第37話 序章6の4 大禍 "Inferno"

 ある夜、僕は自分のベッドの上で目が覚めた。

 部屋の中は薄暗い。

 時計を見ると、針は1と2の間を指していた。


(どうしてこんな真夜中に目覚めたんだろうか。)


 珍しいこともあるものだ、と思い、そこでふと気が付いた。

 暗い部屋の中に、窓の外から光が差し込んでいた。


(夜明けはまだまだ先の筈なのに・・・、)


 だが何故か、窓の外が明るかった。

 ベッドから這い出し、何となく誘われるように窓へと近付く。

 そして、窓の外を見た。

 その刹那、思考が停止する。


 遠く、窓の向こう側が赤く染まっていた。

 眼に映る光景が理解出来なかった。


 町が・・・、セイラムの町が、赤く染まっていた。

 何が起きているのか理解出来なかった。


 真っ赤に輝く町からは、雷雲のような暗黒の黒煙が立ち昇っていた。

 呆然に立ち尽くし、ソレを見詰めた。

只々現実感の無い光景。

 窓枠という額縁に納められた絵画を鑑賞しているような感覚にとらわれた。

 名を付けるならば、『大火』とでもなるのだろうか。


 だがそんな逃避も虚しく、すぐさま現実へと引きずり戻されるのであった。

 扉が弾かれたように開き、祖父が部屋の中に入って来た。


「おい、アマネ!起きとるか。」


「ジイちゃん・・・、火が、町が・・・。」


「ああ、知っちょる。だが、とにかく今はッ!」


 そう言って祖父は僕の腕を強く掴んだ。


「先ずはここから避難するぞ。町から離れているとは言え、いずれこの家にも火の手が回るじゃろうからな。」


 ボクの腕を引き、急いで部屋から出ようとした。

 しかしその直後。

 ガタン、と、階下で物音が鳴った。


「ジイちゃん・・・?」


「喋るな!」


 再び、ガタン、と鳴った。

 そしてそれは直ぐに、ドン、ドン、と、何が強くぶつかる音へと変化した。

 音の鳴るたびに、身体がビクリとすくみ上がる。

 祖父は立ち止まり、数秒何かを考えると、


「こっちだ。」


 ボクの腕を引っ張り、階段とは逆の方へ向かった。

 着いたのは祖父の書斎だった。

 祖父は本棚を漁り、数冊の古びた本とあの切貼帳スクラップブックを僕に手渡すと、そのまま僕をクローゼットの中へ押し込む。


「何者かが、儂の家に入って来たようじゃ。良いか、決して物音を立てるな。

 何を見ても、ジッと息を殺して隠れておれ。」


 そう言い、クローゼットを閉めた。

 押し込まれたクローゼットの通気口の隙間から、外の様子をのぞくことが出来た。


 祖父は壁に掛けられていた刀を取り、刀身を鞘から僅かに抜いた。

 そして書斎のドアを静かに開け、その扉の裏へ身を隠した。


 静まり返る書斎に、階下からの物音が響き渡る。

 扉が破られる音。

 物が倒され、物色される音。

 そして・・・、ギッ、ギッ、と木の軋む音。


 それが、次第に大きくなる。

 何者かが、階段を上がり始めたらしい。

 鼓動が、刻一刻と大きく、早くなるのがハッキリと自覚出来た。


 更に状況は悪化する。

 階段を上がる足音は、一つではなかったのだ。後にいくつもの足音が続いた。

 書斎の向こう側から聞こえる物音は、ますます大きくなる。

 奴らは、ボクの部屋へと入っていったのだ。

 数秒か、数十秒か、数分か・・・。

 扉の向こう側で絶えず聞こえていた物音が止まり、それは足音へと変化した。

 とうとう最後の部屋・・・、この書斎に奴らが来ようとしていた。


 恐怖で呼吸が早くなる。

 口を手で押さえ、少しでも音を漏らさないようにした。そうしないと奴らにここに隠れていることが悟られる気がしたからだ。

 ギシッ、ギシッ・・・、床の軋む音が近付く。

 遂に奴らはこの部屋へと入って来る。


 奴らは全員黒いローブを纏っていた。その顔はローブの奥に隠されており、男か女かの区別も定かでは無かった。

 最初に入った者が、書斎の中を見渡す。そして、ある一点に顔を向けた。

 その動きに、ボクは血が凍り付くような感覚を味わった。

 奴は、真っ直ぐこのクローゼットを見詰めていた。

 クローゼットの中など、外からは絶対に見えないはずである。それにも拘らず、何故か奴と目が合ったような気がした。まるで、中を見透かされているかのようだった。


(マズいッ!)


 思った時にはもう既に遅かった。

 ゆっくりと、真っ直ぐと、ここへ向かって歩いてくる。その後ろに続いて奴らが書斎へと入り込んでくる。

 一人。

 二人。

 三人。

 四人目が入ろうとし、最初の奴がクローゼットへ手を伸ばしてその扉を開けようとした。


 その瞬間。

 開け放たれていたドアが、物凄い勢いで閉じられた。

 ドアのすぐ横にいた一人が、強烈な一撃に壁際まで吹き飛ばされ、床に倒れ伏す。

 突然の轟音に他の者達も反応して振り返るが、振り返るその一瞬の隙を彼は見逃さなかった。

 横一文字に一閃いっせん

 袈裟懸けさがけに一閃。

 瞬く間に祖父は近くにいた二人を一刀の下に切り伏せ、クローゼットの前にいる者へと素早い足捌あしさばきで詰め寄った。

 だがローブの者も、素早く懐からナイフを取り出して、祖父と対峙する。

 刹那の膠着。

 その直後、祖父の背後の扉が弾かれたように開き、その奥には数人のローブを纏った者の姿が見えた。

 そして奴らは書斎の中に入り込もうとしている。


(このままじゃ、ジイちゃんが危ないッ!)


 ボクは咄嗟にクローゼットの扉を力の限りに押し開けた。

 勢いよく開いた扉が目の前にいた者に衝突し、奴の体勢が崩れる。

 その瞬間にローブの奥に目掛け、祖父は鋭い平突きを繰り出した。

 突きがローブの後ろまで貫通するや否や、そのままの勢いで身体ごと回転する横薙ぎへと繋げた。

 顔の半分が取れかかった身体は力無くその場に崩れ落ちる。

 祖父は回転の勢いを利用して、背後の、今まさに書斎へ雪崩れ込もうとしている者達へと向き直った。


 そこにはいまだ4、5人程のローブの者がいた。

 それぞれの手には、ナイフが握られている。

 先のような不意打ちは、もう使うことが出来ない。


「お主等は、一体何者じゃ。如何な理由でワシの家に侵入した。」


「・・・。」


「窓の外の炎も、お主等の仕業か。」


「・・・。」


 油断無く刀を構える。奴らの隙を窺い、或いは作り出そうと試みるが、中々その瞬間は訪れない。


「ワシ等を・・・、どうするつもりじゃ!」


 祖父は更に声を荒げた。すると、


「これは偉大なるモノの意志。」


 それまで無言だったローブの男達が初めて声を出した。


「偉大なるモノ・・・、吾等の崇め奉るモノ。」


「かのモノの意志を遂行する・・・、それが我等。」


「偉大なるモノは、常に吾等に囁き掛ける。」


「光明を・・・、恩寵を・・・、天啓を・・・。」


「我等の神の御心の儘に・・・。」


 譫言うわごとの様に、ローブの男達がボソボソと呟き、そして静かに動き出す。

 書斎の壁を伝うように左右両側へ移動し、拡がる。

 祖父の刀の間合いに入らぬように。

 祖父を取り囲むように。

 手にしたナイフをいつでも投擲とうてきできるように。


 そして更に最悪の事態が起こった。

 ここへ来て階下から再び、ガタン、という物音がしたのだ。


(新手ッ!)


 その言葉が脳裏に浮かんだ。

 ローブの男達はその音に、何ら反応を示さなかったからだ。

 ギッ、ギッ、と、新手と思しきモノが階段を上がって来る。その間にも男達は、祖父を取り囲むべく移動し続ける。

 刻一刻と、状況は悪化の一途を辿る。

 遂に、祖父は完全に取り囲まれてしまった。同時に階段を上がり切ったソレは書斎の前に到着したらしい。

 そして、祖父の背後にいたローブの男が手に握るナイフを投げようと構えた。


 その瞬間、パンッ、と乾いた破裂音と共に、書斎の扉の近くにいたローブの男が糸が切れたように倒れた。

 そのすぐ後に、書斎の前にいた者が、勢い良く入って来た。


「おいッ、ジュウゾウ、アマネ!無事か、生きてるか!」


「ヘンリーおじさんッ!」


 思わずボクは歓喜の声を上げた。

 その声の主は、大学図書館の館長であり、祖父の友人であるアーミテッジだった。

 アーミテッジは即座に祖父の右側にいる者に向かって銃を撃った。

 同時に、取り囲む者達が祖父に目掛けて一斉にナイフを放った。

 祖父は素早い身のこなしで低く、深くしゃがみ、背に刀を担いだ。

 その直後に、その上すれすれを鋭いナイフが通過する。

 弾かれたように低姿勢の状態で、背後いる者のうちの一人へ目掛け突進した。ローブの男は迫り来る祖父に今度はナイフを突き立てようと、即座に懐から取り出し振り被った。

 だが祖父の刀の方が一瞬速かった。

 背に担がれた刀が思い切り振り下ろされる。

 ローブの男が握るナイフは振るわれることなく床へ転がり、男の肩から腰にかけての胴体が滑り落ちて行った。


 残りは2人になった。

 1人は祖父と。

 もう1人は、アーミテッジとそれぞれ対峙する。


 数秒の睨み合いの後、先に動いたのはローブの男達だった。

 アーミテッジと対峙していた男は一本のナイフを投げると同時に、彼我の間合いを詰めるべく、アーミテッジへ迫って行った。

 対照的に祖父と対峙していた者は彼我の間合いが詰められぬよう、一定の距離を保っていた。


    ※


 アーミテッジは迫り来る凶刃を紙一重で躱しつつ、手にした銃を数発発砲した。しかし、照準がブレ、思うように狙いが付かず、放った弾丸は全て避けられてしまった。

 そして全弾を躱した男は、もう目の前にまで接近し、手に握るナイフを振るう。

 避けられないと思ったのか、アーミテッジは、振るわれる刃に対し、銃身を盾にすることで何とかその一撃を防いだ。

 激しい金属音が鳴り、火花が散る。

 銃身にナイフが食い込んでいた。

 男は、更に力を込めてナイフを振るうと、その衝撃でナイフと銃が零れ落ち、床の上を転がって行った。 手放した得物に目もくれることなく、男は手にしているもう一本のナイフで襲い掛かる。

 アーミテッジは咄嗟に両手で相手の手首を掴んだ。

 ナイフの切っ先が、己の腹部のほんの僅か手前で、小刻みに震えながら静止していた。

 だが更に、男は空いた手を懐に突っ込む。

 するとそのローブの下から、ギラリと光る刀身が顔を覗かせた。


 目に見えてアーミテッジの顔が青ざめていくのが分かった。

 両手を使って何とか相手の片手の力と拮抗している状態だ。ここで、片手を離してしまえば、今ギリギリで抑え込んでいるモノが、動き出してしまうのだろう。

 だがそうしている間にも、懐から顔を出したナイフは、どんどんその鎌首をもたげる。

 遂に、その刃が完全に姿を現した。

 禍々しくギラつく切っ先が宙をゆっくりと動く。

 もはや、迷っている場合では無かった。

 ひどく緩慢に見える切っ先の動きが、いる一点でピタリと、静止する。

 アーミテッジは、即座に片手を離す。

 その瞬間、抑え込んでいたモノが、再び前進を始めた。

 そして、宙で静止していた凶刃が、己が胸元を目掛け、急激に加速して落下してきた。

 

 その刹那・・・、乾いた破裂音が数回鳴らされた。

 2本の凶刃は突如、その力を失い、動きを止めた。

 アーミテッジの上着のポケットには穴が空いており、そこから一筋の硝煙しょうえんが立ち上っていた。

 ローブの男の両手からナイフが零れ落ちる。そして、男は床の上に倒れた。


   ※


 最早何本目になるか分からないナイフを、祖父は刀で弾き、或いは身を捻りかわしていた。

 そして祖父と対峙するローブの男は先程と同じような仕草で、その懐からナイフを取り出していた。

 まるで奇術師のたぐいか何かのように、何度でもそのローブの下から新たなナイフが出てくるのであった。

 その手品のような所業に、祖父は攻めあぐねていた。

 男は、只ひたすらに間合いの外からナイフを投擲して、常に一定の距離を保ち続けていた。

 祖父は相手との間合いを詰めようとするが、その度に妨害を受け、接近できずにいた。

 それ故、受けに回らざるを得ずにいた。

 今のところは、致命傷を受けることなく上手く回避し続けているが、この拮抗状態が何時まで持つか判らない。


 体力の限界か、集中力の限界か。

 いずれにせよ、その瞬間は必ず訪れる。

 それに対して、あのローブの男の得物の底が見えなかった。もはや無尽蔵に隠し持っているのではないかと思えるほどに、途切れること無くナイフを出し続けていた。

 このままこの状態が続けば、待っているのは間違いなく祖父の死だ。

 そのことは、祖父自身が最も判っているようだった。

 初めに比べ、祖父の動きが遅くなりつつあり、回避にも余裕が無くなってきた。


 すると祖父は、思いも依らない行動をとった。

 刀を鞘に収め、飛来するナイフを身のこなしだけで躱した。そして、刀の収まった鞘を左手で持っていた。


(居合切り。)


 まず思い浮かんだのがその言葉だった。

 だが居合であっても、相手が間合いに居なければ意味が無い。

 更に、祖父の回避行動は、小さく緩慢になっていった。殆ど棒立ちの状態から、僅かに身体を逸らしてナイフを避けるだけとなっている。

 それ故、服のあちこちが切り裂かれ、その奥では微かに血が滲んでいる。

 もはや、諦めて死を受け入れてしまったようにしか見えなかった。

 そして、それでも猶、容赦無く繰り出されるナイフを浅い切り傷を作りながら、最小限の動きで避け切った。


 その瞬間。

 祖父は弾かれたように、前へ突進した。限界まで引き絞られた弓から放たれた矢のような突進だった。

 前のめりに倒れ込まんばかりの・・・、いやまさに、相手に向かって頭から飛び込んでいた。

 飛び込むと同時に、祖父は鞘から刀を抜き放つ。

 ローブの男もまた、その突進に対して後方へ下がり斬撃を回避しようとした。

 故に、僅かに・・・、だがしかし依然として、男と剣閃けんせんの間には純然たる開きがあった。刀はもはや抜き放たれつつあった。


 だがそこで、祖父は驚くべき手法を採った。

 刀を握る力を緩めたのだ。

 支えを失った柄は、遠心力によって外へ弾き出されようと動き、祖父の刀を握る手の中を滑り出す。

 そして、刀がその手から離れようとする瞬間、柄頭つかがしらを中指と人差し指、親指の3本で再び強く握りしめた。

 結果、柄の長さの分、刀の間合いが伸びる。

 僅かに、だがしかし確実に、相手をおのが間合いへとり込むことが出来た。


 祖父と、ローブの男。

 2人は同時に床へ倒れ込む。

 だが再び立ち上がることが出来たのは、祖父だけだった。

 足首の中程まで切り込まれた足は、機能を失い、ローブの男は立ち上がることが出来なかった。

 祖父は刀を構え直し、まだ息のあるその男の元へ油断無く近付く。


 そして、ここに決着が付いた。

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