夢喰師

水島一輝

プロローグ

 ――あなたの悪夢、喰わせて頂きます。



 掲示板にそう書かれた一枚の紙が張られている。しかし、剥がれかかっている。


 繁華街の中心にある駅から線路沿いの細い道を歩いていくと、小さな軒付きの古びた掲示板が現れる。注意していないと気づかないくらいだ。昼間でさえ人通りが少なく、夜になれば、なおのことその存在すら気づかない。また残念なことに、掲示板は街灯と街灯の間に立っていて光が当たらない。


 電車が通るたびに、その張り紙は風になびかれていた。



 ――睡眠時に見る夢でお困りの方、夢喰師が相談に乗ります。相談料・無料。


 ――眠ったまま目覚めない。それは悪夢の影響かもしれません。


 ――眠ったまま暴れだす。それは悪夢の影響かもしれません。


 ――眠っているとき、身体が光り出す。それは悪夢の影響かもしれません。


 心当たりある方は、烏丸神社までご相談下さい。夢喰師がすっきり爽快の目覚めに導きます――



 ――夢喰師。


 ――それは、人の見る夢の弱きところに取り憑く悪夢を喰い祓う者のことである。



 ×   ×   ×



 私が、この正式にできあがった張り紙を見るのは、今からもう少しあとのこと……。



 ×   ×   ×



 季節は寒い冬へ入りかけた頃のこと。雪はまだ降っていないが、部屋の外はとても静かだ。まるで、空気が寝静まっているかのようだ。


 私は夜に寝ない。呪われた家系に生まれ、幼少の頃から仕込まれた仕事の関係上、体は寝れない体質になっていた。生まれてから今までの十七年間、夜というものは自分のためにあると思えるほどになっていた。私が動く時間であり空間――。世間が寝静まった夜は私が、人様の夢を見るためのものである。


 私は人の夢の中に入ることができるのである。よく考えれば異様だ。


 普通であれば、華の女子高校生な年頃だ。昼間は学校に行き、友達と話をし、勉強をし、部活動などというものをするのが一般的のようだ。時には、恋というものに落ち、甘酸っぱい体験をしたり、アルバイトをしてこの社会の一端を経験する。


 だが、私はどうだ。


 学生生活というものすら体験したことはない。しかし、そいういった知識だけは見てきたかのように頭の中にはある。学校になじめず、勉強について行けなくなって学校に行かなくなった学生、友達との関係に亀裂が入った年頃の女子、甘酸っぱさに顔をすぼめて涙を流す乙女、社会の一端を知って黒い部分に辟易する青年。そんな方々の苦悩する夢の世界を四年前まではこの目で見続けてきた。


 自分のことをわずかなりにも考えられるようになった十三才のある日、私は他人の苦しむ夢世界など見たくなくなった。なぜ、普通に暮らす人の普通に味わう苦痛を私が取り除かなければならないのか。私に違和感が生まれた。



 ――本当に苦しいのは私よ。


 ――呪われたこの体から解放されたい。



 そして、私は他人の夢を見ることをやめた。


 でも、それをやめてから四年が経とうとしているのに体質は変わることはなかった。


 静ずかな夜の闇に包まれた部屋の中で、幼少から歩んできた足取りはとても良い行いであった、と自分に思い込ませる。


 月明かりが差し込む丸窓から手入れがしっかり行き届いた裏庭をただ見て過ごすだけの夜もある。そういう時はたいてい、なぜ、私は呪われた月影つきかげという名の下に生まれてしまったのだろう、と答えのでない思考を繰り返すのである。


 人の夢の中で見た苦しみを自分で体感しているようだった。いつの日か見た夢の中には、生まれ変わりたいと願う人もいた。いまさら、その気持ちがわかった。できることなら、今すぐにでも別人に生まれ変わりたいところだ。


 月が沈み、辺りが明るくなるころにようやく私は眠気を感じるのである。そうやって、太陽の出ている昼間のうちは、陽の光を嫌うかのように眠るのである。


 だから、ずっと私は部屋にいる。


 部屋の外に出ることはない。


 陽が沈めば、目を覚まし、月を眺め、月が沈めば、床に就く。


 水槽を循環する水のような生活を四年ほど繰り返していた。いっそのこと水の循環を止めてしまいたいと何度も思ったが、この部屋に住まわせてくれている家の主・烏丸からすまは循環モーターの電源を切ることはなかった。


 そして、今日も陽が沈むと、冷たかった空気が一段と冷える。布団の中のぬくもりが奪われて行くのを感じながら、私は目覚めることが多くなった。布団の上で目を開けると、見慣れた暗闇が広がっている。


 今日も月の軌跡を見ながら自問自答する時間の始まりだ。冷気に包まれた六畳ほど部屋の中央で布団を敷いて寝ている。私は毛布にくるまって布団から這い出た。もぞもぞと月の光が差し込む丸窓まで移動して窓の外を見上げた。晴れ渡る空の海に星々が輝いている。ひときわ大きな星、月も負けじと光を放っていた。


 一瞬、それらの光を影が遮った。


 鳥でも横切ったのか、と私は思った。


 次の瞬間、大きな衝撃とその衝撃音を立てて部屋の中に煙が舞い上がった。凄まじい音に心臓の鼓動は瞬時に高まり、息をしているのかどうかもわからなかった。部屋の中央を振り返りと、天井にぽっかりと穴が空いている。そこから月明かりが差し込み、部屋中をチラチラと舞う埃を照らしていた。そして、埃の中に現れた黒い影。

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