35:終天の見る夢 その四

 今回の件ではどうしても注意しておくべき相手がいる。

 そいつの活動範囲と奴の行動範囲が被る可能性が高いのだ。

 俺はそいつ、流と話しをしておくべく、終業と同時に隣のフロアに突き進んだ。


「こんちは、流は?」

「チーフなら今固まってるので外部情報入りませんよ」


 開発室の一人が馴染んだ笑顔で気安く教えてくれる。

 お互いの部署でしょっちゅうヘルプを出しあって行き来しているし、その一方で部署が違うせいで競争意識がない。

 隣り合った部署同士、下手すると自分の課の同僚より気安かったりするんだよな。

 おかしなもんだと思う。

 ところで、彼の言うところの固まっているというのは、流の状態パターンの内の一つで、何かに熱中していて外界を遮断している状態のことを言う。

 決してフリーズの魔法とかではない。

 流は天才肌の変人らしく、他人から見ると理解し難い状態に陥ることがあり、同じ開発室の人間はそれをパターン化してお互いに囁き合い、災いを呼び起こすのを避けているのだ。


 固まってる、即ち話しても無駄な状態の流は、どうやらクリーンルームではなくオフィス内の簡易ブースに籠っているようだった。

 クリーンルームは出入りに記録が残るし就業時間外に使用すると会社がうるさい。

 なので簡単な実験は手軽に出来るようにと、一畳程度の実験用ブースを流が持ち込んで設置したのだ。

 つまりこれは完全な私物なんだよな。

 太っ腹過ぎる。

 エアカーテン、三十ミリの透明アクリル、全面ガラスの間仕切り、三重に隔てられたその向こうで、微かに事象が揺らぐ。

 どうやら魔術の類が使われたっぽい。


「今度はなにやってるんだ?」


 純粋な好奇心からブース内を覗き込むと、作業台の上ではアームを使って棒状の物を電極ケースの窪みに嵌め込もうとしている所のようだった。

 棒状の何かは一見すると円筒の氷の棒に見える。

 だが、よくよく見ると、メタル系鉱物独特の光沢が表面にあった。


「金属?でもあれ透過してるよな」


 掴んだアームやその物質の周辺には霜が散っている。


「これはもしかして氷結術式?おまけに分子結合に干渉仕掛けてる?」


 術式を重ね掛けしているのではないか?との疑念が沸き起こる。

 術式の重ね掛けは定理術式以外は危険が大きいため禁止されていた。

 ものすごく嫌な予感がするぞ。

 俺は自分の勘に従い、ジリジリとその場から後退した。

 勘をおろそかにすると生き残れないのがハンターの世界である。

 いや、今は関係ないけど。


 一定距離まで下がった瞬間、ブン!と、可聴域に達する波動が、目の前にきらめく光として認識された。


「うわあっちゃ!」


 目前でフラッシュを焚かれたかのように、ショックを伴って感覚の全てを持っていかれてしまい、俺は悲鳴とも雄叫びともつかない声を上げてへたりこんだ。

 あの野郎、また変なこと思い付いたんだな?実験馬鹿めが。

 すぐには立ち上がれない俺に影が近づく。

 目を凝らしても周囲がぼんやりとしか見えない。

 おい!と、喉に力を込めて怒鳴ったはずなのに自分の声が自分の耳に聞こえて来なかった。

 やられているのは喉か耳か、自分の状態を咄嗟に判別出来ない。

 そんな戸惑いの中、目前の影が動き、すうっと体中を清涼な何かが流れるのを感じた。

 それだけで、何事も無かったように身体の全ての機能が回復する。


 どこが悪いかわからないのにそれを回復させる魔術など存在しないので、これはあれだ、あの胡散臭い魔道の波動なんだろう。

 全く非常識な力だ。


「すまん。いるのに気づかなかった」

「そうでしょうとも」


 元より固まったこいつが周囲に配慮するはずもない。

 やばいと思ったら即避難、が合言葉なのだが、俺がうっかり逃げ損なっただけの話だ。

 流は、魔道者ならではの絶対に近い防御のせいで危険に対する意識が低い。

 こいつが未だ実験の巻き込み事故で犠牲者を出していないことこそがむしろ謎なぐらいだ。

 部下達が自己判断で対処しているんだろうな。優秀でなによりだ。

 そしてこいつは自分の危なさを学習せず、いつか起こる悲劇まで延々とそれが続くのだろう。

 いかん、なんか真実味がある想像だった。

 俺は自分の考えにぶるりと身を震わせる。


「兵器でも開発してたのか?」

「まさか、単に電導効率について簡単な実験をやってみただけだよ。本来超電導にならない銀に分子組み替え措置を行って、氷結によって絶対零度とする単純極まりない実験だ。いけると思ったんだけどな。どうも分子配列が安定しなくて超振動が発生してね。ダブルクラッシュで崩壊した分子が周辺に飛び散ってしまったよ」


 言ってることはよくわからんが、とりあえずやりたかったらしいことは見えた。


「電導効率ね、発想はわからなくも無いけど、既存物質以外の超電導実験とか、どう考えてもそんな簡易実験ブースでやるこっちゃないだろ。下手したらオフィスが吹っ飛ぶぞ。そもそも分子を組み替えたらそれは銀じゃないだろうが」

「大丈夫さ、一応物的損傷は及ばないように事前にカバーしているからな。それよりなんだ?用か?」


 物的損傷は無くても俺の神経系にはなんかの影響があったみたいだけどな。

 怖いから深くは考えないが。


「ああ、今日どうだ?俺の奢り」


 酒を煽るしぐさで伝えれば、軽くうなずいて乗って来る。

 こいつ、呑むのが純粋に好きなのだ。


「いいぞ。だけど今回は俺じゃなかったか?」


 奢りの順番を飛ばしたことを気にしてかそう聞いて来る。

 普段大雑把に見えて、こういう所は妙に律義なんだよなこいつ。


「ん、俺の用件なんでな」


 そうか、と応えて、流はのんびりと片づけを始めた。

 見ると、呆れたことに、実験用の簡易ブースには本当に傷一つ付いていない。

 こういう非常識ぶりを見ると、魔導者が一般人との接触を極力避けているのは正しいことのような気がするな。


 ―― ◇◇◇ ――


 賑やかな音楽が暴力的に流れる場末の華国料理店風の飲み屋。

 見た目も中身も良質からは程遠いが、狭い座敷の個室が二つ、いつ行っても大体空いてるので便利だ。


「ちは、座敷使うね」


 ムスッとした主人がムスッとした顔で頷く。

 左右どちらかに顎をしゃくらないのは、どっちも空いてるから好きにしろということだ。

 俺達の他にはカウンターに爺さんが一人、美味くもなさそうに小皿をつついて白い細首の酒を啜っている。

 見覚えがある容器にニヤリとしてしまう。

 あれはとんでもない度数なんだよな。


「注文、俺と同じので良い?」

「あ、ああ」


 ボロっちい店によほど驚いたのか、毒気を抜かれたような顔で流が首肯した。

 無理も無い。

 こいつは普段上品な飲み屋しか行かないだろうしな。

 そもそもこんな小汚い通り自体に近づかないだろう。


「おやじ、ピータンと回鍋肉、酒は軽めの地のやつで二人分取り皿付けて」

「あいよ」


 舌打ちに近い声で承諾を告げられ、俺達は座敷に上がり込んだ。

 古いスピーカーが雑音と共に吐き出す音は、やっぱり古いロックナンバーで、ますますこの店の怪しさをいや増している。


「エキゾチックな店だな」


 おい、その表現は実情からとんでもなく剥離してるぞ。

 いっそ異界のようだ、とぐらい言ってくれたほうが小気味いい。


「場末だからな。だが酒だけはいいんだ」

「そうか」


 セルフで掴んで来た水の入ったコップの曇りを疑わしそうに見た流は、それに口を付けないことに決めたらしかった。

 俺は気にせずに生温いその水をグビグビ飲んでみせる。


「普通華国料理といえば真っ先に麺が思い浮かぶもんだけど、この店は麺が酷いんだ」

「そうか」


 こいつさっきから「そうか」しか言って無いけど大丈夫か?

 自分で連れて来てなんだけど、ちょっと不安になった。

 育ちがいいからなあ、こいつ。


「あんちゃん、上がったよ」


 カウンターの中の主人がぼそりと声を上げ、俺は一度脱いだ靴を再び履いて料理と酒を受け取ると、手慣れた流れでそれらを席に運び込み、揃った所で障子戸を閉め、その席を形ばかりの密室に仕上げた。

 まあ実際は障子には影が映るし声も聞こうと思えば聞けるかもしれない。

 だが、普通に話すのも困難な騒音のせいで、話し声は潰されるし、障子越しに人影を隠して様子を伺うのは無理な話だ。

 結果としてこの店は下手な防音遮光の密室よりプライバシーが守られるようになっている。

 別に密談する訳じゃないけどな。


 流は、怪しげなピータンをひとかじりして手酌で酒を注いだ。


「お?」


 嬉しそうな声。

 どうやら酒は当たりだったらしい。

 よかった。

 俺も無骨な作りのぐい呑みに四角い陶器の容器に入ったその酒を注いでみる。

 いつもはもう少し強めの、さっきのカウンター席の爺さんが呑んでたぐらいのをやるんだが、今日は話がメインなんですぐには酔わないような物を出してもらった。

 というか、実はこれは全く初めての銘柄だ。

 この店は大陸に散らばる華国統治の少数民族に伝わる地酒を色々扱っていて、見たことも聞いたこともない酒を出してくるのである。

 くんと、鼻孔から入り込む香りは果物の酒のように柔らかい。

 だけど、果実酒独特の甘さは感じないし、かといって米や芋の酒ではなさそうだ。

 色はほんのり赤い。

 花の香りに似ているが違う。

 どちらかというと、そうだ、桜の葉の香りに近いかもしれない。

 口に含むと、口の中全体にうっすらと漂う霧のように香りが広がり、喉を降りる柔らかい冷たさがやがてほんわりと熱に変わった。


「うん、いいな。でもこの酒には付け合せの味が濃すぎたかもな」

「いや、そうでもない。やってみろ」


 連れてきたのは俺なのに、いつの間にか流の方が呑み方を指示しようとしている。

 負けず嫌い過ぎるだろ、お前。

 さて、この負けず嫌いの友人に、どう話せば危険を回避して貰えるのか、頭の痛い話ではあった。

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