#024 おとぎの国の侵入者

「何をしている、お前たち!」


 怒号のような叫び声が城の中庭に響く。

 あまりの剣幕にオトギとおれの双方がその場で動きを止めた。

 声が聞こえてきた方向へ顔を動かす。

 視界の片隅にオトギのバツの悪そうな表情がかすかに見て取れた。


「オトギ! その男は敵ではないと言っておいただろう。なぜ戦った?」


 女を叱責しっせきする人物には見覚えがある。

 全身を隠すようにまとった外套マントと、頭に巻かれた白い布。

 猛禽もうきんを思わせる鋭い眼光。ハウゼルだ。

 男の厳しい声にオトギは抜き身の刀身を腰の鞘に戻し、不承不承に理由を口にした。


「別に本気を出したわけじゃない。ただ新しい転生勇者がどんなやつが確かめてみたかっただけ。ただの腕試しよ。そうカリカリするな」


 悪びれた様子など微塵もない。

 実際はあと少しで本気を見せるところじゃなかったか?

 取ってつけたような言い訳にハウゼルの表情が一層、険しさを増していった。

 いや、それよりもだ……。


「ハウゼル、どういうことだ? この女は確かキリヒトの近くにいたはずだぞ……」


 単純な疑問を口にする。

 一体、この女の正体は何者なのか?

 敵であるのか味方なのか、おれにはまるで判断できなかった。


「そうか、どこかで見たのか。悪かったな、紹介が遅れて……。こいつの名前はオトギ。わたしと同様に評議会から送られた内偵ないてい工作専門の調査官エージェントだ。今回はキリヒトの側に潜んで、やつが突発的に行動しないようアンダーコントロールをしてもらっていたのだが……」

「だって、つまらないの! あたしはもっと派手に破壊とかしたいのに、あいつのボディガードなんてイライラするばっかり!」 


 上司に苦言を呈する新人OLのような物言い。

 異世界でも人事に苦労するのは中間管理職の宿命であるようだ。

 とは言え、敵でないのなら一安心。

 これ以上の戦闘は正直、体が持たない可能性もある。


「どうした?」


 無意識に片膝をついて身を休めようとしたおれに、ハウゼルが驚いたような声を出した。

 さらには床に落ちているシュトローム・ブリンガーと血の痕を見咎みとがめたのか、オトギに対してまたも厳しい視線を向ける。


「ち、違うわよ! そいつが勝手に自分で傷つけたの! 本当なんだから!」


 声を高くして自身の潔白を訴える。

 これまでの態度を見るに、どうもハウゼルには頭が上がらないようだ。

 あるいは一種の甘えの構造であるのかもしれない。


「サクヤは……別行動か? しかたがないな。オトギ、お前の責任だ。尻尾を使うぞ」


 ハウゼルがなんだかよくわからない要求を部下に迫っている。

 だが、おれにはもうその意味を問いかける気力さえ尽きかけていた。

 とにかくいまは傷口がうずく。この痛みを早くどうにかしてもらいたい。


「わ、わかったよ……。いますぐ、準備する」


 オトギが渋々、答えると急に彼女の姿が白い煙に包まれた。

 モヤが晴れると、そこに女性の影はない。代わりに一匹の大きな雌狐がいた。

 頭には緑色の葉っぱを乗せて、大きな瞳でこちらを見つめている。

 いまどきありえないほどの古典的エフェクト。どういうイメージなんだよ……。

 衝撃的な展開にすっかり思考が停止したおれを残して、ついさっきまでオトギだった狐がハウゼルの方へと駆け寄っていく。

 驚いたことに普通は一本だけの尻尾がその狐には何本もふさふさと生えていた。

 彼女の正体は、いわゆる『妖狐』のたぐいなのだろうか?


「よしよし、それじゃあ一本もらうぞ」

 

 足元をじゃれるようにまとわりつく一匹のケモノ。

 その背中をやさしくさすり、ハウゼルが尻尾のうちの一本を引き抜いた。


「……取れるのかよ。いや、それ以前に取ってもいいのか?」


 斜め上を行かれた発想についつい疑問を口にした。


「ああ、問題ない。どうせ冬には全部、生え変わるからな」


 鹿の角かよ……。

 実にあっさりした返答にうまいツッコミが思いつかない。

 

「多くの物語にあるが、化けギツネというのは美しさで異性をまどわせ、近くにいることで相手に病を起こさせる。放つ妖気が一種の『毒』として作用するわけだ。しかし、毒も使いようで『薬』となるのは承知の事実。ライト、傷口を見せろ。こいつで治療する」


 手にしたオレンジと先端が白い模様の尻尾をひらひらさせながらハウゼルが近づいてきた。

 とりあえず、言われるままに痛む脇腹を相手に示す。

 いまも血に濡れている傷口へハウゼルが尻尾を当てた。


「悪かったな。お前を見つけたら迷わず玉座に行けるよう案内しろと、ことづけておいたのだが……。どうも生来の気性で悪戯いたずら心に火がついてしまったようだ。許してくれ」


 仲間の失態に男は神妙な面持ちで謝意を伝えてくる。

 その言葉と同時に脇腹の痛みが段々、引いていった。

 気づけば傷口がいつの間にか塞がっている。

 にわかには信じられぬ話だが確かに彼の言うとおり、手にした狐の尻尾には治癒効果があるようだ。

 一息ついたところで再度、立ち上がる。


「助かった。さすがにあのままではこの先、面倒だったからな。ところで、ふたつほど気になる点があるんだが訊いてもいいか?」


「欲張りだな。ひとつは予想がつくが、もうひとつはなんだ?」


 問いかけを覚悟していたようにハウゼルは応じてみせる。

 まずは小手調べだ。


「野生の狐の尻尾には、確か人体に寄生するエキノコックスの卵が付着しているはずだが大丈夫なのか?」


 唐突なおれの物言いに男は覚めたような表情を見せる。

 野暮な意見は場の雰囲気を和ませるつもりだった。


「ああ……。薬を使って駆虫しているから心配は無用だ」


 メルヘンどこ行った?

 

「あたしを野良犬同様の扱いにするとはいい度胸ね。なんなら、もう一回、戦ってみる?」


 いつの間にか、また人の姿に変身していたオトギが剣呑けんのんな様子で声を上げる。

 悪いが遠慮しておこう。

 相手が物の怪では、次こそ取り憑かれてしまいそうだ。


「いいから下がれ、オトギ。これが人間のジョークだよ。我々にはつまらないがな」


 くっそ、ナチュラルにDISりやがって……。

 まあいいや、さっさと本当に聞きたいことを問いかけよう。


「あんたたちは一体、何者だ? ここへ来るまではハウゼル、あなたのことをおれは自分と同じような転生勇者だと思っていた。だけど、それは間違った認識のようだな。化けギツネだと? すまないが、そんなものを見たのは、おとぎ話の中だけだ」


 転生勇者も実際には小説の中でしかお目にかかれないわけだが、そこはまあ一旦、置いておこう。

 問題は彼らがどこからやって来た人間であるかという疑問だ。

 あるいは、この前提そのものが実は見当違いなのかもしれない……。


「そうだな……。ここまで来て、何も知らないのではさすがに不公平か」


 ハウゼルが神妙な面持ちで隠されていた物語の秘密を語ろうとしていた。


「まずは一番大事なことを伝えておこう。この世界で本当の人間はナルオライト、お前ひとりだけだ」


 いきなりすぎて言葉の意味がつかめない。

 おれだけが本当の人間……?

 では、ほかの人たちは一体?


「それ以外の登場人物、わたしたちはみな他の物語から導入された”外伝挿入者スピンアウト”だ」

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