第44話 序章1の5 宣戦布告

 そして悪魔は再び姿を変える。

 漆黒の影でしかなかったソレは、より生物らしい身体しんたいへと変容し、その装いも、より人間らしい服装となった。


「さーてさて、今宵この瞬間ときより、帝国劇場の始まりだ。」


 その外見は明智よりも一回り若い、30代前後を思わせる男性の姿だった。


舞台ステージは大日本帝国の首都東京。役者キャストはこの帝都の人間全て。」


 スラリと高い身長に、程よい肉付き。

 その容姿も、恐ろしい程に整った顔立ちで、ある種の妖気を放つほどの美貌だった。

 発する声も、黒い獣の姿だった時のものとは違った。

 高過ぎず低過ぎず、明瞭で、よく通る、その容姿に違和無く適合する声質だった。


「主演は6名。

 ひいらぎ深夜しんや鬼柳きりゅう千春ちはる、アーデルハイト・フォン・グリンデルヴァルト、安藤あんどう輝三てるぞう咲楽さくら天音あまね。」


 かの少女を除き、いずれの者も芳雄には聞き覚えの無い名前。


「大丈夫だよ。そのうち嫌でも分かる日が来る。」


 見透かされたその言葉に、少年は心臓が戦慄わななく。

 

「そして・・・最後の一人は、」


 この時初めて、悪魔メフィストは芳雄と視線を合わせた。

 そのまま悪魔は、芳雄の方へと歩いて行く。

 少年の前に着くと、


「小林芳雄君・・・、きみだ。君が6人目だ。」


 芝居掛かった仕草で手を差し伸べた。


「それは一体どういう意味・・・ですか。」


 芳雄は、恐る恐る悪魔へ問いかけた。


「なーに、深い意味など有りはしないよ。言葉通りの意味で、君もまた僕の物語の主役の1人ということさ。」


 少年は猶も分からない。

 いや、わかりたくもない。

 頭が理解することを拒んでいた。


「ああ、心配は要らない。だからといって別に君は特に変わったことをする必要は無いのだから。

 これまで通り、君の望むように、君の好きなように過ごしてくれれば良い。

 そうすればいずれ僕が言った言葉の意味も分かってくるさ。」


 そう言って、吸い込まれそうになる魔性の美貌は、優しく微笑みかけた。

 少年は、その美貌が恐ろしくかった。

 黒い獣の得体の知れなさとはまた別種の恐怖。

 その魅貌びぼうを見ていると、正常な思考力が奪われてしまうような感覚だった。


「おい、あまり私の大事な助手にちょっかいを掛けるなよ。」


 そこに明智が割って入った。


「そんな滅相めっそうもありません。ただ少し小林君とお話をしていただけですよ。ねえ、小林君。」


「・・・。」


「やれやれ、少し嫌われてしまいましたか。

 まあ悪魔ですから、嫌悪されることには慣れていますが。」


 そう言って大仰に肩を竦めて見せた。


「さて、明日から楽しくなりそうですね。いやはや、僕も年甲斐も無くワクワクしてきましたよ。」


 悪魔は、ステップを踏みながら廻る。

 その動きは、さながら一流のダンサーの如く様に成っていた。

 ひどく華麗な舞踏だった。


「なんだ、お前もここで暮らすのか。」


「ええ、当然ですよ。僕もまた立派な演者の一人でありますし、それに演劇は特等席で見ないと意味が有りません。」


 そしてひどく不快な舞踏だった。

 その魔手に誘われ、その手を取った者は、文字通り死ぬまで彼と共に踊り続ける。

 悍ましい死の舞踏トーテンタンツ

  

 

「ああ、安心してください。

 このアパートで別の部屋を借りて普段の仕事の時以外はそこに居ますので、お2人のプライベートには干渉しませんよ。」


「名はどうするつもりだ。まさか悪魔メフィストのままでいる訳ではあるまい。」


「んー、僕はそれでも特に構わないのですが・・・。

 それだと明智君が困りそうですね。さて、どうしたものか。」


 そう言って、腕を組んで考え込んだ。しばらくすると悪魔は、


「おや?」


 足下に堕ちていたものに気付くと、それを手に取った。それは一冊の本だった。先の戦闘で壊れた本棚から散乱した一冊だった。

 すると突然、


「クックック・・・、アーハッハッハッハッハ・・・。」


 悪魔は大声を上げて狂笑した。

 芳雄は勿論、流石の明智も意味が分からないと言った表情を浮かべて困惑した。

 暫くの間大笑いすると、今度はパラパラとその本を流し見をした後、


「これは誰が書いたものですかね。」


 そう言って目尻の涙を拭いながら、彼らに本を向けた。

 表紙には、『”Never Bet the Devil Your Head”(悪魔に首を賭けることなかれ )』と書かれていた。

 

「ああ、それか。」


 そのタイトルを見た明智もまた、ニヤリと笑っていた。


「それの作者はポーだ。エドガー・アラン・ポー・・・。米国アメリカの小説家で、私もよく好んで彼の小説を読む。

 気に入ったのなら、彼の他の小説も貸そうか。」


「ええ、是非お借りしたい。この者の作品とあれば実に興味が湧きますよ。

 エドガー・アラン・ポー、ねえ・・・。

 ああ・・・、あーあ、なるほど・・・、いいねえ。」


 悪魔は、何か良い悪戯でも思いついたかのような笑みを浮かべた。


「明智君。これからは僕のことを江戸川えどがわと呼んで戴きたいな。

 ”江戸川えどがわ乱歩らんぽ”。

 これが今日からの僕の新しい名前だ。どうだい、中々に良いネーミングだろう。」


 そう言った彼の笑顔は輝いていた。

 目を覆わんばかりの漆黒色に。


    ※


 これは報いなのだろう。

 僕自身の業が招いた報い。

 あの時に耳を傾けるべきは、己の声じゃなかった。

 本当に傾けるべきだったのは、先生の悲鳴だったのだ。

 だがその声に気付くことが出来なかった。

 その結果がこれだ。

 最も敬愛する己の師が、悪魔の甘言に篭絡ろうらくされてしまった。


「何って馬鹿なんだろう。」


 芳雄は己の愚かさを呪った。

 こんな事態に陥るまで、気付けなかった己を。

 そしてここまで来てしまった以上、最早後戻りをすることも出来なくなっていた。

 悪魔の契約がある限り、少年の師は、逃げ出すことは出来ない。

 

「そして、僕も・・・。」


 芳雄には、あの悪魔が何を考えているかなど知る由も無く、そも知りたいとも思わなかった。

 だがいかに悪魔にとっては些末な気紛れであろうと、一度ひとたび目を付けられてしまえば、もう手遅れだ。

 考えるまでもなく理解できる。およそ逃げ出すことなど不可能だった。

 待ち受けるのは、師弟してい諸共もろともに破滅する未来だ。


「だけど、それはもうどうでも良いんだ。」


 少年は、その全てを受け入れる。


(僕が滅びることは大したことじゃない。

 己の愚かさの報いだと言うならば、甘んじてその結果を受け入れよう。)


 たった一つの例外を残して。


(でもッ、だけど・・・。)


 芳雄は睨む。

 向こう側で明智と談笑する悪魔を射殺さんばかりに睨み付ける。


(先生だけは・・・。

 僕の命を引き換えにしてでも、先生だけは絶対に渡さない。

 それだけは認めない。認めてたまるものか。


 そして少年は、初めて己の足で一歩を踏み出した。


「あの、江戸川さん。」


 その呼び掛けに応じ、再び悪魔の双眸が少年を捉えた。


 恐怖はある。だがもう彼の中に躊躇ためらいはない。


「僕は小林芳雄と言います。

 明智小五郎先生の助手にして、一番弟子です。

 細かい事情や成り行きはともかく、明日から一緒に先生の下で働く仲間として、今後とも是非宜しくお願いします。」


 悪魔よ・・・、お前は僕に好きにしろと言ったな。


「おや、これはこれはご丁寧にありがとう。

 安心したよ。さっきのことで君に嫌われたんじゃないかと思っていたからね。」


 ああ是非とも、お前の言う通りにさせてもらうとするよ。


「いえいえ、そんなことは有りませんよ。

 突然の参上に、僕も気が動転してしまっただけですから。」


 だが、お前の思い通りになってやるものか。


「なーんだ、そうだったのかい。

 まあ兎にも角にもこちらこそ、これから宜しくお願いするよ、小林芳雄君。」


 少年も悪魔も、お互い満面の笑顔で握手を交わす。

 そして二人の視線は交差する。


 瞳の奥には、静かに激しく燃える炎があった。

 眼の奥には、純粋で混じり気の無い混沌が渦巻いていた。

 

 いいさ、好きに掛かって来ると良い。それもまた君の自由なのだから。


 ここに両者の意思が交わることとなった。


 力の差は歴然。

 味方も皆無。


 だがそれでも少年は、戦うことを選んだ。

 もう二度と逃げ出さないと、彼は己の心に誓った。


    ◆


 序章1 終わり

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