2:カラクリ仕掛けの蝶々は舞う
玄関のスイッチを入れて微かな光が灯ると、途端にパタパタという微かな音が聞こえた。
「ただいま、蝶々さん」
2DKのごく普通のアパート、社宅扱いで家賃は6万円。俺ぐらいの年代の男の一人暮らしには十分過ぎる城である。
流なんかはもっとマシな住居に移れとか言うが、あいつの感覚に合わせてたら破産する。絶対にだ。
何しろ将来の為に地道な貯蓄もしているのだ。まだ見ぬ可愛い嫁さんと我が子よ、俺は頑張るよ。
元々大家族で生活していた俺にとって一番こたえたのは実は孤独だった。
ぶっちゃけて言うと誰も迎えてくれない家という物の物悲しさにヘコみそうになったのだ。
といってもペットとか飼う訳にもいかず(アパートはペット禁止だ)その代わりといっちゃなんだが、フルハンドメイドで作ったのが部屋をパタパタと飛び回るこの蝶々さんだ。
実は何気に俺の初めての完全オリジナル作品でもある。
白雲母の薄い羽と有機発光体と極軽量の光源電池、そして基板となる水晶針チップとセンサーを組み込んで作った単純な蝶の
これは照明が灯ると舞い始め、センサーを使って障害物を避けながら金色の淡い光を纏ってふよふよと飛び続ける。
記憶野に簡易守護陣形を入れてあるので、障害物にじゃまされない限りはその光で守護陣を自動的に張ってくれるという、セキュリティ機能もあるなかなか優秀で可愛いカラクリなんだ。
だから、別に生物相手でも無いのに名前を呼び掛けるという不毛な行動をしても変じゃあるまい?変じゃないさ。うん、変じゃない。
なにより、ふよふよしているこいつに話し掛けると寂しさを感じないで済むという特典もあるのだ。というか、そもそもはそのつもりで邪魔にならない電子ペット代わりに作ったんだよな。
貧乏性が災いして、なんか実用本位の感じになってしまったが。
このパタパタという羽の動きには俺の今の職種に至る根源的な記憶が反映されてもいる。
俺が小学生の頃、うちの学校にカラクリ師なる人物が訪れて実演イベントをやった事があった。
羽ばたき飛行機なる物を皆で作って飛ばしましょうという、ごく単純な工作イベントだ。
だが、割り箸と輪ゴムと針金と障子紙という身近な物を使って、鳥のようにとはいかないまでも自力でパタパタと飛ぶそれは、幼い俺の心を鷲掴みにしてしまったのだ。
単純明快な性格の持ち主である俺は、将来の進路をその時決めたと言っても過言ではない。
暴力と怪異に塗れた生活をしていた俺にとって、科学と文明という純粋な人の知恵の結晶であるカラクリなる存在は、輝かしい光の道のように思えたのだ。
ふよふよと、しかし俺の行動を妨げない距離感で周囲を飛び回る蝶々さんを眺めてそんな過去の感傷を思い浮かべていると、脱いだ上着のポケットに硬く重い物を感じた。
「あ、そうか。流から預かったんだったな」
セキュリティコードは既に打ち込み済みなので、いきなり攻撃的防御陣を展開することは無い。
だからこそ安心して調べられるが、このメーカーのウォッチは分解しにくいことでも有名だ。
とりあえず風呂場の換気扇を回し、その間に道具を用意する。
今までも度々この手の依頼は受けたので専用の道具を揃えてあるのだ。
「おっと、今回はモノがモノだから念を入れないとな」
俺は新しい透明のゴミ袋を取り出すと、それも携えて風呂場の換気扇を切り中へと入った。
ちょっと寒々とした狭い風呂場に作業台と椅子と可動式ライトを持込み、新しいゴミ袋を開いてその中に作業用具一式を展開する。
精密部品には埃が禁物なので、専用ルームの無い自宅では普段から湿気が多い為埃の少ない風呂場がその代わりなのだ。
更にビニール袋内での作業は念の入れすぎな気もするが、馬鹿高い新品の時計だ、そのぐらい気を使ったほうがいいだろう。
裏蓋を外すと、小さく緻密な部品が重なり合っているのが見える。
その様はまるで一つの芸術品のような美しさだ。
実を言うと、部品を組むという作業は俺の仕事的には専門外の部分で、アマチュアの趣味の領域である。
そんな未熟な身で、このような一級品のプロの仕事に手を触れるということには一種の罪の意識さえ感じてしまう気持ちも確かにあった。
だが、その一方で、人の知恵が創り上げたカラクリという仕組みの素晴らしさに直接触れられるという高揚感も確かにある。
その双方は矛盾しているようで俺の中で混ざり合い、下手をすると、倒錯的と言われるような喜びを感じながら、俺はそっと竜頭を抜き取った。
腕時計の部品という物は、蓋を外しただけではひっくり返してもバラバラにはならない。
この竜頭によって全ての部品が纏められているのだ。なんともはや、凄い仕組みである。
竜頭を抜いたら注意してブレスレット型の枠から中身を外す。
このブレスレットの防御陣はオフにしてあるとはいえ、なんとなく心臓に悪い。何しろ軍で使われるような物だからちょっとびっくりするとかいうような可愛らしい物では無いのだ。
ドキドキしながら基本的な解体を終え、いよいよ心臓部に当たる水晶針まで上に被さった部品を剥がして行く。
機械の部品というよりまるで装飾品のように磨き抜かれ、細かく加工された部品の奥に、隠された宝石のように鎮座しているのが水晶針機関、通称振動部だ。
その名の通り、それは針のように細い水晶を何本も並べて敷き詰めた部品で、ほとんどのカラクリの心臓部にあたる重要機関だ。
そして、これの取り扱いこそが俺の本職でもある。
およそこの世界のあらゆる物には固有の波動があり、それは一定条件下において互いに干渉する。
その原理を利用して動力としたのが、現在のカラクリの心臓部であるこの仕組みだ。
波動はもちろん人間にもある。
通常、条件が揃わない限り、生物の波動と非生物の波動は干渉し合わないものだ。
それはいわゆる波長の長さが違うからなのだが、世の中にはこれが規格外の人間がいる。
全てに干渉する波動を持った人間。魔導者だ。
彼らは意識してあらゆる物に干渉して影響を与える力を持っているが、その一方で無意識状態でもあらゆる物に干渉しているのだ。
そのせいで水晶針動力と相性が悪く、常にある種のシールドか専用の調整を必要としていた。
つまり、流はその魔導者であり、このウォッチをそれ用に調整しなければならないということだ。
ちなみ世界の真の権力者のほとんどはこの魔導者である。
通常、彼らはカラクリ式の装身具を購入する場合は、その店に赴いて調整するか(いわゆるオーダーメイド)、職人を呼んで調整する(いわゆるチューンナップ)のだが、実家からほぼ勘当状態の流の場合そういう訳にもいかず、安上がりな友人の俺に毎回頼んでいるという次第だ。
ん?あれ?もしかして俺、利用されてるだけ?
いやいや、あいつがそんな常人の考えるような思考をする訳がない。
何しろマッドサイエンティスト一歩手前の変人なのだ。そんな常識的な利益を追求するような男なら、そもそも実家から飛び出して発明家になろうとか考えないから。うん。
一時的に友を疑った事に罪悪感を感じつつ(といっても別に親友とかじゃないけどな)、俺は気合を入れ直してその綺麗に並んだ水晶針機関を眺める。
美しい。
さすがは一流メーカーだ。全ての針が均一で、その波形にブレがない。
この波形を測るのは専用の器具もあるのだが、一部の先天的な視界の持ち主はそれが実際に見える。
いわゆるオーラ眼と言われている視界で、実は人類の半数近くはこれを持っていて、見える才能はあるのに伸ばしていないので見えない場合が殆どだ。
まぁそれはそれとして、俺は裸眼で見えるタイプなので、そのまま視界に透明な揺らぎを見ることが出来る。
水晶は最も他に干渉しない波動なので、(ダイヤモンドもそうだが、価格的に利用しにくい)細かいカラクリのエンジン部は殆どがこの水晶針だ。
細い針状の水晶を何本も重ねるのは動力幅を上げるための仕組みで、あらゆるエンジンは基本的にこの作りに準拠している。
そんな水晶機関だが、干渉波動を持つ魔導者たる流の奴が、その身につけた状態で本来の精度で動かすには補助が必要だ。
そう、この調整を行うのが俺たちエンジニアの仕事なのだ。
細かい砂金粒を吸引手というスポイトのようなツールで一粒一粒を摘み上げ、針の一本一本に乗せる。
本来、この2つの物質はそれぞれ鉱物であり、混ざり合う事は無い。
だが、世界に思い込ませる事によって、それを可能にするのが精製と呼ばれる技術だ。
この原理には世界という物の構造が深く関わっている。
世界は多様存在の思考によって
もちろんそれは個人のだけでも、人間種族だけのものでもない。
この世界に在る思考する全ての物の思考が世界を成している。
概念理論というやつだ。
この概念は時折局地的に変動することがある。
で、その概念を狭い範囲で変えるのが精製という技術であり、それを使ってチューニングは行われる。
難しく言ってみたが、もう殆ど詐欺師の世界なんだよな、
これには才能は必要なく、ひたすら訓練で身に付ける。
『理屈は後から付いて来るんだ!』ってのが教官の言でした。
「さてと」
集中する。
言の葉は俺から出て世界に溶ける。
それは波のように広がり、そこに閉ざされた場を作る。
「“水晶はすなわち水の結晶、水は全てを受け入れる。黄金はすなわち陽光のカケラ、全ての物に恵みを与える”」
簡単だが、定文化された精製式。
世界を揺らがせるその揺らぎの中で、水晶針は砂金の粒を受け入れた。
この僅かな波動の上乗せが、流の魔導に干渉されないギリギリのラインだ。
「よしっと」
上手く定着したのを確認すると、もう一度手早くウォッチを組み直す。
これで頼まれ仕事は終わりだ。
ぐったりした俺は、せっかく風呂場にいるにも関わらず風呂に入る気力も無くし、ベッドに転がり込む。
パタパタと軽く綺麗な羽音を響かせる蝶々さんが頭上で紋を描く中、手元のスイッチで灯りを消した。
やがてベッドサイドのテーブルの上に置いてある花の蕾の形をしたスタンドがゆっくりとその花弁を広げ、蝶々さんがそこに舞い降り、羽の色が銀色に変わる。
「おやすみ」
しかし、なんだ。
カラクリ相手に挨拶するような生活はやっぱり不健全かもしれないな。
吸い込まれるように眠りに落ちながら、俺はぼんやりとそんなことを考えたのだった。
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