そんなつもりはありません―9
結局――
驚くほど大人しくなったマクシミリアン様を加えての話し合いが始まったのですが、お互いの考えはまったく交わってくれません。
そんな中、
「もう少しぐらい待ってやったらどうだ?」
それを聞いたとき、伯爵は苦々しい顔で騎士を見ました。
「君に口出しされる筋合いはないのだがね」
「筋合いならあるぞ、シェーラ殿は俺の妻になる人の親友だからな。納得のゆく結婚をしてもらいたい」
わたくしのほうが騎士の台詞に納得がいかないのですが。
伯爵はじろりとわたくしを見ました。わたくしは否定しそうになるのをこらえ、微笑んで伯爵を見つめ返しました。今回ばかりは、否定して話を混乱させるのは好ましくありません。
何より騎士の言葉なら伯爵の態度が違うのは、本当のようです。
「それに俺は納得いかなければ他人事でも大いに口を出すぞ。だってそのほうがすっきりするだろう」
騎士は清々しいほどに自分勝手な理論を展開し始めました。
にこにこと楽しそうなのに、有無を言わせません。この人のふしぎな力のひとつです。
伯爵の足がイライラと動いています。
その隣でマクシミリアン様も、不満そうに口をとがらせています。そんな子どもっぽい表情でさえ綺麗なのはすごいと思いますが。
やがて、
「シェーラ」
伯爵は立ち上がりました。
「は、はい。お父様」
「――一年だ。あと一年しか待たぬ。修道院での修行は、花嫁修業だと思うことだ」
「……!」
シェーラの顔がみるみる明るい色に染まりました。伯爵と同様に立ち上がり、
「いいの、お父様! 修道院に戻っても……!」
「……羽目を外すんじゃないぞ。お前はあくまで将来ミハイル伯爵夫人となる者だ。それを肝に銘じて行動しなさい」
「お父様……!」
それは伯爵の中で最大の譲歩――。
期限はたった一年。そして結婚は変わらない。それでもシェーラにしてみれば望外の喜びだったようです。
「アルテナ……! また一緒にいられるわ!」
「シェーラ!」
彼女が抱きついてくるのを、わたくしは力いっぱい抱きしめ返しました。
シェーラが震えながら泣いています。きっと彼女は、もう諦めかかっていたのでしょう。それが少しでも変わったことが嬉しくてたまらないに違いありません。だってわたくしでさえ嬉しいのですから。
「伯。それは僕にも待てということですか」
マクシミリアン様がふてくされた顔でブルックリン伯爵を見やります。
伯爵はため息をついて騎士を見ると、「彼の説得に手を貸してくれないかね」と言いました。
「説得か。マックス、あと一年待てばいいことがあるぞ。おそらくのびのびと生活したシェーラ殿はますますきれいになる! 今でもそうだろう? 修道院にいた間にきれいになったんじゃないか?」
騎士がとんでもないことを言うと、マクシミリアン様は顔を輝かせました。
「たしかに! シェーラ、僕は君が僕にふさわしい女性になっていくのが嬉しいよ!」
「誰があんたにふさわしくなんかなりますか!」
シェーラの叫びはもっともとしか言いようがありませんが。
*
あと一年。制限はかけられてしまったけれど。
その一年の間にも、伯爵やマクシミリアン様とたくさん話すことをシェーラに勧めようと思います。そうしたらその一年の間にも、もっとよい変化が現れるかもしれません。この、少しだけ悔しい思いを晴らすような何かが。
いつかシェーラがお嫁に行ってしまうなら、会うことも難しくなるでしょう。
それでもシェーラの覚悟が定まってそうなるならば、わたくしは心から祝福できる。
何より修道院での残り一年が満足のいくものとなるよう……わたくしはシェーラのために、我が親友のために、何でもしようと心に決めました。
*
シェーラが無事に修道院へと戻り……
アンナ様や他のお姉様方に祝福され、その夜、シェーラの無事を祝う祈りが行われました。
そして翌日から普段通りの一日が始まり――。
「って、どうしてあんたがここにいるのよ!?」
朝の食堂でシェーラが悲鳴を上げました。
「シェーラお嬢様。言葉が汚いです」
そんなことをしれっと言ったのはレイリアさん。
いつもの通りシェーラと二人で食堂のテーブルにつき、楽しく食事を始めようとしたら、いつの間にか彼女も一緒にいたのです。前々から思っていたのですが、この子は神出鬼没なのでしょうか。
「何がお嬢様よ! あんた金でどこにでも雇われるでしょうが!」
「そうですが、私の父は昔ブルックリン家に仕えていました。その縁で私も昔からブルックリン家の諜報員をしていまして」
「へえ。少しは義理でも感じてくれてるの?」
「いえ、伯爵は一番金払いがいいので」
「正直すぎるのよあんたは!」
シェーラは両の拳を握って震わせています。その気持ちはよく分かります。
「レイリアさん……ひょっとして伯爵にお目付役を命じられたの?」
わたくしがおそるおそる尋ねると――シェーラがぎょっと目をむきましたが――レイリアさんは軽くうなずきました。
「その通りです。シェーラお嬢様が無茶をしないようにと」
「修道院でどう無茶をするのよ!?」
「あと他の男が近づかないように。ヴァイス様とか」
「ヴァイス様はアルテナ目当てでしょおおおお!?」
シェーラ。お願いだから食堂で叫ばないで。
レイリアさんはまったく動かない無表情で続けました。
「それはむしろマクシミリアン様が心配なさっています。マクシミリアン様はヴァイス様を崇拝していまして、『ヴァイス様に奪われたのでは僕は勝てない』と仰っておりました」
「勝てないのはその通りだと思うけど根本が違う……!」
「あと『あんな地味な巫女にヴァイス様が心を奪われるなんて何かの間違いだから』とも」
「じ、じみ……」
ふいをついてこちらの胸をえぐってこないでください。
「失礼なのよあんたはー!」
「仰ったのはマクシミリアン様です」
「あいつはあいつで殴る!」
シェーラ、あなたも少し静かにしてくれると嬉しい。さっきから他の修道女の目が痛いから。
シェーラをなだめすかし、わたくしたちは結局三人で食事を始めました。いつもと同じメニューがなぜだか違う味に思えます。
「ほら、でも、良かったじゃないシェーラ。伯爵もちゃんとシェーラの幸せを考えてくれているようだし――」
「……あんまり納得できないけどね」
シェーラはむっつりと不満顔です。まあ、それはそうでしょう。
本来ならシェーラは婿を取るべき長子です。ですがブルックリン伯爵は、シェーラを嫁に行かせることにしました。そうなると、伯爵が亡くなればブルックリン伯領はすべてミハイル家のものになってしまいます。
それでもいい、それでもシェーラを良い家の長子に嫁がせたい――と、ブルックリン伯爵は考えたのです。
それに。
「マックスから毎日手紙の山が来るわ……字がへたくそすぎて読むのに苦労するのよ。しかもおかしなポエムばかり! 全部採点して返してやるわ」
毎日マクシミリアン様の愚痴を言うようになったシェーラの生き生きとした顔を見ていると……シェーラの相手にマクシミリアン様を選んだ伯爵の気持ちが、少しだけ分かる気がするのです。
もっとも、あの方が結婚の相手では、シェーラが苦労するのも間違いはないでしょうが……
シェーラの愚痴をうんうんとうなずいて聞いていたわたくしに、ふとレイリアさんが言いました。
「……のんきにしていていいのですか、アルテナ様」
「え?」
わたくしがきょとんとすると、彼女は無表情で後を続けました。
「託宣の取り調べ、本当に来ますよ。王宮のやることなので時間がかかりましたが――三日後です」
「……!」
そうでした。騒ぎに取り紛れてすっかり忘れていました。
シェーラとともによい一年を過ごすと言っておきながら、そもそもわたくしのほうが修道院にいられなくなるかもしれないのです――。
*
「巫女ー! 珍しい花はいるかーーー!」
なぜか塀を跳び越えて庭に躍り出てきた騎士ヴァイスを、わたくしはほうきで“しっしっ”と追い払おうとしました。
「待て待て、せめて花を見てから」
「見ました。きれいですね。帰ってください」
「いやいや少しは苦労を認めてくれ。最近ランドル山に魔物が大量発生したとかでなーさすがに俺もいかざるをえなかったんだそしたら山のふもとに珍しいリリン草が生えていたからぜひ巫女に見てもらいたくて。よい名だろう、巫女の名に似ている上に本当に珍しいんだぞ? 絶滅危惧種だ」
「そんな貴重なものを軽々しく摘んでこないでください!」
どうりでここしばらく顔を見ないと思いました。魔物退治はけっこうですが、余計なことをしすぎですこの人は!
ほうきをX字に振り下ろして見せ、わたくしは騎士を威嚇しました。威嚇しながら吠えるように言いました。
「でも騎士ヴァイス! 次に会ったら聞きたいと思っていたことがあるのです……!」
「おお何だ? 俺たちの式の予定か?」
「ブルックリン伯爵たちは、なぜあなたの言うことなら聞くのですか?」
騎士の戯れ言は聞き流して、わたくしはずっと気になっていたことを問いました。
騎士に対する、伯爵たちの態度――。あれがふしぎでしょうがなかったのです。
伯爵は騎士に口を出されるのがとても嫌なようでした。ですが、最終的には妥協してくれました。あれはどう考えても騎士の影響だったと、わたくしにはそう思えたのです。
騎士は最初から、「俺がいれば大丈夫」と言っていました。だからこそ、深夜に忍び込むなんて無謀をしたのだと今ならわかります。……いえこの人はそれがなくてもやりそうですが。
シェーラも「ヴァイス様がいれば」と言っていました。ですがシェーラの言葉は意味が違う気がしました。シェーラは、騎士が『なぜ』影響力を持つのか知らないまま言っているだけではないか、と。
だから騎士本人に聞くしかないと考えたわけですが……
「そりゃあ、俺が勇者の仲間だからだな」
騎士はさっくりと即答しました。「言ったろう? 今でも毎日どこかしらのご機嫌伺いが来ると」
「そ、それはそうですけど――」
それは魔王を倒してくれた偉大な勇者様一行への感謝の気持ちのはずです。
ブルックリン伯爵だって、感謝はしているでしょう。国の行く末を考える立場の人ほどその気持ちは強いはずです。
ですが、だからといって家のことに口を出されるのを許すほどになるとは思えない――
「俺たちの機嫌をそこねたくないのさ、彼らは戦えないからな」
「……! 伯爵たちはあなたや皆さんが牙を向くと考えていると?」
「ちょっと違う。次の魔王が出てきたときに、戦えるのが俺たちしかいないと思っているんだ、彼らは」
わたくしは――絶句しました。
今、何と?
……次の魔王?
騎士は手にしたリリン草のピンクの花を指でつつきながら、
「今、魔物が活性化している。原因は分かっていない。分かっているのは、十一年前も同じような状況だったということだ――魔王が現れる直前の、あの時期と同じ」
俺もよく覚えてる、と懐かしむような目をします。
「昨日まで遊んでいた野っ原が、次の日には魔物の群れに荒らされているんだ。アレスと二人で憤ったものだ。まああいつが心配したのは国の将来で、俺が心配したのは翌日の遊び場をどこにするかだったんだが」
「……それで……」
「それで二人で
「………」
「最初に組んだやつは途中で魔物にやられて再起不能になった」
わたくしは息を呑みました。再起不能――。
いえ。ハンターはいつでも危険と隣り合わせです。命のやりとりくらい、日常茶飯事なのです。
わかっている――つもりです。
「まあそんな経験を重ねたあげく、自然と集まった六人で戦ったら勝てた。最強の周りには最強が集まるもんだ」
うんうんと自分でうなずき、騎士は言いました。
「とにかく次にまた魔王が出てくるなら、倒せるのは俺たちしかいない。皆がそれをわかっているのさ」
だから――国の偉い者ほど、彼らを重要視する、と。
機嫌を損ねないよう毎日遣いを送り、時には金銀財宝をも送る。
彼らを、戦いにおもむかせるために。
「……なんてこと」
わたくしは呆然とつぶやきました。
彼らが魔物討伐に向かったと聞くたびに、のんきに喜んでいましたが……事はそんな軽い話ではなかったようです。
何より、彼らは命をかけて戦っている。そんな当たり前のことを、わたくしは軽率に考えていた――。
騎士はリリン草をくるくる回しながら、にこりと言いました。
「だから巫女とは早めに結婚しておきたい。俺も一応、死ぬ可能性があるからな。結婚しておけば未亡人にしないためにますます力が湧く! 人間守るべきものがあってこそ強くなるものだ」
「し、死ぬ……?」
目まいがしました。途方もない話を聞いている気がして。
目の前の、この圧倒的な存在感を持つ人が、死ぬ……なんて。
いいえ分かっています。彼だって人間なのです。ふつうの人たちと同じ人間――。
……ときどき人間離れしている気もしますが。
「どうだろう? 少しは心が動くんじゃないか?」
彼は相変わらずにこにこ上機嫌そうで、自分がとても重い話をしたなど考えてもいないようです。
(心が動く……?)
いいえそんなこと、とんでもない!
――とんでもない!
「もう、無理なんです。騎士ヴァイス」
わたくしは、ずっと構えていたほうきをゆっくり下ろしました。
「何がだ?」
騎士がきょとんとした顔になります。わたくしは首を振り、「修道院を出ることになりそうです」と言いました。
「ご存じでしょう? 託宣が無効になったこと」
「無効? ああそういえばそんなような話をアレスだかカイだかが言ってきたような」
……言ってきたような、で済ましたのですか。まあ想像がつきますが。
「託宣は無効になったのです。ですからあなたとも結婚できません」
わたくしは騎士を見つめました。
騎士はふしぎそうに眉をひそめて、
「それがどうして俺と結婚できないということになるんだ?」
わたくしはがくりと脱力しました。
「……あのですね、託宣が無効になった理由をご存じですか。託宣を利用して想い人と結婚しようとした巫女がいたからです。今回、わたくしもそれを疑われました――ですから、この上あなたと結婚することがどれほど外聞の悪いことか、お分かりになりませんか?」
偽の託宣と言われ。
白い目で見られることに耐えられたのは、あくまでわたくし自身は託宣に自信があったからです。
おかげで騎士との関係に悩むことになってしまったのですが、その代わり周囲の目など二の次でいられました。
でも――こうして国に託宣を否定されてしまって。
とっくに巫女としての資格をなくしているわたくしはもう、この王都に居場所がないのです。
「昨日、王宮の方々が来ました。わたくしは取り調べを受けました。偽の託宣ではないと言っても――聞いてもらえなかった」
――だから。
そう告げた自分の声が泣きそうなことに、わたくしは気づいていました。
必死で我慢しました。よりによって騎士の前で泣くなど、絶対にいやです。でも、……でも、
「巫女」
落ちていくばかりのわたくしの心を受け止めようとするように、騎士の声が遮りました。
「巫女。だが俺は言っただろう。俺が信じたのは託宣じゃない、あなた自身だと」
わたくしはうつむきかかっていた顔を上げました。
騎士が、まっすぐにわたくしを見つめていました。あの強い夕焼け色の瞳で。
「あなたの託宣が本物ならそれでいいし、あなたの嘘ならそれはそれでいい。外聞が悪い? 堂々としていればいい。どうせ人間の興味など七十五日だ」
重要なのは。いつになく静かな騎士の言葉が、
「あなたは俺を指名した。それだけだ」
わたくしの胸にすうと忍び入って……
騎士がわたくしに歩み寄ってくる間も、わたくしは金縛りにあったように動けずにいました。
騎士の手が伸び、わたくしの頭を撫でるように触れます。そして体を抱き寄せ、額にそっと唇を触れました。
「……少し疲れているな。最近色々ありすぎたんだろう。休んだほうがいい」
「騎士――」
「名前で呼んでくれないか。この間のように。アルテナ」
「……ヴァイス様」
まるで声が、勝手にこぼれるようです。
この感覚は……託宣を下すときのよう。自分の声ではないように思える、この。
見えない大いなる手に操られているような、それでいて、その何かに任せることがとても心地よいような……
(でも、今名を呼んだのはたしかに自分)
この体は、いったいどうしてしまったのでしょう?
やがて顔が近づき、唇同士が触れかかったとき、わたくしははっと騎士を押し放しました。
「よ、よしてください。ここは修道院の敷地内なんですから」
――敷地内だから? では外では良かったというの?
ああ違う、もう何が何だか分からない――。
「だがもうここを離れるのだろう?」
騎士はすかさず言い返してきました。そして、
「ん……? ここを離れる。もう修道女じゃない。これはむしろ俺との結婚に好都合じゃないか」
ぶつぶつ言ったかと思うと、顔をパアッと輝かせました。
「よしアルテナ、修道院を出る勢いで俺と結婚しよう! きっとこれも天の配剤だ!」
この人は――
わたくしは一気に我を取り戻しました。そして、力いっぱい騎士を怒鳴りつけました。
「人の話を聞いていましたかっ!? わたくしは、そ・ん・な・つ・も・り・は・あ・り・ま・せ・んっ!!!」
けれどわたくしもうすうすわかっていたのです。この数日で、騎士に対する思いに変化が表れていることを。
それは、たぶん恋ではありません。でも……騎士をにらみつけずにいられない理由が変わってきている。そう、変わってきているんです――。
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