神伐のアルテミス

椎名 花恋

第1話

十年前のある少女との夏の日のことを思い出す。


大切な約束であり、呪いのような出来事を。

少女の腕が変質し、拳銃や剣、弓や槍、その他たくさんの武器に変化する姿に魅せられた当時六歳の出来事。


けれど、他人から見ればおぞましい出来事も当時の俺からしたら些細なことでしか無く、どうでも良かったのである。


「こんな兵器わたしを好きになってくれるの…?」


子どもの頃というのは特に感情に素直になりがちだ。例え好きな人の醜い部分を数多見せられようとも『好き』という感情が全てを跳ね除けてしまう。


少年は少女の涙を拭き、満月が照らす満点の星空の下、たった一つの約束をする。


「もし、もう一度出会えたなら…」


頬に涙を伝わせ、それでも懸命に笑顔を作り、少女は少年に約束事のろいを告げる


「その時は私を、あなたのお嫁さんにしてください!」


それっきり少女の姿を、今に至るまで少年は見ることは無かった。




「忘れた事は一度も無いけど、これまた懐かしい夢を見たな」


昼休み、欠伸を上げながら俺こと『月影つきかげみちる』は机から体を仰け反らせる。


「もう、十年も前になるのか」


俺の初恋と同時に人生が歪められたあの日から、もう十年たつ。


「取り敢えず、次の授業の準備でも……って、そっか……次は魔法実技か」


『魔法実技』という単語を目にした瞬間、苦虫をかみ潰したような顔に様変わりする。


月影みちる、今年十六歳。高校一年。


座学の成績一位という優秀さと、それに反比例するかの如く魔法の実技が万年最下位なのを除けば、生来、生まれつきの銀髪だけがトレードマークの普通の男子高校生。


俺の在籍しているここは、アルテミス魔法高等学校という、地球の日本に存在する国立の高校だ。


『魔法』―――その昔、今から約四百年前。科学が発達した日本の千葉の上空に突如、黒い穴が開き、そこから平行世界の住人という子ども達がやって来た。その子ども達はその時の日本の首相に遭うなり、当時、未知の力であった魔法を首相に教え、日本に魔法という文化を広めた。


そして世界はその夢の様なチカラの解明に国を上げて研究し、遂には科学的に魔法を解明するまでに至った。


つまり、今の日本では、もっと言えば地球では『魔法』というものの殆どは、科学的に説明出来るのである。


もちろん中には未だに解明出来ていない魔法も存在する。しかし、その殆どは使用者自体に害を及ぼすものだったり、生き物やその魂を贄として発動する、所謂『禁術指定の魔法』である。


「どうしたのさ。そんなに苦虫をかみ潰したような顔をしてー。ってあーそっか。次は魔法実技か」


隣の席から狐耳の俺よりも遥かに小さい女の子が声をかけてきた。


「あぁ本当に欝になるわ。サボっちゃ……駄目だよなぁ…はぁ……」


「わかっているのなら良し。さぁ行くぞ、みちる」


この狐耳の少女の名前は天風あまかぜ琥珀こはく。身長が明らかに身長が低く幼児体型にしか見えないが、れっきとした同い年。しかもこのクラスの学級委員長でもある。


出会いは入学当初まで遡るのだが、その話はまた別の機会に。


「にしても、ホント、琥珀の狐耳はもふもふするなぁー」


「や……やめぇ……やめろぉー!!」


「痛い痛いスネ蹴るな、ごめんわるかったよ」


蹴られたスネを擦りながら琥珀に謝罪する。


―――魔法が発展すると同時に、科学も解明の為に発展していった。今では人間ではない獣人や妖精、悪魔などといった昔ではファンタジーの中の住人も地球に移り住み、こうして一緒に暮らすまでに至った。


日本人のいい所は様々な文化を分け隔てなく、偏見なく愛せる部分だと俺は思う。


「仕方ない、授業に向かうとするか」


「仕方ないもなにも、琥珀がいる時点で欠席出来るとみちるは本気で思っているのか?」


「……無理だな」


魔法の使えない俺は、言い換えれば魔法を使える人達からすれば弱者もいい所。赤子である。


そんな環境にいながら、性格が歪まなかったのはひとえに親と友達のお陰だろう。俺は少なくとも人生には恵まれていたと思う。


ふと気がつけば俺はまた、琥珀の頭を撫でていた。


「だから何で頭を撫でるんだぁー!!」


「……感謝してるんだよ。ありがとな琥珀」


「い、い、いきなりなんだ、みちる!気色悪いぞ」


顔を真っ赤にしながら、講義の意を表す琥珀。


そうやって、何気ない日々を俺たちはこれからも送っていくのだ。




魔法の実技試験の為に中庭にきた俺達を待っていたのはすらっとしたジャージ姿の一人の若い女性教師だった。


「なぁ!?紫先生おにきょうかん!?今日の担当、この人なの!?」


実技担当教師の一人。ゆかり先生。


生徒と教員の両方から鬼教官のあだ名で呼ばれている教師だ。


何故この通り名で呼ばれているのかと言うと、魔法の実技のハードさと、それをこなせなかった時の罰としてのペナルティが他の教師に比べて重いからである。


そのペナルティーとはただ一つ。『出来るまでやらせる』この一点に尽きる。


―――お分かり頂けただろうか。


このペナルティは魔法が使えない俺からしたら永久に逃げられない牢獄ペナルティと化すのである。


「鬼教官とはいきなりの挨拶だなぁ、みちる。お前だけ魔法の実技の時間を、この学校の周りを走り込み100周にしてやろうか?もちろんこの時間内でだ。出来なければ更に100周追加した上で、今日中に走りきってもらうとするか。さぁてどうする?」


「え、遠慮しておきます!!」


この鬼教官!この学校の周りの1周何分思ってんだ!1周するのに20分はかかるんだぞ!?馬鹿なのか!?


「ふん。なら鬼教官などといった言い方は辞めることだな」


「い、以後二度と致しません!」


間違ってもこの人の前では二度と言わないと心に誓うのであった。


その後、魔法実技の試験は紫先生のもと始まり、今は生徒同士の模擬戦の時間となっている。


魔法はその殺傷性の高さからS、A、B、C、EXのランクにそれぞれ位置づけされており、学校ではCランクまでの魔法が認められている。


Sランクは軍用や戦術級の殺傷性の最も高い

魔法。殺傷性がなくとも軍用であれば、治療魔法であろうともこのランクに位置づけされる。一般には公開されていない魔法でもある。


AランクはSランクに劣るものの、一般人が知り得る中でも最も殺傷性の高い魔法が位置する。風を操り物体を切り裂く真空刃しんくうはや、振動を操り物体を遠距離から破壊する振動破壊バイブ・ブレイクなどが位置する。


Bランクは殺傷性はAランクに劣るものの、攻撃として使えば四肢欠損や傷を追わせることの出来る魔法が位置する。同じ振動を利用する魔法でも、武器を振動をさせて物体を切断する高周波ブレードや、水をその場に固定化させて相手を包み込み捕らえると同時に窒息もさせるという水牢ウォータープリズンがここに位置する。


一番下のランクで学生に使用が認められているCランクは殺傷性があまり無い、もしくは全くない治癒魔法や生活に用いられるようになった一般に普及した魔法が位置する。熱を操り火を生み出す魔法や逆に水を凍結させて氷を生み出したり、振動で沸騰させたりと言った魔法がここに位置する。


魔法学校で習うものの多くはCランクであり、Bランク以上は国の免許が必要である。Aランクともなれば国家資格が必要な上にものによっては使う際に国の承認が必要な物もある。


最後にEXランクだが、ここは分類不可能、もしくは個人で編み出した魔法だが諸事情により国に登録出来ず秘匿されてしまったオリジナルの魔法だったり、現在でも科学的に解析が不可能な魔法、殺傷性がS~Cまで変動する魔法などが位置する。


と言った具合に魔法はそれぞれランク付けされているのだが、魔法を使えない俺に取っては全く関係のない話だった。


話を戻そう。と言うか現実逃避はもう辞めよう。


俺の相手は魔法を使える他のクラスメイト―――ではなく、教師であるゆかり先生だった。


ゆかり先生が相手なのには理由がある。


一つ、生徒同士では魔法を使われた瞬間に勝敗が決着がついてしまう故に不平等である為。


二つ、生徒ではいくらCランクの魔法と言えども場合によっては昏倒させてしまう可能性があるため。魔法を使える、生徒たちは皆、まず最初に魔法の痛みなどを軽減する耐性魔法を使い模擬戦をする。その後倒した相手を治癒して試合は終わるのだが、魔法の使用が前提である為、魔法を使えない俺はそもそも参加することが出来ない為。


三つ、先生であればその万に一つの魔法の使用もなく、かつ治癒魔法を使える為。


以上のことから俺の相手はゆかり先生に決まった。


「どこからでもかかってらっしゃい」


不敵に笑う紫先生。かなり余裕ぶっているが、その立ち振る舞いには一片の隙もありはしない。


「行きます!」


俺はまず両手を胸の前で構え、足を運び、重心を前に移動させて体の体重を全て乗せて突進するように紫先生に攻撃する。


しかし紫先生は右に避けたと思ったら次の瞬間、俺の背面を思いっきり下に打ち付け勢いを殺し、地面に叩きつける。


「あぐっ!」


一瞬で肺の中にある酸素を全て吐き出さされたような感覚と、地面に叩きつけられた衝撃で一瞬ではあるが呼吸が出来なくなる。


その瞬間、体が硬直した所を狙い紫先生は俺の下半身に跨り、背面から動けないように頭を押さえつけられたあと、俺の手を後ろに持ってきて完全に押さえつける。


「痛い痛い痛い!」


苦痛に顔を歪めて涙ながらに紫先生に降伏宣言をする。


すぐさま先生は手を離し、俺から離れる。


「まったく情けないわね。これでもかなり手加減してるんだけど。もう少し骨があると思ったわ」


「ご期待にそぐえず、申し訳ございませんね。て言うか先生に肉弾戦で勝てる生徒なんていませんよ」


げんなりした様子で俺は紫先生に言う。


すると先生は、そんなことはない。ときっぱり否定して、模擬戦をしている一組の生徒を見る。


その向こうでは琥珀と一人の男子生徒が模擬戦をしていた。


「あ〜堅土けんとなら勝てるかも知れませんね。それでも100回やって1回勝てるかどうかだと思いますけど」


本名、葉隠はがくれ堅土けんと。主な戦い方は自分の体や武器を硬質もしくは軟質化させて戦う魔法で防御型と一撃が重い攻撃で戦うのを信条とした戦闘方法。


俺の小学校からの親友でもある。


模擬戦は今、琥珀の優勢だが、決め手にかけている琥珀は攻め手に欠けると言った様子で逆に劣勢になりつつあった。


琥珀の戦い方は機動力を生かした風の魔法で自身の速度を上げて、直接的な炎の魔法での攻撃や雷を当てて痺れさせる、水を上から浴びせて微弱な感電狙いと言った多様性のある戦い方である。


決め手にかけていると言ったのは、単純に幅広く魔法を使えるが故に、一つの魔法を極められないと言ったことも起因している。


ましてや今は殺傷性の少ないCランクの魔法しか使えない。決め手にかけるのは当然だろう。


結局、決着は堅土の勝利で終わった。


一撃を入れたあと、動けなくなった琥珀はそのまま保健室に連れて行かれ退場した。


「あ〜。手加減してはいたんだが、未だに調整が難しい。けれど一時的な昏倒で済んだのは不幸中の幸いだった。次はもっと威力を抑えるか、もしくは自分自身の体を強くするしかないな。後でちゃんと琥珀に謝らないと」


模擬戦の終わった後、堅土は俺と紫先生の所に来て報告と反省をしに来た。


堅土は昔から優し過ぎるのである。攻撃的な魔法を覚えられないのもこの性格のせいであり、自ら攻めに行かず防御型の戦闘方法なのもこの性格のせいである。


「そうね。放課後ちゃんと謝りに言った方が良いわね。幸い午後だからこの後、授業も特にはないし」


「そうします」


堅土と紫先生はそれっきり話すことは無く、紫先生の号令で授業は終わりを告げる。


そしてあっという間に学校は終わり、放課後になる。


「じゃあな堅土。琥珀にしっかり謝って来いよ」


「そうするよ。今日は一緒に帰らないのか?」


「……ああ」


憂いを帯びた寂しさも匂わせる表情で俺は堅土の申し出を断った。


「そうか。なら帰り道には気をつけろよ。お前は襲われたらそこら辺の子供にすら勝てないんだから」


本気で心配した目で堅土は忠告する。


実はこう言った事は初めてではなく、あの約束の日を思い出す度に、こうして一人になって帰っていた。


最近はなかったのだが、それでもこうして時折一人になる。


堅土はこの事情を知る唯一の仲であり、同時期に俺の他に少女を知っている唯一の奴でもある。


「わかってるって。堅土、また明日。」

そうして俺は一人、帰路につくのであった。




何気ない帰り道、俺は一人憂鬱な気分を引きづったまま家に帰っていた。


「どうして、十年も前なのにどうして未だに鮮明に覚えてるんだろうな。……初恋だったからか」


自嘲気味に夕焼けの空を見上げる。


夕焼けの空にはうっすらと白い月が登っており、消えかけている俺の初恋の感情が記憶だけで成り立っているのを表すように登っていた。


ふと、気がつけば小さい頃に遊んでいた、それなりの面積をもつ公園の前に来ていた。

どこか哀愁漂うその公園に引き寄せられたのは、必然だったのかもしれない。


この公園はその初恋の相手である少女と初めて出会った運命の場所であり、同時に約束をした思い出の場所でもあるからだ。


引き寄せられるように俺は公園に入っていき、木製のベンチに腰掛ける。


少なくとも十年は経っている筈なのに、その十年を感じさせない新品同様の木製のベンチは、俺だけが過去に縛られ取り残されたようにも感じられた。


「魔法が使えない理由か……」


誰に話すわけでもなく理由を考える。


魔法を使えない理由は分かりきっている。


あの日に見た少女の魔法が今でも衝撃的で忘れられなく、それ以上に初恋だった少女の魔法以外の魔法を俺は認められないのだ。


故に、認められないが故に、俺は俺自身が魔法を受け入れられない。


どれだけ緻密に解読されても、どれだけ安全になっていても、どれだけ簡単極まりない魔法であってもだ。


これが俺の魔法が使えない理由。


今になっても少女の魔法は不思議だった。


少女の魔法は不可解極まりなく、あれから必死に俺なりに解読使用と頑張ったがどうしても解読出来なかった。


否。解読することは出来ているが、その魔法のおぞましさを認めたく無いのだ。


恐らく、恐らくではあるがあの少女の魔法は―――。


心がその先の思考を阻み、答えを遮り、消し去っていく。


同時に去来する、いなくなった喪失感。どうしようもない孤独感。


俺が感情に押し潰されそうになっていると、ふと、前から美しいソプラノの女性の声が響いた。


「あの、大丈夫ですか?何か悩んでいるようでしたらお話くらいは聞きますけど?」


「……あなたは?」


自分が何か。と問われた時、女性は少し戸惑いを表したが、直ぐに持ち直し俺への問いに答えた。


「ただの通りすがりの高校生ですよ」


溌剌としたどこか寂しさを帯びた作り笑いで女性は笑う。


「それよりも、こんなところで独りでどうしたんですか?失恋でもしましたか?」


女性は大真面目な顔で心配してきた。


「まぁ、失恋と言えば失恋かな。十年も前だけど」


自嘲気味に俺は女性の問いに答える。何か思い詰めた自殺志願者と間違われて、警察に引き渡されても困るからだ。


「その話、出来れば詳しく教えて頂けませんか?相談くらいなら私にも出来ますよ?」


女性はそう言い、俺の隣に座ってきた。


さっきは気にならなかったが、女性の髪は俺の銀髪とは違う、白色と薄いピンク色の入り混じった不思議な髪の色をしていた。


何より特徴的なのは透き通った水色の瞳。

どこまで澄んでいて、自然と引き寄せられてしまう魔性の瞳だった。


「良いですよ。せっかくですし」


そう言って俺は親友と親以外には決して打ち明け無かった秘密を打ち明ける。




「そうですか。あなたはその初恋の女の子のことが、どうしても忘れられなくてその上、女の子の魔法を見たせいで、自分は魔法を認められず、魔法が使えなくなってしまったと」


「そう……なりますね…」


女性に簡潔にまとめられて、俺は反論することも出来なかった。一部の隙もなく、簡潔に反論の余地も無くまとめられてしまったからだ。


「その女の子はきっとこう思っていると思いますよ」


俺の悩みに対する女性の声はとても穏やかで、綺麗なまでにすっと俺の中に入ってきた。


「忘れないでいてくれてありがとう。って」


「そうだと、良いですね」


話しを聞いてもらった後女性は前を向く。

俺は未だに俯いたまま。


「ここまで……か」


不意に女性の諦めの混じった声。


俺は少女と同じく前を向くと、黒服の屈強な男が二人佇んでいた。


「ねぇ、お願い」


女性は物悲しげな瞳と表情で俺に伝える。


「その女の子こと、これからも忘れないで上げてね」


「では、いくぞ」


一人の男が差し出された女性の手を乱暴に掴む。


心底連れていかれるのが嫌そうな素振りで、女性は手を振り払おうとするが振り解けない。


「なぁ、あんた。どこに行くかは知らないけど、連れていかれたくは無さそうに見えるが」


「……ええ」


女性の心の底からハッキリとした拒絶。

同じ人間の声とは思えなかった。


「なら助けてやる。目を閉じてな」


そして俺は鞄から一つの球体を取り出し、女性と男性の丁度真ん中に投げ入れる。


瞬間、辺りを包み込む閃光。


親に護身として持たされていた閃光弾スタングレネードである。


そしてその間に俺は女性の手を取り。


「逃げるぞ!!」


その場から女性と一緒に逃げ出すのだった。




「はぁ……はぁ……」


気がつけば、人気ひとけの少ないの住宅街を走っていた。


「まったく、あんたは本当になんなんだよ。何で追われているんだ?」


走りながら女性に質問する。


恐らく、それが全ての原因だと踏んだからだ。


「そ……れは……」


俯いた後、女性はそれきり喋ることは無かった。


不意に男性二人に道路の前と後ろを塞がれ退路が無くなる。


「ちっ……!」


ここまでか。そう思ったが諦める事が出来なかった。


「うおおおおおおお!!」


俺は前にいる男性に突進して行く。


「……稲妻ブリッツ


瞬間、男がそう唱えると、男の指から、一直線上に伸びてあらゆるものを貫通する稲妻が放たれる。


そして、その稲妻は俺の肺を貫き―――


「……あ、え?」


その瞬間、数多の血を撒き散らし、俺はなす術なく倒れる。


「ねぇ!ねぇ、お願い!目を開けて!!」


最後に俺の瞳に映るのは澄んだ水色の目をした女性の泣き顔だった。


そうして俺は深い闇の中に落ちていく。


「やっと会えたのに……!何で!」


「こんなところで死なせられない。私が死なせない!」


―――白い何かが、俺の中に入って来る夢を見た。




気づくと、俺は家のベッドに寝ていた。


「……っは!!」


咄嗟に目が覚めて、俺はベッドから飛び起きる。


稲妻に貫かれ胸に開いた筈の穴は無く、時刻は次の日の朝になっていた。


「どうなっているんだ……?」


俺はただただ困惑した。


それ以上に、俺は街中で自分に使われた魔法の正体が信じられなかった。


雷鳴ブリッツ稲妻ドンナー


指先から自身の体に流れる微弱な静電気を極限にまで圧縮し増幅した後、どんな物でも貫通する稲妻を一直線に放ち、相手を殺す軍用魔法。そのランクは紛うことなきS。


およそ凡百の一般人が使えるような魔法ではなく、使えるのは軍隊の中でも特に魔法に精通した一部の人間だけである。


しかし、それよりも俺にとっては重要なことがあった。


「確かに俺はあの時に死んだ筈……。それに、あの女性は結局どこに行ったんだ?」


せり上がった二つの懸念。


一つは単純になぜ生きているのか。正確にはなぜ傷がこんな短時間で塞がっているのか。


二つ目は助けた筈の女性はあの後どうなったのか。あの絶望的な状況から逃げれたのだろうか。


それとも捕まってどこかに連れていかれてしまったのか。


ぐるぐると頭の中を巡る思考。


結局、いくら考えても答えは出そうに無かった。


「ん……?」


よく見ると時計は午前8時30分を指していた。


「やべえ!遅刻だ!」


もやもやする感情を押し殺し、俺は学校に向かうのだった。




ところ変わってアルテミス魔法高等学校。


何とかぎりぎり遅刻せずに間に合った俺は朝から汗ダラダラの状態で授業を受講することなった。


隣で琥珀が珍しいものを見るように俺のことを覗き込んでいた。


座学の午前は何事も無く、午後から実技授業が始まる。


「大丈夫か、みちる?何か今日変だぞ?」


隣で琥珀が不安そうに俺を見てくる。


「んー、大丈夫。むしろ、何故かわからんが普段よりも冷静な上にすごい元気が有り余ってるんだ。今なら多分、走り込みなら紫先生おにきょうかんにも負けを取らんくらいには元気だ」


「どこからそんな自信が湧いてくるのかは分からないけど……無理だけはしないでくれよ。みちるは魔法が使えないんだから」


上目遣いでトレードマークの狐耳を揺らしながら心配してくる琥珀。


気持ちは有難いが今は本当に絶好調なのだ。


「大丈夫大丈夫。心配いらないよ」


午後に魔法実技の時間がやって来る。


「あれ、堅土。今日は紫先生じゃなかったっけか?」


隣にいる堅土にこの場にいるはずの人物がいない疑問を投げかけてみる。


教職をサボるような人では無かった筈なので何かしらの理由はあると思うのだが、理由がまったく思いつかない。


「さあ?俺にもまったく想像つかないな。と言うか、誰が紫先生が休むなんて想像出来るかよ」


投げかけた疑問の答えは堅土も知らないようで、疑問が氷解することは無かった。


そこでクラスメイトの誰かが実技担当教師に

紫先生のことを質問した。


すると担当教師は素っ気なく、理由を説明した。


「えー。紫先生は別件の用事でそちらの方にかかりきりになっています。明日には復帰致しますので心配しなくて大丈夫です」


何事もないように淡々と冷徹に話し終わる。


「なら、大丈夫か」


「おやぁー?鬼教官呼ばわりしてた癖にやけに心配してるな。惚れたか?」


肘でつつきながら冗談混じりに俺をからかってくる堅土。


「ンなわけあるか。単純に紫先生がいなかったら俺が一方的にお前らに痛い目に合わされるからだよ」


心配も無くは無いが、大丈夫だと言っているなら大丈夫何だろう。それ以上は心配するだけ無駄というものだ。


それよりも俺はこれから起きる痛い思いを覚悟するべきなのだから。


「みちるの相手は……ああ、琥珀か。何とまあ運の悪いことに。俺だったら単純な肉弾戦で済んだのに」


「仕方ない。こればっかりは自分のクジ運を呪うしかない」


俺はどうやって琥珀の魔法から逃げきろうかを考えながら模擬戦の準備に取り掛かる。

目の前には可愛い狐耳をした琥珀が佇んでいる。


先生の号令が入る。


「模擬戦、開始!」




「みちるには悪いが、本気でいかせて貰うぞ」

琥珀はまず風の魔法で、風を操り自身の足に纏わせ機動力を格段にあげる。


Cランクの風の魔法『風足ウィンディア』。四百年前より存在する古い魔法の一つ。原初の風の魔法の一つと言ってもいい。


原理は単純。その場で風を起こしたあと、その風の向きを足に集めて移動方向に合わせて風を操り、機動力を向上させると言ったもの。


人によってはその場で浮いたりもすることが出来る便利な魔法の一つでもある。


「やぁっ!」


続いて琥珀は炎の小さな塊を生み出し相手を攻撃するCランク魔法『火炎ファイア

を使う。


空気を振動させ、その摩擦を上昇させた上で発火、固定化し、敵を攻撃する魔法。


炎の魔法は総じて大きさや威力によってランクが変動する傾向がある。爆発などではAランク。火災レベルの炎や塊ならB。小さな火の玉や展示用の炎など害が少なければCランクと言った具合である。


「おい、まて琥珀!俺、耐性レジスト魔法一切付与してないんだけど!?」


やられたら火傷では済まなそうな炎の玉を何個も避けながら俺は琥珀に講義する。


「安心しろ、加減はしてあるし着弾した瞬間にすぐに消してやる。安心してやられるといい!」


「馬鹿言ってんじゃねえええええ!!!」


しかし攻撃しようにも近づけない為、今は逃げ回るしかない。


「ちょこまかと……。みちる!そんなに負けたくないのか!」


「当たり前だろ!こちとら出席点だけじゃ内申は赤点なんだよ!魔法実技舐めんな!」


「……みちるが言うと凄い切実な問題に聞こえるな」


琥珀は俺を憐れみの目で見てくる。


ど、同情なんか要らないからな!?いくら筆記が良くても1勝も出来なかったら実技の点数は赤点なんだよ。内申の出席点は最高で20点らしいからな。まったく、優しくない。


ちくしょう!高校生はつらいよ!


「うおおおおおおお!!」


琥珀の魔法を避けて、逃げて、避けて、また逃げる。


普通の人なら1回受けても大丈夫な魔法でも、俺が受ければそれは即敗北の技になる。

負けられないのだ。勝てそうにない戦いでも勝つ為の勝率を1%でも高く上げる為に死力を尽くしてその果てに勝利を掴む。


そうしなければ、俺は勝てる戦いも勝てはしないのだから。


まずは逃げて逃げて逃げまくる。そして琥珀の機動力の要である『風足ウィンディア』が消えて一瞬が勝負の時。消えたその瞬間に俺は琥珀に対して攻撃を仕掛けなければならない。


その為には多少危険でも逃げながら間合いを詰めなければならない。


これが容易なことではない。絶えず動き回る相手に対して、こちらの作戦を悟られず且つ気づかれないようにしなければならないからだ。


一発食らったら終わりのこの戦い。


「あーもう!さっさと倒れろよ!」


そして火の玉を出そうと瞬間、琥珀の『風足』の効果時間が消える。


「あ、あれ……?」


効果時間が切れたのは一瞬。


しかしそれまで『風足』に頼っていたせいで琥珀の体制が一気に崩れる。


そして同時に再起動するまでの時間も含めれば、その時間は一瞬ではなく数秒。


戦いの場でその隙は充分な程の好機である。


「うおおおおおおお!!」


俺は琥珀に真正面から突進していき、身体全体を使って琥珀の腹に向かって抑えこむ。


「あぐっ!」


間髪入れずに俺はそのまま琥珀を地面に押さえつける。奇しくもその方法は昨日、紫先生にやられた方法と同じ抑え方である。


「これで勝てたと思った?」


「え?」


瞬間、空いていたもう片方の手に微弱な静電気が集まっているのが見えた。


しまった―――!


後悔しても、もう間に合わない。


琥珀の指先には圧縮された静電気が集まっていく。


「油断したな、みちる。サンダー!!」


琥珀の魔法によって、その瞬間に負けが確定したと俺も琥珀も恐らく試合を見ていた皆が思ったことだろう。


しかし、琥珀の唱えたCランクの雷魔法は、突如として俺と琥珀の間に現れた白色の金属によって阻まれ、俺に届くことは無かった。


呆気に取られた俺と琥珀だったが、俺はすぐさまもう片方の手を制圧し、今度は体全体でのしかかるように琥珀を抑え込む。


「痛い痛い!降参、こうさんする!!」


こうして不可思議な謎を残して実技の授業は俺の勝利で幕を閉じた。




放課後。俺は自分の体を検査してもらう為に近くの病院に来ていた。


しかし、結果は「正常」と判断された。


ただ、どうやら体の中に自分のとはまた別に違う種類の魔力が流れていると、医者に診断された。


魔力とは体に流れる生命エネルギーのこと。

魔力の量は生まれ持った時にある程度備わっており、修練や健康的な生活によって、その溜め込んでおける最大量は増やすことが出来る。


要は健康な人ほど多く持つことが出来るのである。


「まったく、俺の体はどうなっちまったんだ……?」


考えてもこの問題は埒が開かないので俺はそのまま自宅に戻ることにした。


「おかえりなさい」


「ただいま」


「お風呂上がってるわよ」


「ありがとう。先に風呂に入るわ」


自宅で母に出迎えられ、俺はそのまますぐに風呂に入る。


「はぁー、落ち着く」


風呂に入っている時が俺にとっては一番落ち着く。


「せっかくだし、試してみるか」


リラックスして意識を集中させ、俺は体に流れる魔力を丁寧に感じ取っていく。


少しづつ、正確に。魔力は体全体を流れる川のようなものだ。普段、俺は魔法が使えないから意識したことは一度も無いが、やり方は学校で習った為に知っている。


……確かに何か違う、別の魔力と言うか、冷たささえ覚える魔力が、俺のとは別に流れているのがすぐに解った。


―――これはいったい?


疑問に思った俺はそのまま更に意識を集中させて、そのよく分からない魔力を体外に追い出すイメージをする。


パシッ!っと何か体の中で音がするのが聞こえた。


そして同時に自分の体の上に跨る別の感触も。


今の裸の自分の上に跨っている感触は明らかに女性の体の柔らかい感触で。


その女性は昨日、公園で俺と話しをして、男達に追いかけられていた女性だった。


「え?何でここに、この人が?」


そう思ったのも束の間。風呂場であっても分かる重篤な高熱を女性は帯びていた。


すぐさま、母さんを呼び出す。


「母さん!大変だ!」


「どうしたの、みちる?そんな大慌てで」


母さんは穏やかではあるが明らかに困惑していた。


しかし、俺はそれ以上に困惑していた。


「とにかく、手伝ってくれ!」


母さんは取り敢えず落ち着けと言った様子で、俺にとっては致命的な一言を放つ。


「とりあえず、まずはパンツを履きなさい」



「なるほどね、状況は良くわかったわ。理解もした。けれど納得出来るかどうかはまた別の問題ね」


俺と母はその後、女性を寝室に運んで母が自分の服を着せて看病していた。


「どんな病気か解る?」


母は頷き、そのまま見たままを端的に伝える。


「この女性の症状はみちるの除いて、誰もが一度は起こす病気。『突発性とっぱつせい魔力放まりょくほう出病しゅつびょう』よ」


「突発性魔力放出病?何それ?」


俺は聞きなれない病名に母に聞きなおす。


「突発性魔力放出病というのはね。簡単に言うと、初めて魔法を使った子供が自分の魔法を使った時の魔力消費に耐えきれず一時的に、高熱を引き起こし、最悪、死にはしないけれど昏倒するレベルの病気よ。但し、一度発症してしまえば、その後は体が魔力のリミッターを作り上げて、絶対に発症しなくなる病気でもある」


「治す方法は?」


「彼女の手を握って彼女と貴方の魔力を循環させるのよ。繋いでるだけでいいわ。後は単純に高熱だから体の熱を取り除きさせすれば、自然に治るわね」


一部の隙も無く、治し方まで教えてくれた母の助言通り、俺はそのまま女性の手を取り、風呂場でしたように意識を集中させて魔力を循環させる。


「幸い私の専門分野だったから良かったわ。軍医での経験が活かされてよかった。その子のことお願いね、みちる。私は熱を冷ます方の準備をするわ」


ひとまずほっと胸を降ろし、準備に取り掛かるために部屋を後にする母。


そして、慣れない作業に疲れきった俺はそのまま学校での疲れも相まって、寝込んでいる女性の手を握ったまま、深い眠りの中に落ちていくのだった。

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