コーデリアの気持ち
「アルベリヒさん。買い物に行ってきますね」
いつものように声を掛けてから出掛けようとするわたしだったが、それをアルベリヒさんは引き止める。
「待て。俺も一緒に行く。昨日あんなことがあったばかりだからな。他にもお前の事を狙っている妙な奴らがいるかもしれない」
心配しすぎじゃないかな。あの後、わたしを拐かした犯人たちは憲兵隊によって捕縛されたということだし。
それにアルベリヒさんだって、今後わたしに手を出すなと言い切ってくれた。あの言葉のおかげか、わたしは何があってもアルベリヒさんが助けてくれるのだという妙な安心感を抱いていた。
うーん……でも、考えてみればたしかに楽観的すぎるかな……。
ここは大人しくアルベリヒさんに従った方がいいのかも。
そんなわけで、二人して家を出た。暫くすると、人通りの多い通りにぶつかる。
するとアルベリヒさんがこちらに向かって手を差し出してきた。
「ほら、手を貸せ。万が一はぐれたら厄介だからな」
「そんな、大丈夫ですよ。子どもじゃないんですから……」
「いいから」
強引に手を取られてしまった。ちょっと恥ずかしい。でも、アルベリヒさんの手、あたたかい。
そこでふと、違和感に気付いた。
「あれ、アルベリヒさん、今日は手袋してないんですね」
いつもはきっちりと黒い手袋を嵌めているはずの彼の手は、何故か今日は素のままだ。
「……今日は暑かったんだ」
はて、そんなに暑いかな? 昨日とあまり変わらないような気がするけれど。でも、アルベリヒさんみたいにしっかりと着込んでいればそう感じるのかもしれない。
ともあれ、そうして歩いていると、いつもと街の様子が違うことに気付いた。なんだか人通りが多い。というか、ごったがえしている。はぐれたら厄介だと言うアルベリヒさんの言葉が現実味を帯びる。わたしは無意識に握った手に力を込める。
そこで、アルベリヒさんが何かに気付いたように声を上げた。
「そうか。昨日のことがあって忘れてたが、今日から精霊祭か」
「せいれいさい?」
「なんでも、この国を守護すると言われている精霊に感謝を捧げる祭りだとかで、国中から大勢の人が集まるそうだ」
「お祭りですか! 楽しそう!」
そういえば生まれ故郷でも噂はうっすらと聞いた事がある。王都では毎年賑やかなお祭りが開かれるって。これがそのお祭りなのかな。
言われてあたりに目を向ければ、通り沿いの商店はいつもより華やかに飾りつけられ、普段は見ないような露店もたくさん軒を並べている。道行く男性たちは顔を上気させ、女性たちは着飾っている。
こんなに大規模なお祭りを間近で体験するなんて初めてだ。さすが王都。物珍しさに思わずあちらこちらに目を向けてしまう。
「ねえねえアルベリヒさん。あれ、何ですか?」
わたしの指差す先にはひとつの屋台があった。円柱を平たくしたようなものが売っている。大きさは掌の半分ほどだろうか。周囲の人々がそれを頬張る姿から察するに、どうやら食べ物のようだが、わたしは初めて目にするものだ。
「あれは『王都焼き』だ。小麦粉で作った生地を円形の型に入れて焼いたもので、中にクリームだとかが入ってる。城壁に囲まれた王都を上から見ると円形に見えることに因んでるとか」
「なるほど。だから『王都焼き』かあ……おいしそう」
思わず目で追っていると、横を歩いていたアルベリヒさんが突然方向を転換した。
何事かと思っているうちに、そのまま引っ張られるように王都焼きの屋台の前まで連れて行かれる。
「いらっしゃい! ご注文は?」
屋台の主人がわたし達に気付いて威勢のいい声を上げた。
「……どれがいいんだ?」
「え?」
アルベリヒさんが店頭のメニュー表を指差す。その横顔をわけもわからず見つめていると
「食べたいんだろ? 買ってやるから好きなのを選べ」
「ほんとですか!?」
う、うれしい。あ、でも、わたしってば、そんなに物欲しそうな顔してたのかな……うう、恥ずかしい……でもうれしい。
頬が緩まないよう手で押さえながらメニュー表とにらめっこする。
「それじゃあ、チョコレートが入ったのを……」
◆ ◆ ◆ ◆
王都焼きの表面にはかわいいお城の焼印が入っていた。
歩きながら、まだ温かい王都焼きをひとくち齧ると、優しい生地の甘さと共にとろりとしたチョコレートクリームが口に広がる。
「おいしい……アルベリヒさん、これ、おいしい! おいしいです! 圧倒的おいしさです!」
「わかったわかった。何度も言わなくてもいい」
「アルベリヒさんのはどうですか?」
アルベリヒさんは林檎ジャム入りのを自分の分として買ったのだ。そっちもおいしそう。
「そうだな。美味い」
「あ、それじゃあ半分交換しませんか? そっちの味も知りたいです」
「……別に構わないが」
了承を貰ったので、わたし達は人波から外れるように道の端っこへと移動する。
「はい、アルベリヒさん、どうぞ」
半分に割った王都焼きをお互い交換し合う。
心なしかアルベリヒさんがわたしにくれた分は半分よりやや大きい気がした。
「わあ、こっちもおいしい。悪魔的おいしさです」
「おかしな比喩はやめろ」
幸せな気持ちで林檎ジャム入り王都焼きを齧りながら、わたしは道行く人の流れに目を向ける。
「それにしてもすごい人の量ですね。お店もたくさんだし。相当大きなお祭りなんですね」
感心しながらきょろきょろしていると、隣で王都焼きを齧っていたアルベリヒさんが躊躇うように口を開いた。
「その……もし興味があるのなら、見て行くか? 精霊祭」
その言葉にわたしはアルベリヒさんの顔を振り仰いだ。
「い、いいんですか!?」
「折角の機会だしな。なにも見ないで帰るのもつまらないんじゃないかと思って」
実のところお祭りと聞いてから、気になって気になって仕方なかった。でも、アルベリヒさんと一緒だし、勝手なことはできないと諦めていたのだ。
けれど、当のアルベリヒさんが誘ってくれるのだから断る理由もない。
「ぜひ見たいです! お祭り!」
わたしははぐれないように再びアルベリヒさんの手を取ると、引っ張るように歩き出した。
「アルベリヒさん、輪投げがありますよ。あ、的当てゲームなんていうのもある!」
「あんまり慌てるな。転ぶぞ」
そうしてわたしたちは目に付いた出店のゲームに挑戦する。
「あっ、くそ、もう少しであのぬいぐるみに届きそうだったのに……! おい、コーデリア、もう一回だ」
輪投げをしていたアルベリヒさんが悔しそうな声を上げる。
アルベリヒさんて結構負けず嫌いなところあるなあ。でも、なんだかんだで楽しそうだ。
それにしても、アルベリヒさんて、こういう遊びにも付き合ってくれるんだな。真剣になってるところがなんだか子供みたい。
その様子にわたしは思わず笑みを漏らした。
わたしの方の結果は散々だったが、アルベリヒさんはゲームで得た妙な木彫りの人形やら、耳が若干ずれてついているうさぎのぬいぐるみなどで、繋いでない方の手が一杯になってしまった。邪魔そうだったので持ってきていた買い物かごの中に移す。
露店の立ち並ぶ通りを抜けて、広場へと差し掛かると、そこでは何か催し物をしているようで、中央に人が集まっていた。
「そこのお二人さん! 自分の運を試してみないかい?」
わたしたちに向かってひとりの男性が大声で語りかける。思わず足を止めると、男性は続ける。
「これから宝探しゲームが始まるところでね。挑戦者を募っているところなんだよ。どうだい? 参加してくれないかい?」
「へえ、面白そう! アルベリヒさん、宝探しだそうですよ! 気になりませんか!?」
「わかったわかった。参加したいんだろ?」
輪投げや的当てなど、度重なるわたしの要求にアルベリヒさんも慣れたのか、苦笑しながらもゲームに参加する事を了承してくれた。
先ほどの男性に言われ、広場の中ほどに行くと、小さなステージのようなものがあった。それを取り囲むように他の参加者であろう男女達が集まっている。子供から老人まで、年齢は様々だ。
と、さほど時を置かずしてステージの上に一人の男性が立つ気配がした。みんなの視線が集中する。
シルクハットを被ったその男性は、おどけたように辺りを見回す。
「紳士淑女の皆々様、このたびは宝探しゲームにお集まりいただきありがとうございます。今年も皆さんの為にたっぷりお宝を用意しております。さあ、念入りに隠されましたお宝は見事発見されるのでありましょうか!」
そこで拍手が巻き起こった。わたしも釣られて手を叩く。
「さて、ルールは簡単。この広場のあちらこちらに隠されたお宝を探すだけ! お宝の内容は、可愛らしい刺繍のハンカチやあたたかい靴下。きらびやかなアクセサリーなどなど……いいですか、みんなこの白い箱に入って隠されているのです!」
男性は白い箱を高く掲げてみせる。片手に乗るほどの大きさだ。
「おっと、ひとつ言い忘れるところでした。お宝は建物の中にはありません。屋外だけですよ。屋外だけ。わかりましたか?」
みんなが「はーい」と声を上げるのを確認して、男性は満足気に頷く。
「よろしい。それでは皆さん、幸運を祈ります!」
男性の声と共に、参加者達は一斉に動き出した。駆け出してゆく者の姿もある。
わたしたちはその流れに飲み込まれないように寄り添いながら、なんとか人の輪から抜け出した。
「よーし、まずはあっちに行ってみましょう」
アルベリヒさんを引っ張りながら広場を歩きまわる。途中、ところどころに植えられた木々の枝の隙間やら、植え込みの中などを覗いてゆく。
「うーん、なかなか見つかりませんね。それとも、もう誰かに見つけられた後なのかな」
「それなら、諦めて降参するか?」
「そ、そんなの悔しいです! 見つかるまで探し続けますよ! 輪投げが残念な結果だった分をここで取り戻してみせます」
それに、たとえ中身がなんであれ、宝探しと聞くと胸が踊るのは万人が共通項だと思う。さらに言えば宝物を手に入れるまでは諦めきれないというのも。
「お前は元気だな」
アルベリヒさんはどこか諦めように、わたしに手を引かれるまま後をついてくる。疲れちゃったのかな。
「アルベリヒさん、真面目に探してます?」
「探してる探してる……あ」
何かに気づいたようなアルベリヒさんの声に振り返ると、彼は前方を指差す。その先には赤い屋根の建物があったが、窓枠に見覚えのある白い箱が置かれていた。
「わあ、あの箱ですよ! 宝物が入ってるっていう箱! アルベリヒさんすごい!」
わたしは持っていた買い物かごをアルベリヒさんに押しつけるように渡す。
「取ってくるので待っててください!」
「あ、おい……」
そうしてひとり窓の近くへと駆け寄るが、箱の置かれている窓枠は少し高い場所にあって、わたしが手を伸ばしても届かない。
「えいっ!」
ジャンプしてみるも、やっぱり届かない。
なにか足場になるようなものはないかとあたりを見回せば、窓枠の斜め下あたりに膝丈ほどの高さにレンガの積まれた花壇があった。
そうだ。この上にからならきっと……。
そう思ってレンガに登って手を伸ばすが、それでもわずかに届かない。うう、もうちょっとなのに……。
諦めきれずに身体と手を一杯に伸ばす。
「おい、コーデリア、無理するな。箱なら俺が……」
何か言いかけるアルベリヒさんと同時にわたしの指先が箱を掴んだ。
やった! と思った瞬間、足元がずり……と滑った。
「わあ!?」
バランスを崩したわたしは箱を掴んだまま前方へと倒れこんでゆく。
「コーデリア!」
アルベリヒさんの鋭い声を聞きながらもどうにもできず、迫り来る石畳の感触を想像して、思わず目を閉じて衝突の衝撃に備える。
次の瞬間硬い地面に叩きつけられ――たかと思いきや、思ったほど痛くない。それどころか、まるでなめらかな布の上に倒れこんだような感触もする。
おそるおそる顔をあげると、すぐ下にアルベリヒさんの顔があった。
「ア、アルベリヒさん!?」
混乱する頭で考えるに、どうやらバランスを崩したわたしを助けてくれようとして、下敷きになってしまったらしい。
「アルベリヒさん! 大丈夫ですか!?」
慌てて傍に膝をついて声をかけるも、反応はなく、アルベリヒさんは呆けたように宙を見つめたまま瞬きもしない。
ど、どうしよう。打ち所が悪かったのかな……!?
「だ、だれか……」
思わず周囲に助けを求めようとした瞬間、アルベリヒさんがそれを制止するように手を挙げた。
わたしの見ている前で、彼はぱっと身を起こす。
「お、俺は平気だ……! お前こそあれだ、怪我とかしてないか!?」
「はい。アルベリヒさんのおかげで、どこも痛くないです」
「あんまり危ないことするなよ!? ほら、髪が汚れてる」
アルベリヒさんは、慌てたようにわたしの髪に触れると、付いていた埃を払ってくれた。その様子を見るに怪我だとかはしていないみたいだ。。
アルベリヒさんが無事だったことに安堵のため息を漏らすと、彼の唇にうっすら血が滲んでいるのに気づいた。
「あ、アルベリヒさん、唇が切れてます」
慌てて取り出したハンカチを口元に当てようとすると、アルベリヒさんは何故か身を引いた。
「こ、これはなんでもない! 大丈夫だから……! 気にするな!」
口元を手で覆うようにして隠してしまった。なんだろう。何故か焦っているみたいだ。顔も少し赤いような気がする。やっぱりどこか変なぶつけ方をしたのかな……。
心配していると、アルベリヒさんが話題を変えるように地面を指差す。
「俺のことはいい。ともかく、ほら、箱も手に入ってよかったな」
その示す先には、宝物の入っているはずの例の白い箱が転がっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
手に入れた箱の中身は、キャンディの一杯詰まった小瓶だった。
家へと帰る道すがら、さっそく瓶の蓋を開ける。
アルベリヒさんに勧めると、瓶からひとつ取り出して口に含んだ。
わたしも同じようにしてひとつ頂く。
果物の味がしておいしい。
アルベリヒさんも
「勝利の味がする」
だとか、どこか満足そうに言っている。
お祭りの喧騒を後にしてのんびり歩きながら、わたしは今日の出来事をひとつひとつ思い返していた。
「今日は楽しかったです。たくさん遊んで、おいしいものも食べられて……」
――幸せ。
自然とそんな言葉が頭をよぎってはっとした。
あれ? わたし今、何を考えた? 幸せだって、確かにそう感じて、心が満たされていた?
昨日は幸せかどうか聞かれて答えられなかったのに。どうして突然……。
そこまで考えて、わたしは頭を振る。
いや、突然だなんてことはない。この感覚は覚えている。わたしは今までだって同じように感じてきた瞬間があったはずだ。そう、例えば、イヤリングを貰ったときも……それだけじゃない。風邪の時に看病をしてもらったときも、毎日わたしの作ったアップルパイを平らげてくれるアルベリヒさんを見ているときも、その度に幸せだって感じてきた。もしかして、意識していなかっただけで、わたしはいつも身近に幸せを感じていたんじゃないか。
それに気付いたとき、どきりとして、思わずぎゅっと胸を押さえた。
わたしは静かに口を開く。
「……アルベリヒさん、昨日言いましたよね。『今、幸せなのか?』って」
不思議そうな顔をするアルベリヒさんに、わたしは笑顔を向ける。
「その答えがわかりました。わたし、気付いたんです。今が幸せなんだって。アルベリヒさんや、ロロやディデイモスやエルザと一緒に過ごす今の生活が」
アルベリヒさんが息を呑んだ気配がした。
わたしは続ける。
「確かに、お父さんやお母さんの事を思い出したりもしましたけど……でも、あのころの思い出はまた別の幸せです。幸せの種類はいくつあったっていいですよね。どうして気づかなかったんだろう」
お父さんやお母さんと過ごした日々は確かに幸せだった。けれど、今だってわたしはそれとは別の幸せを感じているじゃないか。
わたしはアルベリヒさんを見上げる。
「それも全部アルベリヒさんのおかげです。アルベリヒさんがわたしをこの街に連れて来てくれたから。わたし、あのままあそこにいたら、今でも落ち込んだまま立ち直れずにいたかも」
言いながら、不思議な感覚にとらわれていた。そうだ。わたしが幸せを感じるときには、いつもこの人が関わっていたのだ。この人のおかげでわたしは今、幸せを感じていられるのだ。そう。今だって。
「ありがとう。アルベリヒさん」
普段はちょっと捻くれてるけど、いざという時には助けてくれて、本当はとっても優しくて、一緒にいると幸せだと感じる。
わたしはそんなアルベリヒさんの事が……
そこでふと我にかえる。
あれ、わたし今、何を考えかけた? アルベリヒさんの事が……?
その時、アルベリヒさんの微かな笑い声が聞こえた。
わたしの内心の動揺に気づくことなく。
その声に顔を上げると同時に心臓が跳ねた。
目の前のアルベリヒさんは微笑んでいた。
「それなら、良かった」
とても綺麗なその顔を優しく綻ばせて。
わたしは咄嗟に両手で胸を抑える。心臓の鼓動が強くなるのがわかる。
うう、そんな顔反則だ。ずるい。おかげでさっきまでの不確定な思いが確信へと変わってしまった。
もう認めるしかない。
わたしは――わたしは、アルベリヒさんの事が好きなんだ。
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