哀しみ

 前項で、オオミを亡くした筆者の狼狽ぶりを恥ずかしくも曝し、物語を進めることが出来なかったので、ここで本筋に戻したいと思う。


 オオミの死の報せが、ヤマトにもたらされた。正確には、もたらされてはいない。オオミの亡骸も、共に発った兵も、誰一人として戻ってこなかったことから、彼らは戦いの場において何が起きたのかを知った。

 サザレと隣接する地の候から、クナとヤマトの激しい戦闘があったこと、そこでヤマトの軍が壊滅したことの報せが、オオミが帰還するであろう期日をだいぶ過ぎてからもたらされた。

 一同、愕然とした。勿論、最も大きな衝撃を受けたのは、母が違うとはいえ実の弟であるカイであろう。

 カイには信じられない。信じたくもなかった。あの歳の離れた武と智の塊のような兄が、彼にとっては、言葉は少なくとも、いつもさり気ない気遣いをしてくれる優しい兄が死ぬことなど、天地がひっくり返ってもあり得るべきことではなかった。少年の頃から放蕩の限りを尽くしてきたカイを諌める兄に食ってかかったこともあった。一度として、カイは兄には勝てなかった。それは、兄がオオミだったからであろう。

 長じてからは、カイの遊びは、女になった。オオミは武骨者で、妻を持ってはいたが、なかなかそのようなを行わぬため、子がなかった。カイの妻、あるいはこんにちで言うところの「彼女」の一人の姉をオオミに引き合わせてやった。その姉は体つきも肌も顔立ちも抜群で、できればカイはその姉も自分のものにしようと思っていたのだが、その姉がどうやらオオミを慕っているらしいことを妹から聞くと、すぐさまオオミに引き合わせた。はじめ、オオミは戸惑っていたが、男女間の倫理や決め事が柔らかなこの時代であるから、姉の方からオオミに猛烈に求婚し、オオミは半ば折れるような形で受け入れた。武骨一辺倒ではあったがもともと愛情深いため、父であるユウリが用意した女よりも、自らを愛するカイが引き合わせた女の方と仲良く過ごし、すぐに子ができた。その子が、コウラである。コウラの母は快活な女であったが、物事をよくわきまえており、滅多に前に出てこない。最後に会ったのはいつのことだったか、とカイはその愛らしい顔を思い出した。その顔が、この報せを受ければ、哀しみに崩れるに決まっている。カイは、それをも嘆いた。

 コウラも、祖父に続き、父までも戦いで失った。一体、どのような心持ちで、いまこの場に座っているのであろうか。カイがコウラの顔色を伺っても、表情からはそれは読み取れない。例えば、今起きたばかりの朝のような顔で、ただ座っていた。カイは、その姿が、とてつもなく哀しいもののように思えた。

「また、死んだか」

 サナが、小石を蹴るように、ぽつりと言った。

「また、死んでしまった」

 その声は、低く沈んでいる。

「戦いに生きる者が、戦いに死ぬことは、当たり前のことだと思う。しかし、オオミは別だ。おれは、この気持ちを表す言葉を、知らぬ」

 マヒロが、おおっぴらに涙を流した。後代の軍の最高指揮者ではあり得ぬことであるが、マヒロにとって、オオミが特別な者であることはどうしようもない。命の重さは、狭い意味において平等ではない。自らを知り、自らもまた知る人の命が失われた哀しみは、そうでない人のそれより大きくて当たり前である。ゆえに、マヒロは涙を流した。

 カイだけが、哀しみを感じていない。いや、哀しみがやってくると、この報せがほんとうになる気がして、それを拒んでいるだけなのかもしれなち。

「兄者」

 いつもそうしているように、名を呼んでみた。涙が、一粒こぼれた。一度こぼれると、もう後に続くそれを止める手立ては、オオミが笑ってこの場に帰ってくる以外にない。名前のない感情が、渦を巻いた。それを、カイは、

「阿呆」

 と叫ぶことで表現した。


 阿呆、という言葉が、この国において用いられ出したのがいつのことなのか、よく分からぬ。文献に登場するのは意外に遅く、十三世紀頃になるという。しかし、語として、この漢語は、非常に時代の匂いを強く醸すため、この物語ではほぼ同じ意味をさす「馬鹿」よりも多く用いてきた。実際は、「馬鹿」の方が由来が古い。由来は古くとも、文献に初めて登場するのが「太平記」であるから、阿呆よりも登場は遅くはあるが。

 古いとはいえ、これも諸説ありはっきりとはしないが、ひとつには、「史記」に秦帝国の二代目の皇帝である胡亥こがいという者に、始皇帝の時代から権力をほしいままにしていた宦官の趙高が、自らの権力の浸透を計る意味で皇帝に鹿を献じ、

「珍しい馬でございます」

 と言った。皇帝はいぶかしがって、

「何を言う、これは鹿ではないのか」

 と言うと、趙高は左右の臣に、

「これは馬だな?」

 と訊いた。趙高の権力を恐れ、従うものは一斉に同意し、そうでないものや政治いじりの下手な者は、いや、これは鹿でござろう、と正直に答えた。あとで鹿を鹿と言った者は全て、何かしらの理由をつけ、断罪された。

 という逸話を引き、それが馬鹿という言葉の元になったとする説がある。であるならば、サナらの時代、この語を既に輸入していたと考えるのは間違いではない。

 しかし、よくよく考えてみれば鹿は音読みではなく訓読みであり、音読みは鹿ロクであるから、この説はどうも違う気がする。

 別の説として、古いサンスクリット語で用いられていた俗語スラングで、それが仏教などと共に中国に伝わったとき、その音写である「莫迦」に日本で音読みを充て、バカと読んだという説もある。今でもサンスクリット語を起源の一端とするベンガル語で、愚か者のことを「バカ」と言うというから、実に信憑性がある。

 そうなれば、中国に仏教が伝来したのはちょうどこのサナらの時代の数十年から百年程度前だから、サナらが用いるのにはちょっと尚早で、考証的には無理があることになる。

 結局のところ、どちらもはっきりとはしないので、結果どうでもよいか、と思い直し、その概念を表現するのに最も似ていると思われる「阿呆」を、彼らに用いてもらっている。筆者は関西生まれ関西育ちであるから、その贔屓ひいきも知らぬ間に出ているかもしれない。

 ちなみに、倭語で「馬鹿」は、「しれもの」「おろか」「うつけ」などである。が、それをサナらに用いさせるのは少々あざといように感じるので、それはしない。


 またしても長い余談が続いたが、それをしてでも、カイの「阿呆」という叫びの重みを、表したかった。

 滝のように流れる涙が、この感情の豊かな男の行動を支配した。床に転がり、叩き、意味もない言葉を喚いている。

「叔父様、おやめください」

 と鋭く言ったのは、コウラである。コウラもまた、涙を流していた。

「哀しくなるので、おやめ下さい」

 ユウリが死んだときよりも、コウラの心は打たれ強くなっていた。哀しみをこらえ、別のものに変換しようとする作業に、既に入っている。

「クナを、私は許すことができません。しかし、父が討たれたからといって、クナにすぐさま決戦を挑むというのは、どう考えても無理があります」

 鼻水が垂れてくるのか、しきりと鼻を鳴らしながらコウラは言った。

「では、どうする」

 サナが、言った。

「父の軍が無くなったことは、大きな痛手です。今は、兵をどうするのかを決め、軍を整えねなりません」

「わたしも、それがよいと思います」

 ナナシも賛同した。

「それでは、当分、戦いはできぬ、ということだな」

 マヒロが、真っ赤になった眼で言った。

 そして、この場にいながら、一言も言葉を発しない者がいた。タクである。その視線は、じっと床板の木目を追っている。


 兵は、すぐに補充できるわけではない。マヒロもまた自らの軍をすり減らしていたし、カイの軍を分けたとしてもまだ足りぬ。オオトのタクの軍を割こうにも、海上交通の要衝の守りをおろそかにすることは叶わぬ。かといって、まさか候と兵のいなくなったキヅの地を放棄することもわけにもいかず、きわめて不自由な状態にヤマトは陥った。

 あとは、また各地から少しずつ兵を募るしないが、短期間に兵をこうも召しあげられていては、各地はたまったものではない。

 反発が怖い。ヤマトは、ヤマトに参加した地域が、無条件にヤマトになるわけではないということをその経験により知っていた。軍

を集めれば、反発を招くかもしれぬ。しかし軍を集めておかなければ、クナに攻め込まれた際、ひとたまりもない。そういう葛藤に、この国家は苛まれている。

 ──ヤマトの地で、笑っている者がおります。

 というクシムの耳打ちを、マヒロは思い出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る