5
高級な住宅が立ち並ぶ中に、ひときわ大きな家が見えた。陽向の運転する車がその家の前で止まる。その運転は心配するほどのことではなかった。月影は同乗して一抹の不安すら感じなかった。
目的の家の明かりは、まだついていた。二人は車から降り、月影が通話応対型の呼び鈴を鳴らすと女性の声が返って来た。
「烏丸神社より来ました夢見の者です」
月影が言うと、中に入るように指示された。二人は門を開け、レンガで積み上げられた花壇を通って玄関に向かった。
すると中から、咲子が顔を出した。
「こんばんは。夢見の月影泪と申します。こちらが助手の陽向です」
「どうも……えっ、助手?」
「何?」
文句でもあるのかと言いたげな目つきで、月影は陽向を睨んだ。
咲子は二人の顔を見ると、少し驚いた表情になった。当然だ。こんな若い女性がやって来たのだから。
それに黒い着物姿――。
疑問を持ちながらも、二人を居間に案内した。いかにも高級そうな電灯が天井から吊り下がっている。
「どうぞ、お座り下さい」
いかにも高級そうなソファ。そこにもう一人女性が座っていた。顔立ちがはっきりしていて、いかにもお嬢様って感じのネグリジェ姿の女性と目が合う月影。
間が空いた空気を察して、咲子が説明した。
「娘の春香。佳織の姉です。夫が出張中でしばらくうちに戻って来ています」
春香は、月影と陽向を見透かした冷たい目で見ていた。
「春香。さっき話していた佳織を見てくださる夢見の月影さんと陽向さん」
「ふーん。想像していたのと違うのね。祈祷師まがいの老僧侶が来るのかと思っていたのに。案外、若いのね」
「春香っ! どうぞ、お座り下さい。今、お茶を……」
そう言って台所に向かおうとする咲子。
「おかまいなく。それより佳織さんと会わせていただけませんか? お話は伺っております」
私たちは、お茶を飲みに来たわけじゃない。
「はい。部屋におりますが」
咲子はきょとんとして止まった。咲子にとって、世間のやり取りを普通にやるつもりだったのだろう。
「案内して頂けますか?」
「やっぱり佳織には霊が憑いてるの? もしかして、見えるタイプ?」
その仕事場が見たいのか、興味津々の春香が聞いて来た。
霊か……。真っ直ぐで分かりやすい代物だ。だが、咲子は前もってその類いの人に対象を見てもらっているはずだが。
夢は単純じゃない。
「いいえ。私が見るのは人の夢です。対象、あなたの妹さんは、悪夢に侵されているのです」
月影は、表情を変えることなく単調に答えた。突飛な月影の発言に春香は笑い出した。
「悪夢ですって? どうやって人の夢なんか見れるのよ!」
笑いが止まらないようだ。
そこにスーツ姿の男が居間に入って来た。青空党代表畑岡剛志だ。
「こんな時間に馬鹿笑いするな、春香」
この時代にそぐわない着物姿の月影に気づく畑岡氏。
「君たちは?」
「こんばんは。夜分遅くにお邪魔してすみません。夢見の月影泪と申します。咲子さんから頼まれて、佳織さんの様子を伺いに来ました」
月影は、威厳をまとった体格の良い男に冷静に話しをした。陽向は、ビビっていた。同様に咲子も萎縮してしまっている。
「夢見?」
「そうよ、お父様。お母様が呼んだの。佳織は悪夢に取り憑かれているんですって」
あからさまに二人を茶化した言い方だ。
「悪夢? 幽霊話でもあるまい。この時代にそんな空想がまかり通ると思っているのか? 咲子も咲子だ。佳織はもう大丈夫なんだ。余計なことをするな」
畑岡氏はもともと低い声をさらに低くして咲子に怒鳴った。
「でも……佳織は、夜寝るのが辛そうなの、あなたも分かってるでしょ」
咲子は小声ながらも娘のためにと夫に抗議する。
「医者は何でもないと言ってるんだ。お前の心配することではない」
そう言われた咲子は、黙ってしまった。どやされた犬のようだ。
「君たち、帰りなさい。うちの娘に問題はない」
月影と陽向を出て行くよう促した。その時、二階からドーンドーンと大きな物音が聞こえてくる。壁か床を叩いているようにも聞こえる。
「ほら、また、あの子が……」
咲子が居間から顔色を変えて出て行った。月影もただならぬものを感じた。
「行くわよ」
月影は咲子を追う。それに続く陽向。
階段を上った所に寝間着姿の佳織が女性の声とは思えないうなり声を上げながら暴れていた。月影が彼女を見ると既にドリームストリームが溢れ出していた。
なぜ、起きている状態なのにドリームストリームが? 月影は違和感を覚えた。
「佳織どうしたの? 大丈夫?」
咲子が声をかけるが、佳織は興奮していて聞いているのかわからない。佳織の瞳は、どことも焦点が合っていない状態で、何を見ているのかも分からない。そんな無反応の娘に恐怖を感じてしまう咲子。
と、まだ階段から上がりきっていない咲子に佳織が飛びかかった。その勢いに押され、咲子は耐えられずにバランスを崩して佳織と一緒に階段を転げ落ちた。
「大丈夫ですか?」
落ちて来た二人に駆け寄る月影。
「えぇ。痛い!」
起き上がろうとした咲子が顔を歪めた。どこか怪我をしたのだろう。
慌ててやってきた畑岡氏が佳織を抱き起こすと、佳織は意識を失っていた。
「佳織、佳織、佳織」
畑岡氏は必死に佳織の肩を揺する。
カッと佳織の目が開いた。佳織はガバッと起き上がり自分よりも身体の大きい畑岡氏を突き飛ばして、月影の首を絞めた。
苦しい――。
佳織が首を絞めているだけではない。何かで腹を押されている感じがする。月影は必死に首を上げ、自分の腹部の方を見た。対象に取り憑いた悪夢の物なのか分からないが、黒い液のこびりついた無数の毛の生えた棒が月影の腹部を押し込んでいた。それは対象のドリームストリームの中から現れていた。ここに来て具現化するなんて。
「泪!」
「佳織!」
陽向と畑岡氏が、佳織を月影から引きはがすと大人しくなりまた動かなくなった。
「佳織! 佳織!」
畑岡氏は声をかけるが反応がない。静かに呼吸をしているようだ。
「ゴホッ、ゴホッ」
「大丈夫か、泪」
「えぇ。早く悪夢を取り除かないと大変なことになる」
「今日は帰ってくれ。佳織は何でもないんだ」
畑岡氏は佳織を抱えて立ち上がった。その声に動揺が隠しきれていなかった。
月影は畑岡氏に抱えられた佳織を注意深く見つめた。ドリームストリームは消えていた。
どういうこと――。
畑岡氏は階段を上り、佳織の部屋に入って行く。咲子も腰を押さえながら後に着いて行った。
春香は、居間の出口でことの成り行きを見ていた。月影が春香を見ると、気まずくなったのか奥に入ってしまった。
現状を理解できないって感じかしら。
「泪、どうする?」
陽向は居間の奥を見ていた月影に声をかけた。
「今日は帰りましょう。あの狸っ腹熊男がいては夢の中に入ることはできない」
頑なに現実を認めない理由は、自分の政治生命に何らかの傷がつくからだろうか。娘の一大事だというのに、何を考えている親なのか? 親か……。
「出直しか」
二人は畑岡家を出て行った。
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