第22話 序章4の6 アウスレンダー

 あれから数日が経過した。

 あの嵐の如き夜が過ぎ去った後の村は、まるで初めからそんなものなど無かったかのように、平和な日常そのものといった具合だった。

 真夜中の家の薄壁一枚隔てた向こう側の世界を、おびただしい数の化け物が跋扈ばっこしていたことに気付く村人は、誰一人としていなかった。

 何らその事実に気付く者は無く、皆が朝日と共に目覚め、これまでと同様の平穏な朝の営みを始めたのだった。


 そして数少ない当事者であった者達もあれ以来、大きな怪異に出くわすようなことも無かった。

 あの夜以降もハイジやレオンを連れ立った夜回りが二度程行われたが、そのどちらもあの時とは比べるべくもない、呆気無い夜行だった。

 そうして再び平穏を取り戻したのだと。

 そしてこれから先も、ずっと続いていくものだと、彼らは思っていた。


 それでも彼らは知っている。

 平穏な日常などと言うモノは、ふとした切欠きっかけで容易く変容してしまうことを。

 そしてそれは、大概は当人達の与り知らぬところで生じるものであることも。

 

 ただ彼らにとって、取分けあの夜を知る者達にとって不幸だったのが、終わりの訪れがあまりに早過ぎた、ということだった。


 そして既にソレは、生まれていた。

 あの夜の、あの教会の中で。

 その先駆けは足音も無く、彼らの背後に忍び寄る。


    ※


「それじゃ、また明日。」


 村の入り口のあぜ道に簡素な馬車が停止していた。

 そこから降りた数人の子供達が互いに手を振り、各々それぞれの家の方向へ歩いて行く。

 この村には学校といったものは無く、その為子供達は少し離れた町の学校へと通っていた。

 ただし”少し”とは言え、町の学校までの道のりを歩いて行くには距離が有り過ぎるので、村の子供達は行きと帰りにこうして馬車に乗って通学していた。

 そして、その子供達の中には、ハイジとレオンの姿もあった。


「準備ができたらすぐに行くから、またあとで。」


 村の中ほどでレオンは分かれ、帰路へと着いた。

 一人となったハイジもまた帰路へと着く。


 野を歩き、橋を渡り、小川を越える。

 八月の終わり頃ともなると既に夏は終わり、周りの様子はますます秋色に染まっていた。

 深く透き通った空の色。

 遠くに見えるは、黄緑から黄色、黄色から黄金色へと移り変わりつつある小麦畑。


「ふ~ん、ふふ~ん・・・」


 心が躍り、鼻歌交じりに歩く。

 歩調も心なしか軽くなった。

 大空の吸い込まれそうになるほどの雄大さか。

 生命の息吹を支える大地の力強さか。

 いずれにせよ、いつの日かにソレに魅せられて以来、ハイジは一年の中で今頃の時期が一番好きだった。


    ※


 遠く彼方に、ぼんやりと小さく見えていた彼女の家も、いつの間にか大きく鮮明な姿を取り戻していた。

 そこでハイジはあるものに気が付いた。

 門の前に見知らぬモノが停まっていた。

 遠目では黒く光沢しているように見える。


(何かしら、アレ?)


 訝しんだハイジは、その正体を確かめるべく駆け出した。


 門の前に着いたハイジはすぐにそれに目を向ける。

 随分と大きい鉄の塊だった。

 前後に2対の車輪があり、黒く塗装の施された鋼鉄の枠組みにガラスの窓が取り付けられている。

 真っ先に思い浮かんだ印象は馬車だった。

 だが直ぐにソレを掻き消す。

 それには馭者台ぎょしゃだい輓具ばんぐも付いていない。

 ハイジは記憶の引き出しを次から次へと弄っていく。

 前に、どこかで、コレに似たようなものを見たことがあるような気がした。

 そうして、煩悶を繰り返していった末に、


「車・・・、」


 ようやく答えの引き出しを探し当てた。


「車・・・、自動車・・・?」


 何度かその名を口にするにつれ、ハイジの記憶も鮮明に蘇っていく。


 数年前の両親と共に旅行で行ったミュンヘン。

 生まれて初めて見た大都市。

 そしてその市街地の街路を走る未知の乗り物。

 馬の力を使うことなく、機械の力で勢いよく駆け抜けるその姿。

 それを見て子供のようにはしゃぐ、己と母の姿。


「ああ、そうだ。自動車だった。」


 懐かしい思い出がはっきりと思い出されると、同時に疑問がより深まった。


「どうしてこんなところに?」


 ここは国境際の小さな村だ。

 ミュンヘンのような大都市とはあらゆる面で比べ物にならない田舎の寒村のはずだった。

 それなのに、どうしてこんなモノがここにあるのだろうか。

 全く無縁であるはずの存在が目の前に鎮座しているという異様。

 ハイジの中では驚きや好奇心、はたまた不安といった様々な思いがぐるぐると渦巻いた。

 そして渦巻く思考をしり目に、彼女は急いで庭を走り抜け、家へと駆け込んでいく。


    ※


「ただいま!」


 ハイジは勢いよく扉を開け、中へ入った。


「ハイジさん、おかえりなさいませ。」


 1人の女中がぺこりと頭を下げ、彼女を出迎えた。


「ただいま、サラさん。」


 ハイジは、サラと呼ばれた女中の元へ即座に近付くと、


「ねえ、表の自動車は一体何なの?誰か来ているの?お父さまとお母さまは何処にいるの?」 


 釣瓶打ちに捲し立てていく。


「ええと、お、落ち着いてください。」


 矢継ぎ早に質問を受けた女中は狼狽うろたえながらも、ハイジをなだめ、そしてその問いに答えていく。


「はい、旦那様と奥様、それとバイロイト家の当主様とその奥様への、お客人です。」


「えッ! レオンの両親も来てるの?」


 予想外の人物にハイジは驚く。

 これはいよいよ大事の予感がした。


    ※


 同刻。

 屋敷内の、とある応接室の室内。

 バイロイトとグリンデルバルトの両家当主とその夫人、計4人と、テーブルを挟んで対面に座すのは一人の男性だった。

 黒く短い頭髪に眼鏡、温和な印象を与える容貌とあまり高いとは言えない身長。

 一見、頼りなさげに見える風体ではあったが、


「本日は唐突な訪問にも関わらず、このような丁重な対応をしていただき、感謝の言葉もありません。」


 不思議と良く通る声だった。

 冷静であり、それでいて熱のこもった口調、少なくとも彼の外見に似つかわしくない力強さが感じられた。


不躾ぶしつけとは重々承知の上で、本日こうして貴方がたを訪れたのは、ご依頼したいことがあるからです。」


(まあ、でなければ、わざわざこんな辺境まで来ないだろうな・・・。)


 4人が4人とも、内心ではそう思った。

 だが微塵もソレを顔に浮かべることは無い。


「して、その依頼とは・・・。」


 バイロイト家の当主が先を促した。

 それに応じ、彼は、『はい・・・』、と少しの間を置いた後、


「あなた方のお力を是非、我々に貸して戴きたい、ということです。」


 そう彼は力強く切り出した。


    ※


 その後、彼が何者なのか、彼が何処から来たのか、などが説明された。

 そして時折、4人はその男性に疑問を投げかけていく、といった遣り取りが行われていた。

 その後に、粗方あらかたの話が済んだ頃合いを見計らい、ヴォルタ―は、


大凡おおよそ経緯いきさつは、理解出来ました。」


 それなりに納得した、という風に言った。

 そしてそれまでの聞き手としての居ずまいから、話し手の居ずまいとなるべく姿勢を正す。


「ですが、どうして我々なのでしょうか?」


 率直に感じた疑問を投げ掛けた。

 それにその疑問は他の3人にしても思い浮かんだことだった。

 ヴォルターの言葉の後をバイロイトの当主が引き継ぐ。


「お恥ずかしい話ではありますが、我々は所謂いわゆる辺境の弱小貴族です。

 いたって平凡な領地であり、これと言っためぼしい特産物や資源が採れるような土地でもありません。」


 彼はただ淡々と事実を語っていく。


「それこそ資産につきましては、我々両家ともに大きな町の商家にも及ばない程度のものしかなく、とても貴方達にとって十分と言える支援が出来るとはとても思えません。」


 言葉ではこう述べたが、それをどうこう思ったことは無い。

 彼らはこれまでの状況に、不満など一切感じていなかったからだ。


「ですから、我々などでは貴方達のご期待に添える力を貸すことなど出来ないと思われますが。」


 しかし、


「いえいえ、そんなことはありません。貴方がただからこそ出来る・・・、いや、貴方がたでなければ出来ないことなのです。」


 4人の前に座す男は、確信に満ちた声で、彼の言葉を断ち切った。

 そのような彼の得体の知れない自信に満ちた言葉に、4人は気圧された。


(彼は我々に一体何を期待しているのか。)


 謎が益々深まるに伴い、じわじわと奥底から不安が這い上がる。


「それでは、貴方は一体何を我々に求めるのですか?」


 そして這い上がって来る疑問を払拭すべく、彼に尋ねた。


「魔法。」


 ぼそりと呟かれた一言だったが、嫌にハッキリと聞こえた。

 急速に空気が凍り付いていくのをこの場の全員が感じ取っていた。

 だがその一言が、4人の疑問を一瞬で氷解させた。

 全員が、この男が何を求めてここへ来たのかを瞬時に理解した。


「どうして・・・、そのことを。」


 これまで聞きに徹していたリーザが、ここに来て初めて言葉を発した。

 普段の彼女を知っている者からすれば、想像できないほどに低く、鋭い声だった。


「それにつきましては、追々説明させていただきます。」


 その男は僅かにリーザを一瞥しただけで目を逸らした。


「先ほども言いましたが先の大戦により、絶望と混乱と貧困の坩堝に堕ちた我が祖国ドイツの再興を成す為に、我々の政党が作られました。

 我々は、ドイツ民族の、ドイツ民族による、ドイツ民族の為の国家を成す。外国、他民族からの干渉などに左右されない我々だけの強力な国を作る。

 その為にも、経済の安定化、国内産業の復興と発展、軍備の拡大と新鋭化などを始めとして、教育、文化、思想。

 あらゆる面において世界最高のものとしなければなりません。」


 そこで彼は一度息を飲み、


「そして当然、その中には魔法や魔術の発展と研究も含まれているのです。」


 改めて本題へと入っていった。


「産業革命以降、神秘の類は科学によって、衰退し、淘汰されていった、と人類は考えていました。

 勿論、私もそうだと思っていました。

 ですが私は、ある出会いを切欠きっかけとして神秘は、細々とではあるが現在も生き残り、存続していることを確信しました。」


「・・・。」


 4人は特に反応することが出来ない。


「そこで私は民間伝承や古い文献をもとに各地を巡り、その存否を確認してきました。

 その殆どが迷信、或いは既に血が絶えてしまった後だったのではありますが。

 だがそれでもごくごく僅かの、本物の魔術や、現存する神秘と出遭うことが出来ました。」


 どれだけの時間を用いたのかは窺い知れない。

 しかしそれでも生半可な重労働でなかったであろうことはその言葉端ことばはしから感じ取れた。


「そして我々は、それまでに得た成果をもとに魔術師の学校を作ろうと。

 そこで魔術の才のある子供達を育成。、また魔術の研究を行い、この20世紀に再び神秘を復活させようと考えているのです。」


「つまり・・・、貴方達のご依頼というのは、」


 ここまで聞いて彼らは、目の前の男が何を言わんとしているのかを理解した。


「はい、ご想像の通り。

 あなた方には是非その学校の教師、ないしは研究員となって戴きたく思い、本日は参りました。」


 魔術師の学校、再び魔術をこの世に呼び起こす。

 その言葉は、これまで魔術や神秘の存在にたずさわって来たバイロイトやグリンデルバルトの当人達でさえ、荒唐無稽な夢物語のように感じられた。


「お言葉ですが、それこそ魔法という分野においても、私達は大した力は持っておりません。

 ご期待して戴けることは光栄ではありますが、貴方達のお力添えに足る、とはどうしても思えないのですが。」


 内心を出すことなく、あくまで丁重な言葉でヴォルターは答える。

 だが、


「ご謙遜なさらないでください。」


 その男からは、諭す様な優し気な声が返って来た。


「貴方がたのお力は、私がこれまで見てきたあらゆる神秘のどれよりも、遙かに強力なものでした。」


 そして、彼はその言葉を口にする。


「特にもあの日の夜の、魔術師としての力も。

 そして夜候鬼ナハツェーラ-としての力も、」

 

 その瞬間、バン、とテーブルを叩き付ける鋭い音が彼の言葉を断ち切った。

 その方を見ると、両手を叩き付けたリーザが、立ちあがっていた。

 その表情には、見たことも無い程、激烈な怒りが浮かんでいた。


「そうか・・・、そういうことだったのね。」


 比喩では無く、彼女の周りの空気が震え、揺蕩うように見えた。

 長年連れ添った夫のヴォルターですら、初めて見る彼女の剣幕に息を飲むほどだった。

 そしてその常人ならば失神しかねない怒気を真正面から浴びているこの男は、微動だにせず、また彼の柔和な笑みは微塵も崩れていなかった。


「リーザ、落ち着きなさい。」


 ヴォルターは、妻をなだめ、座るよう促す。


「でもッ!」


「いいから、座りなさい。」


 しぶしぶリーザは、椅子へ腰を下ろした。

 だが対面に座す男への敵意は隠すことなく、常に睨み続けていた。

 彼は、その視線を全て受け止め、


「あの時のことは、本当に申し訳なく感じております。

 ですが貴方がたを知るためにも必要なことだったのです。」


 深々と頭を下げてた。


「それでも、やり方というものがあるでしょう。」


 と、ヴォルターが静かに告げる。


「もしあの時、私達がやられてしまっていたら、その後にどうなっていたかは理解していなかったとは言わせません。」


 静かな言葉だった。

 だがその言葉には、明確な怒りが込められていた。


「そのような事態に陥っていた場合には、我々が片を付ける算段であり、必要な戦力も用意しておりました。

 ですが、それを言い訳にするつもりはございません。

 貴方がたのお怒りが収まるまで何度でも謝罪致します。

 それが足りなければ、私の命を捧げても構いません。」


 そう言って彼は再び深々と、己が首を差し出すかのように頭を下げた。


「・・・、頭を上げてください。」


 その言葉がどれほど信用に足るものかは分からない。

 それでもここまで言わせてしまっては、彼の命を取ることなどできない。

 或いはソレを分かった上で、こうして謝罪しているのか。


「そちらの誠意は分かりました。」


 頭を上げた後、バイロイトの当主は、


「ですが私達もすぐに結論を出すことは出来ません。

 私達の中で意見を擦り合わせなくてはなりませんし、村や領民達のこともあります。

 そのことをどうかご理解お願いします・・・、ハインリヒ・ヒムラー殿。」


 一先ずの自分達の見解を伝えた。


「ええ、それはこちらも十分承知しております。」


 だがその途中、不意に応接室の扉が外から軽く叩かれ、


「失礼します。」


 女性の声の後に扉が開いた。

 そこには一人の背の高い女性と、二人の子供の姿があった。

 ハイジと、レオンと。

 そして・・・。

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