#016 JKには通じない

「ばかな?」


 受けたダメージにロザリンドが驚いた表情を見せた。

 ようやく……。ようやくである。

 これだけ時間を割いて策をろうし、剣を交わし、与えたのはかすり傷ひとつ。

 だが、騎士の心を折るには完璧な一撃だった。


「わたしの鎧が防ぎきれなかった……」


 膝が崩れ、力なく地面に腰を落とす。

 だらりと伸びた両腕。

 もはや体を動かそうにも気力が尽きているのは明らかだった。

 額に浮かんでいる玉のような汗が頬を伝い、顎先あごさきからしたたり落ちる。

 胸元の厚い金属板に大粒の汗が触れた。

 その瞬間、夏の日差しに長く照らされた鉄のかたまりへ水滴を落としたような音がした。


「なんだ。この鎧の熱さは一体……」


 汗はそのまま鎧の表面を滑るように落ちていく。

 水滴が走った痕跡こんせきはまもなく溜め込まれた膨大な熱によって跡形もなく消えた。

 もはやロザリンドには、ふたたび立ち上がる余力はなさそうだ。

 それどころか、すでに意識さえ朦朧もうろうとなって、いまにも倒れてしまいかねない。

 彼女の容態は一般的に『熱中症』と呼ばれる症状と酷似していた。


「馬鹿な? この程度の戦闘でわたしが……」


 両手を地につけ、懸命に上半身を支える。

 気を抜けば、すぐにも倒れ込んでしまいそうなほど彼女は消耗していた。

 どれだけ過酷な鍛錬たんれんを重ねようと、人間の生理現象にあらがうことは出来ない。

 まとった鎧に熱がこもれば体温の上昇、それに続けて発汗及び脱水症状を引き起こす。

 さらに進めば血液中の塩分濃度が低下し、やがて全身の筋肉が痙攣けいれんしていく。

 すでに症状は熱射病にまで及んでいるだろう。

 体中の熱が行き場を失い、意識を混濁こんだくさせていく。

 こうなると適切な処置を施さねば生命にも直接、関わる。


「くっ! こ、殺せ」


 言ってほしいと思っていたが、まさか本当に口にするとは予想もしていなかった。

 ただし、ここまで弱音をさらけ出すということは、いよいよ活動限界が近いのだろう。

 どうするべきか?

 思案をしていると、いきなり右腕が勝手に動き出した。


「――やめろ、馬鹿!」


 シュトローム・ブリンガーがおれの体を使ってロザリンドに剣を振り下ろす。

 刃はギリギリのところで相手の頭上をかすめた。


――こいつ、敵の魔法が消失した瞬間に首元を狙いやがった。


 急いで制動をかけ、事なきを得たが斜めに走った剣先がなぞったのは頭の上。

 目の前には意識を失い、地面に倒れている女騎士の姿があった。

 敵が戦闘不能となった状況でようやくシュトローム・ブリンガーが右腕の支配を解く。

 さらにこれ以上の戦闘はないと判断したのか、手のひらの中でアクセサリーの形状に戻った。


「やばいな、このままでは……」


 荒い呼吸を繰り返すロザリンドの容態を見て、いまさらながらに気を揉む。

 こうなるように仕向けたのは自分だが、さすがに放っておくわけにもいかない。

 なんとか介抱かいほうしようと思った矢先、遠くからサクヤが駆け寄ってくるのが見えた。


「その人をうしろから抱えてください、ライトさん!」


 両手で木桶きおけを下げ、重そうに支えながら走ってくる。

 中身は水か?

 その間におれは腰を下ろして言われた通り、倒れているロザリンドをうしろから抱きかかえるように持ち上げた。

 服越しにも鎧がかなりの熱を発しているのがわかる。


「近くに井戸がありました。山水なので十分に冷たいです。そのまま支えてあげてください。まずは防具の粗熱あらねつを取ります」


 てきぱきとサクヤが応急処置を開始する。

 まずはゆっくりと甲冑に水をかけ、余分な熱を冷ましていく。

 手で触れても大丈夫なのを確認すると、彼女は次に上半身のふたつのパーツ、胸と胴まわりの鎧をはずすために組紐くみひもを解いていった。

 人体の熱の半分以上は頭部と胸部から放出される。

 なので、ごちゃごちゃとした関節絡みのパーツが多い四肢のユニットはそのままで放置。

 胴体部の金属板をはずすと下には綿打ちのキルトで裁縫さいほうされたアンダーウェアとさらに内側には下着代わりのシャツがあった。

 結ばれている紐をほぐしてロザリンドの胸元を大きく外気にさらす。

 上気した白い肌にふたつの盛り上がりが確認できた。

 うん、すごく大きい。

 でもいまはサクヤが冷水に浸した布で丁寧に顔と体を拭いている最中なので余計な妄想はつつしむとしよう。


「でも、どうしてこんなことが起こったのですか?」


 せわしなく手を動かしながら、強敵を組み伏せた魔法の種明かしを求めてくる。

 まあ、別にそれほど大した話でもないのだが……。

 せっかくJKに自慢話を話せる機会なので、ぜひ「すごい!」とか言ってほめてもらおう。


「この鎧の最大の特徴は敵の攻撃を"吸収"することだ。防ぐわけでも跳ね返すわけでもない。そこにつけ込んだ。【強制改変コ ー ド】によって取り込んだエネルギーを都合よく"消失"させるのではなく、キチンとなんらかの形になって保存するよう変えたんだ。結果として、鎧は受け入れたエネルギーのほぼすべてを熱に転換して溜め込むしかなかったというわけだ」

「ごめんなさん。わたし、物理とか難しいお話はちょっと苦手で……」


 知ってた。

 大概のJKはこんな面倒くさい解説より、この夏はナチュラルテイストなメイクで女子力をアップしよう的な小賢しい処世術を身につけるほうが大事なのである。

 なので、ここからは独り言だ。

 以前に「現実で魔法の力が発動した場合、世界はどうなるのか?」という命題を科学者が考察したという記事を読んだ。

 結論を言うと、世界が蒸発するという答えだった。

 おかしなことに彼は「不思議な力で炎や水が生み出されるのは構わない」と言っていた。

 なぜなら、未だ全容を解明できていない不思議なことを調べるのが科学であり、未知の力も魔法の力も自分にとっては等しく同じであると。

 ただし一旦、自然現象として生成されたエネルギーはそれが科学的反応の帰結か、魔術の効果によるものかは関係なく世界に放出される。

 したがって現実の自然科学として取り扱われる事象なのだ。


『エネルギーは保存される』


 この単純で明確な自然法則により、加えられた新たなエネルギーは世界に循環し、結果として魔法は使うたびに現実のエネルギー総量を増やし続けていつか世界は熱で蒸発するだろうというのが彼の言い分だった。

 夢も希望もない。

 実際、おれとシュトローム・ブリンガーがペチペチ当てていたしょぼい攻撃ですら、それらをすべて吸収していると転換されたエネルギーによって鎧はヒーターのように加熱していった。

 まあ放熱板のような翼でも生えていれば結果は違っていたのかもしれない。


「サクヤ、彼女の容態は?」


 なおも意識を喪失しているロザリンドの具合を確かめる。


「一応、これ以上の悪化は防げていると思いますが、ここでは限界があります。本当はもっと気温の安定した場所でゆっくり回復を待ったほうがいいのですが……」


 どうにもならないというのが現実か。

 塩飴しおあめ……はないだろうから、時代的には蜂蜜か何かを溶いた水でのどをうるおしたほうがいいのかな?

 といっても、おれたちが館に向かうわけにもいかない。

 方策が取れない状況にれていると、門の方から新たな人影がやって来ているのが見えた。


「お前たち、ここで何をしている?」

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