51:迷宮狂騒曲 その一
ここの所毎日が慌ただしい。
先日の日曜がおばけビル探しから始まった騒動で、平日よりもヘビーな休日となってしまったせいで、全く休んだ気がしなかった。
その上、休み明けで出勤してみれば職場の周囲も騒がしい。
装甲車やジープが一般道路を行き交い、そこかしこに封鎖区画が出現し、電車の運行に乱れが生じた。
会社のほうには政府から電源工事による一時通電ストップの通達があったとかで、
停電とかこないだの悪夢の始まりを彷彿とさせて気分悪いし、職場に来てまで向こうの世界のことが関わって来るとか、最悪すぎるだろ。
他のみんなも色々落ち着かないし、仕事にならないしで、オフィスは雑談の場と化していた。
しかも話題はそれしかないのか? と言いたいぐらいに同じ内容がループしている。
「驚いたね! まさかこの時代にあんな有名な化け物にお目にかかろうとはね」
佐藤氏はノリノリだ。
あの口を粘着テープで塞いでやったらさぞやスッキリするに違いない。
「ああ、お伽草子の世界だな。なんというか、現実感がない」
課長、あなたもですか。
「私、現場にいたんですよ! あの謎謎探検隊の!」
御池さんが興奮しながら口走る。
おいおい、まさか迷宮の件は他人に口外しないってお達しを忘れた訳じゃないだろうな?
大丈夫とわかっていても、あの勢いで口を滑らせてしまいそうでヒヤヒヤするんだが。
御池さんの後ろでは、お局様と伊藤さんが、俺と同じように困惑してあたふたしているのが見えた。
口に出して止める訳にもいかないし、どうしたもんかな。
そう、あの後、さすがにことがことなので当局に届け出るという話になった。
迷宮攻略の細かい内容は適当に誤魔化したが、まあ俺が知恵を絞らなくても、彼女と無事再会して元気いっぱいになった俺俺ユージくんが必要以上に武勇伝を語ってくれたおかげで、なんとなく俺のことは流されてしまい、助かったような、素直に喜べないような、複雑な気持ちを味わってしまった。
その俺達の報告を、最初全く取り合ってもくれなかった派出所の警官だったが、そのやり取りの中で、ユージくんが、なんと証拠として夢のカケラを提示した。
完全に信用していない様子で、渋々それをチェックした担当官の顔色がたちまち変わるのを間近で見た俺達は、それが疑惑へと急変質するのをも目撃することとなった。
つまりはお調子者の俺俺くんを始めとしたこの面々が、どこかからお宝をちょろまかしたんじゃないかと疑った訳だ。
まあ無理もない。
夢のカケラなんて代物は、高名な冒険者かハンターによってもたらされる物であって、間違ってもいかにもヒョロヒョロのバンドの兄ちゃんみたいな若者が取得出来るようなものではない。
民間には好事家が宝石のように加工して所持している物もあるらしいので、それを奪ったかどうかしたと思われでもしたのだろう。
さすがにこれは俺がハンター証をここで見せるしかないのか? と覚悟したが、その前に高圧的に出ようとした警官に待ったを掛けた者がいた。
謎謎探検隊、その彼らのリーダーである愛マイ氏である。
彼は、俺達の話の途中からなぜかあらぬほうを見ていたのだが、おもむろに、そこにいた全員に派出所の一角にあるモニターを指し示した。
そこにあったのは、この手の派出所に記録用に設置してあるカメラからの映像を映し出す変哲もない監視モニター画面だったのだが、なぜかそこには俺達ではなく、映っていてはならない相手が映っていたのだ。
あの時の俺の驚愕たるや、どんな戦いの記憶も霞むような激甚たるものだった。
終天の野郎が、大規模電波ジャックなどというとんでもないことをやらかして、中央都迷宮都市宣言という勝手な演説をぶち上げだしたのだ。
おかげで、その場はもはや俺達の報告の真偽について云々するような状況ではなくなってしまったのである。
「テレビジョンでやってたあれ? おばけビルがダンジョンでしたってやつ。まあ素人映像にしちゃドキュメント形式で面白かったけどさ、迷宮そのものはチラッとも映ってなかったよね」
「う、それは映像に撮れるようなものじゃないですから」
どうやら御池さんも会話する中で誓約の部分を思い出したらしい。
たちまち勢いが萎んでいくのを感じた。
よかったよかった。
結局、終天のびっくり演説の後、唖然としたしばしの時間を経て、俺達の報告はあっさりと認められ、それどころか
これ幸いと、俺は個別聞き取りの場で立場を明かして怪異対策室に連絡を取って貰った。
というか、なんで警察本部に連れて行かれたんだろう? 報告窓口としてはともかく、事実確定してからの話は怪異案件だし管轄違うんじゃないか? いや、俺も中央の組織にそこまで詳しい訳じゃないけどさ。
結果として、街中や警察本部同様、その頃は対策室も上を下への大騒ぎだったようで、連絡しても話がまともに通じるような状態じゃなかった。
仕方ないので正式な報告は後にして、担当になった警官に、迷宮規約文書を埋没したデータの中からなんとか掘り出して貰い、今回の騒動に関わった全員に、迷宮内に入った人の身元やその内部でのことについての口外禁止の誓約文に署名をさせたのである。
これは迷宮踏破者を守るための制度で、迷宮踏破者の情報がオープンになると、その後色々な意味で狙われることとなる。
それらの事態から保護する意味合いのある処置だった。
この署名には術式の強い拘束力があり、話そうとするとたちまちろれつが回らなくなるので、酔っ払って口を滑らせるということもない。
てか、俺が言い出すまで書類探そうともしなかったし、今後絶対増えるだろう需要に備えて組織の意識を変えて行かないと大変なことになるんじゃないか?
それはともかくとして夢のカケラである。
俺がいなくなった後に、残った彼らが夢のカケラを手にしているということは、つまりは俺がいない時に怪異と戦ったということを意味する。
もはや過ぎたこととはいえ、俺は肝が冷えるのを感じたものだった。
だが、それはどうしたのか? と聞いた俺に対して返ってきた返事は、もはや、驚きなどという生易しい事態ではなかった。
彼等が地上から来る連中をバリケードで防ぎ、そこを這い上がってくるヤツをスライムの体液付きのハンカチを巻いた長い棒ではたき落としていたら、上空から羽根のあるデカい虫に襲われ、もはや万事休すとなったそうだ。
しかしその時、急にそれらが動かなくなった。
あの魔法陣の力が丁度及んだのだろう。
間に合ってよかった。
だが、問題はそこではない。
なんと、無力化された怪異を、ユージくんがそこらに有ったパイプみたいなので殴ったらしいのだ。
すんげえ堅いんでやんの、とか文句を言った彼の顔を、俺がマジマジと見つめたのは仕方のないことだろう。
そして、汚染怖くないのか、無茶するなよと言った俺に対して、「なにそれ?」とか真顔で返されてびっくりすることとなったのだ。
前にも思ったが、どうも中央は小学校での教育がうちの村と違うらしく、カルチャーショックが多い。
しかし、いくら地方自治が基本だからって、違い過ぎないか? ……というか、大丈夫か、そんな教育で。
その殴ろうとした時に、伊藤さんはさすがに「危ない!」と止めたらしい。
まあ普通そうだよな。
俺が変じゃないとわかってホッとする。
「それにしても迷宮かー、いよいよ終末の予言が真実味を帯びて来ましたね」
御池さんが精神的な立て直しを果たしたのか、すぐに楽しそうに別口の話題を振った。
なんでこの子等はこんなにタフなんだ?
「あーあれか―、でもあれってさ、典型的な観念誘導でしょ」
佐藤はどうも今は天才モードらしく、終末の予言なるものを鼻で笑った。
「えー、それって、結局ニワトリが先か卵が先かみたいな水掛け論でしょう」
御池さんも負けてはいない。
なんかこういう会話って大学のミーティングを思い出すな。
「とんでもない。人類宗教学を習わなかったのか? 人類は後期宗教では既に集団意識による事象変革に取り組んでいるぞ」
「佐藤さん理系大学出でしょう? なんで宗教学やってるんですか?」
尤もな意見に、佐藤はふんぞり返って答える。
「世の中には通信講座という便利なものがあるじゃないか。知識は貪欲に、だよ」
電化製品の設計とか考えるお仕事の人が何やってんの? 雑学すぎるだろ、あんたは。
紙一重のほうに呆れていると、真の天才のほうがやって来た。
「やあ、盛り上がってるな」
仕事着でもある白衣姿の流が、まるで休み時間に世間話でもするように話し掛けて来る。
この状態で言うのもなんだが、今現在就業時間なんだよな、うちの会社。
「発明博士さん、自分の部署はどうしたんだ?」
嫌味っぽく指摘してやる。
「ここと同じで手持ちぶさたなんだが、俺がいると気が抜けないみたいだからこっちに避難してきた」
「それ、避難と違う」
そんな風に言い合っていたら、
「まあ上司がいると気詰まりだよね」
いきなり、普段影の薄い今年入社の新人くんが空気を読まずに口走った。
おいおい、うちの上司が目前にいるのに何言っちゃってるの?
しかし、空気が読める課長はゴホンと咳払いをしてみせる。
余裕だ。
「その点うちの課長は親しまれているということですね」
お局様がすかさずフォローを入れる。
うん、よい連携だな。
でもきっと課長気にしてるよね。
しかも流に対する嫌味にすらなっている。まあそれはどうでもいいけど。
しかしこないだのユージくんにしろこの新人くんにしろ、我が道を行くって感じだな。
俺も昔はこんなんだったんだろうか? と、またしても考えてしまう。
少しはマシだったらいいな。
「それにしてもあんな大物が自ら顔出しをして人類に挑戦状とか、神話の時代さながらだな」
流が何か腹にありそうな顔でそう言った。
きっと終天が嫌いなんだろう。
うん、わかるぞ、絶対お前敵愾心持ちそうだよな、アレに。
まあ男ならだいたいの奴は嫌うよな、あんなのは。
カリスマ持ちの怪異とか、早く滅びるべきだと俺も思う。
「先生はどう思います? 終末の予言」
御池さんが果敢に流にまで先程の話題を振る。
この恐いもの知らずっぷりは偉大だ。
しかもちょっと頬を染めているのはどういうことだ?
「終末の予言というのはあれか、連合国に終わりの魔獣が現れた時に流行った」
「不謹慎ですけど流行りましたね」
御池さんが同意する。
終わりの魔獣を使ったテロ事件は、当時あまりにも多くの犠牲者が出たので自粛ムードが大きく、そのせいもあって、表では声高に唱える者は少なかったのだが、あの時は色んな刹那的な物が流行った。
当時のうちの大学の先生によると、事件を見聞きしたことによるショックを滅びや死といったマイナス方向の思想に触れることによって緩和しようとする人間の防衛本能による反射的な嗜好の偏重なのだそうだ。
つまり怖いのを紛らわすためにより怖い物を見たいってことらしい。
俺にはさっぱり理解出来ない話だ。
「俺は予言の類は別の意味での危険を感じるから極力目にしないようにしているな。人類宗教のようなある程度コントロールされているものはともかくとして、人が無意識に選択する物の中に滅びとか終末とかがあるのはちょっと怖いからね」
おお、流も天才モードの佐藤と同じ意見なのか。
俺はその手の概念とか観念とかで構築される世界のことを深く掘り下げていくと混乱してしまうので、なるだけ深くは考えないようにしている。
人知れずため息を吐いてしまった俺だったが、ふと温かい気配を感じて振り向くと、伊藤さんがにっこりと笑ってお茶を差し出してくれた。
「どうぞ」
多くを語らずに手渡されたお茶だったが、課長や流より先に俺に持って来てくれた気遣いが身に染みる。
俺がストレスで胃をやられる前に、この騒ぎが終わってくれるといいんだがな。
無理な願いと知りながらも、人は願わざるを得ない時があるのだ。
口にしたお茶は熱すぎず適温で、少しだけ気持ちが休まるのを感じたのだった。
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