109:明鏡止水 その十三

「元々、過剰な魔法因子で変異を起こす者は少なからずいたわ。だから最初は誰も特に気にしてはいなかったと聞いている」


 アンナ嬢はそう前置きをして自国の勇者血統、つまり自分の血族の話を始めた。


「化け物として生まれた者、成長途中で变化した者、それらはすぐに処分されてなかったことにされる。だけど、やがてそれらは無視出来ない事態になった。血統としての存続が危ぶまれる程、正常な血統者が減ってしまったの」


「処分……って」


 軽く語った彼女の話は、彼女の言葉があっさりしているからこそ重く心に響いた。

 彼女にとって、それは家族の話なのだ。

 辛くない訳がない。


「研究者は、血統の保持に努めるあまりに遺伝子的な傷が継承されるようになってしまったのが原因だと言ったわ。私達の血族の遺伝子に外部から手を加えることは血統の特殊性を失うことになりかねないから、遺伝子治療を施すことが出来ない。だから外部の血統の取り込みによって傷のない状態の新しい血統を作ることを考えたのよ」


 その話の内容に対して、アンナ嬢は一欠片も感情を動かすことは無かった。

 本当に何も感じていないのか、或いは、感じないように教育されているのか?

 いや、何も感じていないはずはない。

 守護者とは心無き者が勤め上げられるほど容易いものではないのだ。

 嘆き哀しんだところで意味をなさないからこそ、無表情で語るしかない。

 これはそういう話だ。


 誰も発言しない、その場の張り詰めた空気を破壊したのは、この部屋で唯一特殊な血族ではない男だった。


「語りにくいことを語らせてしまって申し訳ありません。ですが、奇跡の姫よ、貴女のお国の方々は大いなる勘違いをしているのです」


 変態は、アンナ嬢に深々と大きく一礼すると、彼女に座るように促して自分は立ち上がった。

 いちいち芝居がかった仕草だが、この変態がアンナ嬢に向ける、行き過ぎた敬愛のような執着に似たまなざしが、そんな大仰な仕草を相応しく見せている。


「下郎、我が祖国に対して暴言を吐くのは覚悟があってのことか? なんならもう二度と人間の言葉が話せないようにしてやってもいいのですよ」


 とは言え、そんな変態の態度は、逆にアンナ嬢を怒らせたようだった。

 先程までの淡々とした表情が嘘のように、まなじりを釣り上げて、まさしく魔女のような顔を変態に向けている。

 しかし、残念なことに、当の変態男は、恐ろしがるどころかどこか嬉しそうにその視線を浴びていた。

 ……変態すぎて怖い。


「お国のあまりな仕打ちに対しても、決して揺るがぬその忠心。なんと美しく高潔なのでしょうか。しかし、残念ながら人間は高潔ではなく、常に過ちを犯すのです。その過ちを認めない狭量な行いを続ければ、やがて何よりも大切な存在を失ってしまう。私にとってそれを放置していることは慙愧に堪えないのですよ」


 変態のあまりにもの堂々とした態度に、アンナ嬢は毒気を抜かれたかのように、やや糾弾の勢いを無くした。

 ちらりと俺の顔に視線を投げて来るが、俺に振っても何も出ないからな。


「いいわ、聞くだけ聞いてあげる。くだらない言葉で祖国を侮辱するのなら、その時こそ思い知らせてあげるわ」


 なぜだろう。

 アンナ嬢が何をしてもあの変態が喜ぶ未来しか見えない。

 そんな俺の悟ったような心地はともかく、変態は実にアクティブだった。

 奴はアンナ嬢の言葉をまるで女神から授けられた啓示のように、喜色満面で受け止め、すごい勢いで動き出す。


「そもそも勇者血統とはなんぞや? という所から考えてみましょうか」


 奴はうちの中を我が物顔に漁り始めたかと思うと、どこからかき集めて来たのか家の主人にすらわからない量の紙の束を持って戻り、壁に、その裏が白いチラシらしき物を並べて貼り始めた。

 というかうちには止めピンなんかないんだが、どうやってあれを壁に止めてるんだろう?

 そんな俺の心の疑問を聞き取った訳でないと思うが(というかそうではないと信じたい)、奴はそれについて簡単に説明した。


「これは摩擦を利用して貼り付けていますので跡も残らずにエコなのですよ」


 どういうことだ? 聞いてもわかんねぇぞ。

 そう思ったが、追求するのは嫌だったのでそのまま流す。

 変態はどこに隠し持っていたのか、マジックペンを取り出すと、その壁のチラシに勢いよく書き込みを始めた。


 化け物に襲われる人類、疲れ果てた人々の祈り、その集団の中に小さな星が生まれる。

 変態が一気に描いた文字のない絵物語は、単純な線だがそれらの物語をわかりやすく伝えていた。


「世界中の勇者の誕生のメカニズムは、詳細に多少の差異はあれどもその経緯は同一です。人々の安寧を望む願いにより、最初の勇者は誕生した。概念理論による世界観は、常に意思ある者の強い想いを核にすることによって物理現象が発生するのです」


 小難しいことを言っているが、要するに子供のお伽話と同じ理屈を並べているだけだよな、あれ。


「極論に走れば、つまり勇者は、精霊化した人類と言えなくもないのです」


 ぎょっとして、ついアンナ嬢に目をやる。

 彼女も驚きの表情で変態を見ていた。


「それはつまり、俺達は怪異と同じだと言いたいのか?」


 俺の言葉に変態が深く礼を取って答える。

 どうでもいいがいちいち気持ち悪いぞ、こいつ。


「申し訳ありません。お二方のお心を騒がせてしまったことをお詫びいたします。これは言わば暴論です。もちろん勇者と怪異は全く違います。怪異は無意識の産物です。言わば本能と言ってもいいでしょう。一方で勇者を生み出す仕組みは種の意思であり、進化の根源に存在するもの、言わば神の言葉と言っていいのです」

「はあ?」


 一気に胡散臭くなって来た。

 どうもシステムとして生み出した神によって人類を特別な存在であると主張する連中と、精霊信仰組とは反りが合わないせいか、神とか聞くと途端にいかがわしく感じてしまうのだ。

 だが、その神を奉じる国であるロシアを祖国とするアンナ嬢はどうか? と見ると、アンナ嬢にはまた別の主張があるらしかった。


「軽々しく神を語るなど! それは主神への冒涜ですわ!」


 神を信じない俺よりも更に受け入れられないようだった。


「姫よ、お心をお騒がせしてしまい申し訳ありません。とかく学者というモノは神秘のベールの奥に畏怖を感じない愚か者なのです。ご寛恕を賜りたく」

「もういいから話をさっさと進めろ。アンナ嬢も腹が立つのはわかるが、制裁は後から纏めて叩き込んでやればいいだろ? とにかく俺はどんだけ遅くなってもあんたらをうちに泊める気は無いからな」


 わざとかそうでないか知らないが、いちいちこっちをイライラさせて話を脱線させる変態にいい加減嫌気が差して、俺はそう宣言した。

 後一時間以内にこいつらを追い出す。

 俺はそう決めていた。


「いいわ」


 アンナ嬢が俺の言葉に短く応える。

 変態も俺たち二人それぞれに改めて礼をしてみせると、壁のチラシ群に向き直った。


「人類は希望である勇者を一代限りで終わらせる訳にはいかないと考えました。当然です。物語のように魔王を倒してめでたしめでたしで終わる結末などどこにもない。知恵の実を口にした人類はその魂の影も暗い。凶悪な怪異は生まれ続け、滅びを招く絶望はいつの世にも存在する。勇者は常に必要でした」


 変態は昂ったように両手を突き上げる。

 きもい。


「ですが! 愚かな人類は希望の勇者すら完全に信じることが出来ませんでした。その強大な力が自らに向いたら? そう考えると恐怖せずにはいられなかった。だから、人類は勇者に枷を施したのです。……いえ、言葉を飾ってはなりません。人類は勇者の血統に呪いを施した。自分たちを決して裏切らせないための、特別に強固な呪いです」


 壁の星のマークの中におどろおどろしいドクロのマークが描かれる。


「そもそも人類はこと呪いにおいてはスペシャリストでした。怪異の脅威など笑い話になる程の、残酷で無慈悲な呪いをいくつも作り上げてきた歴史があります。そして、人類が自らの恐怖を形とした呪いは、そのままそれぞれの恐怖を反映したものとなった。ある国は自国から去られるのを恐れ、国境を越えられない呪いを施した。そしてある国は見放される事を恐れ、愛情で縛った」


 変態はちらりと俺を見た後、視線をアンナ嬢に移し、彼女をじっと見つめた。


「魔法大国、いえ、呪術大国であるロシアの呪いはその中でも特別です。彼らは勇者を絶対服従の強制支配下においた。その恐怖は勇者そのものに対する恐怖だったからです。しかし、これは本来の勇者の存在に対するアンチテーゼでもあったのです。そう、勇者は希望の存在です。彼らの施した呪いは、その存在を恐怖という形で根本から否定したのです」


 アンナ嬢の表情が変態の言葉を理解し、そして歪んだ。

 そこに驚きが無かったことからして、彼女は最初からある程度理解していたのだろう。

 自分たちがなぜ滅びようとしているのかを。


「勇者の血統が変質し、滅びようとしているのは、勇者に対する呪いのせいです。貴女の祖国は勇者を愛そうとしなかった。蝶の羽根をちぎり、花を踏み荒らす。人類の愚かな側面こそがその原因なのです。他から新たな血統を受け入れたとしても、結果は同じでしょう」

「あなたを拘束、連行します。わが祖国に対する暴言は許容の域を超えました。たとえ異国の地であろうと、謝罪を要求するに値すると判断します」


 アンナ嬢が険しい表情のまま立ち上がると変態に詰め寄った。

 感心したことに、変態のほうはその期に及んでも幸せそうに彼女を見つめたままだった。

 いっそ天晴あっぱれと言うべきだろうか。


「待った! いくらなんでも我が国から他国への強制連行はやめてくれよ。まずはうちの警察か外交筋を通せ」


 庇うつもりはないが、とりあえずこのまま彼女の祖国まで一緒に飛ばれても困る。

 このお嬢さんは転移ぐらいお手の物のはずだ。


 アンナ嬢は、音がするぐらいの勢いで俺を振り向き、キツイ目付きで睨み上げると、言葉ではなく視線で「お前も敵か?」と尋ねてきた。

 怖い。


「落ち着け、な」


 もう殆ど動物か子供を鎮めるような気持ちで両手を上げながらドウドウと声を掛けた。

 アンナ嬢の眉は更に危険な角度に持ち上がる。

 む? なにか対応を間違えたか?


「いえ、むしろ望む所です」


 変態がそんな緊張感を打ち破るいい笑顔で言い放った。

 なんだって?


「共にロシアへ赴きましょう。私にはその危機への対処方法があります。是非! お国の責任者の方とお話がしたいのです! ラージボーカ!」


 アンナ嬢の視線が凍りつく。

 まるで錆び付いた機械のような動作で変態を振り向くと、数歩後退る。

 いや、気持ちはわかる。

 なんだ、こいつ? こええよ。


「我が祖国は貴様の言葉などに耳を傾けない。裁判で相応の罰を言い渡されるだけだ」

「お国に必要なのは、愛です! 勇者とはこの世の奇跡、真なる神の御業なのです! これは世界の真実であり、真理です。私にはどのような頑迷な魂をも説き伏せる覚悟があります!」


 アンナ嬢がまた一歩後ろに下がる。

 いや、アンナ嬢の気持ちがすっごくわかる。

 俺も、ちょっともう関わりたくないな。

 ロシアにそいつ連れて行って貰えるならそれが一番のような気がして来た。


 結局、押し問答の末、互いの意見に決着が付かなかったので、酒匂さんに連絡を入れてしかるべき所からのお迎えによってアンナ嬢にはお帰りいただいた。

 その際、どう言って納得させたのか、ちゃっかり変態野郎がアンナ嬢に同道したのが恐ろしい。

 すっかり青ざめたアンナ嬢の目が、どこか遠い所を見つめるように変態からそらされていたのが、この日最後の印象に強く残った光景だった。


 まさか、まさかな。

 でも、


 ……変態一人のおかげで滅ぶはずだった勇者の血統が救われるなんて、そんなバカな夢物語おとぎばなしが現実に起こるなんて有り得るのかな?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る