もう、迷いません。―11

 かわいさあまって憎さ百倍。姫様はとても王女と思えぬ罵詈雑言を騎士に向かって投げつけました。

 しかしこういうときの騎士の打たれ強さは並々ならぬもの。というより、受けもせずすべて流してしまっているようです。

 ――彼がこういう態度のときは何を言っても無駄だと、姫様は経験で知っていたに違いありません。


「覚えていなさい!」


 結局どこかで聞いたような捨て台詞を吐いて、姫様は兵士たちを引き連れ帰っていきました。


 最後の最後、アルベルト老がこちらを向いて頭を下げたことが印象的でした。彼はきっと、姫のことが本心から大切なのだと思います。その心中おして知るべしです。


 わたくしはほうとため息をつきました。何だか、いろいろなことがありすぎて疲れた……


「どうした。大丈夫か?」


 すかさず騎士の手がわたくしに差し出されました。

 わたくしは少しためらってから、その手を両手で握り返しました。体ごと彼に寄りかかるようにして。


「……ありがとうございます。助けに来てくれて」


 彼が来てくれなかったら、わたくしは姫のラケシスへの言葉に絶望して、どうなっていたか分かりません。


「お父様も、ありがとうございました」


 アレクサンドル様にも顔を向けると、「いやいや」と騎士のお父上はにやりと笑いました。


「君の反応が真正直すぎて面白かったよ。まさか真っ正面から姫とやり合おうとするとはねえ。面白かった」

「観察していたのでしょうお父さん、うふふ」

「本当はもっと眺めていたかったのでしょうお父様、うふふ」

「うむ。まこと貴重な時間だった」


 ……わたくしの愚にもつかない姫への態度を笑ってくれるのは、この世でこの家族だけなのかも。そう思うと、そばにいたのが彼らで良かったと心から思います。


「えー……。こほん」


 わざとらしい咳払いが聞こえました。


 ふっと顔を向けると、そこにはエヴァレット卿が落ちつかなげに立っていました。

 てっきり姫についていったものとばかり――。わたくしは慌てて騎士から離れ、「すみません、卿」と謝りました。


「ふん。まったく、どいつもこいつも」


 姫がいないところでは態度が尊大になるようです。エヴァレット卿はじろりとわたくしをにらみ、えへんともう一度大きく咳払いをしました。


「儂はちゃんと修道院の上層部へ話をしにいった。これでよいのだな、ヴァイス?」

「いろいろ不満だがまあいいだろう。卿にとっては最大の妥協なのだろうし。修道長の前で滝のように汗をかいていたことからして、それなりに真剣に場に臨んでくれたのだろうし」

「いちいち口に出すなお主は! ふん、まったく!」


 ぷりぷりと怒る卿。いったい何を無理強むりじいされたのでしょうか。


「修道院に行くのは後でも良かったのではないかな、ヴァイス。急ぐような用ができたかい?」


 アレクサンドル様が問うと、騎士は渋面を作りました。


「王宮で王太子殿下が陛下に謁見する場に立ち会ったんだ。そうしたら王妃殿下が暴れなさってな。『魔王が再臨するとの託宣のもとで王子を下賎の者と結婚させるなど、国民の不安をあおるようなこと許すまじ』とのことで」


 ……それがどうして国民の不安をあおることになるのでしょう。

 ことは未来の王妃たる女性の話です。身元の不安な者では国民が喜ぶはずもないと、そういうことでしょうか。


 たしかに……そもそもラケシスにはこのわたくしの妹という汚点があります。託宣を、みっともない形で取り消されたわたくしの。


「それで、ラケシス殿の立場復権のためにまず巫女の復権が必要と思ってな」

「――え?」

「それに、シュヴァルツ殿下も無茶を言い出した。『魔王のいない平和な世の中であればいいんでしょう!』とか何とか……で、俺たちに一刻も早く出立するようにと」


 騎士は腰に手を当てました。心底不満げな顔でした。「本当に、王族はいつも勝手でいかん」


「だが、魔王討伐は早く成さねばならん。当然のことであろうが!」


 エヴァレット卿が反論します。丸い顔を真っ赤に染めて、彼なりの本気がうかがえます。

 騎士は耳をほじってその意見を無視しました。そして、


「そんなわけで、修道院にエヴァレット卿を連れて行った。巫女の託宣の取り消しの取り消しのために」

「は……」

「修道院の上層部にな、託宣を再度認めるから、巫女を――アルテナ・リリーフォンスを修道院で受け入れるようにと言いにいったんだ。そうすれば最低でも修道院からのラケシス殿の擁護は可能になる。昔から王家の結婚は修道院の許可がなくては決まらん。そうだろう?」


 そうなのです。王家の結婚は『神のお許しがなければ』許されないのが建前。


 そのため修道院は、すっかり形骸化しているその様式によって、王家の結婚には必ず関わることになっているのでした。それで――。


「で、でも! 託宣の取り消しの取り消しだなんて、そう簡単にできるわけが」

「それができたんだなあ。何せ最初の取り消し自体が『簡単』だったろう? あの託宣を不都合と考える者がいなくなればいい。幸い王宮には弱みを持つ人間が山ほどいる」


 騎士はしみじみと、「こんなときのために手を回してあって良かった……」と独りごちました。


「王妃殿下以外は何とか手を打ったぞ。あとはエヴァレット卿さえ動けば良かった。まあそんなわけで、卿には他の連中よりも深く弱みをえぐらせてもらったが」

「言うな! 黙れ! この卑怯者が……!」


 エヴァレット卿はぴょんぴょん飛び跳ねながら抗議します。両腕を振り回し、失礼ながら動きが何かの動物のよう。


「うふふ、ヴァイス兄ったら人の弱みを見つける天才」

「あらあら、ヴァイス兄のしわざだけでもないんでしょう?」

「その通りカイにも協力させた。言っとくがああいった後ろ暗い情報はカイのほうがよっぽど得意だぞ」


 ……人間恐怖症が極まって人から隠れて行動しがちなカイ様は、王宮の暗部に触れやすいのだということを今さら思い知らされます。


 カイ様本当に、それって本末転倒です。


「ロックハートのやつめこの先見ていろ!」


 卿が空に向かって吠えているのを、騎士はのんびりと眺めています。


「弱みを作るほうが悪いのさ、馬鹿だなあ」

「うふふ。ヴァイス兄に馬鹿と言われるなんて」

「うふふ。最大の屈辱ね」

「では、本当に……本当に託宣は認められるのですか?」


 にわかには信じられませんでした。

 あんなに取り調べられて、あんなに抵抗したのに聞いてもらえなかった……それなのに、こんなあっさりと。


 騎士はうなずきました。


「ああ。だから」


 すっとその手がわたくしの肩に伸びます。

 ぽんと触れる直前、なぜか指先が震えたように見えました。


「――俺が出立したあと、修道院にも堂々と戻れるぞ、巫女」


 彼はそう言って、少し寂しげに微笑みました。



「国民にとって、託宣とは奇妙な存在なのです、アルテナ」


 そう言って、修道長アンナ様は淡く苦笑しました。「実のところ託宣のその後をいちいち確認している者はごくわずか。大半の者は、託宣が実現したかどうかを知らずに過ごしているのですから」


 あのあと、中央広場でエヴァレット卿と別れることになり――

 わたくしたちは一度騎士の実家『羽根のない鳥亭』へと帰りました。


 モラさんが「待ちくたびれたよ!」と憤然と出迎えてくれました。思ったよりも時間が流れていたようです。姫と相対していた時間は、あっという間のような気がしていたのですが。


 ソラさんも目覚めていて、わたくしを見るなり「巫女!」と抱きついてきました。

 そしてみんなでお昼ご飯をともにし――

 午後もやっぱりソラさんの相手で時間を取られ、やがて夕刻。


『巫女。修道長に会いにいかないか』


 騎士の誘いで、わたくしは彼と連れ立ち修道院を訪れることになったのです。


 懐かしの修道院の匂い。胸に吸い込むと、少し切ない心地がします。

 修道長室に案内される間、わたくしたちは修道女たちの好奇の視線にさらされていました。変装は、とうの昔に解いてしまっていました。胸がどきどきして落ち着きませんでしたが――同時に解放感もありました。


 アンナ様はわたくしの来訪を、手放しで喜んでくださいました。


「アルテナ。本当につらい思いをさせましたね」


 わたくしを優しく抱きしめてくれる、その暖かさ。だから修道院が好きだったのだと思い出す一瞬。


 騎士は部屋の外で待っていてくれることになりました。「積もる話もあるだろう」と。

 本当に、このごろ騎士は優しすぎて恐いほどです。


 部屋にアンナ様と二人きり。アンナ様はわたくしが落ち着くのを見計らってから話し始めました。『託宣とは何か』――を。


「神の言葉は絶対です。本来は王宮がその存在を認知しようがしまいが、結論は同じになるはずなのです。本物の託宣でさえあれば」


 ただしふつうの国民にとって、その託宣が本物かどうかなど、下された時点では判別のつきようがない。したがって……

 彼らにしてみれば、自分よりも決定権が上の者――すなわち王宮がその託宣を『嘘』だと断ずれば、『嘘』になってしまうのだと。


「国民にとって、ひとつの玩具に過ぎぬのかもしれません。王宮が否定した、それにはこんな裏があるらしい。そういった話題のほうが彼らには面白い。託宣がただ実現するだけの『本物』であるよりもずっと」

「アンナ様は――」


 わたくしは小さく尋ねました。「ご存じですか……。昔、嘘の託宣をしたとして国を追い出された巫女を」

「もちろんです」


 アンナ様は悲しげに微笑みました。「そして、あの託宣が嘘であるかどうかを確かめるすべは、彼女が死ぬまでありません。――彼女はまだ存命です、隣の国で」


 私の友人だったのです。アンナ様は、穏やかな声でそうおっしゃいました。


 優しい夕焼けの差し込む時刻のことでした。橙色の日光が窓から降り注いで、たたずむアンナ様のお姿を淡く彩っていました。


「王宮は判定を覆しました」

 アンナ様はおごそかにわたくしを見つめ、「したがって、あなたはいつでも、自由にここに戻ってこられます。修道女ではなく、星の巫女として」


「アンナ様」

「――いつでもあなたの好きに戻ってきてよいと、前から言っていたわね。でも、本当はあなたが戻ってくるとは思えなかったの。こんな恥をかかされてなお、真面目なあなたが――真面目だからこそ、戻れるとは思わなかった」

「………」


 わたくしは体の前で重ねていた両手に、ぎゅっと力をこめました。


「そんなことはありません……。わたくしはずっと修道女に戻りたいと思っていました」

「戻りたいのは『修道女のような生き方に』でしょう。ここに戻ってくるのとは、意味が違うはずですよ」

「――アンナ様」

「あなたの迷いはとても尊いもの。胸を張ってよいのですよアルテナ。そういう生き方をしたいと願った自分のことを」

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