第八章 揺れ火

マナ

 クシムは、闇と話していた。

「どうだ、タクの様子は」

 ――はい。聞くところによると、近頃はめっきりをひそめ、大人しくなったようです。

「ヤマトのヒメミコは、タクを斬らなんだか」

 ――クシム様の、お考えの通りでした。

「タクは、あの妻に直接、我らが関わりを持ち、脅したこと、気づいてはいまいな」

 ――おそらく。

「まさか、勝手に死におるとはな」

 ――あと、変わったことと言えば、マヒロがウマの地に出向き、乱を起こさせることなく治めたということでしょうか。

「ふむ。やはり、一筋縄ではいかんか。そちらは引き続き、人を使え」

 闇からの返事は、もう無い。


 マナ、という不思議な女がいる。サナの身の周りの世話をしている、二十前の女である。見目もよく、気もよく付くため、マヒロもその顔と名を記憶していた。

 あるとき、マヒロとすれ違うとき、

 ――オオトのタク様のことで、お知らせしておきたいことがあります。

 と言った。マヒロが見ると、マナは目を細めて笑い、夜、楼閣の裏手の塀のところまで来てほしいと言う。ハツミのこともあるので、マヒロは自らの身辺に近付く女には、非常に注意を払っていた。

「なぜ、今、言わぬ」

「ことが、大きなことですから」

 と肩をすくめ、言った。

 夜になり、マヒロは、剣を二本き、指定された場所に向かった。マナは、すでにそこにおり、マヒロを待っていた。

「このような所にお呼び立てし、申し訳ありません」

 と、マナは月明かりの中で言った。月の光に照らされると、不思議と身体の線が浮き上がるように見える。サナよりも長い手足が、緩やかで艶かしい曲線を描いている。

「それで、何だ。話とは」

 マナは、マヒロに、いきなり身を寄せてきた。マヒロが、剣の柄に手をやりながら、

「何をする。やめろ」

 と小声で制する。

「いいえ。どうか、このままお聞き下さい。タク様は、ヒメミコを亡くされてから、なお、クナと通じておられます」

 と、重大なことを言った。

「なんだと」

 マヒロは姿勢を変えず、囁いた。

「様々な場所に、人が放たれております。わたしの同役の者の中にも」

 それがほんとうなら、重大なことである。サナの身の回りにクナの手の者がいるなら、すぐに誅してしまわねばならない。

「わたしの同役の者が、見たことのない男と、身体を重ね、話していたのです」

 マヒロは、剣の柄から手を離した。身体を密着させているとはいえ、マナがおかしな動作をしてくればすぐに打ち殺せるよう、気構えは解いていない。

「その者らが言うには、タク様は見事ヒメミコに許された、謀り事を引き続き進めるゆえ、はやくクナにこのことを伝えよ、と」

 これで、決まりである。このマナが見聞きしたことをサナの前で証言させ、タクを斬る口実にする。女王を偽ったわけであるから、死を与えるには十分な罪である。

 微かに、足音がした。マナは、マヒロの背に手を回してきた。月明かりの下で、男女が絡み合っている格好になった。

「続けて下さい。人が、こちらに来ます」

 おもむろに唇を重ね、そのままマナは言った。髪に塗り込んだ花の油の香りがする。

 塀沿いに歩いてきたその足音は、マヒロとマナの方を覗き込んできた。

「なにをしている」

 声に、聞き覚えがあった。確か、楼閣の中で倉の番をしている男である。倉を開かせるとき、何度か声をかけたことがある。

「邪魔をするな。今、良いところだ」

 とマヒロは言い、マナを草の上に押し倒した。男は面食らった様子で、立ち去った。マナが、マヒロとなおも唇を合わせながら、言った。

「あの声、聞き覚えがあります。先程申した私の同役と、話していた男です」

 そういえば、倉番が倉を離れ、楼閣の裏手にまで来るというのは不自然である。敷地は広大で、倉のある位置からここまで歩くと、かなり距離がある。

 マヒロは黙ってマナから身を離し、するすると月明かりの下を滑るようにして動き、男のあとを尾けた。男は倉の方には戻らず、敷地を出ていった。

 出ていったところに、見知った顔があった。マナ同様、サナの侍女のような役目をしている女である。

 二人は小声で何か言い交わし、脇の小屋に入った。マヒロは素早く小屋の壁に背を付け、中の気配を聴いた。どうやら交合しているらしい。時折、鋭く上がる女の声に混じり、会話が聞こえてくる。

 ――では、タク様は、今はまだ動かれぬというのか。

 ――わたしが聞いたところでは、力を今は蓄えるときだ、と仰っていたとのこと。

 ――ふむ。では、クナの意は、どうするのだ。

 ――クナとて、ヤマトがすぐに傾いたりすることは、望んでおりますまい。タク様の意思と、そこは同じであるかと。

 また、女の鋭い声が上がる。マヒロはゆっくりと、右手の剣を抜いた。

「なにを、なさるのです」

 マナが、マヒロの袖を取った。マヒロはマナを一瞥いちべつすると、剣を壁板に突き刺した。女の喜悦の声が、断末魔に変わった。

「前に、回れ」

 剣を引き抜き、マナに言った。小屋の入り口に回り込み、中を見ると、女は男の上に跨ったまま、胸から血を吹き出している。その女をマヒロは蹴倒し、男根をむき出しにしたままの男の首筋に剣をあてがった。

「なにを」

「マナ、火を焚け」

 火が、灯った。照らされて浮かび上がったマヒロの顔を認め、男は声をあげた。

「お、お助け下さい」

「どうしておれがここにいるか、分かるか」

「わ、わかりません」

「では、どうしておれがこの女を刺したか、分かるか」

 男は震えている。

「お前の知っていることを、洗いざらい吐いてもらうぞ」

 マヒロは男に剣を突き付け、立たせた。

「マナ。ヒメミコを、起こしてこい。おれの部屋に来るよう、伝えるのだ」

 マナはこくこくと頷くと、走り去った。

「あの女は、疑わなくていいのか」

 歩きながら、男は言った。

「なんのことだ」

「あの女は、俺たちのことを、いつも嗅ぎ回っていた。クナの意を受け、ここにいる俺たちのことを嗅ぎ回るとしたら、あれはタクのではないのか」

「だとすれば、お前の後に、あの女を斬るまでた。早く歩け」

「あの女の唇、甘そうだったな」 

「黙れ」

 確かに、若い柔らかさのある唇は、甘かった。だが、今はそれどころではない。

 楼閣の入り口にまで来て、中に入れた。マヒロの部屋は、二階。既にサナを起こし、マヒロの部屋に招じ入れ終えたマナが、きざはしの上から顔を出した。

「登れ」

 マヒロは、男の背をぐいと押した。階というのは、階層と階層を繋ぐ階段のようなものであるが、ほとんど梯子に近い傾斜を持つ。


 ちなみに、「階段」と言う呼称は驚くべきことに、ごく近年になるまで生まれず、たとえば江戸時代くらいでもまだ、階層と階層を繋ぐ構造物のことを「きざはし」もしくは「はしご段」と言った。

 以前ある時代劇ドラマで、主人公が「おう、そこの階段の下だよ」と言っていたが、歴史的には正しくない。ドラマの出来映えとは無関係であるためそれを茶の間において批判するのは無粋というものであるが、「はし」は「梯」、あるいは「橋」である。これらは元々、高い場所と低い場所を繋ぐ何かしらの物を意味した。古代の神道において、天に向け設置されたハシゴのことを「タカハシ」と言い、それが「高橋」というこんにちにおいても一際多くある名字の由来になった、というのは比較的有名な話であるが、今男が両手を使い登っているのも、まさに「ハシ」である。


 そのハシを登り終え、男は、裸のままマヒロの部屋に入れられた。

 部屋には既に火が灯されており、サナが座っていた。

「この者、クナの意を受け、ヒメミコのことをあれこれ探っておりました」

 サナは、ふむ、と答えた。

「このマナが、タクと通じているクナの者がいる、と知らせてくれ、この男を捉えることができました」

「血で、濡れておるの」

「マナと同じく、ヒメミコの身の周りの世話をしている者の一人も、同じようにこの男と手を組み、クナのため動いておりましたので、女の方はその場で斬りました。ヒメミコに付いた者ですので、本来であれば許しを頂いてからそうすべきなのですが」

 サナはそれには答えず、

「クナは、そしてタクは、一体何を考えておるのじゃ」

 と男をまっすぐに見て言った。そういえば、タクがサナに命乞いをしたとき、を持つ者として、この男の名も入っていた。

「俺は、タクのために動いていたわけではない。タクと、クナを繋いでいただけだ。タクが自ら雇い、このヤマトの中にはなってある者も、いるはずだ」

 男はマナを見た。

「マナ。お前は、そうなのか」

「ヒメミコ。決して、そのようなことはありません」

「では、なぜこの男らのことに気付いた。同じ間者同士だったからではないのか」

「違います」

「では、何だというのだ」

 マヒロが、男に剣を突き付けたまま、マナに言った。

「お役に、立ちたかったのです」

「なんの」

「マヒロ様の」

 と言い、マナはうなじを赤く染めた。サナは弾けたように笑った。

「マヒロ。お前、女に好かれるのう」

「馬鹿な」

「マヒロ様にとって、ヒメミコが全て。ヒメミコを騒がせる者があれば、マヒロ様のお心も乱れましょう。わたしは、ただ」

 マヒロ様のことを思って、とマナは言った。

「いじらしい奴じゃ」

 サナは、まだ笑っている。

「なんだ、この茶番は。斬るなら、早く斬れ」

「まだだ。おれは、タクが明らかにクナと繋がっているという証が欲しい。それを、ヒメミコに示せ。そうすれば、命は助かるかもしれん」

「むだだ。話せば、クナの者に俺は消される。話さねば、今ここで斬られる。どっちにしろ、俺は終わりだ」

 と男は自嘲的に笑った。

 マナがタクの放った者であるかどうかは分からない。だがこの男が、タクとクナを繋いでいたことは間違いない。だが、それは以前のことであり、今はもうクナとは連絡は取っていない、とタクが言い張った場合、どうすればよいのか。

「もう、よいのではないか。どのみち、この男とは、これ以上話はできぬらしい」

 サナは、自室に戻りたがった。マナがそれに付き従おうとしたが、マヒロが許さなかった。

「おれと、来い」

 サナはあくびをしながら、部屋に戻る。マヒロはマナを伴い、楼閣から再び出た。

「俺を、どこに連れて行くつもりだ」

「どこにも、連れては行かぬ」

 先ほどの小屋まで、戻ってきた。

「この女を殺し、お前は自ら命を絶ったのだ」

 男に自らの剣を突き付けたまま、すらりと男の腰から剣を抜き、喉を刺し貫き、力を失った男の体重がかかってくるのを横に流した。

 二つの死体から、マナは眼を背けた。

「お前が、タクの手の者かどうか、分からぬ。お前は明日から、今まで通りヒメミコの世話に戻れ。しかし、少しでもおかしなことをしてみろ。お前もすぐにこうなる」

 マナの可愛い顎を持ち上げ、マヒロは言った。口づけを乞うように、マナの唇が動いた。

「わかりました。もし、わたしにおかしなことがあれば、どうぞこの剣で刺して下さい」

 と言い、マヒロの剣をそっと握り、自らの胸の前に持っていった。剣を握り、手のひらが少し切れたのか、白い絹に、血が滴った。

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