52:迷宮狂騒曲 その二
昼休み、残り物を突っ込んだ感じの弁当を食い終えた俺に伊藤さんが話し掛けて来た。
「よかったらちょっとガーデンに行きませんか?」
彼女の言うガーデンとは、社ビルの屋上庭園のことで、男子社員仲間はもっぱら屋上と呼んでいるのだが、女子社員の間ではガーデンと呼ばれている場所だ。
うちの課は七階にあるので、階段を二階分昇ればすぐに出れるため、女子社員は天気のいい日は昼食をそっちで摂っていたりすることが多いらしい。
あと、煙草族もよく行ってるようだ。
そのどっちでもない俺だが、だからと言ってその場所を全く訪れないということもない。
人工物の多い場所で働いていると、時折自然物が恋しくなることがあるのだ。
それが例え人の手で整えられた緑や花々であったとしても、自然物には違いないからな。
それに公共の公園なんかでは安心して熟睡出来ないが、ここなら関係者以外来ないので安心して昼寝出来るという理由もある。
「え? ああ、うん」
ちょっとドギマギしながらそう答えた俺の背後で不穏な気配が沸き起こった。
場所は休憩室、周囲には同僚達と今迄隣の席で飯を食っていた流がいる。
「伊藤さん、なにもこんな野獣のような男を選ばなくても」
佐藤、てめえぜってーいつか泣かせてやる。
「社内で逢引とはなかなか堂々としたものだな」
流よ、自分を基準にものを考えるのは止めろ。
うん? いや、しかし、もしかしてこれが冷やかしというヤツなのか?
学生時代盛大に冷やかされるカップルを横目に、「羨ましくなんてないからな」と呟いた思い出が鮮やかに蘇る。
俺、今、ああいう風に周りから見えてるのか?
そんな俺の感動を遮るように、伊藤さんの声が響いた。
「そういうんじゃありませんから、変な噂をしたら怒りますよ!」
いつもながらキッパリとした否定をありがとうございます。
少しでいいから夢を見る余地を残してくれてもいいんですよ?
そんな俺の魂の嘆きなど、世界の片隅すら動かしはしないんだけどね。
「すみません、もっと人目の少ない所で声を掛ければよかったですね」
自分の不注意だったと思ったのか、伊藤さんは申し訳なさそうにしていた。
その様子は、さながら雨に濡れた子犬のようで可愛らしい。
「いやいや、そんなことをしたらかえって変な噂になっちゃいますよ。やましいことがなければ何事もオーブンにするのが一番です」
「そう言っていただけると助かります」
うん、ちょっと照れたように笑うのもいいな。
個人的にはいっそ秘め事っぽくこっそりお付き合いしたいです。
と言っても、うちの会社、社内恋愛はむしろ歓迎の方向だからな。
秘める必要なんかないんだが。
特にお隣の開発室にはあからさまに綺麗どころが事務方に揃っていたりするし。
社長、万が一にでも流を余所に取られたく無いんだろうな、きっと。
屋上へと昇る階段は非常用階段で、扉を開けて階段用の通路の中へ入ると、ほぼ密閉空間になる。
ちょっとだけ不謹慎なことを考えている身としては、こんな場所で二人きりになるのは辛い。
悶々とするぐらいなら、もういっそ玉砕してもいいから伊藤さんに告白してみようか?
恐らくだけど、まだ付き合ってる相手はいないようだし、俺に対して一定以上の好意は持っていてくれそうだし、……あれ? いや、これって、もしかしなくてもいけるんじゃね?
「あの、木村さん」
「うお! あ、はい!」
よからぬ妄想にふけっていた俺は、突然声を掛けられて慌ててしまった。
ためらいがちに声を掛けたらしい伊藤さんは、俺の大仰な反応に目を丸くしたが、すぐに微笑みながら言葉を継ぐ。
「階段終わりましたよ」
言われて、大きく上げていた足を下ろした。
うっかり階段を昇りきったのに気づかなかったらしい。
ヤバい恥かし過ぎる。
キィと軽く金属の軋む音がして扉が開かれ、外部からの光が密閉空間を切り開く。同時に俺の妄想も泡沫のごとく消滅した。
緑の匂いがする。
俺の故郷は、もっと土臭かったり、年を経た大木の放つ独特の強い香りに満ちていたが、たとえ故郷とは違っているとしても、植物の放つ香りはなんとなく気持ちを穏やかにしてくれる不思議な力がある。
うちの会社の屋上は、なにやらプロの造園家に頼んだとかで、西洋風の造りになっていた。
小振りの水車小屋に小川、西洋柳にハーブ園、そのあちこちに小綺麗な
どうせなら自国文化に誇りを持って日本庭園風にすればいいものをと、俺なんかは思ってしまうが、西洋風庭園は社長の奥方の趣味らしいので仕方ない。
仕事人間の社長に対して奥方は多趣味で有名だったからな。
そんなことを考えながらぼーっと癒しの空間を見ていたら、腕に手を置かれて、反射的に顔をそちらへ向けた。
「そこの四阿が空いてるみたいです。座りましょう」
伊藤さん、顔が近いよ。
途端に先程感じたもやもやとしたやましい気持ちが蘇って来てどぎまぎしてしまった。
いや、十代のうぶな少年じゃないんだから、しゃんとしろよ俺。
「はい。そうですね」
なにぎくしゃくしてんだよ! と、自分で自分にツッコミを入れて、どこかはしゃいでる風にも見える先へ行く伊藤さんについて行く。
雨ざらしだから頑丈さを優先したのか、
ちょっと寒くなってきた今の季節は、あまりここに人気が無いのは当然なのかもしれない。
「あの……」
伊藤さんが遠慮がちに声を掛けて来たのでなんとなく振り向くと、プラスチック製らしきカップをテーブルに並べていた。
「お菓子も持って来ているんですけど、もし食事の後で入らないようならお茶だけでもいかがですか?」
その言葉に視線をずらすと、可愛いレース模様の縁取りのあるペーパーナプキンの上に焼き菓子らしきものが並んでいる。
「いただきます! 弁当ごときで満腹になるようなやわな胃はしていませんから!」
我ながら何を言ってるのかわからないことを口走って、その菓子に手を延ばした。
それは葉っぱの形をした焼き菓子で、普通のクッキーのように柔らかくはなく、パリッとした噛み応えがあった。
味はあまり甘くなく、僅かにニッキの香りがする。
「どうですか? 男の人だからあんまり甘くない方がいいと思って、シナモンと蜂蜜だけ使ったんですけど」
「美味しいですよ。薄焼き煎餅みたいですね」
「え、やっぱりもう少し甘くしたほうがよかったでしょうか?」
あれ? なんでしゅんとしてるんだ?
ちゃんと褒めたよな、俺。
大学時代の友人が、女性に好かれようと思うなら褒めるのが大事とか言ってたんだが、実の所あんまり上手くいったことがない。
騙されたんだろうか? それとも俺の褒め方に問題があるのか?
「そうだ、お茶もどうぞ。こっちは少し甘味のあるお茶なんですよ」
「あ、ありがとうごちそうになります」
気を取り直して紙コップに注がれたそれを手に取った。
我が社の『いつまでも熱々で! ホット!』というイマイチな謳い文句を掲げられたその保温ポットに入ったお茶は、文字通り熱々で、多少舌先がしびれたものの、砂糖などとは違う程よい甘味が口の中に広がり、なるほどさっぱりとしたさっきの菓子と合っていた。
「うん、いいね。このお菓子にぴったりだ」
「そうですか? よかった」
伊藤さんはほっとしたように微笑む。
よし、どうやら挽回は成ったようだ。
なんだかルールのはっきりしないゲームをしているようで気が抜けない。
よく考えてみたら、今のシチュエーションって、学生時代憬れた、好きな子に手作りの差し入れをしてもらってそれを一緒に食べる場面そのものじゃね?
これって端から見ると完璧にカップルだよな。
うおお、また気持ちが勝手に盛り上がってるぞ。落ち着け、俺。
「ここから見えますか?」
俺が一人心の中で悶えていると、伊藤さんがそう話し掛けて来た。
彼女の視線は高層ビルの立ち並ぶ辺りに向けられている。
そこには、今ははっきりと、かつて『おばけビル』と呼ばれた物が見えていた。
だが、彼女の視線はそれからちょっとずれていて、どうやら伊藤さんには相変わらずその姿が見えていないらしい。
そういえば、無能力者は入れないはずの迷宮にどうして伊藤さんが入り込んでしまったのかはわからないままだったな。
例の俺俺ユージくんの彼女は、ちゃんと普通のビジネス街のほうに出たらしいのに。
「迷宮か」
「はい。私には見えませんけど波動視カメラに映った映像は見ました」
そう言って、伊藤さんは改めて俺へと向き直った。
「私、木村さんがいなかったら、今度も死んでいましたね」
真剣な顔でそう切り出されて、俺は言葉に迷った。
違うともそうだとも答えられない。
伊藤さんはそんな俺に微笑み掛けて、言葉を続けた。
「私、子供の頃はずっと、冒険者だった父に着いてあちこち転々としていました。と言っても、その頃は土地開発の仕事だと思っていたんですけどね。行く所行く所、ほとんど人なんか住んでないような場所で過ごして、それなのに一度も怪異と出会ったことは無かったんです。父やそのお仲間の人達から、怪異と出会ったらどうするか? という注意や実践テストみたいなのは受けていましたけど、実際は何も無くて、無能力者だからというのもあったんでしょうけど、だから、全然実感がなかったんです。でも、安全なはずのここに住むようになってからその時の経験が役に立つなんて皮肉ですよね」
ちょっと自嘲っぽく笑った伊藤さんは、もう一度俺を見ると真剣な顔に戻る。
「私、木村さんに助けてもらって、次は私が何か出来ればと思っていたのにまた足を引っ張って、命を助けてもらって、もうどうしていいかわかりません」
「ええっと、いや、伊藤さんは十分頑張ったと思うけど」
実際、あの迷宮に伊藤さんがいなかったら、俺は仕方なくあの素人連中と一緒に行動しただろう。
バリケードを作ったのも伊藤さんの案だったらしいし、他の連中だけで放置しておいて生き残れたとは思えない。
だが、そんなことをしていたらボスと戦えたかどうか怪しいものだ。
下手をしたら同行した彼等を結局は死なせていたかもしれない。
「考えたんです。恩返しをするって言っても、それって結局は私の自己満足じゃないですか。もしかしたら木村さんには迷惑なことなのかもしれない。いっそ私なんかが関わらないほうが、木村さんにとって楽なのかもしれないなって。でも、やっぱり自己満足でも、私、何かしたいと思うんです。何もせずに自分は迷惑になるからって離れていくのは、それもやっぱり勝手な判断に過ぎないし、同じ勝手ならもっと積極的に関わったほうがいいんじゃないかって思って」
よく考えたら伊藤さんって不思議な人だ。
頭がよくて
「私に木村さんのことを教えてください。今、私は木村さんのことを断片的にしか知りません。腕のいい精製士で同時にハンターであること。お家が退魔のお仕事をしていること。ハンターのお仕事は内緒にしていること。すごく可愛い妹さんがいること。私の知っているのはそれぐらいなんです。……私、父や父のお仲間から昔さんざん言い聞かせられたことがあるんです。中途半端は知らないのと同じ。何かを知ろうとするなら徹底的に調べ上げろって。だから、私に木村さんのことをもっと教えてください。でも、もしご迷惑なら、もううるさくしませんから、そうはっきり言ってもらいたいんです」
伊藤さん、顔が真っ赤だ。
うん、これってすごく勇気がいる言葉だよな。
だって、普通の告白だってここまで相手に踏み込まないもんだと思うし。いや、体験したことないから知らないけどね。
あなたの全部が知りたいって、そういうことだよな? これ。
やべえ! なんか俺も頭に血が昇ってきた。
「あ、ああ、その……」
すごくガン見されてる。
なんか経験したことのない汗が流れ出す感じがするぞ。
「俺なんかでよかったら、よろしくお願いします」
何言ってるんだ? 違うだろ? しっかりしろよ、自分!
伊藤さんはちょっとキョトンとしていたが、にっこりと笑って頭を深々と下げた。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
あれ? これって、何をよろしくしたんだろう?
お付き合いするってことじゃないよな? だってこれ恋愛関係ない話だし。
え? 俺、今何を承知したんだろ?
なぜだろう、何かをすごく間違えた気がしてならない。
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