第5話「モグラのように這いつくばって」 06

「じゃあこっちの――ジェムドールの救出の話だけれど」


「ここから抜け出すのは簡単だろう。俺たちが通ってきた通路を使えばいい。問題は――」


「――ジェムドールは外では長くは生きられないってことね」


 トシロウは机を指でとんとんと叩きながら考え込む。ヨシュアは身を乗り出して尋ねた。


「なあ、ジェムドールは人間じゃなくて、人工的に作られたものなんだよな?」


 尋ねられたラピスラズリは、こちらを見ようとしないまま「ええ」と返した。ヨシュアは考え込む。


「それならケリをつけた後も、お前らをかくまってくれる場所が必要だな……」


 そんなことを言われるとは思ってもみなかったのか、その言葉にラピスラズリは目を見開いたようだった。


「とりあえずここの周りの地形を把握しておくか」


 ヨシュアは唐突にそう言うと立ち上がり、セシリアに案内を頼んで詰所を出ていこうとした。その後を追おうとしたトシロウであったが、すぐにヨシュアに手で制された。


「お前はここで留守番だ」


「なんでだ」


「なんで、ってお前重傷なんだぞ。あんまりうろうろ出歩かないほうがいいだろ!」


 ほら、座ってろ。と叱りつけられて、気圧されたトシロウは素直に椅子に座りなおす。ヨシュアはそれを確認して一つ頷くと、詰所の中から出ていった。


 ジェムドールの子供たちもそれについていってしまい、残されたのはトシロウとラピスラズリの二人だけ。しばしの沈黙の後、ラピスラズリはトシロウに声をかけた。


「ねえ」


「何だ」


「さっき言ってたあれ、本当?」


 トシロウは顔を上げ、ラピスラズリを見る。ラピスラズリはこちらを見ようとせずに言った。


「私たちを助けてくれるって」


「……さっきも言っただろう。あれが全てだ」


 トシロウの答えに、ふいとそっぽを向いて、拗ねたような声色でラピスラズリは言う。


「よそよそしいのね」


「俺はお前に酷い目に遭わされたからな。警戒もする」


「あ、あの時は!」


 慌てて振り向いたラピスラズリは、冷静なトシロウの目を見て怯んだらしく、顔を伏せた。


「……ごめんなさい。でも私たちは助かりたかっただけなのよ」


 再び二人の間に沈黙が落ちる。ややあって、ラピスラズリは再び口を開いた。


「トシロウお兄さん」


「何だ」


 ラピスラズリは両手をぎゅっと握り込み、泣きそうになるのをこらえながら言った。


「お願い、助けてほしいの。自由になりたいの」


 こらえきれなかった涙が、ぼろぼろと目からあふれていく。それを見たトシロウは、虚空に向かってしかめっ面をした後、後頭部をかきながら息を吐いた。


「助けてやる」


 息とともに吐き出した言葉に、ラピスラズリは視線を上げた。潤む視界の向こうに、仕方なさそうな顔をしたトシロウの姿が見える。


「ここからきっと逃がしてやるから、泣くな」


 そう言って懐からハンカチを取り出そうとし――運河に落ちた時に駄目にしてしまったのだということを思い出して手を下ろした。ラピスラズリは窺うようにトシロウを見た。


「それもアンバーのため?」


「言っておくが、俺はそこまで人でなしでもない」


 心底嫌そうな顔をしながらも、トシロウは言葉を続けた。


「さっきはああ言ったが……、俺は、助けを求める子供の手を、完全に無視できるほど落ちぶれてはいないつもりだ」


 ラピスラズリは再び俯き、ぼろぼろの袖で涙を拭いながら何度も尋ねた。


「私たちのこと、本当に助けてくれるの?」


「できる限りのことはしよう」


「約束よ?」


「約束する」


 しゃくり上げる少女にそれ以上かける言葉も思いつかず、トシロウはこれからのことに思いを馳せていた。


 もし仮にここから出られたとして、アンバーとジェムのコアを取り戻すことができたとして、俺たちに必要になってくるもの。それは、さっきヨシュアも言っていた、彼女たちの後見人になってくれる人物だ。


 条件は厳しい。ジェムドールを悪用しない人物でなくてはならないし、宝晶と関係のある集団でも困る。


 奴らは定期的に研究発表を、精神体を飛ばして見に来ていると言っていた。つまり宝晶の関係者は、ジェムドールのことを知っているはずだ。彼女らに施されたであろう非道な実験のことも知っているはずだ。


 ならばそれを知らない集団。彼女たちのような少女に害を与えない集団はないか。




 ――絶対に人身売買だけはしねえんだ!




「……そうだ」


 ふと思い出した『彼』の言葉に、トシロウは思わず立ち上がっていた。


「ラピスラズリ」


「な、何よ」


「一つ、お前らを保護してくれそうなところに心当たりがある」


「心当たり? それって――」


 尋ね終わる前に彼女は、はっと何かに気付いた顔をして、トシロウの背中を押した。


「隠れて!」


 詰所の外からは機械音が響いてくる。背中を押されながら振り向くと、はるか頭上からエレベーターが採掘場にするすると降りてくるのが見えた。


 採掘跡の洞穴の一つに押し込められ、トシロウは身をかがめる。そっとエレベーターの方を窺うと、真っ赤な少女がエレベーターから降りてきたところだった。


「ガーネット」


「ラピス」


 ラピスラズリは歩み寄ってきたガーネットに抱き着いた。他に音がないせいで二人の言葉は採掘場にやけに大きく響く。


「おかえりなさい。……何かあったの?」


 俯くガーネットにラピスラズリは尋ねる。ガーネットは平坦な声で言った。


「型番の更新が決まったわ」


 息をのむ音がトシロウのところまで聞こえた。型番の更新。それの意味するところはつまり――旧型の廃棄。


「あなたたちはもう要らないの」


 咄嗟に後ずさったラピスラズリにガーネットが一歩、歩み寄る。


「死ぬしかないの」


 ラピスラズリの白くて細い首をガーネットの傷だらけの片手が掴む。


「私が殺すしかないの」


 徐々に力が込められ、ラピスラズリの喉は押しつぶされていく。がーねっと、とラピスラズリの口が動いた。途端、ガーネットの指が緩み、ラピスラズリは咳をしながら地面にへたりこんだ。


「なんでこうなるのよ」


 ぽつりとガーネットは言う。だらりと下ろした手は震え、やがてガーネットは地面に膝をついた。


「私はラピスを守りたかっただけなのに」


 肩を震わせて泣くガーネットに、潰されかけた喉を庇いながらもラピスラズリは近付いた。


「聞いてガーネット」


 うなだれるガーネットの肩を掴んで、額と額をこつんとつける。


「私たちはここを逃げ出す。逃げ出せるかもしれないの」


「逃げる……?」


「トシロウお兄さん!」


 声をかけられ、トシロウは身を隠していた洞穴から姿を現した。その途端、ガーネットは背中に隠した銃に手をかけようとする。


「待って」


 それを押しとどめ、ラピスラズリは両手で彼女の手を包んだ。


「トシロウお兄さんたちが私たちの助けになってくれるの」


 ガーネットは戸惑った目でトシロウとラピスラズリを見比べた。ラピスラズリは混乱するガーネットを抱きしめた。


「一緒に逃げよう? そうしたらガーネットはもう自由だよ」


 困惑した顔のガーネットの手を取って立ち上がらせ、ラピスラズリはトシロウに向き直る。ガーネットは信じられないといった面持ちでトシロウを見上げた。


「逃がしてくれるの? 私たちを?」


 これまで見てきた人を見下すような視線ではなく、きょとんとした年相応の目に見つめられ、トシロウは首を縦に振った。


「ああ」


「私はあなたを殺そうとしたのに?」


「それは上の命令だろう。お前を恨みはしないさ」


 半分は打算で半分は本心だ。トシロウにはどうしても、この無防備な表情をした少女を憎むことができなかった。


「お前が仲間になってくれるなら百人力だ」


 トシロウは片膝をつき、ガーネットに手を差し出した。


「よろしく、ガーネット」


 ガーネットは一度トシロウの顔を窺った後、おずおずとその手を取ろうとし――


「いけない! 早くその子を殺しなさい!」


 鋭い声が飛来し、ガーネットはその動きを止めた。トシロウが振り返ると、こちらに向かって飛翔するセシリアの姿がそこにあった。


「ガーネットは奴らが直接操作できるように調整されてるの! 早く殺さないと――」


 その言葉が最後まで続くことはなかった。直前、ガーネットは突然、背負ったぬいぐるみから拳銃を取り出すと、トシロウに向かって引き金を引いたのだ。


「ぐっ……!」


 間一髪のところでトシロウはそれを避ける。しかし続けざまの追撃までは避けられない。


 ――殺される!


 だが追撃はガーネットに飛びかかったラピスラズリによって止められた。ラピスラズリは銃を持つガーネットの手を握り、二人はもみ合っている。


「目を覚まして、ガーネット!」


 ラピスラズリの必死の呼びかけにも答えず、ガーネットは虚ろな目で銃口をトシロウに向けようとする。トシロウは懐から銃を取り出すと、それをハンマーのように持ち替え、ガーネットの持つ銃を殴って弾き飛ばした。


 金属と金属のぶつかる音がして、拳銃は宙へと飛んでいく。それを視認したガーネットは、ラピスラズリを振り払うと、今度は背負ったぬいぐるみからナイフを取り出した。


 ナイフの切っ先はトシロウに向いている。トシロウは咄嗟に後ろに跳び退ろうとし――腹に走った激痛のせいで体勢を崩した。膝をついたトシロウの胸にナイフは吸い込まれ――


「駄目っ!」


 トシロウとガーネットの間に飛び込んできた小さな影――ラピスラズリの腹はその刃で貫かれた。大きな傷口から赤い液体がぼたぼたと地面に落ちる。ラピスラズリは倒れ込みながら、ガーネットの肩に抱き着いた。


「ガーネット……」


 口からごぽりと血を吐きながら、ラピスラズリはガーネットに囁く。


「だいすき」


 その言葉を最後に、ラピスラズリの体からは力が抜け、吸い込まれるように地面へと倒れ伏した。ぼんやりとそれを眺めていたガーネットは、ハッと正気付くと震える手からナイフを取り落し、目の前で倒れて動かないラピスラズリを見つめて叫んだ。


「あああ、うわああああ!」


 膝をつき、片を揺さぶりながら、何度もラピスラズリの名を呼ぶ。それでも反応が一切帰ってこないことを知ると、ガーネットはうめき声を上げながら地面に額をつけた。


「ふざけるな、ふざけるなふざけるな!」


 血まみれになった顔で天を仰ぎ、ガーネットは叫んだ。


「どうしてこんなことが許される! どうしてこんなことが許されて私たちが許されない!」


 トシロウも、ヨシュアも、他のジェムドールたちの中にも、その問いに答えられる者はいなかった。


 洞窟に反響する声が消えかけた頃、ふと足元に落ちたナイフを視界に入れたガーネットは、素早くそれを拾い上げると、両手でその刃を自分に向け、自分の喉にそれを突き立てようとした。


「よせ!」


 咄嗟に飛びかかったトシロウがその手を止める。走り寄ってきたヨシュアも、押さえこむようにしてガーネットからナイフを取り上げた。


「私を殺せええええええ!」


 大の大人二人に押さえこまれてもなお暴れまわるガーネットの叫びは、やがてすすり泣く声に変わり、薄暗い採掘場の中に響いていった。


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