6:妹を毒牙から守ろう
サラリーマンの朝はそれなりに早い。
何しろ通勤に会社まで徒歩三十分と電車で十五分、合計四十五分掛かる。
それに俺は自炊派だし、会社には自作弁当持参だ、といっても中身に凝るようなことはしないけどな、いや、昨日まではしなかった。
なので食事の支度諸々に三十分は必要だ。
余裕を持って四十分という所か。
そして我が社の始業時間は九時、余裕を持って八時四十五分ぐらいには到着しているのが望ましい。
そこから逆算すると七時二十分には起きなければならないのだ。
俺はギリギリに時間に追われて何かをやるのは嫌いなので目覚ましは七時にセットしている。
と言っても、俺はいつも目覚ましのベルが鳴る前に起きるんだけどな。
友人に言わせると神経質なんだそうだ。いや、どう考えても違うと思うぞ。
「さて」
普段は狭いながらも仕切りをオープンにして二部屋続きで使っていたので、蝶々さんが半分になった部屋を窮屈そうに飛び回るのを申し訳ない気分で眺めながら、起きて布団を畳んで顔を洗って米を砥ぎ、炊飯器をセットする。
鍋にお湯を沸かし、もう一方のコンロでフライパンを熱して油を引き野菜を炒め、そこに溶き卵を入れてかき混ぜ、それに塩で簡単に味付けした。
卵とじ風野菜炒めだ。いつもより量は多め、これは弁当用なので少し冷めるのを待つ。
その間に弁当箱を用意するのだが、とりあえず俺のはいいとして、妹のは当然無い。
仕方ないので生来の貧乏性で捨てずに取っておいたおかずパックの簡易トレーを用意した。なんでも取っておくものだな。これでまた俺の貧乏性が加速するぜ!
鍋のお湯が沸いたので、だしの素を入れて野菜の残りを投入、その後野菜炒めを弁当とトレーに盛り、空いたフライパンでソーセージを炒める。
炒めたソーセージを弁当とトレーに突っ込んだ頃に鍋に味噌を投入。
その後大活躍のフライパンに卵を二個割り入れて目玉焼きを作り、朝食のご飯と味噌汁目玉焼き付き完成。
「ユミの奴、まだ寝てるのか?」
妹の寝ている部屋からカサリとも音がしない。
あいつ現役学生だろ?俺が学生時代はもっと早く起きていた気がするぞ。
いや、きっと遠出して慣れない部屋で寝て疲れてるんだろうな。うん。
「ユミ、お~い。ユミさん?」
む?寝返りの気配。起きた?
「ユミちゃん?おはよう?」
返事なし。
「ユミ、朝だぞ、飯が冷めるぞ~」
「ご飯は何?」
おお、起きたか?
「目玉焼きと野菜の味噌汁と白ご飯」
「味噌汁に卵落として」
「卵二個は多くないか?」
「良いの、育ち盛りだから。でも眠いから後から起きて食べる」
育ち盛りってお前十八だろ?成長期終わってないか?良いのか?太るんじゃないか?言ったら怒るから言わないけどさ。
しかし、よく考えたら夜中に到着したんだよな、そりゃ眠いか。
「あ~じゃ、温めなおして食べるんだぞ?それから鍵をテーブルに置いておくから外出する時はちゃんと施錠してくれよ。一個しか無いから無くすなよ?」
「ん、わかった」
おかしい、物わかりがいいぞ、大丈夫か?寝ぼけてないか?
不安だが、それ以上どうにもならないし任せることにする。
俺は自分の分の味噌汁を椀に注ぐと、残った鍋に卵を落とし沸騰させない程度に弱火で加熱した。
味噌汁に入れた卵を固めるのって結構難しいんだよな。
テーブルに鍵を残して部屋を出たのは良いが、年頃の女の子を一人で残しているんだから施錠せずに出掛ける訳にもいかない。
しかし、合鍵は作ってない。こんなことなら面倒臭がらずに作っておくべきだったな。
俺は素早く左右を確認すると今から部屋の鍵を掛けますよという感じに扉の前に立った。
もちろん防犯カメラの類はこの廊下には無いので大丈夫だ。
この手のことは苦手なんだよな、浩二や由美子はもっとスマートにやるんだが、俺はもうほぼ力技である。
意識をぎゅっと絞るとそれを右手に集めた。扉の冷たい感触、空気の流れ、気体と固形物の感触の差をゆっくりと消していく。
ふっと『境界』が消えた感覚を掴んだと思った瞬間に腕を突っ込み扉を透過させ、指先だけ意識を通してノブにあるツマミを捻った。
意識の集中を乱さないようにそっと腕を引きぬく。
昔は何度か途中で集中を乱して、透過対象の物体を内部から破壊するという間違った技術に発展させた俺だが、既に職業人として細かい作業を行うことに慣れた集中力に乱れは無い。社会人の風格だな。
どうやら、扉は無事のまま、鍵だけを掛けることに成功した。
やったぞ、俺!あんまり使わなかった技だからまともに成功したの、これが初めてかもしれん。
はは……社会人の風格だよな?うん、そういうことにしておこう。
「へえ、妹さんがね」
「念のため実家に連絡してみたんだが、妹の心身の保護を厳しく念を押されたのみで俺へ事前連絡が無かった件への謝罪は一切無しだった」
「それだけ信頼されてるってことだろ」
「お前、うちの実体知ってる癖にどの口が言うかな?」
昼休み、会社の休憩室になぜか設置してある盤上サッカーゲームで競いながら俺は流に愚痴を零した。
「いやいや、家の風習とかそういうのは置いといて、長男ってそういうものじゃないか?」
「そういやお前長男じゃないんだよな」
「ああ、上に兄と姉がいるよ」
「だから甘ったれなんだな」
「ほう?」
「あっ、くそっ!」
うちのDFの駒の脇を抜いて、流のFWの駒がボールをゴールへと叩きこむ。キーパー反応出来ず。フェイント上手すぎだろ、こいつ。
「今度はこっちが抜いてやる!」
「君は力技過ぎるんだよ、仮にも頭脳職なんだからもう少し考えて動くべきだろ」
「馬鹿か、お前相手に下手に考えて動いて勝てるもんかよ」
「君は賢いのか馬鹿なのかわからないな、ホント」
「こういうのは勢いも大事なんだよっと」
無謀なロングシュートを打ち込む、当然のようにディフェンスされるが、跳ね返ったボールをディフェンスごと押し込む。
一度クリアするためにバーを捻った状態から戻すのに僅かに時間が必要だ。その股下を抜いて、ボールはゴールへと入った。コンマ何秒の攻防である。
「な?」
流の眉がぴくりと動いた。こいつ、普段はいかにも淡々としている風に装っているが、とんでもない負けず嫌いで頑固者だ。
そりゃあそうだよな、そうじゃなきゃ格式高い実家の反対を押し切って自分の決めた道を突き進むという無茶は出来ないだろうし。
たかがゲーム、されどゲーム。それから俺達は昼休みのほとんどを費やして勝敗を決した。
まぁ勝敗は時の運だからな。負けることもあるさ。うんうん……。
……くそが!顔も頭もよくて金もあって家柄もよくて女にモテモテの上にゲームに勝てたからと言って驕るなよ、ボケェ!
なんだ、あの駄目な弟でも見守るような生温い笑顔は!
と、俺が憤っている真っ最中に、
「そういえば、お前の妹さんの名前を聞いて無かったな」
などとほざいた流は思いっきり間が悪かったといえよう。
そう、結果として俺は無言でやつの腹に拳を叩き込んだ。半ば本気で。
「ぐっ!……が」
腹を押さえてそのまま倒れる流。開いた口が何かを言いたそうに動いたが、それは言葉にならずに意味不明の音になる。
「きゃー!」
「社内で殺人事件が!」
「木村、とうとうお前やっちまったのか」
最後になんか言った奴、とうとうってなんだ、とうとうって、……後でシメる。
「流、お前のような女ったらしに妹を紹介すると思うか!てかてめぇ自力で
実の所、攻撃がそのまんま通ったことで俺もちょっと焦った。
こいつは例の時計でもわかるように色々と守護の小物を身につけているのだ。当然暴力を振るえばカウンターが来る。と、思っていた訳だ、俺としては。
俺の言葉が終わるか終わらないかで流から超高周波の波動が放たれる。
これは魔導者独特の波動で、これが外向きに放たれる場合は攻撃が来るということだ。
大概は感知してから動いても避けられない。魔導者半端ねぇ。
当然今回は内向きなので癒しに使われているんだろう。しかし魔導者の体の仕組みってどうなってるんだろうなぁ。
「ふう」
流は大仰な溜息を吐くと立ち上がった。
回復はええな。
「身の回りの防犯システムの対象からは君を外している。使い捨ての護符もあるし、頭に血が昇りやすい馬鹿相手に無駄にするのは勿体無いからな」
「馬鹿で悪かったな、馬鹿で!」
流はニィっと笑うと、溜め無しの左フックを俺のアゴ目掛けて繰り出した。
けっ、優等生のヘナヘナパンチなんざ軽く避けるぜ。と、思った俺の体がぴくりとも動かない。
何ィ?と思ってる間に俺のアゴに野郎のパンチがヒットした。
しまった、さっきの癒しに紛れてなんかやりやがったなこいつ。
「俺は借りは作らない主義でね。きっちりお返ししておくよ。ちょっと足りないだろうけどその辺はオマケしておいてくれ」
「いってぇ、俺はお前と違って癒しとか使えねぇんだぞ」
「癒せるからといったって痛くない訳じゃない。さっきは本気で死ぬかと思ったよ。君はアレだな、力加減という物を知るべきだ」
「ちゃんと加減したぞ!」
「残念な見解の相違だな。そもそも俺は子供に興味はない。君の心配は杞憂だ」
「へぇ、子供ね、ところで流先生的に女子大生は子供でしょう?大人でしょう?」
「ふむ」
一瞬考える馬鹿男。もはやそれだけで答えは十分だ。
「微妙だな」
「死ねや!」
ブンと振り上げた拳は空振った。
一歩を離れた流に追撃が出来なかったのだ。おのれ、まだ動けないのかよ!
「てめぇこら、これいつ解けるんだ」
「大丈夫、十分程度だ」
「昼休み終わるだろ!」
俺が吠えるように抗議すると、
「木村さん、お仕事さぼって遊んじゃ駄目ですよ」
「ったく仕事ちゃんとしろよ」
「給料泥棒か、ふっ」
等と同じ課の連中が温かい励ましのお言葉を残して休憩室を後にしていく。
別の課の女子社員が廊下から俺の方を見て何やらクスクス笑い合って楽しそうに通り過ぎた。
「じゃあ、そういうことで」
「てめぇこら!流!流先生!ちょっと、おい!」
結局俺は無人の休憩室に昼休み終了後五分ぐらい一人立ち尽くす羽目になったのだった。
戻った俺を課長がギロリと睨んだのは余談である。
くそっ、誰もフォローしてくれなかったのかよ、世の中は無常だ。
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