46:おばけビルを探せ! その八

 目前の少女の姿の鬼が、まるで幽き巫女が託宣を告げるかのように、半眼となって言葉を紡ぐ。

 実際、彼女には元々巫女の資質があったのだろう。

 そうでなければ、鬼であるはずの彼女の、その特異な有り様は説明が難しい。

 あの、感情がないようにも見える白音という少女は、しかし、人間であった時そのままの自我を保っているのだ。

 本来、怪異に汚染され変化へんげした人間は、なんらかの欲望に特出し、元の人格を歪ませる。

 彼女からは、その歪みが全く感じられない。

 元々歪んでいたという見方もあるかもしれないが。


「この迷宮は、人がビルと呼ぶ建物を参考に造られています。階層ごとに区切られた空間、その間を小さく密閉された部屋と接続させることによって移動する。つまりこの迷宮は個々の層が独立していて、それぞれを各個に攻略出来るのです。但し、下層を攻略してからでないと上層へ上がる資格を取得出来ません」


 ……なんだって?

 俺は相手の言葉をすぐには飲み込めず、しばし考える羽目になった。

 迷宮ダンジョンの常識として一番に挙がるのは、その迷宮のボスである怪異モンスターを消滅させなければ脱出出来ないという点だ。

 なぜならその迷宮は、その怪異の発する想念で形作られた悪夢であるからだ。

 だが、今こいつは各層が独立していると言った。


「それはもしかして、各層ごとにそれぞれボスが存在するということか?」

「そうです。そしてそれらは最上層に迷宮の王であるぬしさまがいらっしゃる限り無限に再生されます。……いえ、もちろん一度の撃破ごとにリセットされ、内部の人間は排出される仕組みです」


 まさか無限に戦わせるつもりかと気色ばんだ俺の顔を読んだのか、白音は最後に言葉を足した。

 どうもよく飲み込めないが、つまり、段階的な強さに対応した迷宮ダンジョンを高層ビルのように積み上げたということか?

 下の弱い層を突破することで、下を飛ばしてその上に直接挑めると?

 それじゃあまるで、上層へ挑ませるために挑戦者を鍛えているみたいじゃないか。

 いや、それはどうでもいい、今大事なのはそんなことじゃない。


「つまりそれは、この階層のボスを倒せば他の連中も外に出られるということだな?」


 俺の言葉に、白音は珍しく戸惑ったように見えた。

 違うのか?


「そう、それで間違いありません。ええ、今はそれでよいのかもしれませんね。ただ、覚えていてください。人は今滅びへと向かっている。この迷宮はそれを止めるための一つの道なのです」

「滅びか」


 俺はその言葉を鼻で笑ってみせた。


「あんたはさ、別に人が滅びようとそれを憂いたりもしないだろ? 借り物の、おためごかしの言葉じゃ相手に響かないぞ」


 吐き捨てるよに言う。

 何を言っても響かないのはこっちも同じ。

 心を持たない、いや、持とうとしない相手に何を言っても虚しいだけだ。


「私には元より我などないけれど、主さまの意思は私の意思でもあるのです。……だから」


 白音は、その儚げな面差しに似合わない、どこか硬質な笑みを浮かべて見せた。


「だから、ちゃんと話を聞いたご褒美をあげよう」


 そして、途中からその声音は男のものに変わる。

 それは過去に何度か聞いた聞き覚えのある声だった。

 つい最近も聞いたよな。


「終天てめえ! 女の影に隠れて覗き見か? 最低だな、相変わらず!」


 ニィと、少女の顔が更に似合わぬ笑みに歪む。


「仕方あるまい、俺を前にして貴様が冷静になれるはずも無いからな。まったく、手の込んだ仕掛けよ。いや、いっそ呪いと呼ぶべきか」


 揶揄するようなその口調に苛立ちが募った。

 その苛立ちは、奴が言う所の呪いの血のせいではなく、俺自身の感情によるところだと俺は信じる。


「……主さま?」


 切り替わった細い少女の声が、何かを確かめるように問い掛けを発し、その問うた本人が頷いた。

 おもむろに、白すぎる程白い手が、その懐から古風な横笛を取り出す。

 それを見て、俺は思わず身構えた。

 巫女の能力と言うものは色々と特殊だが、その最たるものが音による世界への干渉だ。

 その多くの場合は歌や祝詞を用いるが、中には楽器を奏でる者もいる。

 そう、白音は笛によって力を発揮する鬼なのだ。


 白音の吹く笛が、高く低く曲を奏でる。

 その曲は、掴めそうで掴めない不思議な旋律だ。

 そしてその響きで、世界はその貌を塗り替える。


 周囲のビジネス街の風景はそのままに、その雰囲気だけが切り替わって行く。

 先程まで、閑散としながらも、『今』の姿を映していたビル群が、たちまち生気の失せた、崩れた廃墟の姿へと変わる。

 やがて音が途切れると、いつの間にか白音の姿は消え失せていた。


「ち、あの野郎、女の後ろに隠れやがって」


 苛立ちから、足元の地面を蹴りつける。

 連中の干渉が消え、周囲の音や風や匂い、触れた感触が明確になっていた。


「ん?」


 微かにどこかから人の声が聞こえた。

 怪異の誘いの可能性もあるが、先に入った連中かもしれない。

 もしそうなら急がなければヤバイ。

 どう考えても迷宮の中など一般人には長く耐えられる場所じゃない。

 予断を許さない状況だ。

 急がないとな。


 声の方向に走り出す。

 時折そこらの草むらからツタが伸びて来て、腕や足を絡めとろうとするが、面倒だから全部手で弾いて押し通った。

 舗装が割れて異様に盛り上がったそこらの地面が更に盛り上がって、なんかボコボコと変な音がしているが、とにかく全部無視だ。


「うわっ!」

「ひやっ!」


 声というか、悲鳴がはっきり聞こえた。

 どうやら第二製薬ビル辺りか。

 あの辺には大きな駐車場があったはず。


「あっち行け!」


 甲高い声と共に瓦礫の一部とおぼしきコンクリート片が左手の角から飛び出した。

 そこか?

 用心しながらその角を覗き込む。

 そこは業者ビルにありがちの、裏手の搬入口へと続くゲートの跡だった。

 その場所に、錆び崩れた門扉の残骸とコンクリの塊を積んで、急場を凌ぐためと思われるバリケードが出来ていた。

 おお、素人にしちゃあ冷静に対処してるじゃないか。さすがはオカルト好きといった所か?

 その急場凌ぎのバリケードの向こう側に、かの『俺俺』くんと、うちの御池さんの姿を確認してホッとする。

 どうやら大怪我とかもしてなさそうだ。


「ゆきちゃん、投げちゃだめだよ、隙間に詰めないと!」


 その二人の向こうから聞こえて来た声に俺は驚愕した。

 伊藤さん、現実側に抜けたはずじゃ? なんでいるんだ? まさかまたしてもニセモノ?

 いや、ともかく今は目前の状況をなんとかしよう。


 彼らのこしらえたバリケードの前には、初級迷宮の定番とでも言うべき大ナメクジスライムが群れていた。

 生き物であるナメクジと違って、こいつらはうぞうぞと蠢きながら合体したり分裂したりうねったり、なんだかふにゃふにゃした触手をのばしたりと、眺めていると気分が悪くなること請け合いの行動を繰り返している。

 生き物をその体内に閉じ込めて捕食する怪異モンスターであるスライムは、生物にとって最も身近で、そして最も恐れられるものである、原始的な飢えを体現していると言われていた。

 そう言われるのにふさわしく、こいつらは生きてるものならなんでも食う。


「おい! 無事か?」


 声を掛けると、その団子状態のスライム塊がざわざわと波打ってこっちに向き直る。


「木村さん!」

「おっせえよ! 何やってたんだよ! それとうちのさっちゃん見なかったか?」


 伊藤さんの弾んだ声、う~ん、やっぱり本物っぽいんだよな。

 どういう事だ? 連中が嘘を言った?

 いや、怪異ってのは意識して嘘を言うってことはまず有り得ない。

 もちろん人間から変化へんげした連中や、人間を取り込んだ連中はそうとも限らないが、終天には少なくとも嘘を言う理由がないはずだ。

 

「木村さん! 危ない!」


 ひゅん! と、音を立てて、スライムの野郎が細く伸ばした触手で俺の頭を狙って来た。

 それを躱して、先端を曲げて更に襲って来たそれをピシリと弾く。

 そして、ちぎれ落ちた断片を靴底で踏みにじった。

 うん、ちゃんと戦闘用のブーツにしてきて良かったな。

 普通の靴でこれやったら靴底に穴が開いてたよ。

 ジャケットのポケットから手袋を取り出して両手にはめると、特殊合皮独特の硬く突っ張った感触が指を包んだ。


「ちょっとこいつを引き付けてそこから引き離しますけど、こいつがいなくなっても出て来ないようにお願いします!」

「え? 大丈夫かよ?」

「大丈夫ですよ、こいつら足が遅いんです」

「ああ、それは確かに」


 どうやらスライムとの追いかけっこを経験したらしい『俺俺』ユージくんは、なんとなく俺の言葉に納得したらしい。


「木村さん気をつけてくださいね?」


 俺がハンターだと知っている伊藤さんは、俺を案じてくれるが反対はしないようだった。

 てか、やっぱり本物っぽいな。

 う~ん?


 俺はひょいとスライムの鼻先に接近すると、表面が波打つのを確認して飛び退く。

 ぶわっと、まるで水面に大きな何かを投げ込んだかのような飛沫が噴き出し、それがボテッと塊で落ちる。

 そうやって生成された小さめのスライムがいくつも俺を目指して伸びたり縮んだりしながら攻撃して来た。

 鬱陶しいそれらを躱しながら、その誘いを何度も繰り返すと、完全に狙いを変えたスライム群は一斉に動き始める。

 こいつは、目的によってその姿を自在に変える特性を持つ。

 小さく分裂したスラムは大きいスライムと違って素早いのだ。

 デカイのが力押しの形態、小さいのが素早さの形態ってとこだろう。

 細長く伸びたその姿は、まんまナメクジそっくりだ。


 俺は近付いて伸びて来た所を軽く叩いては躱すという、ヒットアンドアウェイ戦法でそいつらをビルの裏手から引き剥がして表側に誘導すると、軽く息を吸い込み、一気に攻勢に出る。

 こいつらへの攻撃を有効打にするには少し工夫が必要だ。

 普通に叩くだけでは分裂させるだけでほとんど効果がない。

 だから、こすり上げるように叩く。

 いわゆる摩擦熱でもって内部を焼くという戦法だ。

 こいつらは、実は案外と熱に弱い。

 と言っても、それは内部の話で、表面は熱も冷気も通さないやっかいなものだ。

 ではどうするか? と言うことで俺が編み出したのが、この至極単純な方法だった。

 外から高速で表面を擦り上げるように殴ることで、内部に熱を発生させるのである。

 まあこいつらは全体に強力な酸を纏っているので、普通にそれをやろうとすると負けるのは人間の側の皮膚になるんだけどね。

 ということで、その際には頑丈なグローブを用意してください、っと。


 ううむ、それはいいけど、この弾け飛んだ後の悪臭はどうにかして欲しいかも。

 ……たまらなく臭いぞ。

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