あなたらしくありません。―7

 その一瞬、スライムが収縮したのが見えました。

 そして次の瞬間、弾けるように膨張し――


 スライムの全身から、つぶてのような何かが発射されました。


「―――!」


 直前にわたくしはソラさんを地面に倒し、その上に覆い被さるように自分も伏せました。


 そのわたくしのすぐ上を、つぶてが次々と通り過ぎていきます。背中に風圧がかかるのです。背筋がひやっと恐怖を訴え、全身が緊張に固まります。


 つぶてはひとしきりわたくしたちの上を飛び抜けてゆきました。やがてそれがやみ……、


 わたくしは伏せたまま、目をうっすらと開けて――全部開けて見るのが恐かったので――近場の様子を確認しました。


 少し離れたところに、つぶての正体が落ちていました。ぽよよんと揺れる、スライムの体の一部……


「ヨーハン様?」


 気がつけば彼の気配がありません。はっとしてわたくしは跳ね起きました。


 前方では巨大スライムがぽよよんぽよよんと体を震わせながら、悠然と構えています。そして……


 その巨大スライムとわたくしのちょうど中間辺りで倒れている、ヨーハン様の姿――。


「……っ! ヨーハン様!!」


 わたくしは彼に駆け寄りました。そしてその様子に愕然としました。つぶてを全身に受けてしまったのか、あちこちから血が出ています。きっと打撲もしているに違いありません。下手をしたら骨折しているかも……!


「う……」


 良かった、まだ動いてる。わたくしは地面に手をついて「ヨーハン様、しっかり!」と呼びかけました。


「アルテナ様……良かった、ご無事ですか……」


 うっすらと目を開けた彼は、苦しげに微笑みました。「さすがですね」と。


「今のは勘ですか? それとも星の巫女としての託宣ですか?……」

「そ、そんなことは今はいいですから……!」


 実際わたくしにも分からないので答えようがありません。今はそれよりも手当をしなくては――って、


「あ……っ。や、薬草がない」


 あれだけ持っていた薬草がどこにもありません。どうやらこの混乱に取り紛れてどこかに落としてきてしまったようです。なんてこと!


 わたくしの独り言を聞いて、ヨーハン様が眉をしかめました。


「薬草?……そうか、あのスライムは道中その薬草を食ったかな」

「薬草を?」


 想像して血の気が引きました。

 魔物はふつうの生物(存在?)ではないので、薬草がわたくしたち人間と同じように作用するとは限らないのです。


 ではあのスライムがヨーハン様の予想外に成長していたのは、薬草を落としてきたせいなのでしょうか? ああ、何だか色んなことが悪い方向へ転がっている気がします。


 こんなときにお酒臭い臭いを振りまいている自分が憎い!



 そんなことをしている間にもスライムはじりじりとこちらに近づいてきています。


 結局怪我が多すぎてろくな手当てもできないまま、ヨーハン様は自力で体を持ち上げ、スライムに剣を向けました。


「無理です! もう戦わないで! 怪我が……!」


 わたくしは泣きそうな気持ちで言いました。

 ヨーハン様は少し笑ったようです。


「いいんです。この怪我は罰みたいなものなので」

「ば、罰? いったい何の」

「かっこつけた罰ですねえ。僕にも倒せると思った。甘く見過ぎました」


 でも、と最後はとても小さな声で。


「……あなたの前でいいかっこしたかったんですよぅ。


「え?」


 今、何と? よく聞こえなくて、わたくしは聞き返しました。

 彼は笑っただけで、それ以上何も言いませんでした。


 背後からソラさんの鋭い声が飛び、わたくしたちの意識を引き戻します。


「スライムを見ろ! 来るぞ!」

「!!!」


 わたくしはヨーハン様とともに地面に伏せました。

 視界の端で、巨大スライムがまた収縮するのが見えました。


 つぶてが再び背中の上を飛び抜けていきます。下向きの角度では飛ばないつぶてで幸いでした。でも、よく聞くとあちこちで破壊の音がします。この辺りの家屋に被害が及んでいるようです。


 悲鳴が上がりました。甲高い女の子の。


「ソラさん……!?」


 つぶてがやむと、わたくしは即座に振り向き、ソラさんを探しました。


 彼女は――


「い、た、ぁ……」


 彼女は、地面に伏せてはいませんでした。立ったまま。


 ふらり、ふらりとその小さな体が揺れます。体中から、つぶてがかすめた血の筋――。


 ヨーハン様のようにスライムの間近で攻撃を受けたわけではなかったので、重傷ではないようでした。けれどそれでも見過ごせない怪我です。


(どうして?)


 スライムの動きを見ろと言ったのは彼女です。それなのに、どうして自分自身が避けなかったの?


 やがてソラさんの体は、どさりと地面に倒れ伏しました。


「ソラさん……!」


 駆け寄ろうとして、わたくしははっとヨーハン様を見ました。

 ヨーハン様は片手をふりふりと揺らしました。僕は大丈夫、と。


「………っ」


 思い切ってソラさんのほうへと向かおうとしたのに、混乱と恐怖で足がうまく動きません。ああ、お願いだから動いて! ソラさんのところへ行かせて!


「ソラ、ソラさん……!」


 彼女が倒れた拍子に、かついでいた袋が落ち、ひもが解けていました。


 中から大量のネズミが現れ、まるで主を案じるようにソラさんの周りに群がります。チー、チーと鳴く声が切実です。このときばかりは魔力ネズミたちもごくふつうの小動物なのです。


「ソラ……!」


 ソラさんさんは動きません。


「ソラさん……!」


 いえ、よく見ると――手の指だけが動いています。地面に何かを、書こうとしているかのように。


(何かを伝えようとしている……?)


 わたくしはその指の動きに目をこらしました。

 けれど、それは文字とは思えない動きをしていました。

 何も読み取れない――。



 うぁ、とくぐもったうめき声が背後から聞こえて、わたくしは振り向きました。


 ヨーハン様が今まさにスライムに殴り飛ばされ、近くの壁に激突した瞬間でした。


「……ぁ……」


 喉が引きつります。スライムが、伸び上がった体をぐりんとわたくしに向けます。


 ずるり。


 その巨体が、移動を始めました。わたくしに――向かって。


「ひ……」


 わたくしはしゃがみこんだままでした。何とかソラさんだけはかばおうとしますが、うまく体が動いてくれません。


 そもそも――わたくしがかばったところで、この巨大な魔物を前に何の意味があるのでしょう?


(いいえ! それでもこれだけは!)


 ソラさんを守りたい。そう思うと、ようやく力が少し戻ってきました。わたくしは何とか体をずらし、ソラさんの体が自分の体に隠れるようにしました。


 ずるり。


 巨体が、いっそう近くまで迫ってきます。影がわたくしの上に落ち――魔術でもたらされた昼の光は、その一部分をあっさりと奪われてしまいました。


 ああ、どうしよう。わたくしにできることなんて何もない――。


「ア……ルテナ、様……」


 がれきからヨーハン様が立ち上がろうとしているのが見えました。

 その姿で――わたくしは思い出しました。


 彼に学んだ全てを。


(魔物が苦手なもの。


 震える手で両手を組み合わせます。こうすると、少しは落ち着くような気がして。


 目はそらさない。スライムをにらみつけ、思いっきり気迫を込めました。


 ――と。


 そのとき、本当にふしぎなことですが……


 たった一人だけ、わたくしの脳裏に思い浮かんでいた人がいたのです。


(騎士ヴァイス……)


『守るものがあれば人は強くなる』


 彼はそう言った。そのためにわたくしが欲しいと。


 けれどわたくしはそうは思わない。わたくしなどいなくとも、彼はやはり強いままに違いないのです。


(――あなたほど生きる活力に満ちた人を、わたくしは知らない)


 彼はわたくしにとって『強さ』の象徴です。それが恐くて――そして憧れて。


 嫌いなのに無視できなかった。離れたいのに惹かれずにいられなかった。


 あなたの強さはその能力ゆえでしょうか?


 いえ――たとえ貧弱な力しかなくとも、自由奔放に生きそうな人、それが彼です。


 生きる意志など無くしそうもない人。それが騎士ヴァイスという人です。彼が絶望するところなど……、想像もできなくて。


 ああ――。


(騎士よ、お願いです)


 どうかわたくしに力を貸して。あなたのように迷わない力を。


 両目を見開いて見つめた先、スライムの巨体がどんどんと迫っています。


 絶望的でした。けれど、わたくしは心の中で念じ続けました。生きる、全員で生きる、生き延びる――!


 ずる……


 スライムの動きが一瞬、止まったように感じて――。


 わたくしは息を呑みました。ぷるるんと威嚇するように半透明の巨体が震えます。けれど距離は近づいていない。

 まさか……?


 そのとき突然背中をつんつんとつつかれ、わたくしははっと振り向きました。


 ソラさんが顔を横向かせ、上目遣いにわたくしを見ていました。手を持ち上げ、親指を立て――


「……もう、大丈夫だよ。巫女」


「……!?」


 そうしてソラさんは――微笑みました。


 その確信に満ちた微笑を見た瞬間、わたくしの背中を大きな何かが駆け抜けました。

 分かったのです。つい先ほどの星の声と同じ、いいえ、あれ以上の確信で。


 ――


「おおおおおおおおっ!!!」


 空から――


 まるで流星が降るかのように。


 誰かが、落ちてきました。片手に持った剣を大きく振りかぶって。


 夜闇に包まれた空から、魔法石の灯りの範疇に入り込んだ瞬間、その誰かの姿がはっきり見えました。


「騎士……!」


「ちぇすとおおおおおおおっ!!」


 巨大スライムの頭上に降りると同時。

 騎士ヴァイスは剣を振り下ろしました。


 閃光が走りました。ただの斬撃ではありません。光は燃えさかる炎と化し、真っ二つになったスライムの断面に燃え移ります。


 騎士は二つに裂けたスライムの間に降りました。そしてそのまま体を回転させるように、剣をもう一度振り抜きました。


 炎がうなり声のように空気を震わせます。轟音を立てて、裂けたスライムが炎に包まれてゆきます。


 ……弱点を探すなんて細かいことをこの騎士ひとはしないのです。


 ただ、すべてを燃やし尽くす力業だけで。




 魔術とは違う明るさが目を焼いていました。


 燃え上がるスライムを背後に、剣を下げた騎士がこちらへ歩いてきます。顔は逆光になってよく見えません。


 炎が美しく散りました。

 まぶしい、けれどまばたきをしたくない。

 あまりにも鮮烈な光景。ましてそれを背にした彼は――


 この世のものとは思えないほど凜々しく、たくましくて。


「巫女。大丈夫か」


 ……その、声を聞いた瞬間。


 すべての力が抜けて、わたくしはその場にくたりとくずおれました。


「おわ!? み、巫女!」


「――大丈夫です、騎士よ……すみません」


 そうは言ってみたものの、力が入りません。


 即座に騎士がわたくしを支え、抱き寄せました。わたくしは思わず肩を縮めました。


 ……いつものように逃げようとは、思いませんでしたが。


「ん、酒臭い」


 騎士は鼻をくんくんさせました。やめてください、臭いをかがないで!


「いや、これは……酒じゃないな。どこで匂い袋になんか触ったんだ?」

「それは……」

「あなたを狙ったやつがいるんだな。どこの誰だ?」


 騎士はわたくしに顔を近づけました。真剣そのものの目が、わたくしの目をじっとのぞきこみます。


「し、知りません」


 わたくしは顔をそらしました。わたくしを狙った人間がいる?

 そんなの、心当たりは一人しかいないではないですか。


 あの酔っ払いのご老人は……お姫様の遣いだったのでしょうか。




 気がつくと、ソラさんが地面からじっとわたくしたちを見つめていました。


 ……なぜでしょう、目がきらきらしています。


「そそソラさん、ソラさんの怪我の手当てをしなくては!」

「あっ、巫女動いちゃダメ! そのまま」


 なぜか制止されました。顔からも腕からも流血している怪我人当人に。


「お兄ちゃん、巫女を放しちゃダメだからね。ようやく、こういうシーンを見ることができるんだから!」

「ん? よく分からんが、頼まれなくても放さんぞ」

「何を言ってるんですかあなたたちは!!!」


 久々に発動、アレス様直伝騎士突き飛ばし術。げふうと騎士が背中から倒れてゆきます。わたくしは知らんふりをしてソラさんに向き直りました。


 ソラさんは思いっきり不満そうでした。


「ちぇっ。もっといちゃいちゃしててほしいのに」

「ソラさん……」


 呆れたわたくしが説教しようと口を開きかけたそのとき、ソラさんは突然ぐたりと地面に伏せました。


「そ、ソラさん?」

「す、少し休ませてやってくれ」


 倒れていた騎士が体を起こし、むせながらそう言いました。「――ソラ、よくやった。全部お前のおかげだ」


(え……?)


 騎士は腰に下げていた水筒と、懐から粉薬らしきものを取り出すと、ソラさんを抱き起こし口に注ぎました。だいぶこぼれてしまいましたが、何とか飲んでくれたようです。


 瞼が落ちかけるソラさんに、騎士が笑って話しかけました。


「カイが激怒しているぞ、位置飛報ひほうの術は危険だから使うなと言ってあったろうと――。カイが戻ってきたら覚悟しておくことだな、ソラ」

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