22:計画的に行動しよう! 前編

 室内には異様な緊張感が漂っていた。

 だが、どうやらそう感じているのは俺だけらしく、俺以外の二人、特にプレッシャーを感じるべきであろう当人は、全く何も感じている様子もなく、至ってリラックスしている。

 緊張感の中心地、テーブルの中央には、中くらいの平皿があり、そこに一個のシュークリームが鎮座していた。

 俺が手土産に持参した二個の内の残り一個であり、現在の俺のストレス元でもある。

 そう、俺は現在進行形で激しい葛藤にさいなまれていたのだ。

 取るべきか取らざるべきか……。


 だが、そんな俺の内心など全く考慮もしない男は、無造作にそれを掴んで口に入れた。

 しかも、あろうことか大して味わうこともせずに、たった二口で口に押し込み飲み込んでしまったのである。


 許しがたき暴挙だ。


 だいたい、なんで妹との面会に他人が割り込んで来るんだ?

 意味がわかんねえよ!


「素晴らしいですよ。平安の世に鬼を薙ぐように退治たと言われるあの英雄の直系のお二人にこうしてまみえているなど、まことに夢のようです」


 顔合わせからこっち、ずっとこの調子で全く肝心の話が出来ないし。


「ユミ、友達を作るなとは言わないし、むしろ積極的に作って欲しいぐらいだが、もうちょっと相手を選んでくれるとお兄ちゃんは嬉しいな」

「違う、友達じゃないから。教授の助手の一人。付け加えるなら英雄フリーク」

「なんだ?その牛乳かけて食うと美味そうなのは」

「フレークじゃなくてフリーク。教授によると熱狂的なファンってことらしい」

「なるほど、要するに理解しようと思っては駄目な相手か」

「そうだね」


 相も変わらず我が妹の説明は簡潔過ぎて詳細がわからない。

 しかし、ようやく相手の正体がおぼろげながら判明した。

 なぜこの場にいるのかはわからないままだがいっぺんに全部を説明させようというのがどだい無理な話なのだ。

 もういっそ放置して二人で話を詰めようかとも思ったが、さすがに部外者を横に置いてハンターとしての内々の話はまずいだろうしな。困った。


「あの……」


 いっそ面倒だが外出届けを出して外で打ち合わせをするか。


「ええっと、お二人共、聞いておられます?」

「なんだ?食い物の価値のわからないやつ」

「兄さんは昔から洋菓子類を一個の芸術だと思って崇めているんです。それを粗末にされると、その相手は怪異と同等の存在とみなしてしまうぐらい」


 ちょ、由美子さん何言ってるんですか?

 いくらなんでもそこまで極端に菓子にこだわってねえよ!


「わ、私はなんということを!いくら好きな研究に没頭して来たとは言え、人としての道を踏み外すとは!」


 由美子の見当違いの断罪に、男は頭を抱え、崩れるように椅子から落ちると床に伏して嘆き出した。

 どんなノリのよさだよ。

 呆れた俺の眼前で、その男はいきなり姿勢を正し土下座をすると、涙ながらに訴え始める。


「知らぬこととはいえ、いや、知らぬ内にやったからこそ、そんな外道に墜ちては、もはやこの世に生きてはおられません。それに、名高き木村の鬼伏せに成敗されるならいっそ本望!どうぞ一思いにお裁きください!」


 ナニコレ怖い。

 俺は妹に縋るような視線を向けた。

 だが由美子は、無情にも自分は紅茶を飲んで視線を逸らしてやりすごそうとしている。

 なんでだ!元はと言えばお前が連れて来たんだろ、これ。


 俺は大学の寮にいる妹に面会に来て、来客用の応接室で久方ぶりの再会を果たした。

 本来この面会の目的は、この間俺のアパートの部屋に、今や政府のお偉いさんとなった古馴染の酒匂さんおかしのひとが尋ねて来たことからの面倒事の処理に当たる。

 酒匂さんの説得でハンターとして活動する妹の由美子のサポーターとして動かざるを得なくなってしまい、その打ち合わせと、なんだか疎遠になりつつあった妹との関係修復を兼ねたものだ。

 それなのに、なぜか妹と二人きりのはずの来客用の応接室に、変な男がくっついて来ていたのが現状である。


 そして、手土産のシュークリームは当然二人分しかなかったのに、この変な奴が俺の分をご高説の合間に何の断りもなく食いやがったのだ。

 しかも無感動に。

 考えれば考える程腹が立ってきた。


「やっぱり外に行くか?外出許可が必要なら記入するぞ」


 到底この眼前の男の相手をする気になれないので、完全に無視して由美子に聞く。


「外泊じゃないなら許可はいらない。大丈夫だよ」


 あ、そうなんだ。

 俺の時は尋ねて来る相手もいなかったから、外泊と外出をごっちゃにして覚えていたんだな。


「あの……申し訳ありません。そうですよね、ご迷惑でしたよね。わざわざ外に行かれる必要はありませんよ。私が失礼致します。真に申し訳なく」


 床に這いつくばっていた男は、俺たちの会話に慌てたように立ち上がると、ペコペコと頭を下げ、追われるようにドアからまろび出た。

 しかし、出たは出たんだが、尚も外からドアを僅かに開けて涙目でこちらを窺っている。

 うっとうしい。


「なんなんだ、アレは?」

「だから言った。英雄フリーク。教授によるともっと症状が進んでストーカーに進化するのもいるとか」

「それって犯罪者予備軍ってことか?」

「実際、勇者血統関係の誘拐事件に個人で関わるのはああいう病気持ちが多いと聞いてる」


 由美子の言葉に、思わずドアのほうを睨み付けると、まだ開いている隙間越しに必死で首を横に振っているのが見えた。

 その内、ガツン!と鈍い音が聞こえ、ドアがゆっくりと閉まる。

 どうやらあんまり振りすぎて、ドアノブか何かに頭をぶつけたらしい。

 もし気絶したがドアに倒れ掛かっているのだとすると、出るのが大変そうだな。


「取り敢えず変態のことはこの際置いておくとして、打ち合わせの本題なんだが、まず、お前はどのくらいの頻度で依頼を請けるつもりなんだ?」


 やっと本題に入れるとほっとした俺だったが、由美子はじっと俺を見て返事をしない。

 これは何か納得がいかないことがあるという合図だ。

 しかしな、そういうのは口で言うべきだと思うぞ。

 俺達家族が悪かったのかもしれないけど、お兄ちゃんはお前の対人関係が不安でならないよ。


「なにか言いたいことがあるのか?」


 由美子はこくんとうなずくと、俺を真っすぐに見て言った。


「正直、兄さんは今回の話を断ると思っていたの。大学進学や就職の時、誰が何を言っても聞かなかったでしょ。あの時、兄さんは何もかも捨てて行くんだと思った。それなのに、今こうやってハンターに復帰するなんて、どういうつもりなの?」


 おおう、妹よ、なんか言葉遣いが浩二に似て来た気がするぞ。

 う~ん、それにしても俺も若かったとはいえ色々強引だったよな。

 親父やおふくろ、ジジババはともかくとして、妹や弟を不安にさせてしまうなんて、駄目な兄貴だよな。


「俺もあん時は意固地になってたからな、言うべきじゃないことまで口走った自覚はあるんだ。だがな、別にハンターの仕事を馬鹿にしたり軽んじていた訳じゃないんだぞ?ただ、職業選択の自由が万人に認められている時代に、それしか出来ないみたいに縛られるのはおかしいと思っていただけなんだ」


 俺も意地になって強引に何もかもを推し進めてしまった。

 あの頃の自分を思い出すと、なんていうか怒鳴りつけてやりたい気分になる。


「わかった。兄さんは節操無しなんだね」


 自己嫌悪に陥りかけていた俺は、その由美子の言葉に、もう少しでお約束のように紅茶を噴き出しそうになった。

 いや、ちょっと、いくらなんでもその言い様はなんか違わないか?


「いや、待て、違う。というか、俺は違うつもりだ。実はだな、ここの所望まずに怪異関連の事件に関わることがちょくちょくあって、それで思い知ったんだ。結局さ、手の届く所に自分の身に着けた技能で何とか出来そうなことがあったら、何もしないより解決のために動いたほうが楽なんだよ。ハンターとかエンジニアとか関係無くって、出来ることをやらないのは気持ちが悪いんだ。だからどうせ関わるなら立場をすっきりさせておいたほうがいいだろ?そう考えるようになってさ、それで今回の話を承諾した。知ってるだろ?俺は昔っから何も変わっちゃいないよ。いい格好しいで、本当は嫌なことは見ないふりして、楽なほうに全力で突っ走ってるだけなんだ。そりゃあ確かに意思薄弱と言われればそうかもしれないけどさ、節操無しとか言われるとちょっとヘコむというか、ユミにそういう風に思われると辛いな」


 由美子は、少し考えるように俺を見ると、


「そうなんだ。それなら安心した」


 にこにこと笑顔になってそう言った。

 いや、笑顔は凄く可愛いけどな、今、俺、何か安心出来るような話をしたっけ?

 兄として非常に情けないぶっちゃけ話をしたような気がするんだが……。

 お前時々何考えているかわからないよな、我が妹ながらさ。


 ふと嫌な気配に振り向くと、ドアの隙間から変態男が涙にむせびながら何かを称えるように親指を立てているのが見えた。

 イラっとした。

 何かわからんが、変態が喜んでいるのを見るのはこんなにムカツクものだったんだな。

 俺の戸惑いはたちまちの内に怒りへと変換された。


 ドカッと足でドアを蹴り飛ばす。

 ドアの向こう側で、先程より鈍い音が響いた。


「兄さん。その人まだ何もしてないんだから殺っちゃったら罪になるよ。でも、もし打ちどころが悪かった場合は、私が蟲でしばらく操って証拠隠滅してあげるけど」

「いやユミさん。そういう考え方は怖いからやめようね」


 俺ももうちょっと感情的にならないようにしないとな。

 俺のこういう短絡的な行動のせいで、由美子もちょっと変わったものの考え方になっちゃったのかもしれないし。

 廊下の気配はちゃんと息がある。

 俺だっていくらなんでもいきなり人殺しはしないぞ。


 俺達はそのまま応接室のソファーに戻ると、仕事の取り決めについて詳しい話し合いを再開したのだった。

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