もう、迷いません。―5
騎士と同じベッドで目覚めるという衝撃の朝を迎えた日、早朝からマリアンヌさんがお屋敷にやってくると、
「また外に出るんでしょう? ほらほら、化粧の用意!」
と嬉々としてわたくしを鏡台の前に座らせました。
今日は騎士と約束した通り、ソラさんの様子を見に行くつもりでした。そのため念には念を入れて今日も変装することになっているのです。
「昨日雨が降っていた分、町がいっそう活気づいているわ。気をつけて外出しなさいね」
わたくしの髪に丁寧に櫛を入れながら、マリアンヌさんは優しい声でそう言います。
「まだ……お祭り騒ぎは収まりませんか?」
「そりゃあ収まらないわよ。託宣の名残もあるけど、今はほら、あなたの妹さんのことがね」
「……っ」
「……あなたますます顔を外に出せなくなってるわよ。でも大丈夫、私がきっちり隠してあげるから」
「はい……」
「こら、顔をうつむかせない!」
マリアンヌさんの両手が頭をがっちり挟み、上向けさせました。
「前を向きなさい、前を。別人になりきるときは、堂々としているのが一番よ」
別人になりきる――。
巧みな技術で印象の変わっていく顔。顔色さえ変えてくれる。
「はい」
わたくしは腹の底に力をこめました。そう、うつむいている場合じゃない。
*
騎士の実家『羽根のない鳥』亭へは、騎士が馬車で送ってくれました。
「本当は一緒にいてやりたいんだが……すまんな、今日もまだ用事がある」
迎えには来るから――と言いながらわたくしの頬を指で撫でる彼に、わたくしはにっこりと笑って答えました。
「お気になさらず。ソラさんと一緒なら、何時間でもあっという間ですから」
「……確かにそうかもしれんな。お、そうそう」
騎士は急に思い出したようにぽんと手を打ち、
「今日は他の妹どももいるかもしれん。小うるさいと思うが、まあ仲良くしてやってくれ」
「―――」
思わず固まってしまいました。その可能性は考えていなかった……!
紹介だけしていくか、と騎士は立て付けの悪い戸を開けながら、大声で中に呼びかけました。
「誰かいるか!」
騎士の大音声はこの古びた家を壊してしまいそうです。わたくしがこっそり耳をふさぎながら待っていると、
「――うるさい、兄貴」
奥の戸から、のっそり出てくる人影がありました。
痩せた女性でした。あまり背は高くありませんが、服装を見る限り活発そうです。
妙にすすけた服を着ていますが、騎士のご家族であるせいか、なんとなく意外ではありません。我ながら失礼な話ですが。
なぜかどことなくうつむき気味で、下からこちらをにらむような感じがあります。騎士の大声を嫌ってのことでしょうか。
「巫女。あれが俺のすぐ下の妹のモラだ」
騎士はわたくしを家の中に招き入れながら、そう説明しました。
モラさん……すぐ下の妹と言うことは、以前聞いたことのある、わたくしより年上の妹さんということです。
モラさんはじろりとした視線をこちらに向けました。口が不機嫌そうに曲がっています。
わたくしは気にしないようにして、まず挨拶をしました。
「初めまして、アルテナ・リリーフォンスと申します」
「………!」
とたんにモラさんの顔色が変わりました。大きく目を見張り、みるみる青くなっていきます。
「あ、アルテナ……まさか」
「まさかとは何だまさかとは。将来のお前の姉上だぞ、しっかり挨拶をしろモラ」
「………っ!」
声にならない悲鳴のようなものを感じました。
モラさんはたちまち階段の陰へと駆け込んで姿を消しました。
いえ、その陰からこっそりこちらをうかがっているのだけは分かります。わたくしはどうしたらいいのか分からず、騎士とモラさん(の隠れている場所)を見比べました。
「あのう……」
騎士が大仰にため息をつきます。
「すまんな。モラは人見知りが激しいんだ」
「ちち、違う。決して恐いとかじゃない! たた、ただ、初めて会うときは正装していたかったというか!」
「確かに汚れた格好だな。なんだ、親父殿の手伝いでもしていたのか?」
「――料理をしていただけだよ」
すると騎士は哀れむような目をして、
「今日もこの家が無事であった奇跡に感謝せねば……」
階段の陰からモラさんの顔が半分だけ覗きました。
「うるさいな! 父さんの実験よりなんぼかマシだ!」
アレス様に食べてほしかったんだ、とモラさんは右腕を振り上げて主張します。
「よせよせ。昔お前の料理を律儀に全部食ったアレスが三日間寝込んだのを忘れたのか」
「ううううるさいっ。子どものころの話だろ、今は違う!」
「しかしお前が料理をすると親父殿が喜ぶからなあ。未知の化学反応が見られるとかで……ところで親父殿はどこにいる?」
「ま、町に行った」
ぼそぼそと話すモラさんの様子は、何だか動物を恐がるカイ様を思わせます。
わたくしは何となくモラさんに親しみを持ちました。こういったタイプの人は嫌いになれません。
「町か。珍しいな」
騎士はあごに手をかけました。「よもや町に実験しに行ったんじゃあるまいな」
「知らない。機嫌は良かったけど」
「親父殿の機嫌がいいだと? それは大問題だ。王都の危機かもしれん」
父親に対してひどい言いようです。「出かけるついでに親父殿を捜しておくか……やれやれ、用事が増えた」
モラ、と騎士はわたくしの背中を押しながら、
「巫女はソラの見舞いにきた。ソラに会わせてやってくれ。それから、俺が迎えに来るまで丁重にもてなすように」
「……わ、分かったよ」
モラさんはしぶしぶといった様子で「早く迎えに来てくれよ」と答えます。
「とにかくそこから出てこい。ちゃんと挨拶しろ」
騎士がそう言いつけてから、モラさんがこそっと出てくるまでに、たっぷり五分はあった気がします。
「……初めまして、兄がいつも……世話に……なってます……」
しかしこちらまでは来てくれません。わたくしが一歩近づくと、一歩後ろへ下がってしまいます。距離が遠い。
とは言え、嫌がる人を無理やり来させるわけにもいきません。わたくしはその距離のまま、頭を下げました。
「こちらこそ。よろしくお願いします、モラさん」
「……あのさ」
ぼそぼそと話しているはずなのに声がよく通るあたりは、さすが騎士の妹さんといったところでしょうか。
「……前に見た似姿と顔が違うんだけど……」
「あ」
「そうだったな。巫女は今いろいろな事情で変装している! まあ素顔はまたの機会にな」
「変装……」
モラさんが真剣な顔になりました。ほとんど初めてわたくしを真正面から見て――遠いですが――、
「……素顔で会うときは正装するから。こ、恐かったわけじゃないんだよ! ほんとに!」
そこまで否定すると余計嘘っぽいですよ、モラさん。
後はモラに任せたと言って、騎士は出かけて行きました。
「ええと……ソラの部屋は二階で……」
モラさんは距離を取ったまま、ぎくしゃくとわたくしを案内しようとします。
「お世話をおかけします、モラさん」
わたくしはなるべく愛想よく努めました。少しでもモラさんの緊張がほぐれればよいのですが。
「……別にいいけど……あ、か、階段、気をつけて」
階段の前で待ってくれている彼女。近づいても逃げないのでふしぎに思っていると、おずおずと手を差し出してくれました。どうやら階段の段差が急なので、エスコートしてくれるようです。
顔を見ようとしても視線は逃げられてしまいますが、赤くなった頬が少し愛らしいです。目元はやっぱり騎士に似ているでしょうか――。
モラさんの手を取って、ゆっくり階段を上がっていきます。
「……ねえ……」
「はい」
「……本当に、兄貴と結婚するの」
真っ先にその話題ですか。いえでも、妹さんたちにしてみれば一番気になる話かもしれませんね。
わたくしは迷いました。どう答えたものか……
「……まだ、決めてはいませんが」
「ほんとにうちの家族になるの。うち問題しかない一家だよ。覚悟はある?」
「………」
そう言えば“クラッシャー一家”と呼ばれていると、騎士が言っていましたっけ……
それを考えると詰まってしまうわたくしですが。
階段は半ば。一歩前を行くモラさんの足取りは、ぎこちなくもわたくしに合わせた丁寧なもので、彼女の親切さを思わせます。
そろそろと後ろのわたくしをうかがう目、重ねた手にどれだけの力を入れるかで迷っているような手つき。何もかも。
「モラさんは素敵な方じゃありませんか」
わたくしは笑顔で答えました。本当にそう思ったのです。
けれど、モラさんはいっそう暗い顔をしました。
「……私はこの家では相当マシなほうだから、期待しないで」
「………」
一番下のソラさんのことは知っているつもりですが……他の妹さんはいったいどんな方たちなのでしょう。彼女の言葉が空恐ろしい。
二階の一番手前がソラさんのお部屋――。
モラさんはノックをすると、返事を待たずにドアを開けました。
「うふふ」
「うふふ」
鈴の音のようなコロコロとした笑い声が聞こえました。とても似た音が、二重に重なって。
「はい、ソラちゃん。リリお手製のお薬よ、飲みましょうね」
「ミミ、違うわ。そっちはしびれ薬よ」
「あらごめんなさい。ミミったらうっかり」
「嘘おっしゃい、わざとやったでしょう?」
「うふふ。リリはごまかせないわね」
それはそれは可愛らしい声で謎の会話を繰り広げる、十代半ばの女の子が二人――。
「ミミ、リリ」
モラさんが呼びかけると、鈴の音のような笑い声がぴたりとやみ、二人同時に振り返りました。
(双子――)
顔立ちどころか髪型服装、何から何までそっくりです。いったいどこに見分けるポイントがあるのでしょうか?
まして初見のわたくしには『同じ人間が二人いる』としか思えない状態。何だか腹の底にしんとした恐怖を感じながら双子を見つめると、双子はわたくしを見て「うふふ」と同時に笑いました。
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