託宣が下りました。

瑞原チヒロ

本編

プロローグ

 みなさまこんにちは。わたくし、アルテナ・リリーフォンスと申します。

 突然ですが先日、星の託宣がくだりました。


「騎士ヴァイス・フォーライク、巫女アルテナ・リリーフォンスの間に生まれし子は、国の救世主となるだろう」


 ……その日以来、わたくしは日々騎士ヴァイスに追いかけられております。ええそれはもうしつこく。食事のときも勉強のときも果てには就寝のときまで、気持ちの休まるときがありません。唯一気が安らぐのは、巫女以外入室を禁止されている祈りの間にいるときでしょうか。わたくしはもうこの部屋で生涯を過ごしたいくらいです。


 なぜ、追いかけられるのか?

 簡単です。わたくしが逃げているからです。


 なぜ、逃げるのか?

 簡単です。わたくしは男性が嫌いなのです。


 いえ、言葉が正しくないですね。正しく言い直しましょう――わたくしは、騎士ヴァイス・フォーライクが嫌いなのです。

 大嫌いなのです。


 元々男性は苦手です。世間様に主張できるほどの理由はありません。しいて言うならば、男性の本能的な『強さ』が苦手です。


 でもそれは彼らのせいではありません。かと言って、無理をして男性に慣れる必要性も感じませんでしたので、わたくしは巫女になることを選びました。巫女は生涯独身で過ごします。美しい身のまま星に祈りを捧げ、星の声を聞くことに人生を捧げます。


 この星の国エバーストーンにおいて、これほど高潔な職はありません。わたくしはこの身に誇りを持っております。


 ただ、星に関わる仕事には男性もおりますので、修道院自体は男子禁制ではありません。


 彼らはあくまで星に祈る仲間です。そう思うとわたくしも、彼らに対する緊張も少しやわらぎます。そのことが嬉しくもあり、この生活にますます満足していたのです。


 だというのに。


「巫女よ。なぜ逃げる?」

「窓から入ってこようとする人など、受け入れられません」

「しかし何もモップで撃退しようとしなくとも」

「ちょうど掃除の時間に現れたあなたが悪いのです」


 わたくしの振りかぶったモップは騎士ヴァイスの顔に直撃しかけたところで受け止められました。


 やれやれと大げさにため息をつきながら、騎士は私のモップの柄をつかみひょいひょいと動かします。そうするとわたくしのひ弱な力では敵わず、簡単にモップを奪われてしまいます。


 その、力ずくで手からモップが離れていく感覚。わたくしは胸の底にひやりと冷たい手が触れるような思いをしながら、騎士をにらみつけます。しかしこの鈍感な騎士には効きません。


「巫女よ。いい加減あきらめたほうがよいのではないか」

「いやです」

「星の巫女たる者、星の託宣は絶対だろう?」

「それでもいやです」


 何とかモップを奪い返そうとしながら――騎士はそれをひょいひょいと避けます――わたくしは剣呑な声を出します。

 騎士はいつも凜々しくつり上がった眉尻を下げました。


「俺はこんなにも愛してるのにか?」


 出ました、この口の軽い男。顔を合わせると好きだ愛してると、まあうるさいこと。


 でも信用できません。だって当然ではないですか、あの星の託宣が下るその日まで、わたくしはこの人と会話をしたことさえなかったのですから!


 それが突然愛してるだなどと――この男の神経はどうなっているのでしょう?


「俺と結婚すると得だぞ。なんせ俺はこの国じゃ重要人物だからな。毎日国のお偉いさんが挨拶に来る」


 それは知っています。この男は元「勇者の仲間」なのです。それも、勇者の片腕と呼ばれた人です。


 だからわたくしも、元々名前とお顔ぐらいは知っていたのです。けれどいわゆる『英雄』なんて、わたくしにとっては遠い人です。


 修道女は託宣というお役目があるため、もっと上級の巫女であれば勇者様にお告げを授けたりもしますけれど、下っ端巫女のわたくしには関係のないことですから。


「ひょっとして『勇者本人じゃないとイヤ』と思ってるのか? 待て待て、勇者に聞いてみろ。俺のほうが絶対かっこいいから!」


 ……自意識過剰なんじゃないでしょうか、この人。


 もっとも勇者様はたしかに、この人を褒める気がします。

 なぜなら勇者様はとてもできたお人で、優しく穏やか、人の悪口など言わないと評判です。彼がこの世でたったひとつ、憎悪したのはかつての魔王ただ一人とか。


 わたくしもそのお噂を聞くたび、人として敬いたい気持ちに駆られます。けれど、勇者様のほうがいい――とか言う話では断じてありません。


「顔だって悪くないだろう。ほらほら」


 窓から顔を突き出す騎士ヴァイス。たしかに顔は悪くありません。


 それどころか、柔らかそうな金髪は美しくて、このわたくしでさえつい触りたくなるほどです。面おもてはとにかく凜々しく、活力にあふれています。鍛え抜かれた長身は活動的で、右から見ても左から見ても健康的な美男子でしょう。ちなみに年齢はわたくしより五歳上だそうです。


 でも、問題はそこではないのです。(というか顔がよければ私の男性苦手症が軽減されるわけではありません)


「……騎士ヴァイス。あなたは、託宣がくだった日を覚えておいでですか」

「うん? もちろんだとも! 俺の人生であんなに幸福な日はなかった!」


 モップを振り回し――窓枠にガキッと当たって悲鳴を上げつつ――主張する騎士。

 わたくしは思わず、声を張り上げた。


「わ・た・く・し・は! 生涯思い出したくありません……!!!」


 ――生涯忘れられそうにない、あの日。


 託宣の間の水鏡の前。夜空の星を移した美しい水をたたえた器の前にわたくしはいました。


 託宣がくだった直後、大勢の観客の中から、おお、と獣のようなうなり声をあげて諸手を挙げたのは他でもない、騎士ヴァイス――


「ついに俺の子を孕む相手が現れたぞ!」


 その言葉を聞いた瞬間、わたくしの本能が叫んでいた。逃げて――


 けれど逃げられなかったのです。何しろここは神聖なる託宣の間。そしてわたくしは……ここを動いてはいけない立場。


 騎士の行動はとても素早いものでした。託宣を聞きに来た多くの修道生や一般人、国の人々の前に躍り出たと思うと、


「あなたが、俺の運命の人か!」


 そう叫ぶなりわたくしを抱き寄せ、それから、ああ――

 なんと言うことでしょうか。あろうことかあれだけの観客の前で騎士は、わたくしの唇を奪ったのです!


 その日から、わたくしは騎士から逃げ惑う日々を送っています。


「なぜ逃げる?」


 理由を問われるたび、浮かぶ答えはひとつしかありません。


「わたくしは、あなたが嫌いです!」


 けれど、どうしたらいいのでしょう、これは星の託宣。決して違うことのない未来。

 否定することのできない未来。


『騎士ヴァイスと巫女アルテナの間の子は……』


 ああどうしたらいいのでしょう! これも星の巡り合わせなのでしょうか。


 よりによってあの託宣をくだしたのは、

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