三軍の計

 夜が明けた。楼閣の前の広大な敷地には、マヒロとカイの兵、それに戦いの始まりに諸地域から集めた兵、合わせて八千が集結している。

 イヅモの東の地で待機しているであろうオオミの軍と合わせれば、一万を越える軍となる。残りの兵は、ヤマトの守備を担う。

 マヒロは、有り難い訓示などは垂れぬ。ただ、黒雷にまたがり、愛用の剣を右手に掲げ、

「決戦である」

 と、一言だけ言った。

「イヅモへ」

 剣を、振り下ろした。兵達が、狂ったように声を上げる。この前例のないほどの大軍の兵糧やそれを輸送する隊の編成、荷車などの手配は、タクが全て行った。タクがどのような眼でヤマトを見ているのかは依然分からぬが、まさか、ヤマトの兵がことごとく死に、国もサナも全て消滅してしまうようなことなど望むまい。現にこの前代未聞の仕事も、驚くべき速さで、彼は仕上げた。

 ヤマトからイヅモまで、かなりの距離があり、海路を使っての輸送もできぬため、制圧した地点それぞれに物資を運び込み、輸送すると同時に一部は残し、ポンプ輸送のような形を取れるようにした。

 ある地域に集積された物資はその地域の投降兵や民を対価をもって使役し、その次の集積点まで運ばせる。受け取った地域の者は、更にその次の集積点まで、という具合である。これで、輸送隊それぞれの負担は、軽減される。八千の兵の食料や武器などとなれば、輸送隊の人数も膨大なものが必要となる。それを解決する策であった。

 マヒロは、先頭になり、黒雷を進めた。ほんの少し、振り返った。楼閣の三階の欄干に手をかけ、見下ろすサナがいた。

 山を越え、川を渡り、八千の軍はひたすら進む。随行する最初の輸送隊は、イシの地で一旦荷の一部を下ろし、最小限の食料と装備を積んで、イヅモまで随行する。あとの手配りが上手くゆけば、物資は断続的にイヅモへと運び込まれるはずである。

 十日ほどで、イヅモの地に着く。そこまであと半日、という境界線にある大きな丘に、オオミは陣を敷いていた。制圧した東隣のクニの都邑とゆうを引き払い、マヒロらの来着を待っているのかと思ったが、違う。そもそも、オオミの次はカイの番であり、マヒロらの進発を知らぬはずである。近づくにつれ、やや様子がおかしいことに気付いた。兵も、やや減っている。

 馬が、駆けてくる。オオミである。

「マヒロ様」

「どうした」

「よかった、カイだけでなく、マヒロ様も来てくれるとは」

 オオミは、随分と憔悴しているらしい。マヒロとオオミだけでなく、タチナラ、コウラ、ナナシ、カイが集まった。

「何が、あったのだ」

「クナが、前触れもなく、イヅモに入りました」

 やはり、という思いがよぎった。

「イヅモに放っていた者の報せによれば、その数、およそ七千。西の陸から、北の海から、涌くようにして現れたと言います」

「案ずるな。我らは全て合わせ、万を越えることになる」

「数で、飲み込みますか」

 どうやら、交戦をしたらしい。これまでのクナに従っていたクニの兵とは比べ物にならぬくらい強いという。

「ヒナモが、討たれました」

 とオオミは自らの副官の死を告げた。マヒロは、ことの尋常でないことを、それで察した。

「はじめ、互いに出方を窺うように、矛を合わせていたのです。クナがじりじりと退がり、我らはじりじりと押していました」

 オオミほど冷静な者が、罠に嵌まったというのか。

「私が、敵の部隊の指揮官を討ちました。その衝撃はクナの全軍に伝わってゆき、一気にイヅモの都邑に向けて壊走しだしたのです」

「それを、追ったのだな」

「追いました。その先にある、両側に丘のある場所まで、誘いこまれました」

 あとの情景は、聞かずとも分かった。丘から兵が現れ、矢を射かけてくる。引き返そうにも退路は既に塞がれている。前方から、馬。オオミの軍は、大懐乱であったことであろう。

「何人、死んだ」

「千を越えております」

 三分の一が、死んだことになる。

「ヒナモも、雨のように降り注ぐ矢から私をかばい、傷を受け」

「矢で、死んだのか」

「いいえ」

 そのことを、オオミは語りだした。


「オオミ様!」

 ヒナモが、オオミを庇う。肩や、腕、足に矢を受けた。

「ヒナモ!」

 退く者、退けぬと分かって進む者と、混乱を極めている。

 そこに、前方から更なる衝撃が伝わってきた。

「馬です!」

 ヒナモが、地に片膝をつきながら叫んだ。両側からせり出した丘の間のこの道は、狭い。もし、オオミがこのような前例がもっと積み重ねられた後代に生まれていれば、この地形の危険を見た瞬間に察していたであろうし、たとえばカイならば、臭う。として深追いはしなかったかもしれない。しかし、オオミは進んだ。進んでから悔いても、遅い。

 馬の群れの先頭に、あの縮れ毛の男。オオミの旗目掛け、まっしぐらに駆けてくる。地に膝をついたままのヒナモが、立ち上がった。

 馬が、通り過ぎた。オオミはヒナモに吹き飛ばされ、尻餅をついた。首のないヒナモの身体が、その前に倒れてきた。


「あの縮れ毛が、出ているのか」

 マヒロの眼に、これまで挑み、ついに討てなかったあのヒコミコのの姿が蘇る。ナナシが、それを見ている。

「オオシマでも、トオサでも、討てなかった者だ。あれさえ討てば」

 ナナシは、小さくかぶりを振った。気負うな、ということであろう。

「マヒロ様」

 ナナシは、いきなり女の声を発した。オオミやカイ、タチナラは勿論、ナナシがマナであることを知るマヒロやコウラも驚いた。

「大軍を恃んでいるように見せかけるのです」

 と、覆面の奥から声が続いた。皆、呆気に取られている。

「その実、敵には、兵を迂回させていると思い込ませます。いえ、実際に迂回させます」

 ナナシが、地に図を描き、示した。ナナシの言うところによると、マヒロ、オオミがいる本陣をイヅモの都邑を攻める構えで東側に配置し、そこからカイの兵を分け、二千で迂回させる。前方に気を取られているうちに、南側から攻めるらしい。

「思い込ませる、とはどういうことだ」

 マヒロが問うた。ナナシは、更に図に線を書き加えた。

「敵は、カイ様を討とうと、南側にも兵を集めます。カイ様はわざと気配を多く出し、迂回を敵に悟らせるのです」

「悟らせて、どうするんだ」

 カイが、風に流された結わぬままの髪が張り付いた唇を開いた。

「カイ様は、あくまで、敵の注意を引き付けるのみ。必ず、敵はこの地点で、カイ様の横腹を食い破ろうと、攻撃してきます。カイ様は、それを受けてできるだけ南に逃げ、戦いにならぬようにして下さい」

「それで」

 オオミが、図を眺めながら、眉間に皺を寄せる。

「マヒロ様とオオミ様がいる本陣、と言いましたが、そこにはオオミ様しかおりません」

「どういうことだ」

「マヒロ様は、北へ向かいます」

 都邑を示す長方形の背後に、更に長方形を書き加えた。

「おうの海」

 とナナシは言った。かつては、陣を敷く予定の地の北に横たわるさらに大きな湖と合わせた浅い海であったものが、そこに堆積物が重なり、陸から切り離されてできたという大きな湖で、今では宍道湖という名で呼ばれているが、この時代何と読んでいたのか無論分からぬため、最も近い時代であるかと思われる万葉集に記載されている呼称を用いることとする。

 この湖では古くから漁業がさかんで、今でも発掘すればモリやヤスなどの漁具が出る。また、シジミなどの貝もよく獲れ、この時代もまた、この地の人々にとって貴重な恵みとなっていた。近年は遊泳が禁止されるほどの水質の悪化が顕著で、漁業にも影を落としているらしいが、この時代においては、広く、浅く、透明な湖であった。

 その、おうの海の東の端は、イヅモの都邑の西の端に直結している。イヅモの都邑は北と南に丘が挟み込むようになっており、東と西に向け、開けている。東から攻めると見せかけ、南の丘に向け陽動し、マヒロは北の丘へ。丘を越え、川を遡り、おうの海をも渡る。東方と南方に注意を向けさせ、攻めの一手は、裏側となる西側から。まさか敵は、湖を渡り、マヒロが都邑の背後からやって来るとは思うまい。湖岸線ぞいに進軍するよりも、川からそのまま舟で湖に乗り付けて湖を渡る方が、より早く都邑へ進撃でき、西側からその細い平原を進めば、背中から都邑を潰せる。

 マヒロは、千人だけを連れ、ほんとうに敵に気取られぬよう進発する。ヤマトの陣を見たクナの作戦立案者は、すぐにその兵の少ないこと、マヒロのおらぬことに気付くであろう。

 ――マヒロめ。どこへ行った。

 そうしてマヒロを探すうち、南に迂回する二千の軍を発見するのである。

 ――そこにおったか。

 そうして、敵は正面のヤマト軍に睨みをきかせるのとは別に、南の軍を打ち破るべく、三千ほど兵を裂き、奇襲の先手を打ってくるはずだ。そうなれば、正面を守るのは、四千になる。南で戦いの気配が巻き起これば、当然眼もそちらに向く。カイは、巧みに奇襲軍を引き離す。そのとき、マヒロが西から上陸し、大いに暴れまわる。その混乱を見た正面の本陣が、一気に攻める。都邑の変事を察した南の軍が、引き返す。カイはその背後を襲い、突き破り、都邑へと殺到する。あとは、数で揉み潰せばよい。

「なるほど」

 オオミもカイもタチナラもコウラも、納得したようである。

「マヒロ様、いかがです」

 ナナシはマヒロに作戦の是非を問うた。

「船は、どうする」

「今から人を発し、漁をする者の船を、ありったけ集めます」

「ふむ」

「地形の探知などが十分ではありませんが、この作戦は有効だと思います」

「そうだな。よく考えてくれた。ナナシ」

 マヒロは、八重歯を見せた。これで決まりである。


 それから、数日の後。東の地の、おうの海とはまた異なる湖のほとりにいたヤマト軍が、一気に動いた。

「この地の東に、ヤマトは陣を組みつつあります。数を恃み、正面から押してくると思われます」

 クシムが、セイとヒコミコに言う。ヒコミコは、座ったまま目を閉じている。セイが、考える素振りをしている。

「ただ、押してくるか」

「はい」

「正面の陣の、規模は」

「今、探らせております」

「奴らのことだ。ただ攻めてくるだけではあるまい」

 ヒコミコが、薄く目と口を開いた。

「何か、ある」

「探らせます」

 物見に出していた者が、戻った。報告を聞くと、兵の数が少ない。

「やはり」

「先の戦いで、オオミの兵を削ったとはいえ、新たに来着した兵の数だけでも我らを上回るはず。残りは、どこだ」

「恐らく、軍を分け、こちらを奇襲してくるのではないでしょうか」

「とすれば、南の丘か」

 南の丘は、北の丘に比べ規模が大きく、草も深い。大軍が攻め下ろすにはちょうどよい。このイヅモの地の、古い有力者の墓などがある場所で、この後も、古墳などが築かれ続ける。

「マヒロが、そこにいるはずだ」

 ヒコミコが、言った。

「探せ」

 クシムは、一人になると、土にこの周辺の図を描いた。ナナシの描いたそれよりも、やや詳しい。南北は丘に守られ、漏斗ろうとの口のように狭くなったところにある都邑の守りは固い。やはり、攻めるとすれば、南からだ。北にも丘があるが、南の丘よりも小さく、低く、攻め下ろすには弱い。西の平原に回り込み、漏斗の先から逆流しようとする者は南北の丘を越えなければならず、南の丘は西に向かってそのまま山塊となっており、北の丘を越えた先には大きな川が行く手を阻んでいる。マヒロに翼でも生えぬ限り、必ず南の丘から攻めてくる。

 しかし、マヒロに翼が生えれば、どうなる。北の山の塊から吹き下ろす風に翼を立て、いきなり攻め寄せてくる。西の、おうの海の湖上を飛翔し、背後に降り立つ。それくらいのことを、やりそうな相手である。

 翼。それを、クシムは人が用いる何かに置き換え考えた。

 舟である。


 カイは、南に向け進発した。わざと、音を立て、大声で兵には話をさせ、自らも得意の歌を歌った。できるだけ、こちらに敵を引き付けねばならない。見つけてくれ、見つけてくれ、と願いながら進んだ。

「マヒロ様、今ごろ丘を越えたかな」

 カイのいる南の丘の方が、険しい。それにしても、ゆっくりと進んだ。このまま丘のへりに沿って進んでいけば、都邑の南にそのまま出るはずである。ナナシが指定した敵の襲撃が想定される地点まで、もう少し。

 ちょうどその頃、マヒロは北の丘を越えた。既にナナシの手配りにより、船が河岸に並べられている。十人乗りの船が、百艘。小型の舟しかないが、漁をするためのものであるから仕方ない。細長い、バナナのような形をした舟は、波の影響を受けやすく長距離の運行には向かないが、川の遡上には水を切って進むため船速が速く、取り回しが良い。漁を生業とする者の、太古からの知恵である。櫓と、棹で進む。乗り込む者が、自ら漕がねばならない。ゆるやかな流れを、裂くようにしてマヒロらは進んだ。

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