#039 ナルオライトは帰還する

 光を感じる。

 どこか懐かしを思い出す輝きだった。


「――……下さい」


 誰かの声が聞こえてくる。


「――……起きて下さい、ライトさん」


 おれの名前を呼んでいる。

 聞き覚えがある女の子の声。


「お疲れ様です。無事に還ってこれて何よりでした」


 まぶたを開けると、目の前に自分をのぞき込んでいる少女の顔が見えた。

 銀色の長い髪と紅い双眸そうぼう。白い肌にまだ幼さを残す表情。


「ミネバ……。ということは、ここはバベル図書館か?」


 体を起こして自分がいまいる場所を確認する。

 来た時と同じく腰を下ろしているのは木製の長椅子だった。

 周囲を見渡せば、石造りの床に果てしなく遠い天井。そして、壁を巡るように積み上げられている無数の本棚と中に収められた無限の蔵書。

 どうやら間違いなさそうだ。

 ここはおれが生まれ変わって最初に目覚めた場所だった。


「オペレーションはすべて計画通りに完了いたしました。対象の長期未完成作品エ タ ー ナ ルはわれわれの強制介入によって終了し、現在は既刊分の移管作業に入っています」


 ミネバが状況を伝えると同時に視線を部屋の一角に移した。

 釣られてそちらを向くと、いくつもの牽引台にたくさん青い色の書物が積み上げられている。

 もしかするとあれが終わった物語なのか?

 刊行継続中のものが赤の装丁そうていで、本編終了とともにカバーが青くなると……。

 書架しょかの周辺では、以前にも見た埴輪はにわに何本もマニピュレーターを付けたローパータイプのドロイドがせわしくなく動いている。


「あれは?」


 棚から本を抜き出してはそれを離れた場所へ持っていき、他の個体によって生み出された書架のすき間に差し込んでいく。

 すべてのドロイドがまるで働き蟻のように同じ動作を際限なく繰り返していた。


「書庫の陳列整理です。生まれたスペースを効率よく活用するために巻数の多い順にタイトルを並び替えています。そして、もっとも手に取りやすい場所に最大の空間を確保するようプログラムされています」

「なんだか、書店員さんが棚卸たなおろしをしているみたいだな。まあ返本作業がない分、おれとしては安心して見ていられるが……」

「なんですが、『返本作業』というのは?」


 今度は逆にミネバの方から質問をしてきた。

 まあ、普通は知らないよな。


「書店で一定期間、売れなかった本を出版元へ送り返す作業だよ。世の中にある、すべての本が売れるわけでもないからな……」


 おれの表情がどこか冴えないのはろくな思い出がないからだ。

 もちろん、平積みの状態からどんどん消化されて、すぐに重版がかかることだってある。でも、それ以上に期待ほど動かなかったタイトルが多いのも事実だ。


「それで、空いたスペースはどうするんだ?」


 ふとした疑問にミネバが小さく相好そうこうを崩した。

 おれからその質問を聞かされたことが意外であったらしい。


「決まっていますよ。新たにつむがれた物語が新刊として収められていきます」


 少女の言葉に思わず視線を下げた。


「まあそうだよな……」


 言われてみれば当然の話である。

 いついかなる時代でも、新たな物語や新シリーズは常に創り出されていく。

 人は創造の生き物なのだから。

 だが同時に、別の疑問が心に思い浮かんだ。

 もう一度、少女に向き直り事実を確認する。


「おれたちが力づくで終わらせたあの作品。実際にはどういった幕引きが行われたんだ? まさか、あの通りの展開が書かれているわけではないのだろ」


 いくらなんでも主人公がいきなり現れたなぞの登場人物に倒されて物語が終わったなんて結末では、これまで応援してくれた読者が納得しないだろう。

 長く停滞したストーリーを違和感なく万人が受け入れられるような形で終了とするには、それなりの説得力が必要である。

 現実世界における大人の対応策を確かめたかった。


「きっと、ライトさんが想像しているのと同じだとは思いますが……。ヒューイット、最後の巻をこちらに」


 ミネバがドロイドの一体に指示を出す。

 というか、こいつらそれぞれに名前があるのか……。悪いがおれには見分けがつかない。

 あるじの声に反応して、ドロイドのひとつが集団作業から離れた。

 牽引台に山と積まれた書物の中から目的の一冊を探り出す。

 マニピュレーターでその本をつかみ取り、音も立てずにこちらへと近づいてきた。


「ありがとう、ヒューイット。どうぞ、ライトさん。こちらがご希望の一冊です」


 ミネバがドロイドから本を預かり、こちらに向かって差し出す。

 おれは青い表紙の書籍を受け取り、最後のページを開いて、そこに書かれてある文章を確認した。


――読者の皆様へ。いつもご愛顧あいこいただきまして有難うございます。まことに急なことではございますが昨日さくじつ、本作品の著者である先生が体調不良を訴え、病院にて検査の結果、加療入院が必要との診断書が担当医師様より下されました。つきましては病気療養りょうようの間、執筆の中断をせざる得ず、読者諸兄にはご迷惑をおかけいたします。執筆再開の日時等はまた改めましてお知らせしたいと存じます。本当にご心配をおかけいたしまして申し訳ございません。ふたたび会える日を楽しみにお待ち下さい。担当編集より――


 一字一句、予想通りの常套句じょうとうくが記されていた。

 断っておくが、この担当者は決して嘘は言っていない。

 作者が体調不良なのも、医師の診断結果も間違いなく現実のことだろう。

 でなければ、まず上司に対して経過報告書を出せないからだ。


「もっとも、紙に書かれていることがすべて真実であるとは限らないけどな……」


 信じるのも疑うのも結局は受け取る側の問題なのだ。

 素直な人なら文面をまともに読むだろうし、少しひねくれた性格ならうがった見方をするだろう。


「あの……。大丈夫ですか?」


 どうやらおれの表情を見て、不安を覚えたミネバが声をかけてきた。

 それほど、いまの自分は怖い顔をしているのだと思う。

 よくある話だ。

 どんな天才作家でも、どれほどの人気作家でもふとした拍子に原稿へ一文字も筆を置けないときがある。

 その苦しみを誰かが代わりに引き受けることは出来ない。

 まわりはただ大人の判断を下すのみである。


「ああ、問題ないよ。なぜ、こうなったのかをおれは知っているし、こうしなければならなかった事情もほとんど理解できる」

 

 少女にこれ以上、余計な心配をかけまいと平然をよそおった。

 それでも、これが命がけで冒険をこなした結果なのかと思えば、一抹の虚無感きょむかんを覚えたのも事実だ。


「仕事の邪魔をしてすまなかった。元の場所に返してくれ」 


 手にした本をヒューイットに渡す。ドロイドは牽引台の一番上に受け取った書物を置いて、ふたたび通常の業務に戻っていった。


「ミネバ、台に集められたあの本はこれからどうなるんだ?」


 もはや新たにつづられる可能性がなくなった物語。

 その行く末を問いただす。

 このまま忘却の彼方へと消え去るのみであるのか?


「完結した書籍は階下にある蔵書保管庫へ移されます。もちろん、人々の意識の接触は可能ですが、現在進行中の作品に比べればアクセス数は微々たるものです」


 やはり、そうなるか。

 どのような形であっても一旦、終止符が打たれた物語に人々が再度、意識を払う機会は極めて少ない。

 作品は長く紡がれていくことで初めて多くの人の支持を受けるのだ。


「知っているよ。それが現実さ……」


 長椅子から腰を上げて立ち上がる。

 そのまま足を動かして、壁際にある本棚の前へと移動した。

 目の前には真新まあたらしい題名の書物が何冊も並んでいる。

 ほとんどのタイトルには巻数表記もなく、これから作品世界がどこまで広がっていくのか誰にも予想はつかない。

 それでも可能性だけはまだ無限だった。


「……これは!」


 端から順に目を通して、中ほどの一冊に視線が釘付けとなる。

 背表紙に記された本の題名は『君のタマゴでぼくの中身を満たしたい!』。作者の名前は蝶鮫ちょうざめらん子。

 慌てて手に取り、奥付のページをめくった。

 発行日と発行人の記載を確かめ、思わず安堵する。


「良かった。ちゃんと発売されたんだな。おめでとうございます、蝶鮫先生……」


 波間に漂う泡のように日々、生み出されていく新たな物語。

 たとえ泡沫うたかたの夢であったとしても、そのひとつに関われた喜びは筆舌に尽くし難い。

 自分はこのために頑張ってきたのだと、胸を張って叫びたくなる一瞬だった。


「あの、ライトさん」


 うしろを付いてきていたミネバが背中越しに呼びかけてきた。

 振り返り、少女の姿を視界にとらえる。

 と言っても、彼女の頭のてっぺんはおれの胸あたりだ。ふたつの瞳がじっとこちらを見上げている。


「どうした?」

「これからもわたしたちと行動をともにしてくれますか? もしも、あなたがわたしの発言を不審に思ったのなら……」


 ああ。この子は最初に出会った時、自分たちの本当の目的を隠したまま、おれを冒険にき付けたことを謝っているのか。

 なにをいまさら……。


「ミネバ、君は言ったな。『物語』は終わるべきだと。おれはあの時、そうだと感じた。そして、いまでも同じように考えている。様々な理由で動かなくなってしまった物語より、新しく生み出されたストーリーを可能な限り、たくさんの人に読んでもらいたいからだ。これはおれ自身の勝手な願望かもしれない。でも、そう思ったんだ。この気持ちはいまでも変わらない」


 みずからの素直な思いを口にしながら、少女が頭にかぶっていた帽子の上を一度、軽く叩いた。

 それから本を片手に長椅子がある方へ引き返していく。


「次の出番が来たら、また教えてくれ。それまではのんびり時間を潰しているからさ」


 振り向いて、ミネバに伝える。

 彼女は突然の行為にとまどうような表情を見せながら、帽子のズレを直していた。


「え! で、では、それまでは何を?」


 まだこちらの意図を完全には呑み込めていない反応。

 慌てたような声を聞くと、年相応の愛らしさを感じさせる。

 だからおれは、女の子が安心できように大きな声でハッキリと自分の意思を口にした。


「本でも読んで過ごしているよ。さいわいここには、読みきれないくらいの物語が集まっているから」


 そして、おれは本棚から取り出した『君のタマゴで僕の中身を満たしたい!』を持ったまま、長椅子にふたたび腰掛けた。

 さあ、読書の時間だ。



 了

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あなたが書きかけの物語、強制終了いたします。――元編集、ナルオライトの勇者を討ち果たす転生譚―― ゆきまる @yukimaru1789

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