47:おばけビルを探せ! その九

「くせえ、あんたくせえよ、生ゴミ置き場にでも突っ込んだのかよ?」


 俺俺のユージくんが盛大に顔をしかめて苦情を言う。

 確かに臭いのは同意だが、そういう風に言われるとなんだか不快だ。

 素直さは人の美点とは限らないのだということをつくづく感じる。


「あの、木村さん、この匂いはもしかしてスライムの体液ですか?」


 伊藤さんが何故か真剣な顔でそう聞いて来た。


「あ、はい、そうですけど」

「良かった! あの……」


 伊藤さんはなぜか喜びの声を上げると、なにやら持ち物を探って白い、可愛らしい刺繍入りのハンカチを俺に差し出す。


「これにその匂いを付けて来ていただけませんか?」


 え? ユージくんの感想に難癖付けといてあれだけど、この匂い半端なく臭いですよ? そんな上等そうなハンカチに付けて良いの? というか、ええっと、もしかして伊藤さんって悪臭フェチとかじゃないよね?


「今、……何か凄く失礼な事を考えませんでした?」

「あ、いえ!」


 鋭い!

 そして伊藤さんのじとっとした目が怖い。

 もしかして好感度下がった? ああ、いっそこの伊藤さんが偽者ならいいのに。


「ちょ、何のフェチかしんねえけどよ、勘弁してくれよ! 鼻がへんになっちまうよ!」


 君は本当に自分の気持ちに正直な奴だな。ある意味尊敬するよ、俺は。

 しかしまあ、俺俺ユージくんの主張は当然と言えば当然だろう。


「あたしも、そういう匂いは嫌だな」


 御池さんさえも同意見だし。


「いえ! 違うんです!」


 伊藤さんはあわあわしながら否定した。

 可愛いな。


「父から教わったんですけど、スライムの体液は化け物避けになるって。なぜだかわかりませんが、この周辺、化け物だらけになっているみたいですし」


 なるほど熟練の冒険者の知恵か、さすがだな。

 俺なんかは怪異を避けるって発想がそもそも無かったし。

 聞く所によると、冒険者は未開地で狩りや採掘を行なうのに数ヶ月単位、場合によっては年単位でキャンプを設置したりするらしい。

 だからそういう方面の知識は豊富なんだろう。

 正当派の冒険者というのは侮れない存在だ。


「へえ~でも優香ちゃん、どうしてそんな事詳しいの? 意外」


 あ、やっぱりそこにツッコまれたな。

 そりゃそうだよね、一般的に知られてる知識とは言えないし。


「うちのお父さん、昔冒険者だったから」


 にっこりと、少しだけ誇らしげに伊藤さんはそう言った。

 おお、いつの間にか伊藤さんはお父さんが隠していた冒険者の過去を受け入れたらしい。

 よかったなあ、お父さん。いい家族だよね、伊藤さんのとこ。


「へえ、かっけえな! なあなあ、今度その親父さん俺に紹介してよ!」


 俺俺のユージくん、君少しなれなれし過ぎるんじゃないか?

 だいたい自分の彼女と離れ離れの状態なんだから、そっちをもっと心配してしかるべきだろ。


「そっか、そう言えば伊藤ちゃんって帰国子女だもんね。大学入る直前に帰化したんだっけ?」

「ううん、お母さんの籍に入ってたから元々国籍はこっちだったの。ずっと海外だったから義務教育を受けそこねただけで」

「へえー」


 俺も心中でへえーと感心しながら、思わぬ情報取得に御池さんに感謝をする。


「それじゃあ、ちょっと行って来るか」


 そうは言ってみたけど、本当にいいのかなあ。

 真っ白いハンカチからは実にいい匂いがして、俺が触れるのさえ悪い気がするんだけどな。

 かつて感じたことのない種類の罪悪感を覚えながら、既に元の形が崩れて消滅し掛かっているスライムの体液にハンカチを浸した。


 伊藤さんは、俺がそうやって精神的苦痛を乗り越えて作成した悪臭を放つハンカチを、どこからか拾って来たらしき棒に括りつけ、バリケードの一画に設置した。

 しきりに自分の手の臭いを心配そうに嗅いでいるのが可愛い。

 うん、でも、まあなんだ、間違いなく伊藤さんにも移ってると思うぞ、その臭い。

 そんな悪臭から距離を取りつつ、俺俺のユージくんがバリケードを解体しようとし始めていた。マズイ。


「ちょい待て。今周辺を確認したが、ここは危険が低いようだし、とりあえずここに待機していたほうがいいと思うぞ」


 なんとか止めないと。


「なんだよ、ちょっと化け物が出たぐらい大したことねえだろ?むしろ謎が深まったじゃねえか。スライムだっけ? こんな化け物滅多に見られ無いぜ! カメラ班が来て現地レポとかやってみろよ! たちまち人気者だぜ、俺ら。そうとなったらどうしてこんな風になったのか調べてみないとな」


 ある意味すげえよお前、思ったより肝が座ってるな。


「いや、後続は恐らく来ないぞ」


 俺は出そうになる溜め息を飲み込んで、なんとか苦手な説得に努めることにした。


「どうしてですか?」


 俺の言葉を聞きとがめて、横合いから御池さんが恐る恐るという感じで聞いて来る。

 こっちは一応怖がっているのかな?

 いや、安心は出来ない。

 何かに傾倒している人間はヤバいからな。

 なにしろ呪術魔法系統の大家である某国から国家機密を趣味のためだけに盗み出す変態とかいたし。

 想像の外の行動をやらかす輩だ、油断は禁物だろう。


「御池さん、その通信装置を試してみました?」

「え? あ、そっか」


 どうやら今迄思い付かなかったらしい。

 必死に逃げ回っていたのだろうから仕方ないよな。


 逃げるのに邪魔だったのか、首に掛けていたヘッドセットを再び耳に装着すると、御池さんは本体サイドにあるデザインロゴを何度か触った。


「アロー、愛マイ、マスター、聞こえますか? アロー?」


 暫くマイクに向かって確認を撮り続けていたが、やがて御池さんは強張った表情で首を振ってみせる。


「全然通じない。それどころかノイズも入らないの。こんな事今迄無かったのに」

「通信装置の故障じゃないのか? ちょっと貸してみろ」


 俺俺のユージくんが御池さんからヘッドセットを取り上げた。

 今更だけど、年上に対しての態度がなってないなこいつ。

 まあ仲間内の遠慮のなさなのかもしれないけどさ。


「スイッチ切り換えの音はするから壊れてはいないと思うけど」


 不安そうな御池さん。

 こういう時こそ押せ押せ理論である。


「それに」


 俺は畳み掛けた。


「周りの様子が変だとは思わないか? いくらなんでも一日でこんな風にはならないだろう?」


 何しろ昨日まで通っていた仕事場の周辺だ。

 いくらなんでもこの廃墟化は異常すぎると分かるだろう。


「それは私も思っていました。でも、無能力ブランクの私にも同じように見えているんですからこれって幻想じゃないんですよね」


 伊藤さんが不安そうに言う。

 そこは俺も困惑してるんだけどね。

 いや、迷宮自体は人間が仮に作る幻想の迷宮と違って実体化した本物だから、無能力者でも囚われることはある。

 しかしだ、あの白音の言葉を信じるなら、この迷宮に入り込むには元の場所に被せた幻影を通過しなくてはならないはずなのだ。

 つまり通路が見えていた人間は、そもそも迷宮に入れないということになる。

 まあ、今それを言っても仕方ないし、情報の出処について話す訳にもいかないが。


「あまり知られて無いことなんだけど、実は本物の迷宮は実体化した怪異と同じで、無能力の人でも認識出来る物なんだ」


 どういう拍子かわからないが、ともかく入り込んでしまった以上、無能力者であっても迷宮の脅威は平等に降り懸かる。

 ここは覚悟を決めて貰わないと却って危険だ。

 迷宮という物についてちゃんと話しておくしかないだろう。


「おいおい、まさかここが迷宮だって言うのか? 有り得ないだろ! だってここは結印都市なんだぞ? そういう人外のモノに対しては世界で一番安全な場所だろう?」


 ヘッドセットをしばらくいじって諦めたらしい俺俺のユージくんが俺の言葉にすかさず噛み付いた。

 でもその気持ちはわかるよ。

 俺もね、ちょっと前まではこんなこと有り得ないと思っていました。

 専門家なのにこんな体たらくなんだから、この件に関しては君を馬鹿にすることは俺には出来ない。


「しかし、他にこの状況の説明が付かない。迷宮っていう存在は、空間としては独立しているんだ。だから内部から発生したとすればそこに怪異が入り込むのに結界は何の障害にもならない」


 さすがに白音や終天のことを明かす訳にはいかないから、ここは申し訳ないが自然発生の迷宮という線で、俺の推測として押し通すしかないだろう。

 根拠としては弱いが、実態を体感してるせいで説得力はあるはずだ。


「そんな、嘘だろ……あ、さっちゃんはどうしたんだよ! あいつ一人だけはぐれたんだとしたら!」


 ここの危険性を本格的に認識したせいで、自分の彼女が危険だということに思い至ったのだろう。

 ユージくんは、一度止めた手をまたバリケードの一画に掛けて、抜け出すための道を作ろうとし始めた。

 男としては正しいが、生き残るためには無茶な行動だ。

 今時は都市部に住むほとんどの人が怪異の脅威を遠いものと思っている訳だが、迷宮の危険については、むしろ昔より周知が進んでいると言っていい。

 おそらくは、その在り方がドラマティックに人の目には映るのだろう。

 迷宮をテーマにした架空の物語や映画などが世には溢れている。

 しかも真偽入り交じっておかしな風にデフォルメされた知識がばら撒かれているので、どこをどう誤解しているのかわからないという始末の悪い状態になっているのだ。

 その辺の教育が上手くいってないのは、一重に迷宮踏破者が極端に少ないことに所以するのだろう。

 出来立ての初級迷宮ですら、踏破される物は世界中で一年に二桁あるか無いかだ。

 ある程度年季の入った迷宮など、踏破記録として確認された物は片手に余るという惨憺たる状況なのだ。

 人が迷宮に対して抱く感情は、絶望に他ならない。

 俺は断固として彼を押し留めた。


「とにかく君達は出来るだけ安全地帯を作って待っていて欲しい。おばけビルの噂が出てからの期間を考えれば、ここはまだ初級も初級の迷宮のはずだ。やりようによっては攻略出来なくはないと思う。だけど、それは怪異に対抗するための知識を持たない人間を同行していては無理なんだ。知っての通り、迷宮は攻略さえしてしまえば中の人間は全て開放される。頼む、ここは俺にまかせてくれないか?」


 この説得の成否に全てがかかっていると言って良い。

 彼らを連れて階層支配怪異エリアボスと戦いになど行けはしない。

 どう考えても途中で絶対に誰かの犠牲が出るだろう。

 それどころか、下手をすると、いや、まず間違いなく全滅する予感がある。


「あんた何様だよ! さっきからああしろこうしろとか! 何もかもわかったような事とか言っちゃってさ! ここが迷宮だ? 冗談もほどほどにしろよ! ここは高層ビル通りだろ? 時々遊びに来るから知ってんだよ! 俺はさっちゃんを探しに行くからさ、あんたそこどけよ!」


 心配した通り、ユージくんは納得してくれなかった。

 そりゃあそうだろう。

 俺の言動は色々怪しすぎる。

 俺が彼の立場でも信用しなかったはずだ。


「待って! 待ってください!」


 その緊迫した状況に割って入ったのは伊藤さんだった。


「木村さんのご実家は代々祓い師さんなんです! だからオカルト関係のことをたくさんご存知なんです!」


 伊藤さんの言葉に、ユージくんは驚いて彼女のほうを振り向き、そして改めて俺を見る。


「本当なのか?」

「あ、ああ、そうだ」


 まあ嘘ではない。

 鬼伏せというのは祓い師と言えなくもない。

 祓うんじゃなくて退治なんだけどね。


「あ、そういえば私も噂で聞いたことがある。一ノ宮先生がおっしゃったとか」


 と、御池さん。

 うんうん、そう言ってあいつ俺に厄介事(給湯室の怪現象)を押し付けたんだよな。

 てかこんなことになっている元凶ってもしかしてあいつじゃね?

 全く、持つべきは悪友だよな。ほんとに。

 まあいいや、とにかく今は噂でもなんでも利用するしかないだろう。


「俺は幻想迷宮ダンジョンシミュレータに入ったこともあるんだ。いわば経験者だ。だからここは俺にまかせて欲しい。絶対に全員無事にここから脱出出来るようにするから」

「……全員? さっちゃんもかよ」

「ああ」


 ここで彼女が無能力者だから迷宮には入ってないと言えればいいんだが、伊藤さんが来ている以上、それは何の確証もない話になってしまう。

 だから、俺が責任を背負ってみせるしかない。

 ユージくんは苦悩に満ちた顔をしていた。

 彼は実は凄く真面目な性格なのかもしれない。

 そういえばさっきは自分の彼女に危ない薬を止めさせたみたいな話をしていたし。


「わかった、あんたを信じて待つことにする」


 どこか苦々しい顔で、それでも彼は俺にそう言ってくれた。


「ああ、ありがとう」


 心から俺もそう応える。


「だけど!」


 そう言って、ユージくんは俺を真正面から睨みつけて続けた。


「長くは待たないぞ! 俺は気が長いほうじゃないんだからな!」


 うん、それは見ればわかる。

 だからこそ俺に任せてくれるとは思わなかった。

 最悪、当て身でも食らわせて意識を刈り取る覚悟もしていたのだ。

 俺、加減が下手だからちょっと怖かったんだけどね。

 ふと伊藤さんを見る。

 ユージくんを慰めるようにその背を叩いてる御池さんと違って、彼女は話の最初からずっとまっすぐ俺を見つめていた。

 きっと、彼女のこのまなざしのようにまっすぐな信頼が、他の人達にも伝わったのだろう。

 そうでなければ、俺のような人間の言葉で人の心が動くはずもないのだ。


「それじゃあ行って来る。必ず脱出出来るようにするから」


 伊藤さんは無言でにこりと笑うと、ただ頷いてみせる。


「木村さんすみません。よろしくお願いします」


 御池さんが、自分自身の動揺を押し隠すようにユージくんを宥めながらも、俺にすがるような不安げな目を向けた。


「いいから早く行けよ! 失敗でもしてみろ! 俺は一生許さないからな!」


 うん、なんか段々こいつが可愛く思えて来たぞ。

 デカイ図体してるくせに子供なんだな、やっぱり。


「任せろ」


 俺はそれぞれの思いを受け止めてそう一言告げると、軽い調子で走りだす。

 実を言うと、あの魔物避けがいつまで有効なのか不安でしかたない。

 俺がボスを倒した時に、現実に戻ったその場に現れるのが彼らの無残な姿だったら? いや、姿さえ無かったら?

 考える程に恐怖に支配されそうになる。


 だけど、

 

 伊藤さんのあのまなざしを思い浮かべると、恐れてばかりはいられない気持ちになる。

 あれほどの信頼を裏切る訳にはいかないだろ?

 そして、だからこそ、俺自身も彼らを信頼しなければならないのだと思うんだ。

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