フユトさんが滞在して数日経つが、やっぱりこの人もアルベリヒさん同様、なにをしているのか掴めない。

 ソファに寝転んで本を読んだり、ふらりと街に出かけたかと思ったら、お土産にお菓子を買ってきてくれたり。かと思えばロロと遊んだりしている。

 聞いた話によると、フユトさんは何年か前に独り立ちしたらしいが、その後も何の前触れもなく自身の育ったこの家を訪れるとか。

 アルベリヒさんは「用が無いなら出て行け」なんて言ってるが、フユトさんにとっては生まれ育った家なんだろうから、そこにいるだけで意味はあると思う。アルベリヒさんは「出て行け」なんて簡単に言い過ぎじゃないかな。

 ある日、買い物に行こうと準備していると、フユトさんが通り掛かった。


「コーデリアちゃん、どこかいくの?」

「はい、ちょっと買い物に」

「それじゃあ、僕も一緒に行っていいかな? ちょうど退屈してたんだよね」

「食料や日用品を買うだけですよ? 面白いものなんて無いのに」

「いいんだよ。コーデリアちゃんと一緒に行くって事に意味があるんだから」


 なんだかよくわからないが、とりあえず断る理由も無い。二人連れ立って街へ出ることにした。




「それにしても驚いたよ。兄さんがあの――エルザ、だっけ? 人形と一緒にお茶を飲んだりするなんてね。最初見たときは目を疑ったよ。変わった趣味に目覚めたのかと」


 途中、歩きながらフユトさんが口を開く。

 確かに、何も知らない人が見れば、あの光景は不思議なものに感じられるかもしれない。テーブルについたエルザの姿を見たときも、フユトさんはいたく驚いていたようだった。一応、その時にエルザの事については説明したのだが、今でもこうして話題にするという事は、よほどの衝撃だったのだろうか。


「ええと、その、フユトさんは、エルザの事苦手だったりします……?」


 おそるおそる問うと、フユトさんは笑いながら首を振る。


「いや、そういう意味じゃないよ。勘違いさせてごめん。僕はただ、兄さんも変わったなと思ってさ」

「変わった?」

「うん。なんていうか、うまく言えないんだけど、昔の兄さんだったらそんな事しなかったんじゃないかな」

「昔のアルベリヒさんて、どんな感じだったんですか?」


 わたしが尋ねると、フユトさんは慌てたように両手を胸の前で振った。


「あー、いや、別にたいした事ないよ。なんていうか、ちょっととっつき辛かったっていうか、その程度で。でも、まあ、今の兄さんは楽しそうにしてるみたいだし安心した」


 楽しそう……なのかな? わたしにはよくわからない。アルベリヒさんて声を上げて笑ったりっていう事をしないし。昔のアルベリヒさんの事も知らないし。

 首を傾げていると、隣でフユトさんが声を上げる。


「あ、ほら、もうすぐ商店街に出るよ。何を買うんだっけ?」

 

 その声に、わたしはポケットから慌てて買う物を記したメモを取り出した。





 フユトさんと共に商店の建ち並ぶ賑やかな通りに出ると、特に問題もなく、順調に買い物を済ませていく。買ったものはフユトさんが持ってくれた。うーん、優しい。ついてきてもらってよかったかも。せっかくだからこの機会に重たいものも買っちゃおうかな。

 あらかた買い物を済ませて、さて帰ろうかと思ったとき、ルーデル菓子店の前を通りかかった。

 するとフユトさんが声を上げる。


「あ、この店。子どもの頃、少ない小遣いを出し合ってアップルパイを一つだけ買って、兄さんと半分に分けて食べたんだよなあ。懐かしい。ねえ、あれは買って帰らないの? あの半月型のやつ。兄さんの好物だよね?」


 ほほう。アルベリヒさんてば、普通にお兄さんぽいことしてたんだな。子どもの頃の二人を想像すると微笑ましい。

 フユトさんも、アルベリヒさんの好物を知ってるだなんて、良い弟さんではないか。いや、それともアルベリヒさんがアップルパイに対してだけわかりやすいだけか。


「ええと、以前は毎日のように買ってましたけど、今はわたしがアップルパイを作っているので」

「え、そうなんだ!? それじゃお茶の時間に出てきたあのアップルパイも君が?」

「はい」

「……へえ、そうなんだ。なるほど」


 フユトさんが何事か考えるような仕草をしたので、わたしはおそるおそる尋ねる。


「あの、お口にあいませんでした?」

「いいや、とっても美味かったよ。食事も美味いし、コーデリアちゃんって料理上手なんだね」


 え、そうかな? お世辞でもそう言ってもらえると嬉しい……。

 照れながら頬を掻くと、指先がイヤリングに触れてかすかに音を立てた。


「そのイヤリング、いつも着けてるよね。大切なものなの?」

「勿論大切ですけど、わたし自身気に入ってるんです。これ、アルベリヒさんが買ってくれたんですよ」

「え、兄さんが? 信じられない。一体どんな経緯で?」


 何故かフユトさんは驚いたようだった。

 わたしは簡単な経緯を説明する。


「――そういうわけで、今までの報酬としてこのイヤリングを貰ったんです」

「へえ、あの兄さんが自発的に女性に贈り物をねえ。ほほう」


 フユトさんはなにやらにやにやしながら考え込んでいる。

 アルベリヒさんが贈り物をする事がそんなに珍しい事だったんだろうか? でも、マルグリッドさんにだってロケットペンダントを贈っているし……。

 不思議に思っていると、フユトさんは何かを思いついたように目を輝かせた。


「それじゃあ、僕にも何か贈らせてよ。君には毎日お世話になってるしね。何がいいかな……そうだ。ドレスがいい。そのイヤリングに似合うやつを」


 急になにを言いだすんだこの人は。一応イヤリングは仕事の報酬として貰ったものだけれども、フユトさんにはそんなことしてもらうような理由はない。


「い、いえ、そんな。お世話するのはわたしの仕事ですし、それでちゃんとお給金も貰ってますから……!」

「いいからいいから」


 フユトさんはわたしの腕を取ると歩き出す。


 何度も遠慮する旨を伝えても、フユトさんは気にする様子もなく、わたしを一軒の服飾店に連れ込んでしまった。

 店内には女性物の服がずらりと並ぶ。それを見て、迂闊にもときめいてしまった。

 最新デザインのドレスの華やかさは、わたしの身につけているシンプルな黒のメイド服にくらべたらきらきらと輝いているようにさえ錯覚する。

 思わず見とれていると、フユトさんが一着のドレスを持ってきて、わたしの体の前に合わせる。落ち着いた薄桃色を基調としたドレスだ。


「これ、試着してみせてよ。きっと似合うよ」

「え、でも……」

「いいからいいから」


 そう言ってわたしとドレスを試着室に押し込むとドアを閉めてしまった。

 わたしは閉じたドアを見つめる。

 フユトさんって、優しそうなのに案外強引だなあ。そういうところ、アルベリヒさんに似てるかも。

 こっそりドアノブに手を掛けるがびくともしない。この様子では服を着るまで解放されそうにないみたいだ。

 わたしは手にしたドレスに目を落として暫し考える。確かにおかしな状況だけれど、こんなドレス着られる機会なんて滅多にない。そう考えると、試着くらいはしてみても良いんじゃないかという気になってくる。

 少しくらいなら構わないよね……?

 誰に言い訳するわけでもなく、心の中で呟いた。



「いいね。思った通りだ。似合うよそのドレス。イヤリングも映えるし」


 ドレスに着替えて試着室にから出たわたしを出迎えたのは、フユトさんの明るい声だった。

 彼の言った通りだった。ドレス自体があまり派手な色ではないからか、イヤリングの青と喧嘩することなく、むしろ差し色のように青が引き立っていた。


「よし、じゃあ行こうか」


 フユトさんはそのままわたしの腕を引いて、お店を出ようとする。


「え、あの、代金は……?」

「気にしないで。ここはつけが効くから。お得意様の特権ってやつ」


 まるでなんでもないことのように片目を瞑ってみせた。つけが効くほどこの店を何度も利用しているのかな。女性向けのものしか売ってないお店なのに、一体何をそんなに買ってるんだろう……。

 結局わたしはフユトさんから服を贈ってもらう事になってしまった。良いのかな……嬉しいけれど、なんだか申し訳ない。せめてものお礼に今日の夕食はお肉の量を奮発しよう。


「あの、ありがとうございました。こんなに素敵なドレスを頂いてしまって」


 お店を出たところでお礼を言うと、フユトさんは胸の前で手を振った。


「気にしないで。それよりその格好、兄さんもきっと喜ぶよ」


 アルベリヒさんが? なんで?

 首をかしげたが、フユトさんはにこにこと笑っているだけだった。


 いつもと違う服を着て街を歩く。それだけのはずなのに、何故だか特別な気がした。

 買い物だけの予定のはずだったのに、気がつけばあちこちのお店を巡りながら商品を眺めてしまう。

 そんなわたしの様子にフユトさんも付き合ってくれた。二人でお菓子屋さんや雑貨屋さんなどを見て回る。あ、あの髪留めかわいい。

 そうして街の中を見て回っていたが、やがて夕日が傾いてきたところで我に帰った。


「いけない、早く帰って夕食の準備をしないと」

「え? もうそんな時間? 残念だな」


 夢から急に現実に引きもどされたような寂しい感覚。少し名残惜しいと感じながらも、しぶしぶ家に帰る事にした。

 二人で道を歩きながらフユトさんはこちらに顔を向ける。


「ところでコーデリアちゃん、どうしてうちで働くことになったの?」

「それは……」


 両親をなくしたわたしをアルベリヒさんが引き取ってくれたこと。魔女の素養を見出され、失せ物さがしの魔女兼使用人として働いていることなどを説明する。


「じゃあ、コーデリアちゃんは魔法使いだったのか、全然気づかなかったなあ」

「地味な魔法ですからね」

「いやいや、そんなことないよ。使い方によっては面白いこともできるかもね」

「面白いこと?」

「そうだな、例えば……そう、忘れた夢を思い出すとか」

「夢?」

「ほら、朝、目が覚めたらその日見た夢を思い出せないって経験ない? それってある種の記憶の喪失、失せ物の一種だと思うんだよねえ。とっても良い夢を見た気がした。でもどんな夢か思い出せなくてもどかしい。そんな事、頻繁にないかな?」

「たしかに、わたしも覚えはありますけど……」

「そういう人に魔法を使ってみるとどうなるか。気にならない? 夢の内容を思い出せるかどうか」


 思い出せない夢。そんなものまで「失せ物」といえるのだろうか。


「でも、それって役に立つんでしょうか? たしかに夢を思い出せなくてもどかしいっていう気持ちに覚えはありますけど、だからって魔法を使ってまで思い出したいなんて人がいるかどうかも怪しいような……」

「そうかな? 僕は興味あるけど。コーデリアちゃんが魔法を使うところも見てみたいし」

「それならフユトさん、昨日見た夢の内容覚えていますか?」

「おっと、僕で試す気? 残念ながら覚えてるよ。大勢の美しい女神達が……いや、まあ、ともかくそんな感じだから試すなら僕以外で頼むよ」


 お喋りしているうちに家に着いた。

 玄関のドアを開けたところでアルベリヒさんと鉢合わせた。


「何やってたんだ。遅い……」


 言いかけたアルベリヒさんは、わたしを見て一瞬驚いたように目を見開き、その後で訝しげに目を細める。


「……どうしたんだその服は」

「フユトさんに買ってもらったんです。似合いますか?」


 そのままその場で前でくるりと回って見せる。


「ぴったりだな……サイズが」

「…………」


 思わず沈黙してしまった。褒めるところそこ?

 そこへフユトさんが割って入る。


「あれ? 兄さんは気に入らなかった? それじゃあ見なくて良いよ。コーデリアちゃんのドレス姿は僕だけのものってことで。さ、コーデリアちゃん、僕とあっちに行こうか」

「何もそんなこと言ってないだろ。サイズ”も”ぴったりだと言ったんだ」

「へえ、他には?」

「ええと……色とか、形とか……そうだ、素材も良いんじゃないか?」


 さっきから褒めるところがずれている。それとも、この人の頭の中にはお世辞という言葉すらないのかな?

 フユトさんがわたしの顔を振り向く。


「どうするコーデリアちゃん、こんなこと言ってるけど」

「そうですねえ……なんだか明日からアップルパイを作りたくなくなってきました」

「おい、どうしてそうなるんだ。おかしいだろ」


 焦っているアルベリヒさんがなんだかおかしい。アップルパイがそんなに大事なのか。

 そこで、ふとわたしは思いついた。


「そうだ、アルベリヒさん、昨日見た夢の内容、覚えてますか?」

「突然なんだ?」

「いいから、答えてください」


 アルベリヒさんは視線を上向け、差考えるような素振りをみせる。


「……生憎と覚えてないな」


 わたしとフユトさんはちらりと視線を交わした。


「それなら、わたしの実験に協力してもらえませんか?」

「実験?」

「そう。わたしの失せ物さがしの魔法で、忘れてしまった夢を思い出せるのかどうか試したいんです。忘れた夢が失せ物になるんじゃないかって考えたら、試してみたくて。協力してもらえたら、これからもアップルパイを作りたくなるかも」


 それを聞いたアルベリヒさんは、なぜかはっとしたような顔をした。ちょっとの間考え込む様子を見せた後で、おずおずと手を差し出す。どうやら実験に同意してくれたみたいだ。

 わたしはその手を握ると、最近はもう人前で披露する事に慣れはじめたあの呪歌を歌い出した。


 いつものように白い色彩がわたしを覆う。もうすぐ瞼の裏に映像が浮かんでくるはずだ。わたしはそれに備えて目を閉じた。



 周りには色とりどりの花が咲いている。

 その中に白いテーブルとベンチが置いてあり、そこに座っている人物がいる。真っ黒い服に真っ黒い手袋。アルベリヒさんのようだ。優雅に紅茶なんか飲んでいる。

 すぐ隣に誰かがいる。メイド服を着たミルクティーのような色の髪の……これってわたし?

 わたしは持っていたお皿から、アップルパイをフォークで切り分けると、それをアルベリヒさんに向かって差し出し――


 そのとき、映像が突然途切れた。

 歌うのをやめたわけではない。アルベリヒさんがわたしの手を振り払ったのだ。


「も、もういい。思い出したから、もう十分だ」


 アルベリヒさんはなんだか焦っているみたいだ。

 フユトさんは不思議そうにその様子を眺めながら口を開く。


「ねえ、一体どんな夢だったの?」

「ええと、わたしとアルベリヒさんが二人で綺麗なお花畑のなかにいて――」

「わああああああ!!」


 遮るようにアルベリヒさんが急に大声を出したので、なにごとかと驚いてしまう。


「やめろ! 思い出したから! もういい! もう何も言うんじゃない!」


 アルベリヒさんはわたしの肩を掴むとがくがくと揺する。これでは答えようにも答えられない。


「ともかく、実験は成功だ! それがわかれば十分だろ!? この話は終わりだ! もう話題にするな! わかったな!?」


 あまりにも必死なアルベリヒさんの様子に思わず頷いてしまった。

 それを見たアルベリヒさんは

「絶対だぞ。絶対言うなよ」と言いながらそそくさと書斎のほうに姿を消してしまった。


「……あんな兄さんを見るのは初めてだ」


 フユトさんが呆然と声を上げる。


「何かおかしな夢だったの?」

「……特におかしくはないと思うんですが……わたしも、どうしてアルベリヒさんがあんなに慌てるのか理解できません」


 思わず首をかしげる。別に変な夢じゃなかったと思うんだけれど……。


「でも、ひとつわかったことがあります。相手の記憶に関する事にわたしの失せ物さがしの魔法を使うと、わたしと相手との間で記憶の共有が起こるみたいです。魔法を使うにつれて記憶が蘇っていくんだから、そうなるのも当然かもしれませんが」

「ふうん。コーデリアちゃんが失せ物の記憶を辿れるって事、兄さんは知ってるんだよね? それなら、さっきは兄さんの夢の記憶の中に、コーデリアちゃんに見られたくない情報があったってことかな……まあ、お花畑の中に二人きりだもんねえ。そういうことかな」

「そういうことって?」

「いいや、なんでもない。まあ、夢の内容はこれ以上詳しく聞かないでおくよ」


 フユトさんは何故かにやにやしている。


「そうだコーデリアちゃん、ドレスについて兄さんに言われた事、あんまり気にしないでね。兄さんは素直じゃないところがあるから」

「うーん……でも、イヤリングの事は褒めてくれたんですけどね。瞳の色と同じだとか言って……」

「ちょっと待って。兄さんがそんな事言ったの!? ……その話、詳しく聞かせてよ! 是非!」


 何故かテンションの上がったフユトさんに詰め寄られ、わたしは戸惑いながらもその時の事を詳細に話すことになってしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る