蛇と女王

 タクは、オオトの楼閣の、夫婦の部屋で、マオカと二人で話していた。イヨの部屋は既に別に設けてあるので、二人きりである。

「身の周りを、洗われている」

 端的に、タクは言った。マオカが緊張するのが分かった。

「タク様、もう、怖くなってきました」

 不安げに、タクの袖を掴んだ。

「以前より連絡を取っている者が、変わった気配がある。連絡を伝えに来る者は、何も言わぬ。恐らく、何も知らされておらぬのであろうが、どうもそのような気がする」

「いったい、どなたと示しを合わせておられるのです」

 タクは、マオカにも、一体自分がどこの意を受けて行動しているのか言わない。

「だんだん、怖くなってきています」

 重ねて言った。マオカにすれば、この不安を打ち明けられるのは、タクしかいない。

「そう言うな。必ず、お前を、女王にしてみせる」

 タクは、マオカの長く美しい髪を撫でてやった。それでもマオカの思い詰めたような顔は変わらない。

「この企みが露見してしまえば、わたしも、タク様も、イヨも、殺されてしまいます」

「大丈夫だ」

「でも、身の周りを、洗われているのでしょう?」

「それはヤマトの者にではない。恐らく、私に連絡をしてくる者が代わり、私が何者であるのかを、確かめようとしているだけだろう」

「でも」

「大丈夫だ」

「危のうございます」

 マオカは、いつになく頑固である。しばし、沈黙。焚かれた火がぜる音がして、マオカは眼を上げた。切れ長の一重の眼に、強い光が宿っている。

「ヤマトのヒメミコに、一切を話し、許しを請いたいと思います」

 思い切ったことを言った。いや、ずっと考えていたことなのであろう。洗いざらい話してしまい、許しを請えば、サナなら殺しはすまい。

「ならぬ。それは駄目だ」

 タクにすれば、ここでそれをすれば、己の人生を、棒に振ることになる。それでは一体何のために、自分は生まれてきたのか、分からぬようになる。

「先の王に、あなたの持ち込んだあの恐ろしい銀色の薬を盛り、密かに殺したとき、気付くべきでした」

 マオカは、墓場まで持ち込むはずであった二人の最大の秘密に触れた。タクが、大陸渡来の不老不死の霊薬であるとして持ち込んだ、水銀のことである。


 余談であるが、この時代より更に昔、かの秦帝国の始皇帝は、不老不死を求め、人を使って様々な薬を探させ、これがそうです、と差し出された、あらゆるものを口にした。その中にも、水銀があったとされる。人体に入ると激しい神経毒となるこの金属は、大量に服すれば勿論すぐ死ぬが、少しずつであればすぐには死なぬ。さすがに始皇帝が死んだのは水銀をんだことが直接の要因ではなかろうが、もし本当に水銀を服んでいたのであれば、全く無関係とは言えまい。

 タクは、それを知っていた。病を得た王に、快癒を願うとしながらマオカを使い、少しずつ、少しずつ水銀を与えた。タクは、己の大望のため、とその行為を精神の中で浄化することが出来るが、マオカにすれば、実の父を手にかけたわけであるから、心の中に消えない火傷として残っていて普通である。

「それは、言わぬ約束ではないか」

 マオカは、ぱっとタクから身を離して立ち上がり、護身のために身につけている短剣を抜き、自らの喉にあてがった。

「どうか、ヤマトに行くことをお許しください。お許し頂かなければ、ここで死にます」

 マオカは、母として、イヨの生命を最優先にした。勿論、ほんとうに死ぬつもりなどないが、タクを脅してでも、この不安から解放されたいという気持ちが、ほんとうのところである。

 タクは、人を誤った、と思った。

「待て、落ち着け」

 合わせて立ち上がる。今ここでマオカに死なれては、それこそタクは、それ見たことかとばかりに誅殺されるであろう。ゆっくりと、短剣を奪い取るべく、その長い腕を伸ばした。

「いや」

 マオカが、身をよじった。弾みで、足を滑らせ、転んだ。

「マオカ」

 タクは、絶句してそれを眺めた。マオカの喉に、剣が深々と突き刺さっている。何か言おうとしているが、喉を深く突いたため、声は出ぬらしい。タクは、この突発的な事態に、これからどうするかを必死で考えた。マオカがそのまま息絶えた頃、どう転んでも、自らの死と、その事業の終わりは避けられぬらしいことを悟った。

 この女は、自らの大望の道具となり、そして死んだ。

 タクは、膝をついた。

「済まぬ」

 涙を流しながら、もう一度髪を撫でてやった。


 翌朝。タクは、イヨの世話役が本分であるコウラの部屋を訪れた。

「我が妻が、死んだ」

 コウラは、タクの言う意味が分からない。

「我が妻が、死んだのだ」

 もう一度、タクはコウラに言った。

「まさか。そんな」

「死んだのだ」

「どうして」

「分からぬ。朝、起きると、自らの剣で、喉を一突きに。どうやら、私の寝ている間にそうしたらしい」

 コウラは、タクに伴われ、その部屋に入った。タクの言う通り、マオカが喉に剣を突き立て、死んでいた。

「まさか。こんなことが」

「私も、信じられん」

「なぜ、ヒメミコが」

「分からん。何も、思い当たる節がないのだ」

 タクは、呆然としていた。タクにしてみれば、己の人生をかけた全てが終わった、と思い、諦めつつ、悪あがきのつもりで、知らぬ存ぜぬを貫くしかないと思っていたから、その呆然とする様は、朝起きたら妻が死んでいた夫のするものと同じか、それよりも重大そうに見えた。コウラは、マヒロらがタクのことを様々と疑っていることをよく知っていたが、タクの様子を見て、これは、タクはほんとうに何も知らぬらしい、と思った。

 あれこれと深慮を巡らせ、枠の大きな策を練り、長い時間をかけ己の大望を成熟させ、なおかつその実現のため雇い主であるクナも仕え先であるヤマトも全て利用し、呑み込むつもりであったタクが、全てを諦めて投げやりになった苦し紛れの悪あがきで救われる、というのは滑稽な話である。ここで大泣きに泣き、床を叩いて悲しんでいれば、コウラの性格からしてそれは無いにせよ、今この場で誅殺されていてもおかしくはないかもしれない。

「ヤマトのヒメミコに、経緯を話さねばならぬが、私一人ではとてもヤマトまで行けそうにない。一緒に来てくれぬか」

「わかりました」

 しかし、とコウラは言葉を続けた。タクの虚ろな眼が、コウラの方を見た。コウラは、身ぶりでイヨのいる部屋の方を指し示した。

「ヒメミコに、まず、このことをお伝えしてもよいでしょうか」

「そうだな。母の死を目の当たりにさせるのは忍びないが、伝えねばなるまい」

「私が、呼んで参ります」

「済まぬ」

 タクは、その場に座り込んだ。しばらくして、足音が二つ。

「母様が亡くなったなんて、そんな」

 イヨが自らにもたらされた報が信じられぬ様子でコウラと話している声がした。

「父様。嘘よね、母様が亡くなったなんて」

 扉が開いてゆく隙間から、イヨの声が入ってきた。この丸く、鼻にかかった愛らしい声もサナの逆鱗に触れ、あの恐ろしいマヒロの剣にかかるのだ、と思った。

 背後で、イヨが立ち尽くしている気配がする。タクは、振り返った。青ざめて震えるイヨの顔を見たとき、涙がこぼれてきた。

「済まぬ、済まぬ。父は、お前と母様を守ってやることができなかった。許してくれ」

「タク様」

 コウラが、タクの脇に屈み込んだ。

「ヒメミコも、ヤマトに伴ってもよいでしょうか。お一人でオオトに残してゆくのは、あまりにも」

 わっと、イヨがコウラに抱き付き、泣いた。

「嘘よ。母様。嘘」

 泣きじゃくっているイヨの背をコウラが悲しげにさすっている。それを見たタクは、ヤマトに行き、全てを打ち明け、その誅に服そうと思った。しかし、この可憐な命だけは、何としても救ってやりたい。

 どうすればイヨが救われるのか、タクはヤマトへの山道を馬でゆっくりと進みながら、ひたすら考えた。マオカの亡骸も馬に載せ、一緒に連れている。

 方法は、一つしかない。そのためには、自分も助からねばならぬ、とタクは決心した。


「――妹よ」

 サナは、マオカの亡骸を見てひどく驚いた。

 マヒロは、ウマの地に出ており、いない。それはタクにとって幸いであったろう。

 武力での恫喝も勿論するが、あくまで話し合いをしにいく、という名目であるから、兵はあまり連れていない。ひとつには、先の戦いでオオミとカイが非常な痛手を被ったこともあり、マヒロの兵を割いて回していたことがある。

 また、ウマの地は人も少なく、仮に全軍を上げて手向かってきたとしても千にも満たぬので、万が一戦いになったとき、確実に勝てるであろう最小限の編成をし、自らの百騎の騎馬隊と歩兵千五百のみを連れ、船に揺られている。

 コウラを残したのは、オオト、ヤマトの地のことを思ってである。オオミやカイのように、自らもまた、思いもしない罠にはまり、万が一のことがあった場合、ヤマトを守れる者が一人でもいる方がよい。また、人目がある方が、タクも要らぬことをし辛いだろう、という思いもあった。

 それはさておき、タクは、コウラに話したのと同じように、ことのいきさつをサナに話した。イヨが、また泣き出している。イヨの背をさすりながら、コウラが、

「タク様は、ひどく気を落としておられます。自らの預かり知らぬところで、オオトのヒメミコがお命を絶たれてしまったのですから、無理もありません」

 とタクを弁護する姿勢を見せることで、彼が潔白であるという己の見解を示した。

「わかった」

 サナはコウラを見て、言った。

「我が妹は、心がもとより強い方ではない。様々のことが重荷となり、堪らず命を絶った、と考えることとする」

 考えることとする、という部分に含みがある。とタクは思った。

「タクよ」

 サナは、あだ名ではなく、その名を呼んだ。タクが、眼を上げる。イヨのため、いかなる疑いも持たれてはならない。

「お前は、どう考える」

 サナの眼が、タクの心の中を覗いてくるようであった。タクは、やめろ、と思った。

「私は」

 タクは唾を飲み込んだ。

「ヒメミコやマヒロが、私の日頃のことについて、様々と疑いを持たれていることを知っています」

 サナは、答えない。タクの言葉を待っている。

「私は、クナの意を受け、この地にやって参りました」

 サナは、肘置きとして用いている、樫の木を組み合わせた台のようなものに頬杖をついた。

「コウラ。イヨを連れ、下がれ」

 そのままの姿勢で、言った。泣き続けるイヨを促し、サナとタクに一礼すると、コウラは部屋から出た。

「はじめ、オオトの内情や、ヒメミコの身の回りのことなどを、知らせておりました」

「繋ぎの者は――」

 タクはクナとの連絡を取る中継をしている者の名、住まい、役職などをいちいち挙げていった。

「しかし、ヤマトが大きくなる前に、私の中で大きくなった思いがあります」

 それを告げ終わり、タクは、サナと、眼を自ら合わせた。思えば、この男は、その弁の立つことや、余裕のある所作の割に、人と眼を合わせることが少ない。

「ヒメミコのヤマトを私のものとし、ヒメミコを、私のものとすることです」

 はっきりと言った。サナは、反応を示さない。

「そのため、クナをも利用するつもりでした」

 タクは、やけくそのような気持ちになっているのか。

「ただ、私は、あなたが欲しかった」

「そのため、ヤマトを幾度となくクナと戦わせ、リュウキを、ユウリを殺したというのか」

 サナが、口を開いた。その声からは、どのような感情も読み取れない。

「それは、クナの、ユンという者が行ったこと。いや、私はそれを知りながら、止め立てすることはなかった。私にそれを否定することはできません」

 従順な姿勢を示した。ここからが肝心である。

「ただ、私はヒメミコが欲しいあまり、ヤマトのため、ひたすらに取り組んできました。私を縛るクナの呪縛を断ち切るには、ヤマトが大きくなり、クナを呑み込むか、ヤマトがクナに呑み込まれるかのどちらかしかなかったのです」

「そのどちらの道も取れるよう、ヤマトを大きくしつつ、それに力を持たせぬようにしてきたというのか」

「いいえ。そのどちらでもありません。戦いの中で双方が傷つき、弱り、なお抜け出せない泥の沼の中から、私はヒメミコのあたらしいヤマトを作るつもりでした。そこには、戦いもなく、ただ民が、我らが、として、たいらかに生きてゆける国が生まれると、信じていました」

「タクよ」

 サナが、頬杖をやめた。

「わたしを抱いた日のことを、覚えておるか」

「忘れることなどできません」

「あのときの痛みと怒りが、わたしから消えたわけではない。しかしわたしは、一人の女である前に、このヤマトの王たらんとしてきた。ヤマトはわたしであり、わたしはヤマトである。それゆえ、蛇と知りつつ、お前を重い役に就け、その才を用いてきた。お前を殺そうとするマヒロを、なんども止めてきた。わたしは、ヤマトのために働く者ならば、蛇でも邪でも取り込み、用いるつもりである。わかるか」

「はい」

「お前が妹を殺したわけではないことはわかった。クナのことも、よく打ち明けてくれた。お前の話を、全て信じることはせぬ。しかし、お前が何者であろうと、お前という男がどのような思いから生まれるものであろうと、ヤマトのために力を使う間は、用いてやる」

 タクは、床に、頭をぴったりと付けた。

「だが、覚えておれ」

 サナが、タクのあらわになったに、剣を振り下ろすように言った。

「お前のその才、力が、ヤマトを害するために使われていると思ったとき、わたしはお前の心をこうして確かめることなく、お前を殺す」

 タクは、ただ床に頭を付けたまま、震えている。


 筆者は、この項を描き出したあたりから、てっきり、ここでタクが誅殺されるものとばかり思っていた。何故前項で、マヒロをウマの地の鎮撫に向かわせてしまったのかと我ながら思った。

 タクがイヨを助けたい一心で、サナの心の働きを読み、自らもイヨも死ぬことのないよう話を巧みに誘導していったのかどうかは、もはや分からない。マヒロを除けば、タクほどサナの心の働きに精通した者はおらぬであろうから、彼の切れ味のよい頭脳と、自己を守る天才的な本能をもってすれば、サナをもよいように扱うことは不可能ではなかろう。しかし、この筆者の手にすら負えぬこの男が、今何を考え、これから何のために行動してゆくのか、皆目見当もつかぬ。そういう意味でも、タクは蛇そのものであった。


 タクとイヨは、助かってしまった。マオカは対外的なことを鑑みて、病死ということになった。マヒロ不在の中、その葬儀の取り仕切りを、タクは行った。オヤマの麓に、小さな盛り土を施され、サナの妹でありタクの大望を支え、進んでその駒となってきたマオカは葬られた。

 うっすら、雪が積もるその盛り土を眺めるタクの眼に、何が映っているのか、できれば筆者も直接当人に問い正してやりたいところではあるが、ここは物語の流れる方へと委ねることとする。

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