#002 ナルオライトはよみがえる

「――……きるのです」


 光が見えた。より正確には光を感じたのだろう。

 閉ざしたまぶたに広がるまばゆい感覚。

 次第に意識が鮮明となっていく。


「――起きるのです。ナルオライト」


 名前を呼ばれた。

 驚いて目を開けると、視界の中に明るい光を背景として誰かが立っていた。


「気が付きましたか? わたしはミネバ。このバベル図書館の司書をしているものです」


 声に気づいて視線をさらに動かす。

 自分はどうやら体を横にしているようだ。何がどうなっているのか皆目、見当がつかない。

 とりあえず上半身を動かそうとして腕に力を入れる。

 肘を支点に背中を起こした。周囲の状況を確認すると、辺りは隙間なく書物が並べられた本棚によって囲まれている。

 書架しょかは上空に向かって延々と積み重ねられていた。その終わりは見える限り、どこまでも高く続いている。


「なんだ、ここは……」


 口に出せたのは、ただ一言。

 あまりにも突飛な光景にそれ以上の言葉を失う。


「ここはバベル図書館。世界中に存在するありとあらゆる物語が書物の形となって集められている場所です」


 さっきから聞こえてくる女性の声。

 正体を確かめようと顔を向ける。

 見えたのは銀色の長い髪に緋色の目をした少女。

 身に着けているのは臙脂えんじの制服と上には丈の短い白の外套マント。頭の上には制服と同じ色合いの帽子をかぶっていた。


「君は? それにおれはなぜ、ここにいる」


 目の前の少女に疑問をぶつける。

 答えを待つよりも先に足元の様子を確かめた。

 いま腰掛けているのは木製の長椅子。下には石畳の床が大きく広がっていた。

 ほかに人影はない。

 巨大な本棚がいくつも並べられた異形の空間に、生あるものは自分とそばに立つなぞの人物だけだった。


「わたしの名前はミネバ。この図書館の維持と蔵書の管理をつかさどる文書管理官ライティングハンドラーです。そして、ライトさん。あなたはバベル図書館のスタッフとして異界より呼び出された新たなる転生者なのです」

「え! なんだって?」


 まさか自分がラノベ主人公にありがちな突発性難聴をやってみせるとは思わなかった。

 現実の声が聞こえなかったわけではない。

 ただ、投げかけられた言葉の意味を理解できなかっただけだ。

 人間は予期せぬ境遇や想定外の事件に直面すると、現実を受け止めるために過剰な情報を一時的に遮断することがある。

 いまの自分がまさにそうだった。


「まあ、すぐに理解できるとは思っていません。とりあえず現在の姿をよく見てください」


 ミネバはやさしく答えると制服のポケットから手鏡を取り出した。それをこちらに差し出す。

 おれは長椅子に座り直して女の子から鏡を受け取った。四角型のコンパクトミラーを顔の前に向け、言われたとおり自分の状態を再確認する。


「んん?」


 まず顔を見て驚いた。

 誰だ、このアニメに出てくるようなイケメンは……。

 髪は現実だったら面倒くさいだろうと思うほど派手にツンツンしている。

 体を包んでいるのは下半身が黒いレザーパンツで足元は同系色のブーツで固められていた。インナーには白い無地のシャツ。首から長いチェーンで剣の形をしたペンダントがぶら下がっている。

 シャツの上に着込んでいるのはパンツと同じようなデザインのレザージャケット。襟先えりさきには防寒用の白いファーが付いている。

 全体的な印象としては、どこのビジュアル系バンドのあんちゃんだ……。


「これがおれ?」


 鏡に映る姿が現実であるとは到底、信じられずに思わずつぶやいた。

 その台詞せりふ回しに別の違和感を覚える。

 おれ……?

 おいおい、自分のことを呼ぶときは”わたし”だろ。

 どうも先程からおかしい。

 ナルオライトという人格の記憶は確かに残っている。だけど別の誰かの思考が入り混じっていた。いや、それ以前に自分は死んだのでは?

 巡る疑問と不可思議な現実にとまどいは大きくなるばかりだ。

 ついつい深く考え込む。


「……ライトさん」 


 ふたたび自分の名を呼ばれ顔を上げる。

 視界の中に右手を高く振り上げているミネバがいた。


「てい!」


 手のひらを一閃し、手刀でこちらの額を強く打ち付ける。

 ぺちっという情けない音が響いたあと、少女は左手で痛む傷口をかばうように包み込んだ。なんという虚弱体質……。


「えっと。だ、大丈夫か?」


 不当な暴力にいきどおるのも忘れ、相手の身を案じた。

 なんだかんだで目の前に美少女がいれば、気持ちがそちらに向いてしまうのは男の哀しい性だ。


「――落ち着いてください……」


 痛みに耐えかね、うずくまったミネバが絞り出すような声を上げる。

 少女は伝えようとしているのだ。

 この世界の秘密と自分がここに運ばれた理由を……。

 息を呑んで続きを待つ。


「いきなり『転生だ!』などと言われてもパニックになるのは当然です。だから、わからないことや知りたいことは、いずれわたしがなんでも教えてあげます……。いまはとにかく自分が生まれ変わったんだということを受け入れてください。それだけは確かな事実なのですから」


 背中を震わせながら彼女は伝えた。

 ああ、そうか……。

 不意に気づく。怖いのは向こうも同じだと。

 そりゃまあ、見ず知らずの男が突然にやってくれば、か弱い女の子としてはおびえもするし恐れもする。

 でも、この子は自分のために勇気を出して活を入れてくれたのだ。

 あと、なんでもって言ったよな?


「すまないな、手は大丈夫か? どうやら、おれの体は生まれ変わった途端になぜか強くなっているらしい。よくある話だ。だから、もう余計な心配をするのはやめるよ。とりあえず、おれはここで何をすればいい?」


 立ち上がりミネバの怪我の具合を確かめる。

 のぞき込むおれの視線に気がついて、彼女も気丈に振る舞おうと姿勢をただした。

 並ぶとミネバの頭はこちらの胸の位置にある。

 少女がとりわけ小柄なのかおれが無駄にでかいのか、ほかに比較するものもないのでよくわからない。


「ライトさん。あなたはなぜ自分がバベル図書館に転生されたか、理由がわかりますか?」


 こちらを見上げながら問いかけてくる。

 おれは無言のままに首を横に振るだけ。


「通常、転生者はみずからが望むような世界観・文化を持つ異世界へと生まれ変わります。そこには一般的な合理性や客観性、あるいは守るべき倫理観というのはまともに反映されません。あくまでも本人が望むままであることが重要なのです」


 ミネバの説明にまあなんとなくだが合点した。

 実際にこうして生まれ変わってみると、どうせならいままでの自分を捨てて思いどおりの人生を楽しんでみたいものだ。

 はて? だとすれば、おれが理想とする生き方とは一体……。


「ほとんどの転生者はそうやって自分が望む世界へと旅立っていくのです。ですが、ごくまれに自分の世界ではなく、他人の世界に対してより強い興味を抱く存在がいます。それがあなたであり、わたしなのです。バベル図書館はそうした他者が生み出す世界の物語を見守り、保護する機関なのです」


 あれ……。唐突な既視感デジャヴィ

 せっかく転生したというのに、なんだか元の木阿弥もくあみな気分がする。


「えーと……。ようするにだ、ここは誰かが描いた世界の物語を収集・管理するための部署ってことなのか?」


 恐る恐るたずねてみる。

 そうじゃないかなという予感と、それだけはよしてくれという切望が心の中でせめぎ合う。


「わかりやすく例えると、編集部ですね」

「だから、そういう身も蓋もない表現するなよ!」

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