5:妹急襲

「おまえ、こんなのが怖いのかよ!そんなんでお役目なんかやれんのか?」


 少年達は各々手に持ったガマ(怪異に接触したカエル)やクチナワ(怪異に接触した蛇)を少女に押し付けていた。


「やめて!やめてよ!」


 彼らより一回り小さい少女は半泣きになりながら拒絶の言葉を吐いている。

 俺は「またか」と思いながらそこに駆け付けた。


「こら!何やってんだガキども!」


 俺の姿を見ると少年達はニヤニヤ笑いを更に大きくしながら、それでも素早く撤退していく。

 うん、さすがに逃げ足が早いな。


「鬼タカシが来たぞ!」

「まぁた兄貴に庇われてんの!バーカ!」

「タカシ!これ食うだろ!プレゼントな!」


 口々に言いながらくだんのガマやクチナワとかを投げ付けて撤退する少年達。

 誰が食うか!!ボケが!生でこんなもん食ったら腹壊すわ!……多分。


「にいちゃ…」


 俺の服の裾を掴んで少女が呟く。そのか細い声で、啜り上げながら悲しげに訴えた。


「あいつらに根腐れの呪を掛けても良いよね?」




「ダメだ!ユミ!」


 がばあっ!とばかりに勢い良く起き上がると、目前に今の今まで眺めていた少女が急成長した姿があった。

 何かを手にしたまま驚きに固まる姿はどこか滑稽だが、その手の『何か』は少し物騒なモノだった。

 チキチキというか、ギチギチというか、そんな怪しげな音を立てて蠢いている複数の細い足。

 全身を鎧うヌメヌメとした黒っぽい外殻と、哺乳類とは全く違う身体構造を見せ付けるように細かく分かれた全身の関節でグネグネと動いている。

 いわゆる虫だ、しかも人の頭程もあるようなデカさの。


「兄さん、おはよう?」

「言いたい事は一杯あるが、とりあえずそれを仕舞いなさいユミ」


 妹よ、兄ちゃんは凄くびっくりしたよ。


 俺は冷静に冷静にと、脳内で唱えながら妹を隣の部屋に追い出し、布団を畳み、顔を洗って歯を磨いた。

 ここまで終えてから時計を見るとまだ午前3時だった。

 うん、俺、全然冷静じゃなかったね。

 コーヒーメーカーにフィルターと豆をセットしてスイッチを入れる。

 これはうちの会社製のやつで、コーヒー豆をセットするとその場で挽いて淹れてくれる優れものだ。もちろん粉から淹れることも出来る。

 コーヒーの香りには脳を活性化させる成分があると物の本で読んだことがあるが、そのおかげか、それを嗅いでいる内に俺の意識も覚醒したようで、それに伴って精神もなんとか安定を取り戻した。

 そのまま妹が座ってテレビジョンを眺めている部屋へと足を運ぶ。


「で、なんでこんな時間にお前が家にいるんだ?」

「兄さんが酷いから」


 おおう、取り付く島もないってやつか?さっきからニコリともしないぞ。


「酷いって、お前さっき俺に蟲を憑けようとしてなかったか?」


 そう蟲、怪異に触れて変化した虫だ。

 うちの妹は使い魔を使役するタイプの破魔師である。

 破魔師ってのは何かというとうちの家業だ。怪異を滅するのがそのお仕事。

 んで使い魔というのはその細かい仕事をサポートするいうなればツールのようなモノだ。

 単純な怪異に術式という名のプログラムを上書きしてその命令通りに動かして使う。

 蟲は小さい物は米粒より小さく、大きい物はちょっとした小屋程あるのまで様々なタイプがいて、使い勝手が良いのだが、相性があるらしく使える者と使えない者がいる。

 その適性が高いのが今目前にいる妹であり、全く適正が無かったのが俺だ。


 蟲には様々な使い道があるが、それを人相手に使う場合、憑かせて操ることが出来たりする。

 外道技として禁じ手ではあるが、ちゃんとそういうものが技として伝わっていたりする油断ならない我が家であった。


「だって、蟲を憑ければ兄さんも素直に帰ってくるでしょう?残念だわ」


 いや、蟲を憑けた時点でそれ俺の意思じゃねぇし、むしろそれは俺じゃねぇよ!見掛けが俺ならどうでもいいのか?妹よ。


 うちの妹はヤバイ。

 何がヤバイかっていうと物凄く可愛い。

 可愛さ加減を例えると満月や朝日が綺麗だったりするのと同等に可愛い。万人が認める可愛さだ。

 そんなに可愛いもんだから家族全員が総出で可愛がった。

 妹に手を上げる家族はいなかったし、何をしても怒って怒鳴ったりする事も無かった。

 その結果、妹の性格はなんかヤバくなったのだ。

 まあ可愛いからいいんだけどな。


「いいか、ユミ。蟲を人間に憑けちゃ駄目だ。習っただろう?蟲を憑けた時点でその人間は怪異に侵される。元の人格は破壊されてしまうんだ」

「だって、兄さんはもう元の兄さんじゃないじゃない」


 な、何だって!俺はいつの間にか違う人間に入れ替わっていたのか!って違うから、兄ちゃん泣いちゃうぞ?


「俺はずっと俺のままだ何も変わってないぞ」

「嘘、兄さんは今まで私が泣いて頼めば絶対にうんって言ってくれたじゃない。それなのに家を出る時はどんなに泣いて頼んでもうんって言ってくれなかった。あの時私の兄さんは死んだの」


 殺すな!

 いや、殺さないでください、お願いします、妹よ。


「どうしても譲れないことだってあるんだ。俺は別の可能性に賭けたかった。お前だって今から他の道を選べるんだぞ。何もかも親の決めた通りにやる必要は無いんだ」


 由美子は俺の言葉にスッと表情を消した。

 今までのどこか拗ねたような表情はまだ可愛げがあったが、その顔には鋭利な殺気じみた気配が漂っている。


「私に別の道なんて無いよ。兄さんだってわかってるはず。要領が悪くて弱虫でいつも他人の顔色を見ながらビクビクして、それでもたった一つだけ人より適正があったのが術式を使って使い魔を使役する能力だったんだもの。それ以外の価値なんて私には無いの」

「何言ってるんだ!」


 流石にこれは聞き逃せない。

 こいつどんだけ家族に愛されてるかわかってないのか?

 うちの家族で一番ぞんざいに扱われてたのって俺じゃないか。


「お前は大事な俺の妹だし、うちの家族の誇りだぞ!古代呪を読み解くのは得意だし応用印も作ってたりしたじゃないか。それはお前が頭がいいってことなんだ。頭がいい人間はどこだって歓迎される。お前はもっと自信を持っていいんだよ。それになによりお前は可愛いから誰からも愛されるぞ、大体弱虫なんて決め付けるのはおかしい。慎重さは時に弱さに見えるし、勇気なんて普段は見えるようなもんじゃない。普段勇気があるように見える奴なんてほとんどが蛮勇を見せてるに過ぎないつまらない奴だ。本当の勇気ってのはもっと見えにくいもんだと俺は思うぞ」

「兄さん……」


 柄にもなく説教じみたことを言ってしまって、現在進行形で物凄く恥ずかしいが、その甲斐があって少しはその心に響いたのか、由美子はうつむいてそう呟いた。

 そして唐突に胸元から小さな細い竹筒を取り出す。


「ありがとう、やっぱり兄さんは兄さんだった。これはもうしまっとくね」


 そう言ってウゴウゴしているデカイ蟲を細い竹筒にシュルンと仕舞った。

 ちょ、お前、まだそれ仕舞ってなかったの?隙を見て憑けるつもりだったんだね?お兄ちゃんは哀しいよ。

 蟲の大きさと竹筒の大きさが合ってないが、そもそも怪異という物は肉体を分解したり構築したり出来るのが基本的な能力なので、大きさというのはある程度能力の範囲内で自在に変えられるのがデフォだ。

 高位の使い手ともなると髪の毛一本程の隙間に使い魔を仕込んで呪として放ったりも出来たらしい。

 いや、今はそういう呪法は法律で禁止されているんだけどね。

 やっちゃ駄目だよ、妹よ。うっかりやりそうでお兄ちゃんは怖いです。


「そ、それでお前なんでうちに来たんだ?学校はどうした?」


 どうやって鍵の掛かった部屋に入ったか?とか無駄な質問はしない。

 こないだの浩二にしろこの由美子にしろ、封印もされてない普通の鍵なぞ無いも同じなのだ。


「学校は冬休みだし、私は今年受験だよ」


 なんだと!

 俺は慄いた。まさか実の妹が受験生であることを忘れてたなんてどんな甲斐性のない兄貴なんだ。

 てか由美子は大学行くんだろうか?うちの家業からすれば別に大学とか行く意味が無いと思うんだけど。


「大学行くのか?そりゃあすごいな、俺はてっきり高校卒業したらそのまま家業を継ぐのかと思ってたよ」

「うん、私もそのつもりだったけど、文部省の奨励官って人が中央の古道学部で勉強すると仕事に役に立つって言うから」

「え?政府の役人が直接来たのか?凄いじゃないか?何かで賞を取ったりしたのか?」

「封印符の解析助手をやったからかも?うちに依頼が来て地脈の一部を使った術式の解析と解呪の手伝いをしたの。なんかその時の先生が大学の偉い先生だったみたい」


 ほう、とするともしや推薦入学か?そりゃあ凄い。

 なんだ、それで他に能が無いって落ち込んだりしたら研究者目指してる連中が怒り狂うような話だぞ。

 それに研究者になれば実地で戦闘する必要も無いし、安全でいいんじゃないか?


 俺は心からの笑顔で妹を祝福した。


「良かったな!ユミ!お前の才能が認められたんじゃないか。お兄ちゃんは鼻が高いぞ、職場でも自慢しちゃうかもな」

「えっ、そうかな、そんな、凄いこと?」


 今までの暗い様子が一転して、由美子はモジモジと赤くなって照れ始めた。

 思うに家族からは進学についていい顔されなかったんだろう。

 何しろ下手すると戦力が一人減ることになるし、うちの一族って学問とか今一馬鹿にしてる節がある。

 それでもお国の要請ってことで断り切れなかったってのが本当の所だろう。


「私も兄さん達のように強くなれるかな?」


 やっぱりお前の価値観はそこか、田舎の因習の業の深いことだよな。


「ユミは十分凄いよ。俺なんか呪を解呪するの苦手だからいっつも真正面から食らってたし、浩二だってお前程深度の濃い怪異を解することなんか出来ないだろ?」

「でも兄さんは呪なんか気にしないじゃない」


 はっ、また暗くなりかけてる。

 あんなにチヤホヤされて育ったのになんでこんなに劣等感が強いんだろう?

 そのくせ我儘を通す術は心得てると来てるし、いったいどこで間違えたのかなぁ。


「気にしないのと影響が無いのは別の話だ。ちゃんと俺は痛い目を見てる。だからもうああいうのは嫌なんだよ。俺には向いて無いんだ」

「それは違う。兄さんは間違ってる!」

「待て、ユミ。その話はもう終わりだ。俺はもう選んだし、それは変わることは無い。その話をするんだったらもう帰れ」


 心を鬼にして断固として宣言する。

 ここで情に流されては大変なことになると思ったからだ。

 既に社会的基盤を築いている現在、今更家業を継ぐ継がないの議論からやり直すつもりはさらさら無いのだ。


 由美子はまたもムッとした顔に戻ったが、そういう顔は先程の暗い顔よりずっと可愛げがあるので全然問題ない。

 うん、うちの妹は可愛いな。


「じゃあ、その話はやめるけど、実は今日はお願いがあって来たの」

「お?なんだ受験のサポートか、これでもそこそこ顔が利くぞ言ってみろ」


 田舎から中央に受験に来るんじゃ勝手がわからなくて大変なのは間違いない。

 安くて安全なホテルとか、そういうのに詳しい友人もいるから兄貴面しても大丈夫だ。


「うん。あのね、受験の間、兄さんの部屋に泊まらせてください」

「ぶっ」


 俺のそのときの反応は、あまりにもありきたりで悲しいぐらいだが、俺は飲みかけていたコーヒーを吹き出した。

 ゲホゲホと言いながらタオルを引っ張り出す俺の後ろで、由美子が真剣な口調を崩さずに言い募る。


「兄さんの寝室は隣の部屋だから、私はこっちで寝ればいいよね」

「よくない!ちゃんとしたホテルに泊まれ!」

「なんで?兄さんの部屋があるのに無駄にお金を使うことはないよ。勿体無い」


 くっ、浩二といい由美子といい、お前ら勿体無いブームか?

 ちょ待て、いくら妹でも年頃の女の子、しかも受験でピリピリしてる時に同居とか、俺の繊細な神経が持たないぞ。


「いや、受験ってのは神経を使うもんだろ、しかもお前お年頃じゃないか、いくら兄とはいえむさい男と一緒の狭い部屋で生活とか無理だろ?」

「何言ってるの、昔はみんな大部屋で一緒に寝てたし、部屋なんか分けたことすら無かったじゃない?今更気にするようなことじゃないよ。もし彼女でもいたら遠慮するつもりだったけど、全然その気配は無いみたいだし」


 くう、俺に彼女の居ないことがすっかりバレバレだ。

 そりゃあ、彼女がいるような部屋じゃないよな、殺風景だし、食器も殆ど無いし。


「だ、だが……」


 俺は何か理由を見付けようと必死で頭を絞った。

 しかし、何一つ出て来ない。


「それとも兄さんは私の顔を見るのも嫌だった?」


 上目使いでじっと俺の顔を見る由美子。

 くっ、これはいつもの手だとわかっているのに、どうにもこの攻撃を躱せない。


「い、いや、そうだな。確かに別に宿を取るのは無駄だよな……」


 嗚呼、俺の馬鹿。

 精神的にノックダウンをした俺は、立ち上がれないままテンカウントを意識の奥で聞いた。


「ありがとう。暫くの間お願いします、兄さん」


 下げた頭を持ち上げた時、由美子の口元に怪しげな笑みが浮かんで見えたのはきっと幻だろう。


 頭上では蝶々さんがパタパタと空間を移動していた。

 その羽音はまるで俺を慰めるように優しく響いたのだった。

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