運命の先にあるもの
これはアルテナ・リリーフォンスによる星の託宣が下る、少し前のお話……
王都の街角。道具屋『聖なる幻』店と書籍屋『古代の声』の間の小道は、一人の女が毎日露天を出していることで有名だった。
店主の女は椅子に腰かけ、小さなテーブルを前にしている。テーブルには古びた布がかかっており、その上には大きなアメジストの原石が載せられている。掘り出した形をそのまま持ってきたのかというほどいびつで、ところどころに岩もくっついているが、よく磨かれているのかよく光る美しい石だ。
平素、女は日がな一日そのアメジストを前にして座っているだけなのだが……時には客が訪れることがある。
「頼む! 最近ついてないんだ……どうしたらいいのか教えてくれ、クラリス!」
「……ついていないとは」
女――クラリス・ゲッテンベルグはアメジストに手をかざし、じっといびつな石の合間の光を見つめる。
「夜通しお酒を飲んだあげく二日酔いで大工仕事に出て屋根から落ち足の骨を折り、棟梁に叱られたあげくしばらく仕事に出てくるなと言われ、収入がないのにまた酒場に飲んだくれに行き、事情を知った踊り子のリューに嫌われた話のこと……?」
「そうなんだよ、ついてないだろ!?」
「……人はそれを自業自得と言うのだけれど」
おごそかに、低くクラリスは言う。声に静けさのある女である。唇があまり動かないため、彼女の怜悧な顔立ちはまったく崩れることがなかった。
髪は長く、黒い。今はそれをフードで隠しているが、もったいないと男たちは口を揃える。それほどに彼女の髪は美しいのだ――いや、髪だけではない。
王都には自慢の美人が数人いる。中でも有名なのが、酒場で給仕をしているマリアンヌ・クレアラント。そしてクラリス・ゲッテンベルグ。涼やかな美貌の占い師だ。
クラリスはまた、勇者アレス一行の一員でもあり、治療師の顔も持つ。だが彼女は滅多に魔物討伐に出たがらない。よほどのことがなければこうして街角の薄暗い小道で、大半がクラリス目当ての客たちを真剣に占っているのだった。
「しっかしすげえなクラリス。どうして分かったんだ?」
「……何を」
「今の俺の近況だよ。俺の噂なんか流れてたのか?」
「……全部石に出ているもの」
「マジかよ」
客は恐ろしげにアメジストの原石を見る。もちろん彼には何も見えるはずがない。
「……で、占ってもいいのかしら」
「もちろん頼む!」
「そう」
なら、しばらく黙って――。
涼やかな声でそう囁かれ、男はまるで耳に媚薬を流し込まれたかのようにとろけた顔をする。
クラリスはそんな男になどお構いなしだった。じっと紫水晶を見つめ、すうと瞼を半分下ろす。
空では雲が位置を変え、狭い路地に太陽の光が形を変えて差し込んだ。太陽光はアメジストには似合わない。それでも一瞬の“光”は、神秘の石にえもいわれぬ美しさを与える。
「……枕の下に、リューの似姿を隠し持っているわね」
「ひっ!?」
男はのけぞった。顔がみるみる赤くなっていく――絶対暴かれたくなかった秘密を白日の下にさらされたかのように。
クラリスは淡々と続ける。
「小細工せずリューに告白なさい。必ず運が向くでしょう」
「……本当に!?」
「私の占いが外れたことはない」
クラリスの声から静寂が消えることはない。それなのに、このときばかりは誇らしく響いた。
もっとも――意中の踊り子のことで頭がいっぱいになった男は、そんなささいなことなど気づかなかっただろうが……。
客が帰り、また小道に一人となる。
クラリスはただ無言で紫水晶を見つめている。いびつに光る角ひとつひとつに、意味を見いだすかのように。
そんな彼女に、声をかけた男がいた。
「クラリス! どうした、浮かない顔だな?」
「ヴァイス……」
狭い小道をのしのしと歩いてくる騎士ヴァイス・フォーライク。同じ勇者パーティの仲間だ。だが日頃クラリスはヴァイスを避けるように行動していた。日陰を好むクラリスに対し、ヴァイスは自分自身が光を放つようなタイプである。根っから相性が合わないのだ。
ただ、ヴァイスはそんなことなどお構いなしにクラリスに接するのだが。
ヴァイスは後ろを指さしながら、
「今さっきロンが天にも昇りそうな感じで飛び出してったぞ。占い、いい結果が出たのか?」
「……占いじゃないわ」
クラリスは小さくため息をついた。「少し前に、リューもここに来ていただけ」
「ふうん?」
ヴァイスは分かっているのかいないのか分からない声を出した。いや――興味がないのかもしれない。
クラリスは少しだけ眉間にしわを寄せる。ロンの話ではないなら、この男はいったい何をしにきたのだろう?
「何か用なの、ヴァイス」
「いや。俺も占ってもらおうかと思ってな」
また雲が動き、小道にふしぎな形の日だまりを作る。そんな場所を選んで立ちながら、ヴァイスは心地よさそうに太陽光を浴びていた。
「……あなたが占い?」
「たまにはいいだろう?」
クラリスはフードの下からじっとヴァイスを見上げて観察する。そして、ヴァイスがそんなことを言い出した当たりをつけた。
「……また姫様から逃げてきたの」
「いやあまいったまいった。俺の家が占拠されているんだ。このままじゃ帰れん」
はっはっはとまるで困っていない風で言いながらも――そもそもこの男の口からそう言った言葉自体出ることが珍しいのだ。魔王討伐の旅の道中、弱音を吐きがちなメンバーをひたすら鼓舞していたのはアレスではなく彼だったほどに。
「……あなたを困らせるなんて、姫様も大したものね」
「ああ、大したものだ」
「……いっそ結婚してしまえば。お似合いよ」
実際、相性はさほど悪くないのだ。結ばれてしまうのもひとつの道である。ヴァイスが未来の王の義理の弟だなどと考えるとこの国自体が不安になるが。
冗談じゃない、とヴァイスは顔をしかめた。本気で嫌そうな顔だった。
「俺はあんな妻はごめんだ。振り回されてばかりになる」
まああなたは人を振り回すほうだものね――クラリスは口の中でつぶやく。
要するに、どっちもどっちというやつだ。
とは言え――どうやらヴァイスは本当に参っているようだった。そもそも登場の仕方からして元気がない。いつもはもっと騒がしい男なのだ。
クラリスは息をついた。
「……いいわ。占いましょう」
「おお! 助かるぞ」
ヴァイスの興味津々の視線を受けながら、紫水晶を見つめる。
――見つめる、その奥を。入り組んだ石の隙間に隠れた運命を。
紫色の陰に、何かが見える。
「……まもなく……」
クラリスの喉から、自然と声が流れ出る。美しいと評判の声は、まるで清らかな川の流れのように。
「まもなく、新たな女性が現れるわ。あなたにとって運命の……」
光の陰に一瞬見えた人影は、まるで恥じ入るようにすぐ消えてしまった。けれど……その一瞬がすべてを告げる。
「運命の?」
ヴァイスが身を乗り出した。さすがの彼にも、興味深い言葉であるらしかった。
クラリスは言の葉を止めた。
横目でヴァイスをにらむように見やり、
「運命、と言ったって、必ずしもあなたにとってよい意味の運命とは限らない」
そう、言った。
「そうなのか?」
「そう……。ただその人との出会いが、姫様とのことを解決させるきっかけになる――。それだけは保証してもいい」
「そうか!」
ヴァイスはテーブルにどんと手をついた。紫水晶がごとんと動き、クラリスを慌てさせる。
「何だかよく分からんが解決するんだな! それならいい!」
「………」
(そんな簡単な話ではないだろうけど、ね)
紫の石の陰にちらりと見えた未来のヴァイスは、決して笑ってはいなかった。
怖いくらいに真剣だったのだ、未来の彼は。
それがどういう意味なのかクラリスには分からない。ただ――
(大きな出会いとなる。よくも悪くも……)
そして、その運命に振り回されることになるヴァイスのことを、ほんの少しだけ――見てみたいと思った。
その後星祭りが行われ、その夜に下った託宣を知ったとき。
クラリスはふと思ったのだ。紫の光の陰に見えた騎士の運命は……星の神のいたずらだったのかと。
(終わり)
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