第十二章 絡め火
父の背
オオミは、かつて戦ったサザレの地にいた。
イシの地と、同じことが起きた。サザレの兵を一呑みに揉み潰そうとし、良いところまで行ったところで、北の海岸に船団が乗り付けた。
サザレの軍は半分は削っていたが、それが新たに現れた軍に収容され、合わせて三千ほどの軍に膨れ上がった。それに兵が怯えたりせぬよう、オオミは声を張り上げて叱咤する。
サザレの地ならば、クナの本拠であるイヅモから比較的近い。イシの地よりも多い兵が乗り付けても不思議ではない。イシの地には主力ではない部隊がやってきたわけであるが、こちらはどうか。
総じて、ヤマト兵より、クナ兵の方が多い。オオミは軍を二つに分け、それぞれに密集を命じ、片方を襲えばもう片方が後ろを衝くことができるような構えを見せて、クナが手出しができぬようにした。
最悪の場合、退却することもオオミは視野に入れながら、睨み合った。
クナが、動いた。前進してくる。軍を二つに分け、それぞれを別個に襲うつもりらしい。そうなれば、各々の兵数はほぼ互角となる。
イズモの地から遠征してきているクナ軍を多く含みながら、消耗戦を挑んでくるとは、正気の沙汰ではない。何か、あると見た。ヤマトもまたここまで打って出て来ているわけであるから、互角の消耗戦は避けねばならない。
やはり、退却である。最も考えられるのは、退却した先に敵が伏せており、囲まれることである。退却する方向の前方各方位に、馬で絶えず物見を出しながら、退がった。こういう点も、オオミの堅実なところが出ている。かつて、カイがオオミを助けるため駆け抜けた平原を、慎重に、ゆっくりと退却する。平原を抜ければ、山に入る。山に入れば、追撃は無理である。
兵を伏せるとすれば、この原野の南端、丘が並んでいるところであろう。行きには何もなかったが、どこから敵が湧き出してきてもおかしくない。
その丘も、過ぎた。オオミは、二つに分けた軍の片方の
クナも、まさか、ただ数を集めて正面から押してくるだけなどということはあるまい。どう考えても、おかしい。
そのとき、二つの軍とそれをそれぞれに押す敵の間を、騎馬隊が駆け抜けて行った。オオミは、やられた、と思った。先の戦いのときも、ヤマト軍はこのサザレの地までの山越えのために馬は使えなかった。敵は、船で馬を運んできたらしい。その数、二百。間違いなく、クナであろう。通り過ぎた先頭の男と、目があった気がした。軽装で、長く縮れた毛を風になびかせる色の黒い男。
セイである。オオミらの軍の背後で、馬を返した。二百の騎馬で、背後から突っ込んでくる。オオミのいる方の陣を、狙ってきた。やはり、さっき眼が合ったのは、気のせいではなかったらしい。狙っているらしい。その突進力はすさまじく、陣の後方の衝撃がオオミのところまで伝わってくるほどであった。
「踏み留まれ!」
オオミは、父譲りの怒号を放つと、反転した。もう、騎馬隊はすぐそこまで来ている。剣を振るうセイと武器を合わせようとしたが、セイはオオミを避け、もと来た方へ突き抜けた。騎馬隊が全て通りすぎると、また原野に弧を描き、反転してくる。
真っ直ぐに、向かってくる。
オオミの矛が、弾かれた。なんという剣か。
「脚だ。脚を狙え」
馬の脚を斬り、兵を落とせば、騎馬は簡単に潰れる。騎馬の進む方で、悲鳴が上がっている。それが味方のものなのか、敵のものなのか、乱れきった陣形の中のオオミの位置からでは分からない。
騎馬隊の突撃で、陣は動揺している。二百の騎馬隊の一往復のうちに、兵一人につき三人倒されたとして、六百の損害になる。騎馬を揉み潰そうにも、蝿のように動きが速い。
こうなれば、指揮官を倒すしかない。
後方から、二往復目が始まった。
オオミは、矛を握りしめた。
来た。
セイの馬を、ぎりぎりまで避けようとはせず、ぶつかる直前で横に転がった。そのとき、馬の脚を斬った。
馬が、倒れた。
草の匂いが鼻に満ちるのに任せて顔を上げると、目の前に、あの縮れ毛の男が立っていた。その率いる騎馬隊は一度通り過ぎて、セイが手を上げると、その背後で一列になって止まった。
「ヤマトの、将だな」
イヅモの地の戦後処理のとき、互いに顔は見ている。
「キヅ候、オオミである」
セイは、眉を動かした。笑ったらしい。
「候、か」
「クナ候の意思か、これは」
オオミの眉が、吊り上がっている。
「クナ候など、もうおらぬわ」
「なんだと」
ヤマトの吏を斬り、イヅモに入ったセイは、先のヒコミコの子である候もその兄弟も、一人で皆殺しにしていた。だから、今、クナには候もおらぬ。いたとしても、ヤマトから離脱した時点で候ではない。
「あるのは、我がヒコミコのみ」
「誰のことを、言っている」
「ヒコミコとは、この天地の間にヒコミコ一人しかおらぬ」
マヒロが、火を継ぐ者、として名指ししていたクシムという、我が子コウラと同じくらいか少し上の年頃の若者のことであろうか。見たときは腕の
「オオミよ。私を倒せば、この戦い、逃げられると考えたな」
セイは、剣を構えた。
「では、機会をやる。我が屍を越え、我が兵を振り切り、ヤマトへ帰るがよい」
セイは、わざわざ歩いて、オオミと位置を入れ換えた。セイの背後に、ヤマトの兵。オオミの背後に、セイの騎馬隊。押していたクナの歩兵も、一度退がっている。
静寂。初夏の草を撫でる風だけが、動いている。セイの猫のようにしなやかな身体つきを見てその敏捷であることを想像し、大振りな矛では仕留められぬとオオミは見た。矛を捨て、剣に持ち替える。それも、セイは待ってくれた。将同士の一騎討ちである。邪魔は入らぬ。
父は、こうして戦い、そして死んだ。以前、このサザレの地で戦ったとき、父もそこにいた。しかし、今は父は見えぬ。まだ、死なぬということだとオオミは思った。
空気が、張り詰める。
何かが、満ちてゆく。
それが張り裂けそうになるほど膨らんでゆくのを感じた。セイも感じているのかどうかは、わからない。
全く、表情のない男である。呆けたような顔をし、分厚い唇を少し開き、オオミを見ている。いや、見ているのかどうかも、分からない。
オオミは、汗が流れるのを感じた。
歳は、オオミの方が上である。気づけば、四十を越えていた。
セイの方がやや若いが、その歳の差を埋めて余りあるほどに、武を磨いてきたつもりである。そして、なにより、自分はヤマトの勇者、ユウリの息子なのだ。
それが、はち切れた。
セイの懐から、光が放たれる。
飛刀。
弾けば、隙になる。身をかわした。
セイも、飛刀のように、こちらに真っ直ぐに駆けてくる。速い。
楕円を描くように、剣が旋回するのが、分かった。
刃が、擦れる音がした。オオミの剣が、弾かれる。
空いた所へ、突き。
大抵の敵は、これで屠られる。今まで屠られなかったのは、マヒロだけである。
オオミは、そのまま仰向けに倒れこむことで、その突きをかわした。
セイの攻撃で屠られなかった、二人目の男が生まれた。そのまま足払いを繰り出しつつ、オオミは起き上がった。
セイは、少し苛立ったような顔をした。
「どうした」
「──お前たちは、どうして、そうなのだ」
「言うことが、分からん」
「いつも、私の前に立ちはだかり、死ぬはずの戦いで死なず、生き延びる」
「分からん」
「何が、お前たちをそうさせるのだ」
今度は、オオミから攻めた。カイのような軽やかさはないが、重い。鉄が鳴り、セイの剣を押した。セイは身体を寄せ、兜の下に露出している眉間に頭突きを食らわせた。オオミが退がる。
「甲冑を、脱ぎたい」
オオミは、セイに言った。セイは、剣を少し下げた。オオミは豪胆にも兜を脱ぎ、鎧も捨てた。
「ゆくぞ」
オオミの動きが、変わった。立て続けに斬擊を繰り出し、セイが防戦に回った。
斬り下ろす。
もう一度、斬り下ろす。
更に、斬り下ろす。
セイは剣で受けているが、三度目の斬擊が剣を押し、
生身になったオオミの腹に放たれる膝蹴りの勢いを、僅かに身を引くことで殺した。
二人、同時に撃つ。
互いの剣を跳ね返す。
二人とも、肩で息をしている。
「マヒロの影に隠れていると思えば、意外と、やる」
セイが、厚い唇の向こうで言った。
「お前も、マヒロ様を悩ませるだけのことはある」
沈黙。風だけは、なおなにごとかを囁いている。それに応えるようにして、鳥が一羽、戦いなど知らぬような顔で、飛び立った。その鳥の名前を、オオミは思い出そうとした。
鳥の向こうには、山。その向こうには、ヤマトがある。そこへ、帰らねばならない。
長い、対峙。二人の息が、戻ってきた。再び、気が満ちてゆく。
「私は、勇者ユウリの息子。このようなところで、敗れはせぬ」
セイが、姿勢をやや低くする。
「気負うな。気負えば、死ぬぞ」
オオミも、剣を構え直した。
「お前は、ただ私の敵。私は、ただお前の敵。それでよい」
セイの
オオミが、信じられぬほどの速さで距離を詰める。
馳せ違う。
セイの肩口から、血が噴き出した。
オオミは、姿勢を低くした。そうすると、草の一本一本まで、
もう一度、馳せ違う。
セイの
更に、馳せ違う。
セイが、片膝をつく。
その背後に、オオミは突進した。
セイが、剣を
転がる。転がりながら、飛刀を放つ。一本が、オオミの肩に刺さった。
構わず、そのまま撃ち込んだ。
たまらず、セイが身を離した。
「なんなのだ。お前は」
「重ねて言う。ヤマトの勇者ユウリの息子、キヅ候オオミである」
「私は、先のヒコミコのため、その兄弟を殺し、そのヒコミコが見定めた、火を継ぐ新たなヒコミコのため、数々の命を屠ってきた」
オオミは、黙って聴いている。
「一人殺し、その屍を積み、一人殺し、その恨みを受け、歩んできたのだ」
セイは、多弁になっている。
「例え、神の火が私自身を焼こうとも、私を止めることは、できぬ」
「愚かなり。その道の先に、何があるというのだ」
「分からぬ。どうでもよい。しかし──」
セイの剣が、上がった。
「──捨てられぬものなら、私にも、あるのだ」
「ならば、互いに、それを懸けよう」
向かい合う。静かである。兵の叫ぶ声も、鳥の声も、聴こえない。色彩すらも、音を失ってゆく。
同時に、地を蹴った。
鉄が、甲高い音を立てる。
オオミの剣が、斬れた。技量の差なのか、想いの差なのか、分からない。
セイの突きが来る。斬れた剣の柄で、その刃を叩き、逸らした。
脇腹に、焼けるような痛み。
セイが、剣を引く。
オオミは、その剣に付いて行った。懐に入る。
組み合った。傷が、深い。力が入らない。
それでも、足を掛けると同時に渾身の力を込め、セイを押し倒した。
馬乗りになり、首に手をかける。
そのオオミの上体が、のけぞった。
胸から、
それが二本になり、三本になった。
オオミの吐いた血が、セイの顔にかかった。
オオミが背にしているクナの軍から、矢は放たれた。セイが危なくなったとき、そうするよう予め言い含めてあったものらしい。勝つなら、どのような手段を用いてでも、勝つ。そうしてでも、セイは生きなければならなかった。
オオミの力が、緩む。
決して、倒れてはならない。ユウリの息子が、倒れてはならない。
「こだわるな、と言ったはずだ」
セイの声が、遠くで響いた。
「こだわれば、死ぬ、と」
膝から、力が抜けて行く。
「こだわったから、お前は死ぬのだ」
セイの剣が振り下ろされてくるのが、ゆっくりと、とてもゆっくりと見えた。
それが肩に入り、骨を絶ち割り、獣のように自分の命を食い荒らしてゆくのが、分かった。
オオミは、白い闇の中にいた。
前を、ユウリが駆けてゆく。身に付ける鎧も、手にする矛も、長く白い髪も、それは紛れもなく父であった。
オオミは、その背に続いて、駆けて行った。
遠く、遠く。
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