108:明鏡止水 その十二

「確か中央都には他人を付け回すと、迷惑行為として逮捕されるという都市条令があったはずだが」


 マンション玄関で勘違いのしようもない待ち伏せをされて、さすがに穏やかにお話しをする気分でも無い俺は、面と向かって変態野郎を糾弾した。


 明るい玄関ホールの光の中で、野郎はひたすらにこやかにこちらを見ている。

 しかもあいつ、アンナ嬢の顔を知っているにも関わらず、その顔を真っ直ぐ見て全く動揺が無い。

 最初から彼女がいることをわかっていて来たに違い無い。

 どんだけ鼻が利くんだ? ……恐ろしい野郎だ。


「何者なの?」


 アンナ嬢が警戒バリバリで変態野郎を睨んでいる。

 さっきまでのギクシャクした雰囲気は吹き飛び、今この時だけは俺たちの気持ちは一つになった。


「変態だ。気を付けろ、ひょろい見掛けに騙されるな、油断するなよ」


 俺の言葉にアンナ嬢は少し驚いたようにまばたきすると、変態野郎をまじまじと見た。

 どうやら逆に興味を抱いたらしい。


「そんなに歓迎して頂けるとは感激の至りです」


 かたや変態野郎はものすごく嬉しそうだ。

 さすが変態、へこたれないな。


「大丈夫。私はこの国外任務に伴って、自身に危険が及ぶと判断した場合に限り、人間に対しての力の解放を許可されているわ」


 おい。

 いや、お国の事情はわかるけど、貴女の祖国は他国を見下しすぎじゃないでしょうか?

 危険が及んだ場合じゃなくって、アンタが判断した場合かよ!


「言っておくけど、いくら変態だからって、危害を加えられない内に殺したら、あんたの身柄は拘束されるからな」


 そう、拘束はされるだろう。

 すぐに政治的な取り引きで開放されてしまいそうな気はするけどな。


「まぁまぁお二人共、このような目立つ場所で騒ぐのもいかがなものかと思いますし。どうですか? ここは私が奢りますから場所を移しませんか?」


 変態は相変わらず鬱陶しいキラキラした目でオーバーアクション気味に主張して来る。

 キモい。


「いらん、今食ってきた。彼女はこれからお帰りになる所だ」


 きっぱりと告げるが、


「おお、それはいけません。姫君は不肖私がお送りいたしましょう」

「事を終えるまで帰らないから」


 二人の噛み合わない言葉が被る。

 お前ら結構気が合いそうだな。


 譲らないアンナ嬢の激しい視線をひんやりと受け流していると、ぷるぷる震えていた変態野郎がいきなりダッシュで接近して来て、咄嗟に対処に迷った俺たちの腕をその手でがっしりと掴んだ。


「私は決してあなた方に嫌な思いをさせたり、傷つけたりするようなことはいたしません。我が信奉する選ばれし血に誓って絶対にです! もし私がお二人にとって邪魔でしかないようなら、ここですっぱりと骨も残さず排除していただいても構いません! お願いです! どうかお聞き入れください!」


 まるで久しぶりにご主人に会えたペットのような縋るような目で見詰めて来たかと思うと、その涙腺が瞬時に決壊する。

 

「うおっ!」

「С ума сошёл.」(狂気だわ)


 野郎は滂沱の涙と鼻水にまみれた顔でまるで抱き着くように縋って来た。

 それはキモいを通り越して怖い状況だ。

 奴の手を振りほどこうとするものの、なぜかまるでべったりと貼り付いたかのように離れない。

 下手に力を入れて骨でも折れたらという恐怖に襲われて、あまり無理が出来ないのもその体勢から抜け出せない要因だろう。

 どうやらアンナ嬢も同じらしく、必死に変態から離れようとしているが、最後には諦めて、頑なに顔を背けるという行動で拒絶を表していた。


「その行動が既に嫌な思いをさせてるとわかんねぇのかよ! 離れろ変態野郎!」


 俺が抵抗すると、そうさせるものかと更に密着して来る。

 そのあまりの嫌悪感に、俺もとうとう諦めてアンナ嬢に倣ってとりあえず現実逃避してみた。

 どうでもいいがアンナ嬢のガードは何してんだ? さっさと出てきてこいつを縛り上げるとかなんとかしてくんないかな?


「ロシアは自らの魔法に完全な信頼を寄せています。実際、彼女の周囲に張り巡らせた護法の紋は、人間の悪意や害意から完璧に彼女を護るでしょう。しかし、私は彼女に対して一片の悪意も抱いておりません。また、衛星を経由した監視システムの精度は高いのですが、この都市の電磁的な結界はその映像を歪めてしまい、あまり役に立たないのです」

「ちょ、お前、俺の心を読んだのか?」


 驚きのあまり、俺は変態の見苦しい顔を振り返った。

 奴は俺と目が合うと、グシャグシャの顔に笑みを浮かべる。

 正直ヤバイぐらいに見苦しい顔になってしまっていた。

 見なきゃよかった……。


読心リーディングではありませんよ。これは単なる技術です。言葉というのは声に出す物だけではありません。人はその全身で常に言葉を発しています。私はそれを聞いているだけなのです」


 うむ、わからん。

 そういやこいつこんなナリでも何かの研究者なんだっけ。

 確か由美子の先輩と言うことだったが、由美子のとこは古文書か何かの解読をやってるんじゃなかったか?


「私の本来の専攻は人類学です。色々な教室に席を置いて、教授達のサポート役もやらせていただいていますが。いえ、そんなことはどうでもいいですね。申し訳ありません。この至福の一時に汚れた人の欲望の存在である勉学の話などをしてしまい、本当に申し訳ありません。どうかお二人は私のことを下僕とお呼びください。ともかくこの場を移動いたしましょう。お二人は輝かしすぎます。何か悪いモノが集ってくるやもしれませんから」

「おい、俺はこいつの言ってることの半分も理解出来ない。アンタの翻訳術式なら理解るか?」


 アンナ嬢は俺の呼び掛けに、まるで怯えた少女のような顔を向けて来た。

 これは……いかん。


「おい! とにかく強引に話を持っていくのをやめろ! 見ろ! 彼女だってすっかり怯えてしまっただろうが!」

「何を言っているの! 私が怯えるなど有り得ないわ!」


 さっきまでブルブル震えていたアンナ嬢は、俺の言葉にたちまち空気を送り込まれた炎のように燃え上がった。

 凄い負けず嫌いだな、この人。


「まぁまぁ、姫君、ここはこの下僕めにお任せあれ。私は姫の血族を苦しめている病についてある程度理解しているつもりです。普通の人間という劣等な種族に生まれ落ちた身ですが、学んできたことやその蓄積による考察には我ながら他に並ぶ者無き水準に達していると理解しています。これも全ていつかあなた方のお役に立つ時を夢見てのこと。どうか哀れなこの下僕にお二方の慈悲をくだされますよう……」


 変態が一方的にしゃべっている間に数台の自動車が静かに俺たちを照らし出して通り過ぎていった。

 見たくもないが、残念ながらくっきりと見えてしまったその人達の顔は、一様に痴話喧嘩を繰り広げている男女を見る目だった。

 ……さすがにもう限界だ。


「わかった! わかったから! 俺の部屋に行くぞ! 二人共!」


 俺は異色の取り合わせの客人達を引き連れて自分の部屋に引き上げた。

 とにかくもう晒し者になるのは勘弁して欲しかったのだ。


 二人をほとんど何もないフローリングの応接間に突っ込むと、とりあえず俺はお茶を淹れるべくキッチンに篭った。

 まぁ逃げ込んだと言ってもいい。

 しかし、すぐに応接間からアンナ嬢の悲鳴のような叫びが聞こえて来て、慌てて戻ることとなった。


「おい! てめえ何をしてる!」


 変態野郎を締め上げつつアンナ嬢の様子を見ると、彼女は悄然とい草のラグに座り込んでいた。

 その姿は、まるで心ここに有らずと言った雰囲気だ。


「ロシアの聖なる血統の事情は私からは口にする訳にはいきませんが、そのことについて確かめねばならないことがあったのです。どうやら事態は私の思っていた最悪を極めているようでした」


 ひと言ガツンと言ってやろうと顧みると、俺が締めあげている変態野郎もまた悄然としている。

 そして、またもや涙ぐんでいた。

 やたら涙もろい野郎だ。


「私達にはどうしてもあなたの血が必要です。理由が必要とあらば、打ち明けることは仕方のないことでしょう」


 アンナ嬢はそう言って俺を見据えると、溜め息を吐いて変態を見る。


「どうしてだか、彼には私達の事情も知られているようです。今更隠し立てしても仕方ないでしょうしね」


 ヤバイ。

 俺の勘が告げている。

 これは聞いてしまうと引き返せない話だ。

 聞くべきではない。

 しかし、俺の腕にぶら下げられている変態は首を振って見せる。


「違います。貴女は勘違いをしている。いいえ、勘違いをしているのは貴女のお国なのです。ですが、この方に事情を聞いていただくのは一つの救いの道かもしれません」


 アンナ嬢は驚いたように変態の顔を見ると、一度目を瞑って大きく息を吸い、再び目を開いた時にはそれまでの動揺が嘘のように消え去っていた。


「魔法使いは自らのマインドを常にコントロール下に置いています。彼女の感情の変化には自然なものと作られたものがあるのです。今、彼女はその仮面ペルソナを被りました」


 変態が囁くようにそう告げる。

 そして彼女は語り出した。

 あまりにも哀しい、彼女の血統の現状を。

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