友人を探す少女

「わたしのお友達を探して欲しいの」


 目の前の幼い女の子、エルザさんはそう口にした。

 ぱっちりとした瞳に赤いくちびる。背中にかかる栗色の髪は見事な巻き毛。あちこちにレースのあしらわれた豪奢な深緑の服を身に纏った彼女は、まるで人形のように可憐だった。


「……お友達、ですか?」

「そう。ずっと前にはなればなれになってしまって……」

「ちょ、ちょっと待ってください……!」


 わたしは思わずエルザさんの話を遮る。


「……アルベリヒさん、ちょっとこっちに……」

 

 そうしていつかのようにアルベリヒさんを廊下に引っ張り出して詰め寄る。


「お友達ってどういう事ですか!? まさか、人間が失せ物だっていうんですか?」

「そうみたいだな」

「そうみたいだなじゃなくて……! そんなの無理に決まってます! アルベリヒさん、何でもかんでも引き受けすぎですよ! 実際に魔法を使うのはわたしなんですからね!?」

「試したことあるのか? 人間で」

「え……それは、無いですけど……」

「なら、無理と決まったわけじゃない。やってみなけりゃわからないだろ」


 平然と答えるアルベリヒさんにわたしは反論する。


「それで、もしも万が一成功しちゃったらどうするんですか? いきなりこんなところに呼び出されて、そのお友達だって困っちゃいますよ」

「友人なんだから大丈夫だろう。感動の再会でそれどころじゃないさ……たぶん」

「いい加減だなあ……どうなってもわたし、知りませんからね」


 わたしは溜息を吐きだす。


「それにしてもあの子、小さいのに一人だけでここまで来たのかな」


 見た感じアイシャさんよりも幾分か幼い。こんな子を一人でうろつかせるとは、保護者は一体なにをやっているんだ。


「お前の評判が広まった証拠だ。あんな幼い子供までお前の魔法の事を知ってるんだから」


 アルベリヒさんはなんだか満足そうだ。

 もしかしてこの人、あんまり深く考えてないのかな。こんなとんでもない依頼にも前向きだし……。


「あんな幼い子がたった一人でお前を頼りにここまで来たんだ。それをすげなく断るのか? 信じられない。それでも血の通った人間なのか?」


 渋るわたしを説得するかの如くアルベリヒさんは口を開く。

 そ、そんな言い方しなくたって良いじゃないか。まるでわたしがとんでもない冷血人間みたいだ。

 でも、たしかにあんな小さな女の子がこんなところまで尋ねてきたのは、よほどの想いがあっての事だろう。それを考えると、わたしの中に小さな罪悪感が生まれる。もしも断ったりしたら、あの子がっかりするかな……できないなんて言い出しづらい雰囲気だ。


「あの子が笑顔で友人との再会を迎えられるか、それとも暗い顔で無念のままにここを立ち去るかはすべてお前に掛かってるんだ」


 うわあ、嫌な言い方するなあ。

 けれど、その言葉のせいか、わたしの中の罪悪感はじわじわとその形を大きくする。

 確かにあの子の願いを叶えられたら喜んでくれるかもしれない。あの子、なんだか無表情だったし、それが友人と会えない事に起因しているのなら尚更……でも、でも、人間をここに呼び出すなんて、そんなこと、できるできない以前に、成功したら大変なことになるような気がする……。

 悩みながらも考えた末、わたしはアルベリヒさんに向き直る。


「……何かあったら責任とってくださいよ」


 どうなっても知らないから。ほんとに。



 部屋に戻ったわたしはエルザさんに告げる。


「あの、お断りしておきますが、わたしも自分の魔法をこういう用途で使うのは初めてなので、その、成功しないかもしれなくて……」

「そうなの……? わかったわ。それでも構わない。あの子に会える可能性が少しでもあるのなら」


 エルザさんは表情を変えることなく、あっさりと納得した。

 それにしてもこの子、年齢の割りに大人びている。身につけているものもなんだか上等そうだし、良い家柄の子どもなのかも。これがレディの風格というやつなのかな。


 そんな事を考えながらも、わたしはエルザさんの白く小さな手を取り部屋の中ほどへと移動する。

 はたして本当に彼女の友人が現れるかどうか自信はなかったが、やると決めたからには中途半端な真似はできない。


 わたしは静寂の中、目を閉じ深く息を吸い込むと、あの呪歌を歌い出した。

 エルザさんのお友達、こんなことに巻き込んでしまってごめんなさい。でも、エルザさんのために協力してください。

 歌いながら、瞼の裏が白い色彩で覆われる感覚に襲われる。何度も経験したこの感覚。

 それに従い目を閉じると、いつものようにふわりと、何かの映像が浮かび上がってきた。



 小さな女の子だ。女の子はわたしに微笑みかける。


「わたしはブリギッテ。きょうからあなたはわたしのおともだちよ。よろしくねエリザベート」


 エリザベート……エルザさんの事だ。それじゃあ、この子がエルザさんのお友達……? 年はエルザさんと同じくらい。シンプルだが上等そうなドレスを身につけている。


「はい、エルザ。お茶をどうぞ」


 ブリギッテと名乗った少女の笑顔と共に小さなテーブルの前にカップを置かれ、しばらくは少女らしくままごとなどをしている様子が映し出される。


 短い暗闇を挟んだ後、次に現れたのは年頃の娘に成長したブリギッテさん。幼い頃の面影が残っている。なにが悲しいのか、テーブルに突っ伏してすすり泣く。


「レオン様がね、婚約されたんですって。そんなの耐えられない。わたし、あの方のこと――」

『泣かないでブリギッテ。いつかあの男より良い人が見つかるから』


 少女の声がそれに答える。エルザさんの声だ。泣く友人を慰めている。けれど、ブリギッテさんはそれには応えずにただ泣き声を漏らす。


 それから再び映像は切り替わり、今度はベッドに横たわるブリギッテさん。肩で息をしていて苦しそうだ。


『ブリギッテ、きっと治るわ。だからそんなに気を落とさないで』


 ブリギッテさんはこちらに顔を向けると寂しげに微笑む。


「ねえエルザ、覚えてる? 雷の酷い夜に一緒に眠ったこと。あなたのおかげでちっとも怖くなかった。ううん、それだけじゃない。ずっと私のそばにいてくれた。だから今までずっと寂しくなかった。お礼を言わせて。ありがとう」

『どうして今、そんなことを言うの?』


 その問いに答える前に、ブリギッテさんは激しく咳き込む


『ブリギッテ! 大丈夫!?』


 やがて落ち着いたブリギッテさんは、睫毛を震わせる。


「苦しいよ。私、一人になっちゃうのかな……ひとりは怖いよ。寂しいよ……これからもずっとエルザと一緒にいられたらいいのに……」

『私だってそう思ってる……ねえブリギッテ、私達、ずっと一緒だったじゃない。だからきっと、これからだって――』


 

そこで映像は途切れ、私はゆっくりと目を開けた。


「失敗……か?」


 アルベリヒさんの呟きが聞こえる。


 わたしの手の中にはなにもなく、また部屋の中にはわたしとアルベリヒさん、エルザさん以外の人物はいなかった。

 でも、わたしにはその理由がわかっていた。

 エルザさんに向き合うと口を開く。


「ごめんなさいエルザさん。わたしには無理みたいです――すでに亡くなっている人を呼び寄せるのは」


 アルベリヒさんは驚いたような顔をしたが、エリザさんは落ち着き払った、どこか諦めたような瞳で床を見つめている。


「そう。やっぱり無理だったのね」


 わたしが最後に見た光景。あれはきっと病に侵されたブリギッテさんだ。その後、それまでずっと一緒にいた二人が離れ離れになってしまった。つまりはそういうことなんだろう。


 それにしても、不可解なことがある。目の前のエルザさんは、どう見積もっても10才前後。しかし、彼女の思い出の中のブリギッテさんは、最初こそ同じくらいの年齢であれど、年月を経て成長していった。エルザさんだけが年を取っていないことになる。


「エルザさん、あなたはもしかして――」


 言いかけた言葉を飲み込む。そんなこと、あまりにも馬鹿げてる。でも……。


「エルザさん。もし、嫌じゃなければ、わたしとお友達になりませんか?」

「あなたと?」

「ええ、わたしだけじゃない、そこのアルベリヒさんとも。きっと楽しいですよ。それにこの家、猫やフクロウもいるんです」


 アルベリヒさんが何か言いかけるが、それをわたしは目で制す。

 お願い、今は何も言わないで……。


「ブリギッテさんより気が利かないかもしれませんけど、でもわたし、あなたとお友達になりたいんです。だめですか?」


 それは、わたしの本心だった。もしもわたしの予想通りならば、エルザさんは未だ友人を失った悲しみから抜け出せないでいる。それを少しでも和らげることができるのなら、わたしにできる事はこれしかないと思ったのだ。

 エルザさんはわたしをそのガラス玉のような瞳でじっと見つめていたが、やがてやれやれといった様子で目を閉じる。


「物好きね」


 そしてゆっくりと椅子に座ると、紅茶を一口飲んで、カップをテーブルに戻す。

 わたしはその様子を妙な緊張感とともに見守る。


「いいわ。そこまで言うなら、あなた達のお友達になってあげる」

「ほんとですか!?」

「ええ。これからよろしくね、コーデリア。それに、アルベリヒも。ああ、呼び方はエルザでいいわよ。私達、お友達だもの」


 そう言ったかと思うと、エルザの身体はふわりと光を放った、それと同時に、その身体がみるみる縮んで行く。

 わたしは驚きながらもその光景を見つめる。これは魔法の力? わからないけれど、他に考えられない。

 やがて小さくなった光が収まってゆき、そこに現れたのは、エルザを縮めたような可憐なビスクドールだった。


「人形が人間の形を取っていたのか」


 アルベリヒさんの言葉に頷きながら、わたしは先ほどまで人間の少女のように振舞っていた、今はもう動かない人形を抱き上げる。


「わたしの見たエルザの思い出の内容に比べると、実際の年齢が合わないのでまさかとは思ったんですが」


 ブリギッテさんは時を経て成長していっていたにもかかわらず、彼女といつも共に過ごしていたはずのエルザの外見は幼い少女のままだったことに違和感を覚えた。だがそれも、エルザが人間ではないというのならば納得できた。

 アルベリヒさんの呟いた通り、この可憐なビスクドールこそがエルザの本当の姿だったのだ。友達であるブリギッテさんに逢いたい一心で、人間の姿を借りてここまで訪ねてきたのかもしれない。


「そこまでして逢いたい友達だったんだな。その執念は賞賛に値する」

「ええ。でも、今からは私たちがエルザの友達ですよ。はい、アルベリヒさんもエルザと握手~」


 嫌がるかなと思ったけれど、エルザの手を差し出すと、アルベリヒさんは躊躇いながらも人形の手を軽く握った。アルベリヒさんもエルザのお友達になることに同意してくれたみたいだ。


 その日から、いつものお茶の時間には、わたしとアルベリヒさんの他に、エルザの席も用意されることとなった。

 わたしはお茶の入ったカップをエルザの前に置く。


「今日はローズティーだよ。エルザはローズティー、好き?」


 その問いには答えは無い。ビスクドールになったエルザはもう私たちの前で人間の形を取って動くことは無かった。

 でも、わたしたちは知っている。エルザが人間と同じように見聞きし、ものを考えるという存在だという事を。もしかすると、いつかまた人間の少女のように振舞う姿を見せてくれるかもしれない。いつになるかはわからないけれど。

 時折まるでそこに本当に小さな女の子がいるように錯覚しそうになりながら、わたしたちはお茶の時間を楽しんだ。

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