ある日のこと

藍雨

ある日のこと



「俺、布団と心中するわー」

「そうですかい」



夕暮れ迫る教室、幼馴染とふたり。聞こえはいいけれど、別になんでもない私と彼。



「えぇーちべたい。君、ちべたいよ」

「なによちべたいって。きしょい」

「きしょい!?」




徒然なるままに、ふたり、ゆっくりと日暮れを待つ。







「お布団はよいんですな。ふかふかで、全てを受け入れてくれるわけですよ。あんなに包容力のある方にぜひ出会いたいね。ソッコーで結婚を申し込むよね、うん」


同意を求め、一人で同意している。なにしてんだ、このひと。


「お布団と相思相愛ですかい」

「ですなぁ」


なんとなく開いた小説の文章が、いつもよりすこしだけ、ゆっくりと頭の中を巡る。


「いやぁ、アレだよね。なんだろうね、この無為で非生産的な時間こそ、アレだよね」

「アレじゃわからないわよ」

「アレだよ、よいよねーって話だよ」


このひとは、時々変な喋り方になる。


「……古典のひとみたい」

「古典?なにが?」

「あんたが。むかあしのひとみたいな。よい、とか」

「そこだけ!?」

「まぁなんとなくだから、さ」


なにかに影響を受けたのだろうな。そんなことを考えながら、やっと読み終えたページをめくる。


「お布団と相思相愛。いやぁ、いい響きだねぇ」

「もう一生寝てなよ」

「いやっ、そんなこと言わないでっ」

「きしょい」

「ひっでぇー」


カラカラと笑う彼。彼はさっきから天パの頭をもしゃもしゃといじっている。もっふもふだ。


「もっふもふ、ふっ、ふふ……」

「え、なに急に怖いよ」

「……小説が面白かっただけだよ」

「そうですかい~」


変なところで伸ばして、ひとりでまたカラカラと笑う彼。


昔からよく笑うひとだったけれど、最近はもっとよく笑う。その度に天パが揺れるのが面白い。



彼と私は幼馴染。


彼と私は、幼馴染。


天パの彼と活字中毒の私は、幼馴染。



「小説面白いんかい?」

「……まぁね」

「さいですかー。俺にも読ませてくんなましよ」

「読み終わったらね。ってか活字読めるの!?」

「馬鹿にすんな!読めるわ!」


知らなかったよ。



すこしずつ夕に染まる外の景色に視線を投げていた彼は、思いついたようにこちらを向いた。


というか、来た。



「……なに」


目の前の席にどかりと腰を下ろし、ぐりんとこちらへ向きなおる。


「いえね、アレですよ。ちょっとしたね、うん」

「いやわかんないから」


アレはアレだよ、とくちびるを尖らせている。さて彼はその表情が可愛いと思っているのだろうか?


「きしょいよ」

「えっ、可愛いでしょう!?」

「…………」

「無言の力って怖い!悪かった、ごめんって」


きっと冗談なのだろうから、答えは否だ。断じて。それ以外は認めない。



「で、なに、アレってのは」


小説を閉じて、正面を向く。青と橙が混ざったような不思議な色が、彼の表情を難しくしている。


「……いやだからまぁね、うん、アレなんですよ」

「ドレだよ」

「ドレミ?」

「……私が今言ったドレ、ひらがなだったらどうすんのさ」

「え、そこ……?」


違う、そこじゃない。


「ドレミじゃなくて。アレじゃわかんないよ」

「そうなんだけれどもよー、わかっておくれよー、ちびっとぐらいよー」

「なにそのだけれどもよーって。鬱陶しいよとっても」

「……ちぇっ」


またくちびるを尖らせた。わからん奴だな。


「きしょいって。言葉にできないんなら言わないでよー。伝わんないよ」

「……ですよね」


……?


心なしか、彼の纏う雰囲気が変わったように感じて、そうだそうだと乗ることができなかった。



「……じゃあわかった。当てる」

「は?」

「クイズだよ。私が考えて、答える。アレとはなにかという問いに答えてしんぜよう」

「いや俺質問したわけじゃないよ?」

「えーだって埒が明かないじゃない」


ぶつぶつとなにかを呟いて、彼がキッと視線を向けてくる。


「ダメ。わかった、じゃあ俺ちゃんと説明するから。そんなん、当てられても正解!!って言えるもんではない」

「なにその意地……。わかったよ、じゃあ待つから」

「それでよいそれでよい」



そう言って彼は組んだ腕を椅子の背の上に置き、さらにその上に顎を乗せてもごもごとくちびるを動かし始めた。


きっと考えているのだろう。待つ間に、小説の続きを読むことにする。



図書室で借りてきたその小説は、特に好きな作家の作品という訳でもなく、ただ新作が発売されるまでの間を持たせるためのものだ。


だからあまり内容が頭に入ってこない。面白いのに、素直にその世界を楽しめない。


––––––––理由は好きな作家の作品ではないから、それだけなのかと、誰かが静かに問う。



様子のおかしい幼馴染の所為だとでも?


それはない。それだけは、ない。それこそ、おかしい。なぜ私が彼に調子を左右されなければいけない?……うん、それこそおかしい。



それじゃあ一体なにが悪いのだ。……わからない。もう頭を悩ませても仕方がないことだ。


私は大人しく小説の世界へ戻る。彼の答えを待つ。



彼はまだもごもごとくちびるを動かしている。


考え事をするときにそうやって、誰に聞こえるわけでもない呟きを落とす癖、変わってないなぁ。


……そんなことばかり考えているうちに、彼の結論が出たようだった。


結局、開いたままのページから小説はすこしも進んでいなかった。



「よっしゃ出たよ。心して聞けよ、おぬし」

「なによおぬしって……。まぁいいや。……ファイナルアンサー?」

「ファイナルアンサー」


神妙な顔つきでうなずくと、彼は言った。


「アレというのはつまりですね。……恋というものですよ」

「…………」


クエスチョンマークの大量生産が始まる。なんだ、これ。なに、え、なに?



「……え?」

「恋。恋なんだよ、恋。あ、魚ではないよ?来てほしい意味の命令でもないよ?惚れた腫れたの恋だよ?わかるかい、君」

「……だからその口調は」


ツッコみにキレが出ない。無理もない。突然、恋だと言われても。



「……その心は?」

「えっ、それも言わなきゃならんの!?」

「ならんよ。それだけでわかるか!」

「……えーだってアレの正体は答えたじゃないかよー」

「それはそうだけど」

「アレとは?恋。その心はという問いは事前に差し向けられたものではないからアウトー。残念でした!!」


ずるい。くそったれ!!と叫びたくなるが、それはあまりにも下品だ。


……恋?恋とはつまり、AさんがB君に好意を抱いちゃう、アレだよね。B君がAさんに好きだと言う、アレだよね。アレとはつまり恋で、恋とはつまり……



「……私のこと、好きなの?」


言ってから後悔した。なにこれ、すごい自意識過剰なひとみたい。


見るとすこし薄まった青と、すこし強まった橙に加わり、紅の混じったさらに難しい表情の彼がいた。


顔だけはこちらに向け、視線を窓の外へ投げている。


––––––––さて私は今、どんな顔をしている?



「ねぇ私、今どんな顔してる?」


訊いてどうするのだろう。もう、混乱に拍車が掛かりすぎて、一周どころか何周も廻りまわった感情に酔いそうだった。


「……真っ赤な顔、してまっせ」


答えた彼の視線と、私の視線がぶつかる。



「……さいですか」

「お前こそ、古典のひとみたいだな」


ふっと笑みがこぼれる。




暮れていく教室で、なんでもなかった私たちがすこし、なにかある幼馴染へと変わった瞬間だった。




fin.

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ある日のこと 藍雨 @haru_unknown

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