⑯ マクマードの娘

「ヒナ、難しいことはわかんないけど、二人がなんとなくイイ感じだってことは分かるの! 天道アキ、今すぐアッシュくんから離れなさい!」

 突然のヒナコの登場に面食らったアキは、その鬼気迫る表情を前に、すぐさま席を離れて距離を置き、ちらりとアッシュの方を見る。アッシュは即座にヒナコの頭の中を覗いたのか、アキの方を見ると、ヒナコに気づかれないように、黙って首を横に振った。

 どうやら、ヒナコには、先程の会話内容は聞かれていなかった、あるいは聞かれていたが理解出来ていないらしい。ヒナコは、アキが飛び退いたことで空いた席に椅子取りゲームが如き勢いで腰掛け、アッシュに詰め寄る。

「アッシュくん! どういうこと! オフ会解散した後、大事な用事があるって言ってたのは、天道アキと会うことだったの!? ヒナよりも、天道アキの方が大事だっていうこと!?」

 詰め寄られるアッシュの様子を見て、アキは、勘違い女に絡まれてご愁傷様といった表情で、にししと笑みを浮かべてアッシュを見る。

 アキは、ハーレムモノのアニメやマンガでよくある修羅場光景を思い出し、こういう時、この後、男が取る行動は、

 1.土下座して「誤解なんだ!」と謝罪するも、罵られる

 2.首をかしげて「何のこと?」とすっとぼけて、殴られる

 この二択だろうなと、成り行きを見守る。どちらにしても、アッシュの辿る末路は惨めなものになるだろうと、踏んでいた。

 が、アッシュがとった行動は、そのいずれでもなく。

 ――っわ!

 アッシュは、なんと大声を出した。それもとてつもなく大きな声だった。拳銃の発砲音のような破裂音。距離を置いて見ていたアキもビクッとするくらいの音だ。店内中に響き渡るほどの破裂音に、2階席の他の客からの視線がアッシュとヒナコの元に一気に集まる。音の振動の中心にいたヒナコは、あまりの音の大きさにびっくりして、目を開いたまま放心状態になっている。そんなヒナコの耳元で、アッシュはぼそっと何かを呟いた。すると、ヒナコはさっきまでの勢いはどうしたのか、

「うん…。わかった…。ヒナ、今日はおとなしく帰るね…」

 そうポツリと呟き、フラフラと階段を降り、店から出ていった。

 一連の様子を見ていた他の客達は、音が鳴った瞬間、何が起きたのか理解出来ず混乱していたが、ヒナコがトボトボと退場するのを見届けるや、よくある痴情のもつれに決着がついただけかと興味を失い、次々と視線を外した。

 アキは目の前で起きた出来事にわけも分からず、アッシュに問う。

「今のは…、何…?」

「ああ、ごめんね。驚かせちゃって。荒っぽいのは嫌いなんだけど、あの場を収めるのには最適な方法だと思ってね。催眠術というと分かりやすいかな。今のは、『スタンアンドウィスパー』――って僕は呼んでるんだけど。人って、予想外の出来事にびっくりすると、心理的なスキが生まれるんだ。そこに聞こえるかどうかって音量の小声で暗示を入れると、脳の奥深くに刻まれて、その暗示に従ってくれるんだよ」

「やっぱり、アッシュって悪人な気がしてきた…」

 苦笑しながらアッシュを見るアキ。

「こんなの、誰でもやってるテクニックだよ。学校の生活指導教師、パワハラ上司、教習所の鬼教官。恐怖で人を従わせるのが得意な人間は誰でも使ってるテクニック。ただ、彼らのほとんどは、無意識にこういうことをやるから、質が悪かったりするんだけどね」


 とにかく、ヒナコの脅威は去った。アキは、この手の男女の修羅場のようなものを実際に経験したのは初めてで、どっと疲れてしまった。

「まあ、そういうわけで、アッシュ。あなたは3年後に、この世界を大きく変えてしまうから、異能力ちからの使い方には気をつけてよね」

「わかった。ああ、でも未来を変えてしまった元凶って、その完全自立思考型AIってやつなんでしょ? それなら、そのAI―ニューロだっけ? それを停止してしまうのが一番手っ取り早いんじゃない? そうすれば、僕だって、その『詐欺事件』とやらを起こすこともないんだろうし…」

「それもそっか…。…ショーコさんに相談してみる」

「了解。じゃあ、今日のところはこれで。何かあったら協力するよ。君とは今後も何か深い縁がありそうだ。同じ異能力者ホルダーだし」

 アッシュとアキは、何かあった時に連絡を取れるように、互いに電話番号を交換して、窓際のカウンター席を立った。

 二人が座っていた席のちょうど後ろに位置するテーブル席。テーブル席の仕切りのせいで二人からは死角になっていたその席に、胸元の大きな赤いリボン、薄茶色の髪に赤い小ぶりのリボンをつけた少女が座っていた。少女はブツブツ独り言をつぶやいている。

「はい…。対象は移動を開始。追跡を続行しますか? ………。……。…」

「…了解。調査結果を持って、直ちに帰還します…」

 その少女は、誰かに報告を済ませるとアキ達とタイミングをずらすためか、10分ほど待機して、席を立った。


「只今帰還しました。お父様」

 赤リボンの少女――レオナは、自身の生みの親である、ジョン=マクマードの待つ人工脳科学研究所に帰還した。同研究所は、フロンティア第10地区―クロロブ地区の最北端に位置する開発区にある。アクセル地区の開発区と違い、中心地のクロロブステーションからバスで半日以上の距離の郊外であり、出資元であるノイマン財団が重要研究拠点として、特別に用意した土地であった。

 長い帰路を表情ひとつ変えずに、戻るレオナ。

「おお、帰ったか、我が娘よ。早速報告を頼む」

「はい、お父様…。日比谷アッシュの異能力は人の心を読む能力でした。また、異能力とは別に、人心掌握、人心操作術に長けており、来るべき特異点において、重要人物であるのは間違いありません。映像資料を…」

 そう言うと、レオナはショートボブの後ろ髪を両手でまくり上げ、マクマードにうなじを見せる。まくり上げた後頭部と首の継ぎ目付近に、外部出力用のケーブルをつなぐ端子口があった。マクマードは研究所のデスク下にあるパソコンから伸びているケーブルを、その端子口に差し込む。ケーブルを差し込まれたレオナは、目の色を失い、スリープ状態に入る。と同時に、デスク上のモニターには、先程までレオナが見聞きしてきた情景―シグナスでのオフ会で相談を解決するアッシュの様子、その後のアッシュとアキとの会話、アッシュがヒナコに対して行った『スタンアンドウィスパー』の様子、その一部始終が早回しで映し出された。映像が終わりまできたところで、マクマードは〝娘〟の後頭部に差し込まれたケーブルをゆっくりと引き抜く。ケーブルを引き抜かれるや、レオナはスリープ状態から復帰し、目の色を取り戻す。マクマードは正常状態に復帰した〝娘〟の様子を見届けると、

「今日は疲れたろう。映像は確認しておくから、お前はもう休みなさい」

 と、レオナに休息を指示する。

「はい…。お父様…」

 指示されたレオナは、研究室の壁際に配置されている人ひとりが入れるサイズのベッド型のカプセルに横になり、中からスイッチを押してカプセルを閉じ、充電状態へと移行した。

「ふむ…。確かにこの力は興味深い…。特異点後の『最適化計画』にもってこいの人物だ…日比谷アッシュ」

 ところどころ早送りをしながら、映像を確認するマクマードは、口角を釣り上げ、不気味な笑みを浮かべていた。

「あとは、相馬のとこの量子コンピュータチップさいこうのずのうが届くのを待つのみか…。案外早く事が進みそうだ…。クックック…」

不気味に笑う口元とは対照的に、その目は氷のように冷たい眼差しで、何か決意めいた鈍い光を帯びていた。

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