル向上にご協力していただきたいだけです』
「そっか、それじゃあ楽しみにしている」
うん、でもそっちに気を取られると本来の内容を忘れてしまいそうなんで、ほどほどにしないとな。
久々に訪れた伊藤さんの家では到着するなり玄関にお母さんがお迎えに来てくれた。
「いらっしゃいませ。ふふっ、優香ったらはりきっちゃって昨夜から仕込みを頑張っているのよ。楽しみにしてね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「おかあさん!」
俺とお母さんがそんな会話をしていると伊藤さんが奥から飛び出して来て母親を奥へと押し返す。
飾り気のない実用本位のタイプではあるものの、色は薄いピンクのエプロンがすごく可愛い。
「ごめんなさい、母ったらもう」
「いや、なんかいいお母さんだよな。ええっと、おじゃまします」
「いらっしゃいませ。はい、どうぞ」
スリッパを揃えてくれるというだけでちょっとドキドキしてしまう。
いや、今日は仕事だから。
伊藤父は居間の囲炉裏端で待っていたが、俺の顔を見てすぐに立ち上がった。
「大事な話と聞いた。地下へ行こうか?」
「あ、はい」
あの地下書庫か。
ちょっと怖いんですけど、まぁ仕方ないよな。
実際この話は伊藤さんの耳には入れたくない類の内容だ。
完全に他と隔離されたあの場所が一番いいのは間違いない。
俺は大人しく付き従うようにジェームス氏と一緒に地下へと下りたのだった。
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