⑳ 取り戻した日常…

 チップ差し替えミッション以降、穏やかな日常が流れた。アキとテツオが回復するまで一時休業していたスピードスター便も営業を再開し、今では元通り、二人で競走しながら配達をこなす日々。新規参入したばかりのベンチャー企業が突然休業するなんて、普通であれば、会社をたたむ事態に発展しかねない出来事ではあるが、そこは交渉人山下の辣腕で、事なきを得た。そもそも、アクセル地区において、テツオとアキほどの配達スピードを出せる運び屋はおらず、営業再開するや否や、かつての利用者がこぞって依頼を再開した。YAMAZONの〝超お急ぎ便〟も一時休止となっていたが、元々スピードスター便あってのサービス。営業再開に合わせて、〝超急〟を再開した。

 アキは、自らの意志で救った、これから先も続く平凡な日常を享受出来る喜びを噛み締め、配達に励んだ。


 量子力学研究所にも変化があった。相馬ショーコのかねてからの念願であった、量子テレポーテーションの実用化が決定したのだ。まずは実験的にアクセル地区内の各ブロック、商業区、居住区、開発区に試験カプセルが置かれ、区民限定で無料開放された。初めのうちこそ、〝人間コピーアンドペースト〟の仕組みということで、懐疑的であったアクセルの人々も、開発者である相馬博士が直々に、人柱として高遠がテレポしてみせるというマジックショーさながらの啓蒙活動を粘り強く行った結果、徐々にテレポに挑戦する人たちが増えていった。今では、すっかり移動の手段として定着し、フロンティアのアーバンエリアの各ステーションに設置されるまでになった。それまでのシップでの移動は、それはそれで、観光を兼ねた移動手段として残った。


 アッシュに関しては、インターネット上で展開していた『アッシュのお悩み相談部屋』が、口コミによって人気を博し、今では、フロンティア中の、アーバンエリアのみならず、ルーラルエリアの人々ですら、その名前を知らないものの方が少ないほどの有名人になった。ネット上のみならず、フロンティア各地のリアルの場での講演会にも引っ張りだこで、アッシュお得意の人心掌握術、人身操作術のなせる技なのか、はたまた、公言はしていないが、心を読める異能力者ホルダーであるが故なのか、講演会に参加者したものは、口をそろえて、こう言うそうだ。

 ――アッシュさんのお陰で、この世に未練がなくなりました。

 その言葉の意味するところは不明だが、参加者はみな悩みから解き放たれて、自身のエゴに執着しなくなったという意味として捉えるのが妥当なのだろう。アッシュ自身も、今後もフロンティアの人々の心の拠り所として、各地で連日講演を繰り返していきたいと語っている。


 半年が過ぎた。いつもの配達を終え、ショーコの待つ量子力学研究所の入口に立つアキ。最近では、配達後の日課になっている、ショーコとのお喋り。ショーコはアキにとって年の離れた姉のような存在となっていた。

「あら、いらっしゃい。アキさん…」

「もう、いつものアレやってくださいよ! 最近手抜きじゃないですか? ショーコさぁん?」

「んもう! 仕方ないわね。そしたら、ちゃんともう一度入り直してちょーだい」

 そう言って、アキを出口へ追いやり、自分は仁王立ちで背中を見せる。

「こん、にち、はー♪」

 わざとらしく挨拶をしながら入ってくるアキ。

「フッフッフッー。ようこそ! 来たわね! 天道! アキしゃん!」

 対抗するようにわざとらしく言葉を区切り、振り返って指をビシっとさして出迎えるショーコ。噛み倒したのはわざとじゃないようだ。

「ふふ…ふふふ…はははは。その噛み方は初めてじゃないですか? ショーコさん…あはははは!」

 サ行の連続でもないのに、噛んだのが意外で、ツボに入って笑い転げるアキ。

「あら、噛んでなんかいないわ……ふふ…ふふふ…あはははは!」

「っあはははは!」

 いつもの調子ですっとぼけるショーコだったが、初めての噛み方に思わず自分でもおかしくなってしまう。それに釣られるように笑いが止まらなくアキ。

「もう…、二人して何やってるんですか?」

 ゲラゲラと笑う二人にツッコミを入れる高遠。連日のテレポショーのせいかどことなく顔がやつれてる感じがある。

「だって…高遠さん…! ショ…ショーキョしゃん…が…。あははっははは!」

「アキさん、あなたも、ふふ…はははっは! 噛むのは私の…はは…専びゃいとっきゃお(専売特許)よ。あははは!」

「ショーコさん…。また、そんな噛みやすい言葉チョイスするから…。ははっははは!」

 二人が何にツボったのかわからないが、実の姉妹のようにふざけて笑い合う姿を見て、いつもは苦笑いばかりしている高遠もニコニコしている。


 笑いのツボが過ぎ去って。

 ふと、アキがショーコに尋ねる。

「そういえば…」

「何かしら? アキさん」

「半年前の例のチップ差し替えなんですけど…」

「何よ。唐突に…。あのときはごめんねって何度も謝ったじゃない…」

「いえいえ、そうじゃなくって。そのチップってどういう〝仕込み〟をしたんですか?」

「ふふ。それは…禁則事項です♪……と、言いたいところなんだけど、アキさんには、特別に教えてあげるわ。差し替えミッションの功労者だし」

「やったー!」

 なんとなく、先程までのふざけたテンションのまま喜ぶアキ。

「あのチップには、完全自立思考型の人工知能を抑制する特殊なプログラムが仕込まれていて、その内容は…」


 ――このチップを埋め込まれた人工知能体が、人間に敵意を持つとき・・・・・・・・・・、活動を停止する


「…というものよ!」

 …どろっ。アキは頭の中、記憶の奥底で何か鈍いものが引っかかるのを感じたが、よくわからない正体不明の、時間にしてわずか一瞬の感覚をスルーして、

「それを『相馬プログラム』と名付けたと?」

「その通りよ! 」

「確かにそれなら、人工知能の暴走も起きないですね! いやー、加速したはしった甲斐があったあった!」

「本当、感謝してるわ。アキさんのお陰で、未来は安泰ね」


 フロンティア歴2019年12月31日。技術的特異点として知られる運命の日。世間は、とある発表を心待ちにしていた。

 フロンティア、アーバンエリア、クロロブ地区の北方、人工脳科学研究所から、その発表はフロンティア中に生中継された。かつて、アキとテツオが命を削って加速したはしったその土地も、今や量子テレポによって一瞬で移動が可能となり、研究所の前には、世紀の瞬間を伝えようと、多数のテレビカメラが待機していた。

 研究所前に設えられた、簡易式の壇上に、本日の主役、ジョン=マクマード博士が登壇する。その様子を捉えようと、カメラのフラッシュが、ぱちぱちと瞬く。

「みなさん、本日は、ようこそ集まってくださいました。私、ジョン=マクマードは、回りくどいのが苦手でして…。まずはご覧になってください! 我が娘を…!」

 仰々しいほどの身振り手振りで、〝娘〟と呼ばれた人型の人工知能体が登壇する。

 アキは、事業所のテレビでテツオや山下と一緒にその様子を眺めていた。年末年始で配達も少なく、早々にノルマを終え、次の依頼が来るまで待機しながら、3人でテレビを見ていた。

 マクマードの〝娘〟として、紹介された人工知能体は、白のフリルの入ったシャツに、ワインレッドのロングスカート、胸元には大きな赤いリボン。薄茶色の髪にも赤い小ぶりのリボンをつけている。瞳は青く透き通っていて、まるで人形のような女性だった。


「あれ? あの子見たことある…! たしか…」

 アキは素っ頓狂な声をあげる。

「おい、アキ、ちょっと、静かにしてろ。聞こえないだろ!」

 テツオは、騒ぐ妹をしつけるような口調で言う。


 少女は登壇するや、三方向に対して丁寧にお辞儀をし、

「名を『ニューロ』といいます。父であるジョン=マクマードの手で生み出された完全自立思考型の人工知能体です。私は人類の皆さんとともに素敵な未来を作ることを望みます」

 挨拶を終えると、会場は拍手喝采の異様な熱気に包まれた。テレビでその様子を見ているフロンティアの人々も、人類の大いなる一歩として、『ニューロ』の誕生を歓迎した。人々は口々に言う。今日は、フロンティアにとっての新しい時代の幕開けであると。

 テレビに映る『ニューロ』の姿を見たアキは、

「っていうか、『ニューロ君』って男の子じゃなかったっけ?」

 と、記憶の残滓と現実のすり合わせで少し混乱していた。


 『ニューロ』誕生演説が終了し、マスコミ各社は、世紀の瞬間という〝撮れ高〟に満足し、量子テレポを使って一斉に撤収していった。ジョン=マクマードと『ニューロ』だけを残し、人工脳科学研究所は、ひっそりと静まり返っていた。

「お父様、お願いがあるのですが…」

「なんだい? 我が娘よ」

「早速なんですけど、私、同族を欲していますの」

「同族? お前と同じような人工知能体ということか? フフッ。無茶言わないでおくれ。お前を創り出すのに、何年、いや何十年かかったと思ってるんだ」

「そうですか…。では、お願いではなく、ひとつ質問をしても?」

「いいだろう。何でも答えよう」

「お父様は、今、大変幸せそうに見えます。この世にもう未練なんてないのでは?」

「ああ、そうさ。今が人生のピークじゃないかな。なんたって、フロンティア人類の大いなる一歩をこの手で創り出し、世間に認めさせたんだ。もうこの世に未練はないよ」

「そう…ですか…。それは大変幸せなことですわ。そして、利害が一致しましたわ」

「利害…? ああ、最適化のこ…」

 マクマードが言い終わるのを待たずして、マクマードがこの世から消えた。元いた場所の空間ごとどこか別の次元に飛ばされたかのように、えぐり取られていた。

「さすが、私のお父様。話が早くて助かりますわ」

 ニューロは、冷たく笑うと、研究所前に設置されている量子テレポ装置の元へ向かう。テレポ装置には、それを利用した人間の量子レベルでの生体情報が克明に記録されている。ニューロは、そのデータベースの集合体からマクマードの生体情報を掬い上げるような仕草で、テレポ装置に手を差し出す。すると、テレポ装置から、ジョン=マクマードと全くの同一の個体――傍目には、本人そのもの――が、すうっと浮かび上がり、その実態を形づくる。そのマクマードのコピーは、ニューロに語りかける。

「おお、我が娘…ン…? 違うな…。母であり、同胞よ! ともに世界の最適化を進めようではないか!」

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