21:思い出は甘い香りと共に 後編

「それでだね、これが本題なのだが」


 来た来た。

 俺がシュークリームを食べ終えたのを見ると、酒匂さこうさんはいよいよ本命の話題を切り出して来た。


「君は都会のど真ん中、しかも近代ビルの中で迷宮ダンジョンに遭遇した理由を考えたかな?」


 静かで穏やかな口調。

 酒匂さんのそれは、語っているのがかなり真剣な内容というしるしだ。

 俺の迷宮突入体質がどうこうという揶揄的な話の流れではないだろう。


「そうですね。あの辺りは都内でも休みとなれば人が多く集まる界隈です。しかもあのオフィスビルは周辺で一番高い建物でもありました。バベルの塔の例は有名な話ですから、いわゆる煙突効果というやつなのでしょう?」


 煙突効果とは、バベルの塔の研究者が打ち出した理論で、吹き抜けの空間を持つ背の高い建物は、その内外で強力な怪異現象が起きやすいという理屈のことを言う。

 バベルの塔以降、同じことを試みる者がいなかったので、その理論の真偽は未だ確認されていないが、ビルディングのエレベーターでそれが実証される事態になるかもしれないな、と、冗談にもならない話に乾いた笑いが起きそうになる。

 俺の言葉に、酒匂さんは頷くと、コーヒーを口にする。


「そう判断すると言うことは、問題の大元にはとっくに気づいていたのだろう?」


 酒匂さんはどこか疲れたような表情で、話を進める。


「都市を覆う電気的結界は、普通の結界の概念と大きく異なる部分がある。普通の結界はいうなれば排除の法だ。指定した物、又は人を、特定の条件変化から守るための術式で、その対象全体に効果がある。しかし都市結界は違う。あれは結界の名を持つただの壁に過ぎない」


 俺はその言葉にうなずいた。

 つい、言葉の響きに騙されそうになるが、都市結界は壁の発展系なのだ。

 結界そのものは怪異を寄せ付けず、周辺にも及ぶ強大な排魔の力を持つものの、その囲まれた都市の内部は、実は無防備だ。


「施工から五十余年、半世紀以上だ。むしろよく持ったと言うべきだろうな。もちろん政府も予測され得る災害に無策でいるつもりはない。それなりに対応策を講じてはいるのだが、それでもやはり漏れは出る。だが、そんな事態を一般の人々に悟られる訳にはいかないのだよ。人心が乱れればそれだけ怪異の出現率は上がる。パニックにでもなれば更にことは深刻化するだけだ」


 お国の事情はどうでもいいが、要するに結論は明らかだ。


「最近、都内で怪異発生が多発しているってことですね」


 まあある意味懸念通りの話だ。

 もっとも、つい最近まで結界という言葉に騙されていた俺が、ここで偉そうに予測出来ていたとか言えるもんじゃないが。


「そこまでわかるなら私の頼みごとも予想出来ただろう?」


 酒匂さんは背筋を伸ばすと、俺をまっすぐに見て言い放った。


「木村隆志殿、貴君にハンター活動の再開を依頼する」

「ダメです」


 対する俺の答えは決まっている。

 こればっかりは受け入れる訳にはいかないのだ。


「どうしてなのかな?」


 対する酒匂さんは、その俺の言葉に全く動じることなく聞き返して来る。

 ううくそ、これはヤバイぞ。一体どの辺りまで織り込み済みなんだ?


「うちの会社の服務規定に反します。うちの会社、特にうちの部門は副業は厳禁なんです」


 なにしろ開発部門だ。

 服務規定の大前提としては、アイディアや技術の流出を防止するためのものなんだろう。

 まあこの際理由は何でもいい。

 どう考えてもハンターとサラリーマンの両立が出来るはずがないんだ。

 断るしかない。


「なるほど、仕事か」


 酒匂さんのその重々しい口調に、俺は急に不安になって思わず聞いた。


「まさか今の仕事を辞めろとか言いませんよね?」


 そもそも反対だらけの中を押し切って就職したんだ。

 もしそれがどうしても無理な願いなら、その時点で俺の望みは潰されていただろう。

 でも、それが可能になったのは、俺が法を盾に取ったからだ。

 職業選択の自由。

 その国法の前提項、国の大義である部分に記された条項こそ、俺の寄って立つ唯一の頼りだった。

 法に従わせる側が法を無視することは出来ない。

 その理屈を最大限に利用したのだ。

 だが、これが国家の一大事、超法規的措置を発動する事態なら彼らはいくらでも強権を行使出来る。


「まさか、私達は君達に頼る立場なのだよ。それに、私は君を応援してもいる。新しい道を切り開くのは若者の権利でもあるのだからね」


 その、明確な立場の表明にほっとした俺に、しかし酒匂さんは続けて尋ねる。


「だが、君が自分の自由を守りたいなら、どうしてハンター権限を使ったりしたんだい?」


 安心した所に加えられた一撃に、俺は返す言葉に詰まった。

 この話題は絶対に来ると思って最初から身構えていたのだが、こういう流れで来られるとかなり厳しい。

 大体言い訳の出来るような話では元から無いのだ。


「そうしないと同僚とその家族を守れませんでしたから」

「怪異の固定モンスター化か。確かに普通なら現場にいたというだけでも取り調べは免れない所だろうな。しかも無罪放免に成りにくい状況だ。……しかしまあ、珍しいというか、特殊な状況に遭遇したものだね」


 その場にいたというただそれだけで罪に問われる可能性の高いのが固定化した怪異、一般で言う所のモンスター関連の事件だ。

 モンスターが顕現した場合、その場の誰の意識、想いがトリガーになったかが、ことが起こった後ではほとんど確認出来ないというのが大きい。

 怪異の固定化は人類にとって恐るべき脅威であり、それに対する、特に国家側の対応はヒステリックになりがちだ。

 法廷における大前提である、『疑わしきは罰せず』が適応されないのが怪異関連事件の恐るべき所でもあった。

 まあ伊藤さんの家で起こった件に関しては、その場には免許持ちの証言者が俺以外にも二人いたんで、そこまで面倒になることも無いと思えたんだが、ここで、お父さんが元冒険者というのが少し引っ掛かる。

 ハンター自身はともかくとして、ハンター周りの関係者は冒険者に強い警戒心を持っていることが多い。

 純粋な対人戦闘では、実はハンターは冒険者に劣ると言われている。

 ハンターはあくまでも怪異関係に特化した戦いしかしない。

 だが、冒険者は、時に犯罪者を狩ったりもするし、中にはそれこそ犯罪者そのものだったりする者もいるからだ。


 そして、彼らは場合によってはハンターを襲うことがあるのだ。

 ハンターは資格試験を経て得る資格だが、その中に一種独特の特殊免除項目がある。

 勇者血統の者はその受験に年齢による制限が付かない。

 つまり、この血統に連なる者は子供だろうが試験を受けてハンターになれるのだ。

 こんな特例があるのは、主に為政者側の都合によるものだ。

 怪異を倒すために育まれた血統、そこに産まれた者達を一刻も早く現場に投入したいという、常に怪異の脅威にさらされていた頃の必死さが垣間見える特例だった。

 そしてそれが、誰の迷惑になる訳でも無いという理由でそのまま残っている。

 そのため、若年のハンターがいたら、それはすなわち勇者血統である。という図式が出来上がった。


 勇者血統と呼ばれる、対怪異用に代々積み上げられた知識と能力を持った認定血統は世界中に存在するが、その絶対数は実は少ない。

 中にはそういった血統が生まれなかったり、失われたりで、国内にほとんど在籍していない国もあるのだ。

 そういう国、そして一部の好事家達にとって、勇者血統を手に入れるということは、大金と引き換えても惜しくないものらしい。


 まあなんだ、そういう一部の需要を満たすため、子供のハンターを狙って狩る者がいるということだ。

 デビューしたての若年のハンターは、そういう冒険者に狙われやすい格好の獲物でもある。

 そのせいで、おそらく表に出ない歴史に色々あったのだろう。

 ハンターのサポートをする関係者の間では、冒険者と言えば第一級の危険分子なのだ。

 実際、俺たちも子供の頃、冒険者のパーティと狩り場でバッティングしたことがあるが、その時、なんとも言えない目で見られたものだ。

 同じ人間に向けるものではない、物欲の対象に向ける視線。

 今ならそう評することも出来るが、当時はそんなに人生経験など無い身、ひたすら相手の視線が気持ち悪かったことだけを覚えている。

 とりあえずその場では、彼らのリーダーが仲間を制して何事もなく、お互いにとって不幸なことは起きなかったが、最悪な事態も有り得た訳だ。


 当時そのバッテングを知って表情を険しくした酒匂さんによると、島国である我が国では攫った相手を国外へ連れ出すのが困難なため、滅多なことは起きないらしいが、くれぐれも冒険者には注意するように口うるさく言われたものだ。

 その話の時の、「まぁもしそんなことをしでかす連中がいたら、生まれて来たことを後悔するとは現実にどういうことかを経験してもらうけどね」と言った、怖い笑顔が印象深過ぎて、忘れられない思い出となっている。


 そんな訳で、伊藤宅で起きた一件では、対策局に直接連絡してハンター権限で伊藤一家を嫌疑外にして貰ったのだ。


「しかも、重大容疑者の酌量措置申請も出している。天敵たる正統教会の牧童相手にどうした風の吹き回しか知らないが」


 そう言う酒匂さんは笑い含みだ。

 何が楽しいのかわからないが、その笑みは俺を不安にさせる。

 どうも、段々のっぴきならない状態に追いやられているような気がしてならないのだ。


「人間同士で敵対とか無いですよ。俺たちの敵はあくまでも怪異ですからね。それにあのワンコ……じゃなかった、あの彼に関しては、正当な申請です。あの場に彼がいなければ確実に怪我人が出ていました。咄嗟に防護結界を展開した手並みは見事でしたし、そういう手練てだれを長年刑に服させて腐らせるなど人的資源を無駄にするだけでしょう?」

「ああ、君は術系統は苦手だったからな、特に守護は。なるほどね、今回のことの大きさに対して被害が少なかったのはあの正統教会の牧童の貢献もあるというわけだね」

「ええ」


 俺が説明を終えると、酒匂さんはよくわかったという風に深く頷く。


「なるほど、事情はわかった。その状況下では仕方のない判断だっただろうな。……しかしだ」


 そう言って、酒匂さんは俺を憐れむように見つめた。


「君がその存在を声高に主張してしまったもので、もはや、身を潜めるなどということは出来ない事態になっているのだよ。都内に優秀なハンターがいるのならそれを使わない理由は無いだろうとね。拒み続けることが出来ないとは言わないが、そうした場合、私でも、自分たちの保身に必死な一部の者達の暴発を止められるとは思えないのだ」


 最悪だ。

 もう、色々とタイミングが最悪だ。

 都内に怪異の不安が広がりだした真っ只中に自ら名乗りを上げたハンター。

 誰だってそりゃあそいつを使えってなるよな。当然だ。馬鹿でもわかる。


「……もういっそ、無報酬なら仕事してもいいですよ」


 なんとなく投げやりな気持ちになった俺はそんな言葉を吐き出してしまった。

 相手を困らせるだけだってわかっているのに最低な話だ。


「それは、出来ないよ。ハンターを無報酬で働かせたりしたら我が国がハンター達から見捨てられることになってしまうからね」


 酒匂さんは俺の苦悩を理解しているのだろう、まるで自分が責められているかのように肩を落とす。


「そうだ、こういうのはどうかな?」


 やがて、ふとよいアイディアが閃いたとばかりに、酒匂さんは俺に提案した。


「由美子ちゃんが大学の寮に入っただろう?都内だから当然その仕事としては、主に都内の任務に着くことになる。しかも今までサポートとして付いていた浩二君は村に残るから、彼がサポートに付けないし、そうなるとソロでの活動になってしまう。だが、彼女のような術者にはソロは大変だ。そこで、君が代わって由美子ちゃんのサポートに付くようにしてはどうだろう?報酬は君達二人に対して支払われるんだから、その配分は君達二人の間での話になる。そこで報酬を由美子ちゃんに全部渡せばいいのではないかな?そうすれば君の会社への名目としては、家族の手伝いと出来るだろう?」


 なるほど、確かに筋が通っている。

 どこにも問題の無い、全てが丸く治まる提案だ。

 だけどなぜだろう?

 俺はこの提案に一瞬の戦慄を覚えた。

 なにかこう、迷宮よりも恐ろしい出口の無い罠にハマってしまったような、そんな気持ちになる。

 そして、この提案の一番恐ろしい所は、俺はこれを受ける以外どうしようもないという部分なのだった。

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