ささやかなお礼

 キッチンには甘い香りが漂っていた。

 オーブンのドアを開けて、中から天板を取り出すと、その香りは一層強くなる。


 うーん、自分で言うのもなんだけど、なかなか上手くできたんじゃないだろうか。

 わたしは天板の上をじっくりと眺める。

 そこにはホールのアップルパイがでん、とその存在感を示している。

 あれからあのイヤリングのお礼をしたいと思い立ち、わたしなりに考えた結果、アルベリヒさんの好物であるアップルパイを作る事にしたのだ。大きなチキンソテーだけじゃあまりにもささやかすぎるしね。

 母が時々作ってくれたアップルパイを参考にしながら作ったから、そうおかしなものにはなっていないはずだ。

 アルベリヒさん、喜んでくれるかな。喜んでくれるといいな。


 とりあえず味見を……と、一切れ切り出したものをフォークで切り分け口に運ぶ。

 おお、うん、なるほど……とろりとしたカスタードクリームとリンゴのフィリングちょうど良い甘さで、シナモンの香りがきいている。ルーデル菓子店のものとは違うが、これはこれでなかなかいい感じなのでは……?

 それにしても焼きたてのアップルパイの美味しさは異常だ。思わずもう一切れ、と手を伸ばしかけて、慌てて引っ込める。

 いやいや、これ以上は駄目だ。これはアルベリヒさんに食べてもらうんだから。

 その時、調理場のドアが勢いよく開いた。

 見れば驚いたような顔をしたアルベリヒさんが入り口に立っていた。


「お、お、大きなアップルパイ……」


 それだけ口にすると、じっとアップルパイを見つめている

 まさか、匂いにつられてここまでやってきたのかな。アップルパイに対する執念恐るべし。


「アルベリヒさん、ちょうど良かったです。いま、アップルパイが焼きあがったところなんですよ」

「……お前が作ったのか?」

「はい。お口に合うかわかりませんけど、よかったらいかがですか?」

「……わかった。味見してやろう」


 うわ、偉そうな言い方だなあ。でも、なんだかそわそわしているようにも見える。アップルパイから視線を外さないまま腕組みして、落ち着きなく指をとんとんと動かしている。


「はい、どうぞ」


 アップルパイを乗せたお皿を差し出すと、アルベリヒさんはそそくさと受け取り、フォークで切り分け口に運ぶ。

 わたしはその様子を固唾を飲んで見守る。どうか気に入ってくれますように……!

 見守るわたしの前でアルベリヒさんが最初の一口を飲み下す。その場を微妙な静寂が支配する。

 おいしいの? おいしくなかったの? どっち?

 祈るようなわたしの視線を受けながらも、アルベリヒさんは静かにフォークを置くと、それ以上手をつける事なくお皿をテーブルに戻してしまった。


「……よん……ごて」

「え?」

「いや、何でもない。今日は何ていうか、その、胃腸の調子が良くないというか……だから、残りはお前が食べるといい」

「え? え?」


 そ、そんな。アルベリヒさんのために作ったのに。ひとりでこんなに食べきれない。

 わたしの心の叫びも虚しく、アルベリヒさんはくるりと踵を返し、調理場を出て行ってしまった。


 わたしは閉じられたドアを呆然と見つめながら考える。

 このアップルパイ、口に合わなかったのかな……。

 さっき、アルベリヒさんが


「45点」


 って言ったような気がするんだけれど……。

 45点……45点……。

 確かにお店のものより劣るかもしれないけどさあ、そこは焼きたてというアドバンテージでカバーできた思ったんだけどなあ。

 はあ、45点かあ……ショックだ。



◆ ◆ ◆ ◆



「あら、美味しい。本当に45点だなんて言われたんですか? こんなに美味しいのに。アルベリヒさん、味覚が腐ってるんじゃないかしら」


 エルミーナさんが驚いたような声を上げる。


「ほ、ほんとですか? ほんとに美味しいですか? 遠慮せずに正直な感想を言ってくれて構わないんですよ?」


 おずおずと確認するわたしに対し、隣でアップルパイを頬張っていたアイシャさんも頷く。


「とっても美味しいです! あたしなんてこんなものとても作れません。あたしにできるのはスプーンを曲げることくらい」


 スプーンを曲げるだけって、アイシャさんの魔法の事だったのか……。何に使うんだろ。


 今、わたしは魔法協会の休憩室でお茶をご馳走になっている。

 例のアップルパイの至らない点を確かめるべく、エルミーナさんたちに事情を話して助言を求めに来たのだ。

 45点のアップルパイを差し入れるのには気が引けたが、実際にそれを口にしたエルミーナさんとアイシャさんは口々に「美味しいのに」と首を傾げている。それを見てなんとか落ち着いた。どうやらわたしの舌がおかしいわけではなかったようだ。

 と、それがわかると同時に、急に腹立たしさがこみ上げてきた。

 それじゃあアルベリヒさんはどこが45点だなんて言うんだろう?


「うーん、単純に好みの味ではなかったとか?」


 エルミーナさんが考えるそぶりで答える


「それにしてもひどいと思いませんか!? 45点ですよ!45点! 普通思ってても口に出さないでしょう!? あの人にはデリカシーというものが足りないですよ。あんな紳士っぽい格好しているのに!」


 この間もイヤリングの事、馬子にも衣装とか言われたし!


「まあまあ落ち着いて」


 宥めるようなエルミーナさんの口調に我に返った。


「す、すみません、取り乱してしまって」

「それより、このアップルパイ、全部頂いてもかまわないの?」

「ええ、調子に乗って大きく作ってしまったので、わたしだけじゃ食べきれなくて……45点のもので恐縮ですが……」

「まだそんな事言って。ぜんぜんそんな事ないですから。きっとみんな喜んでくれるわ。ね、アイシャ」

「はい、あたし、みんなに差し入れてきますね」


 そう言ってアップルパイの箱を持ったアイシャさんは休憩室から出て行く。


「みなさーん! アップルパイの差し入れですよお!」


 その途端


「うおおーー!!」


やら


「よっしゃあ!!」


 などの怒号のような歓声のような声が聞こえてきた。


「コーデリアさん。みんな美味しいって言って貪ってますよ」


 扉から半分顔をのぞかせたアイシャさんの報告に今度こそ胸をなでおろすわたしだった。

 でも、協会の人達ってそんなに飢えてるのかな……?



◆ ◆ ◆ ◆



 しかしながら何故あのアップルパイが45点なのか解せない気持ちを抱えたまま、それならばいつも食べているものと比べてみようと思い立ち、ルーデル菓子店でアップルパイを購入した。

 行儀は悪いが、道端でかぶりついてじっくりと味わう。

 バターの効いたパイ生地はさくさくで、甘いリンゴのフィリングとカスタードクリームが口の中に広がる。

 確かに美味しい。これが100点満点の味なのかな。わたしの作ったものとなにか決定的な違いでもあるんだろうか。やっぱりプロには敵わないのかなあ。

 もう一口……とパイに噛り付いたわたしはある事に気づいた。

 まさか、もしかして、これが理由で……?



◆ ◆ ◆ ◆



「アルベリヒさん、魔法で氷って出せますか? ここに細かい氷をいっぱい出して欲しいんです」


 大きなボウルを差し出すと、アルベリヒさんは眉をひそめた。


「出せるが、何に使うんだ?」

「お料理に使いたいんです。お願いします」

「俺の魔法は本来そういう事に使うものじゃないんだがな」


 そう言いながらも彼がボウルに手をかざすと、そこに青白い発光体が生まれ、そこから小さな吹雪のようなものが発生する。そうしてあっという間にボウルを氷で満たしてくれた。

 おお、なかなか便利だ。

 それにしても、魔法を使うところって面白いなあ。アルベリヒさんて手からなんでも出せるのかな。前も指から炎出してたし。


 感心しながら氷で満たされたボウルを持って調理場へ行くと、その中に塩を混ぜる。

 一回り小さいボウルに生クリーム、卵、砂糖、バニラビーンズを入れると、氷のなかに埋めるようにボウルを置いて、中身をかき混ぜる。

 ひたすらかき混ぜていると、しばらくしてかき混ぜる手に抵抗を感じ始めた。その抵抗感は徐々に大きくなる。それでもかき混ぜているうちに、やがてアイスクリームができあがった。


 よし、焼き上がりに間に合った。


 わたしはオーブンから天板を取り出す。そこには昨日と同じように大きなホールのアップルパイがその存在感を示していた。

 わたしは急いでお皿に切り分けると、アップルパイの傍にアイスクリームを添える。


 その時、昨日のように丁度良いタイミングでアルベリヒさんが調理場に顔を出した。やっぱり匂いに釣られたのかな。

 わたしはすかさずお皿を差し出す。


「アルベリヒさん、また味見をお願いしていいですか? 今度は味も変えてみたし、アイスクリームも添えてみたんです。焼きたてですよ」


 そう告げると、アイスクリーム付きアップルパイの誘惑には勝てなかったのか、アルベリヒさんは躊躇いがちにお皿を受け取る。

 フォークで切り分け口に運ぶ様子を、わたしは祈るような気持ちで見つめていた。今度こそ、アルベリヒさんの気にいるものができていますように……!

 わたしの目の前で一口目を飲み下したアルベリヒさんは、ためらうことなく二口目、三口目と、アップルパイを口に運んでゆき――

 そしてあっという間に一皿分を平らげてしまった。


「同じものを全部窓際のあのテーブルに持ってきてくれ。今すぐに。一休みするからお前も付き合え」


 そう言ってアルベリヒさんは調理場から出て行った。


 これって、これって……アルベリヒさんがわたしの作ったアップルパイを気に入ったってことだよね? だから同じものを持ってこいだなんて……。

 もう、素直じゃないなあ。

 そうは思いながらもわたしの頬は緩んでいた。


 ルーデル菓子店のアップルパイと、わたしの作ったアップルパイとの大きな違い。それはシナモンの有無だった。おそらくアルベリヒさんはシナモンが苦手なのだろう。だから最初にわたしが作ったアップルパイにほとんど手をつけなかったのだ。

 だからと言って、ただシナモンを使わずに作っただけではルーデル菓子店のアップルパイには敵わない。だから焼きたてのパイにアイスクリームを添えたのだ。その二つの組み合わせは破壊力抜群だもんね。アップルパイが好きならきっと気にいると思ったのだ。

 そしてそれはどうやら上手くいったらしい。

 わたしはひとり両手を握り締め達成感を噛み締めた。



◆ ◆ ◆ ◆



 明るい日差しの差し込む窓際のテーブルは、アルベリヒさんのお気に入りの休憩場所だ。わたしたちはいつもここでお茶を飲む。

 わたしがお菓子を並べている間に、アルベリヒさんがお茶の用意をしてくれた。早くしないとアイスクリーム溶けてしまうからだろう。

 アルベリヒさんの目の前にアイスクリーム付きアップルパイのお皿を置くと、心なしか目を輝かせる。そういうところ、ちょっと子どもみたいだ。

 わたしがテーブルにつくのを見計らったように、彼はお皿に手を伸ばす。しかし、がっつくような事はせず、あくまで優雅に、それでいて信じられない早さでアップルパイを平らげていく。


「アルベリヒさん、美味しいですか?」

「ああ、美味いな……紅茶が」

「なっ」

「冗談だ。アップルパイも美味い……正直、こんなものが食べられるとは思ってもみなかった。アイスクリームまで……手間がかかったんじゃないのか?」


 手間よりも昨日の失敗を挽回してやるという気持ちの方が大きかった。なにせ45点だなんて言われたんだから。

 でも、目の前のアルベリヒさんの食べっぷりでそれも帳消しだ。


「いいんです。これはその、ささやかですけどイヤリングのお礼のつもりなので……」


 それを聞いて、なぜかアルベリヒさんは食べる手を止めて絶句したようにこちらを見つめる。

 なんだろう。変な事言ったかな……。


「まさか、昨日作ったのも同じ理由で?」

「え、ええ」


 躊躇いながらも頷くと、アルベリヒさんは深くため息をついた。


「……俺は馬鹿だ」


 ぽつりと呟くとテーブルに突っ伏してしまった。


「あ、もしかして45点の事ですか?」

「……やっぱり聞こえていたんだな」


 あ、まずい。余計な事言ったかな。

 でも、この人でもそんなこと気にするんだ。なんだか意外。いつもちょっと強引で、他人の事も気にしなさそうなのに。でなければ45点なんて言わない。

 でも、それを後悔してるみたいだし、もしかして結構天然で発言してしまうタイプなのかな。

 ともかく、その妙な空気をなんとかしようと、わたしは慌てて首を振る。


「仕方ありませんよ。シナモンが苦手だって人も珍しくありません。むしろ正直な感想を頂けて良かったです。苦手なものを無理やり食べさせるよりずっといいですから。やっぱり、せっかくだから美味しいと思えるものを食べてもらいたいし」

「許してくれるのか……?」


 アルベリヒさんはちらっとこちらを伺うように顔を僅かにあげる。その様子がなんだか叱られた後で主人の機嫌を気にする仔犬みたいだ。


「許してなければまたこうしてアップルパイなんて作りません。ほら、そんなことしてる間にアイスクリームが溶けちゃいますよ」


 その言葉が功を制したのか、アルベリヒさんはおずおずと顔を上げる。

 だが、お皿を取ろうとはせず、その指先がこちらに伸びてきたかと思ったら、おもむろにわたしの頬に触れた。


「っ!?」


 な、なに!?

 突然のことに対応できずにいると、アルベリヒさんはそのままわたしの髪を耳へとかける。


「そのイヤリングの石、お前の瞳と同じ色だな。よく似合ってる。贈ってよかった」


 そう言って優しげな笑みを浮かべると、手を離した。


 ……びっくりした。

 似合ってる? ほんとに? 馬子にも衣装じゃなくて?

 でも、あんな笑顔を向けられたら信じるしかない。

 あの笑顔、前にも見た。わたしが初めてこの家に来て、アルベリヒさんに失せ物探しの仕事をすると答えたとき。あの人は今みたいにごく自然な柔らかい笑みを浮べたのだ。

 なんだろう。頬と耳が熱い。アルベリヒさんに触れられたところ……?

 なんだか急に恥ずかしくなってきた。

 アイスクリーム食べて冷やそう。

 ちらりとアルベリヒさんに目を向けると、まるで何事もなかったかのように、アップルパイをせっせと口に運んでいる。

 アップルパイ、そんなに気に入ってくれたのかな。

 その食べっぷりに、なんだか嬉しくなって、胸が幸福感のようなもので満たされるのを感じた。


 その日から、アップルパイを作ることがわたしの日課に追加されることとなった。

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